甦りし魔言
ジジの悪ふざけが終わった所で、先ほどのアイシャの発言で気になった部分を尋ねた。
「なあ、さっきのラブだけど、君の生命力も消耗するって大丈夫なのか?」
相変わらず隣からは皿を擦る音が時折きこえるが、今のところは大人しくしている様だ。
「うん。そうなんだけどね……。ちょっと力を使ったくらいなら普通に日常を送ってればすぐ回復しちゃうから、そんなに心配しなくても大丈夫だよっ。……でも、ありがと」
少し照れくさそうにして前髪を触るアイシャの様子に目を奪われる。やっぱり可愛いなぁ。魔性だけど、天使だ! いや、女神だ!
俺の様子の変化をめざとく察知したのか、ジジがまたわざと皿を擦った。その不快な音で背筋が震える。
「お前ぇぇぇ! まだ足りないのか!? 次は俺が相手になるぜ!?」
精一杯おどしてみるが、やはりジジには通用しない。魚を頬張りながら流し目でこちらをみやる。
「くふふっ! おんしが相手とは――願っても無い。共に魂まで蕩ける様な一時を過ごそうぞ!」
その意味を察したアイシャが声を荒げる。
「ジジちゃん……! またそんなえっちな事いって! あんまりしつこいと許さないんだから!」
ジジは心底たのしそうに笑い「想像は鏡じゃ、えっちなのはそなたじゃろう」と返す。アイシャはその答えに赤くなり震え、口をつぐんでしまった。こいつ、もうえっちの使い方を理解しやがった……! その学習能力、末恐ろしいぜ……!
「むぐっ」
そこで突然ジジがおかしな声を出した。何だ? 喉につかえたのか?
「何じゃ、これはっ!」
喋りながら舌を出し、指でつまみとって見せたそれは、小さな透明の幕の様なものだった。身を乗り出して眺めていたアイシャがすかさず答える。
「あ、お魚の鱗だねっ。ちゃんと削ぎ落としたつもりだったけど、残ってたみたい!」
ジジは鱗を皿の端になすりつけ、不満そうに呻いた。
「むぐぅ。さては、そなた。儂の分にだけわざと残しておいたのじゃな! 白状せい!」
声を荒げるジジに、アイシャも不満を露わにする。
「ふんだ! ジジちゃんみたいに嫌みな事ばっかり考えてないよっ!」
アイシャの攻勢はさらに続いた「それに、わざと残すのならもっといっぱいにするかなっ! 味も分からなくなっちゃうくらいにねっ!」うへぇ、実際にやった訳じゃないけど、ジジ相手だとホントに容赦ないな。いつもの「何じゃと!?」の後に、低い唸り声が聞こえて来る。はあ、動物かよお前は……。
二人は食卓を挟んでしばらく睨みあっていたが、食欲に負けたのか、ジジは黙して食事に戻った。
はあ、話題かえよっと。いっつも喧嘩されちゃこっちの身が持たない。
「それでさ、この魚の開きなんだけど、大きな骨をもっと取っちゃってから料理すれば、さっきみたいにこいつが駄々をこねる事もないと思うんだけど……」
こちらを一瞥し「儂は駄々などこねておらんぞ」と言い張るジジを無視し、話を進めるが、アイシャはあまり乗り気ではないらしい。
「ダメだよ。森の恵みをいただいてるんだから、出来るだけ全部たべなきゃっ! 骨についた僅かなお肉だってお肉なんだよっ?」
ここでアイシャは俺の皿をみやり、怪しげな表情を取る。
「ふふぅん。カイトもぉ。そのお魚に残ったおめめも食べちゃっていいんだよっ? あ・の・時みたいに!」
うあああ!? や、やめてくれ、トラウマを甦らせないでくれぇぇぇ!?
残された魚の白く濁った眼を見つめていると、あの時のみこんだやつの眼球を思い出し、吐き気がこみ上げて来る。い、今でも覚えてるぜ、あの口内で行われた地獄。喉を通る時の不気味な感触。――そして、夜に起きた災いまで、ひとつ残らずな。
お、俺は、もう少しで危うく物理的な赤ちゃんになってしまう所だったんだ!
避けた災難を思い出し震えていると、隣から何かが突き出された。
「ぶふっ! 何してんだお前!」
見るとジジが、フォークに突き刺した魚の頭をこちらへ向けていた。もうすっかり機嫌は直っている様だ。
「しかと見よ、カイトよ! こやつの口の歯並びの良さよ、一見に値すると思わぬか? 一体なにを食しておったのじゃろうなあ?」
そう言ってジジは可憐な指先で死んだ魚の歯をなぞって見せた。まあ、こっちから見ると、魚の正面顔のおかしさの方が気になる訳だけど。
ここで、何気なく発せられたジジの言葉が俺の心臓をダイレクトアタックしてくる。そう、何時振りか分からないあの言葉の封印が解かれたのだ。
「話は変わるが、先ほど小娘の申した、おめめと言うのは幼児語じゃろう? 食事前に一悶着あった、乳の場合は、『おっぱ 』と――」
はぐぁっ!?
