せんりつの食卓
アイシャの最後の呟きが、トドメの一撃の様に頭の中を渦巻いていたが、空腹が意識を徐々に覚醒させてくれた。
「なあ、さっきからいい匂いが漂って来てたのに、随分と長話しちゃったよな。そろそろ飯にしないか?」
彼女は俺の言葉に慌てた様子で、台所へ向かう。解剖学書は一度、寝室へ置きに行き、ボロキレの方は、食卓の近くのアイシャがよく物を置いている小さな棚に畳んだ。
「そうだったよ! ほっとくと黒焦げになっちゃう!」
彼女は自信ありげに振り向いて、串に刺さった魚をみせびらかした。
「ふふぅん。ジジちゃんが食べたいって言うからぁ。今日は頑張って釣りに行ってきました! お魚料理だよっ!」
それを見たジジが「ほう」と目を輝かせる。適度に焼き目がつき、香ばしい匂いを放ち食欲を刺激して来る魚料理が、幾つか用意されている様だ。
食卓には既にジジ用の椅子も用意されていて、準備は万端ととのった、着席して、待ち遠しいその時を今か今かと焦がれるが、腹の虫はもはや我慢できない様だ。二人分の唸り声が響いた。
隣に座っていたジジを見やり、にやりと笑いかける。
「聞いたぞ、精霊でも腹は鳴るんだなぁ」
アイシャなら頬を赤く染める所だろうが、ジジはさも当然と言った風で、恥じてもいない様だ。
「うむ。これはまさしく期待の大きさの表れと言えようぞ! ほれっ。そなた、焦らしておらんではよう夕餉を持ってまいれ!」
アイシャは苦笑しながら皿に乗せられ開きになった大きな魚と、串に姿のまま刺さった小さな魚を手際よく運んでくる。
「もう、ジジちゃんったら、こんな時だけ小娘って言わないんだ?」
アイシャの苦言にジジは楽しそうに応じる。
「くふふっ。その方が好みならば何時でもそう呼んでやるぞ? ……まあ、今はそれよりも魚じゃ! 魚を捧げるのじゃあ!」
準備が整った所で、食卓に乗せられた料理を見回す。串焼きと開き、それにあのキャベツでくるんだ豆かな。今晩はシチューの残りは食べないらしい。これだけあれば十分だと思うけど。まあ、主食の米とかがないのは気になるけど、その辺は文化の違いなのかな。
「気付いたかな? カイト。そのお豆のキャベツ巻きなんだけど、疲労回復の薬効があるハーブを紐代わりにして結んでみたんだよっ。前より食べやすくなってるはずだし、味も香りも良くなってるから、是非あじわってみてねっ!」
言われてもう一度キャベツ巻きを確かめてみると、先ほどは気付かなかった刺激的な良い香りを嗅覚が捉えた。焼いた魚の匂いが強烈で隠れていたのかも。それにしても色々と工夫して気をつかってくれるな。彼女はきっといいお嫁さんになるだろう。
他人事みたいに言ってんじゃねぇ! 相手は俺の役目だぁぁぁ!
「それじゃ、ご飯の前の儀式だよ。二人とも、私に続いてね――」
いつもの儀式を終え、三人分の「いただきます」の声が重なる。ジジのやつは儀式は露骨に嫌がる癖にいただきますには抵抗がないらしい。何故かは分からないが。
まあ、そんな事よりも今は目の前の食事に集中しよう。隣の野生児がいつ暴走を始めるかは読めないからな。
用意していたマイ箸の二号を手に取り、さっそく開きの解体を始める。これが上手く行ったならこの箸は不格好ながらも合格と言えるだろう。
一際おおきく目立っていた背骨の周りの肉をほぐして剥ぎ取り、まずは、食べやすい様に大きな骨から取り除く。こういう時は過度に上品ぶらず空いてる手も使っていい。
いいぞ、今の所、思いのほか上手く使えてる。
骨にこびりついた薄い肉を剥がして少しずつ口に運びながら、地球の実家での経験を思い出していた。
何でもゲームに結び付けてしまうのも軽薄と思われるかもしれないが、俺はこの地味な作業が意外と好きだった。気の短い人間なら嫌がってそのまま捨ててしまいそうな、骨にこびりついた肉なんかを上手く剥がして行って、綺麗に食べられる程に得点が加算されていく気分になり、徐々にその単調な工程に熱中してしまう。時には味も忘れてしまう程に。
だが、今回はその心配はいらない様だ。あの川でみかけた魚たちは、見た目も地球上のモノとさしてかわらず、何を食べているのかは不明だが、脂がのっていて、そこへ絶妙な塩加減が加味され、香草や香辛料の配分も相まって、脳を蕩けさせる様な複合的でいて、上等な味に変化していた。
ちょっとしたゲームを楽しむ気分でなおかつ舌も喜びに震える。これは、中々に上質なシチュエーションだ。
どんどん解体を進めあらかた骨を取りつくした所で、一気にまとまった肉を口に運んで行く。するとかたまっていた脂身が舌の上でとろけ、快楽にも近い感覚をもたらしてくれる。まるでステーキを食べている気分だ。
そして、味を主体に楽しめるめぼしい肉を片づけた後に、始まる。ミニゲーム。
細かな骨を取り込んだ肉は、普通なら食べづらく敬遠されるだろうが、これも俺にとっては楽しみのひとつとなるのだ。そう、噛めばほぐせて呑み込むのに問題ない骨と、問題になる骨をより分け、問題ない部分はむしろどんどん噛み砕いて行く。別段、特別な味がする訳ではないが、食しても問題ない骨を噛めば噛むほど、得点がアップするという寸法だ。勿論、歯茎を傷つけない様に注意する必要があるが、それも楽しみの内と思えばいい。
残さず食べるのがいいなどと高尚な事を言うつもりはないが、食べられる部分は楽しんで余すところなく搾り取る。それが俺の魚への向き合い方だった。
「ふぅぅ。かなり綺麗に食べられたなぁ。頭の骨に隠れた肉もほとんど取れたし、これは結構いい点でてそう!」
思わず声に出していたの気付いて、二人の様子を見たが、なんと二人ともこちらを固唾を飲んで見守っていて、自分たちの皿にはほとんど手を付けていなかった。
あ、あれ? なんかおかしい事したかな、俺!?
恐る恐るアイシャに尋ねる。
「な、なあ。何でそんなに真剣な顔でこっちを見てるんだ? 料理が冷めちゃうぜ?」
やがてアイシャが沈黙を破り、驚嘆の声を漏らす。
「す、すごいよっ。カイト。そんなに綺麗にお魚を食べちゃうなんて! その、お箸ってホントに万能の食器だったんだねっ!」
良く見るとジジもアイシャも手にはフォークとナイフを握っていて、皿の様子からかなり苦心して魚と向き合っていたのが窺えた。
次いでジジの唸り声が聞こえる。
「む。うむむむ。まさか、これ程であったとは! 侮っておったわ!」
そんなに褒められると照れるな。
「カイトよ。その、箸、とやらを儂にも用意してくれぬか? 是非ともその全能振りを味わってみたいぞ!」
全能ってのは大袈裟すぎるなぁ。でも、日本の文化に興味を持たれたのはちょっと嬉しいかも。この際、地球での情報は極力かくすべきと言う考えにも一時的に蓋をしてしまおう。この家いがいで見せびらかす気なんてないしな。
「作ってやってもいいけど、上手く出来る保証はないぜ? それに、こいつは扱うのに結構たかめの熟練度が要るんだ。一朝一夕では無理かな」
ジジはその返答に少し不満そうにしていたが、しばらくして面白い事を思いついたといった感じで笑顔に戻る。
「くふふっ。これは、実に良い思いつきじゃ! カイトよ! おんしがそこまで上手く魚を解体できるのならば、儂の皿の分もほぐして食べやすくするのじゃ!」
「さあ、はよう」と強請るジジにアイシャが物申す。
「だ、ダメだよっ! カイトがいっぱい口をつけたお箸でジジちゃんのをほぐすとか! 不衛生なんだから!」
ジジはその言葉を受けて楽しそうに笑う。
「何じゃ、その様な事を……。これだから小娘は……。では、問おう。そなたは接吻を不潔だと思うのか? カイトとしてみたいとは思わぬのか?」
はあ、食事中だってのに、また話がこじれ始めたよ。いや、俺だってその答えには興味あるけどさ。
アイシャは予想もしていなかった問いを投げかけられたのか、俯いて黙ってしまう。やがて、小さな呟きの様な答えが返る。
「す、好きな人となら、キスしたくないなんて思わないよ? ……でも、それとこれとは話が違うもん! とにかくジジちゃんはダメだもん! カイトのバカ!」
またこっちに飛び火してるんだけどっ!?