その瞬間、心臓が跳ねた。余りにも無防備な心への無慈悲な不意打ち。マグマの様に熱く、それでいて氷の如く鋭く冷たい、心臓を一突きにする残酷な言葉。成すすべもなく胸を押さえて、硬直する。
その後に続く言葉は一語ずつスローモーションで流れた。「言・う・ら・し・い・ぞ」と、アイシャは血相を変えて立ち上がり、こちらを一瞥した後に、慌ててジジを諫める。
「だ、ダメだよ! ジジちゃん! その言葉をカイトに聞かせちゃ!」
頭の中にはその言葉が渦の様に反響し続けていた。こ、こ、こんな美少女の口から、お――、ふぐおおお!? し、心臓が止まりそう。
それを遠ざけるために、語彙を尽くして、別の名前まで与えていた封印された言葉、甦った彼者は古より変わらず猛威を振るう、無貌の暴君。人間の理性など儚き灯に過ぎず、抗う事は能わず、その――。
「おっぱ 」
ふぐうおっ!?
息も絶え絶えな所へ更なる追撃が襲い来る。全身の血が沸き立ち、血管の内部を超高速で廻っている気がした。
も、もう。何か昇天しそう。
「じ、ジジちゃん! ダメだって――。カイト!? しっかりしてぇ! 死んじゃダメぇ――!」
「カイトォ!!」
アイシャの叫びを最後に、意識は『おっぱ 』に呑まれていった。
※ ※ ※
ふう、精神を再構築するのに随分と時間がかかっちまったな。だが、甦ったぜ。もうあの反響も聞こえない。く、くくく。俺の名は、四畝波海兎。この世の全ての双丘の支配者となるべく生を受けし者。我が覇道は、まだ始まったばかりだ。こんな所で――。
「ふむ? じゃから『おっぱ 』が何じゃと言うのじゃ? ただの幼児語ではないのかの?」
へぶられっ!?
「も、もう。だから、さっきから説明してるみたいに、カイトは、そ、その、ここが大好きなのは、ジジちゃんも知ってるでしょ? ……でも、その呼び方をすると刺激が強すぎるらしいんだ。む、胸とかならまだ大丈夫みたいだけどね」
「ふむ? 難儀な話じゃの。つまるところは、使うな、と言う事じゃな?」
「ほっ。分かってくれたみたいで良かった」
「じゃが断るっ!」
「ええっ!? ど、どうしてなの!?」
「カイトの数少ない弱点じゃろう? 有効に使わぬ手はない。そなたも本心ではそう思っておるのではないか?」
「え? 弱点……、少ないかなぁ……?」
「まあ、今宵は満足した故、これ以上の追及はよしてやろう。感謝するが良いぞ」
ぶはっ! は、はあ、はあ。や、やっと意識が戻って、く、くそ! ジジの奴に致命的な弱点を知られちまった! このままじゃ――。
瞬く間に妄想が展開されていく。「ああん! ……くっ! おんし、儂の身体に気安く触るでない……! くふふっ。もし、次おなじ事を繰り返したなら、あの魔法の言葉を耳元で囁いてやるぞ。幾度となくな……。そうなっては身体が持つまい? それでも良いのかの?」うおおお!? やべぇ、そうなったらあいつの弱点を突けなくなっちまう! 妖艶な表情を浮かべ誘惑は続く。「くふふっ。しかし、本心ではおんしも喜んでおるのじゃろう? のう? 言葉ではなく、目の前にある『本物』で、楽しまぬか? そこもそれを望んでおるのじゃろう?」そう言って、ジジは俺の太腿に手を伸ばし、優しく撫でた。
「ストッッップ! それ以上はいけない!」
放心していたはずの俺が突然こえを荒げたため、二人は驚愕の視線を送って来る。
「何じゃ!? 呆けておったのではなかったのか?」
「カ、カイト! 大丈夫だったの!?」
く、くくく。三途の川に片足つっこんでたさ。だけど、戻って来た。もしかするとあの世にもあるかもしれないが、『本物』は現世でこそ楽しめる。その可能性を放って旅立つなんて、俺の幼き日の誓い――アイデンティティに反する行為だ。
「そうだ! 『本物』のためとあらば、俺は何度でも甦るさ! 何度でもなぁ!」
加熱する俺の妄想と独り言に、怪訝な表情の二人が、奇異の目を送って来る。
「おんしは一体なにを言っておるのじゃ。本物とは何を示す? どこか釈然とせぬな」
続いてアイシャ。
「ジジちゃんは、初めて見るかもしれないけど、カイトはね。たまにこんな風になるんだ。多分、発作みたいなものだと思う……」
二人はこちらが黙っているのをいい事に、次々と勝手な判断を重ねて行く。
「ふむぅ? それは、難儀なものじゃな」
ち、違うぞ! 別に呆けてる訳じゃなくて、こっちはちゃんとそっちの言葉も聞こえてるんだ。二人を交互に見やり、すました雰囲気で笑いかける。
「ふっ。ふたりの会話もちゃんと聞こえているんだぜ? 別に、発作でもなんでもないさ。ただ、少し熱くなりすぎただけさ」
こちらの態度に関わらず、ふたりは奇妙なモノを見る目をしばらく送り続けて来た。
な、何か……。いたたまれないな。……ジジのやつも、もうあの言葉を繰り返す気もないだろうし、食事を再開するか。串焼きの方がずっと気になってたんだよな。
気を取り直して、丸い皿に放射状に並べられていた。串焼きを一本てにとった。そうすると、既に開きを食べ終えていたジジとアイシャも俺に倣い手を伸ばす。
「む。儂に先んじて食そうとは、真に大それた考えよ」
「あ、ずるいよカイト! 私だってまだまだ腹ペコなんだからっ!」
八本も用意されてるんだから、そんなに急ぐ必要ないだろ?
さっそく頭の部分から噛みついたら、アイシャが説明をくれる。
「このお魚はねぇ。主に苔とか水草を食べてる子でねぇ。内臓の中身も綺麗だし、骨も柔らかいから、丸ごと食べられちゃうんだよっ!」
ふむ。そうなのか。確かに頭を丸ごと齧っても、骨が口に残らないな。こっちの方は目も食べてしまっても問題なさそうだ。コリコリとした食感のそれを咀嚼しながら思う。
開きと同じ香草と香辛料が使われているのか、一噛みすれば、口内には刺激的な香りが充満し、それと共に爽やかな旨みが広がる。
ふむ。脂分はそれ程おおくないみたいだけど、これはこれでイケるな。
どんどん食べて行こうと口を付けると、隣から感嘆の声が聞こえ、また魚の顔が突き出された。
「見よ、カイトよ。こちらの魚は歯の形も先ほどとはまるで異なる様じゃぞ! これが食性の違いからくる差違なのじゃな!」
ジジが嬉しそうに、魚の口内を見せつけて来るので、そちらを覗き見た。
「あ、ホントだな。歯がギザギザと並んでなくて、つながってる。……へぇ。こんな違いがあるのか、観察してみると意外と面白いもんだな」
アイシャは俺たちの様子を嬉しそうに見ながら、二本目に手を出していた。この辺の食欲キャラっぽさは変わりないようだ。
ふむ。読めた。
この串焼きは八本、一匹ずつ丸焼きにされてる。だが、俺たちは三人いる……。これは、最後の一本をめぐった熾烈な争いが予想されるな。まあ、どちらかが欲しいと言うのなら譲るのもやぶさかではない。勿論、素直にお願いされれば、だが。
二本目はパリパリに焼かれた香ばしい尾びれから齧りつつ、そんな事を考えていると、ジジとアイシャもその事実に気付いたのか。にわかに眼光が鋭くなる。
い、いや。俺は思い違いをしていた。当然の様に、俺が三本を手にする事を前提としていた。そこで四本目を望むのは功労者でもあるまいし、図々しすぎるだろう。
つ、つまり、これは――!
そして、事態は俺が動くよりも先に、都合の悪い方向へと転がって行く。二人は素早く三本目に両手を伸ばし、同時にこちらを見つめた。
「くふふっ! これは天命じゃ。おんしは如何なる時も己よりも儂を優先するじゃろう? のう?」
ジジからはそんな甘えた声が紡ぎ出され、アイシャも潤んだ瞳で見つめて来る。
「カイトは、私の事をいっつも一番に考えてくれてるよね? ねっ?」
い、いや、俺は、別に構わないんだけど、……何かおかしくないか?
そう、俺が譲れば綺麗に二本、三本、三本で分けられるはずだったのに、何故か二人の手はお互いに重なり、強欲の四本目を望んでいたのだ。
「な!? なんだってぇ!?」
お、女の戦い恐るべし! すぐさまジジが噛みつく様に歯を剥き、串焼きに伸びた手に力が入る。腕に静脈が浮き出しそうな勢いだ。
「くふふっ。何じゃ? その手は? 誰が許した? ちと図に乗っておるのではないか?」
アイシャも負けじと応じる。
「ジジちゃんこそ……! このお魚を釣って来たのは、私なんだからっ!」
二人は四本目を奪い合い、串がへし折れそうな力をかけあう。音こそ聞こえないが、か細い木製の串が軋んで悲鳴をあげている様だった。
や、やばいぞ? このままだと折れる!
二人はお互い一歩も譲らず、力をかけ続け、鼻息あらく向き合う。
そして――ついに限界を迎えた。
串がへし折れ、弾け飛んだ魚の身が宙を舞い、こちらへ迫りくる!
落としたら勿体ない、そんな思いが一瞬、脳内を廻り、気付いた時には、顔から宙へ飛び出していた。そのまま口を大きく開き、ダイブする。
ぱくっ!
見事に空中で魚をキャッチした俺の両頬に、少し遅れて何か柔らかな感触が襲い来る。
気付けば、身を乗り出したジジが左頬に、アイシャは右頬に向かってキスをしていた。
柔らかな感触に挟まれ、咀嚼も忘れ、その時が永遠に続く事を願った――。
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