「おい、お前は自分の力で食事を続けるんだ。じゃないと明日になっても食べ終わらねぇ!」
ジジはまだ納得が行かない様で、しつこく噛みついて来る。
「何じゃと!? 高貴なる儂に傅き全ての厄介ごとを引き受けるのはおんしの使命じゃぞ!」
いつのまに俺は、お前のしもべになった。伴侶とかなんとか言ってた癖して! 随分と降格されたもんだぜ。
アイシャはそんなジジの態度を見て、余裕の表情で突き放す。
「ふふぅん。美味しい物を食べたい人に貴賤なんてないんだからっ! 自分の力で頑張らなきゃダメだよっ!」
ジジはまだ「ぐぬぬぬ」と不満そうに唸ったが、観念したのかたどたどしい食器づかいで料理を食べ始めた。ナイフが皿をこする不快な音が部屋中にこだまする。
うへぇ。ぞわぞわっと来た。これはこれで問題ありだな。でもこればっかりはこいつが食器の使い方に慣れてくれるのを待つしかねぇ。
次は串焼きに手を付けようかと思い立ったが、隣の席からは楽しそうに不快な高音を立てるジジの姿が見えた。どうにも俺とアイシャが背筋を震わせながら、音に耐えているのが愉快になったらしい。小さな笑いが漏れ聞こえて来る。
こ、こいつ――!
「お、おい。お前、その音、わざと立ててるだろっ!?」
ジジは素知らぬふりで皿を擦るのをやめたが、目は笑っている。
こいつ、ホントに子供みたいな所があるな! ……でも、自分も気分悪いだろうに、人の不幸のためなら多少の痛手は問題ないとでも言うのだろうか?
いや、もしかするとこの音を立てる事じたいが楽しいのだろうか。さながら楽器の演奏の様に。
そこで再び隣のジジを眺め、ある違和感を抱く。
あ、あれ? ――何かが、変わってる……?
ああ!?
そこで再びジジは皿を盛大に擦るが、今回はナイフだけでなくフォークも追加されていた。二つの音が背筋を揺さぶり、内臓を震わせる様な不快感を生み出す。ジジのフォークは普段は使われていない予備で、金属製のため効果覿面だ。
うぐぅ!? な、ナイフよりフォークの方がきついかも!?
「お、お前ぇぇぇ! いつの間に耳をしまったんだ! 卑怯だぞ!」
そう。ジジの頭からはあの大きな狐耳が忽然と消え失せていたのだ。何もない部位に銀の髪が、さらさらと揺れていた。
耳がなければ不快な音も聞こえない、周囲にだけ害をまき散らす事が出来る。なんて奴だ……! 楽しそうに両手を振るうジジはとどまる所を知らず、皿を擦り続け、その場は楽しい食卓から一変し、地獄の様相を呈していた。
「くっ! ジジちゃん……! も、もういい加減にして……!」
耳を塞ぎながら耐えるアイシャに必死に問いかける。
「な、何とかやめさせられないか!?」
アイシャは力なく首を振りながらも、何かに思い当たったのか、その瞳が光を帯びる。
「ない……と思ってた! でも、この方法はあんまり使いたくないかも……」
迷ってる暇はない。彼女の決断を後押しするため声をかける。その間にもジジはどんどんとエスカレートし、まるで打楽器の様に、軽妙なリズムで皿を一心に擦り続ける。
「何でもいい! やってくれ! 躊躇してたらこいつが満足するのは明日の朝かもしれねぇ!」
その瞬間、アイシャの右手が輝き、奇妙な心臓の様な姿の何かが宙に現れる。
「ふふぅん。この子は私の固有精霊のラブちゃんだよっ! ……ジジちゃん! もう楽しいお遊戯は終わりだよ!」
ラブと呼ばれた精霊はジジの周囲を飛び、赤い光の雫をふりかける。
すると、隠されていたはずのジジの両耳がぴょこんと飛び出し、彼女は自らが立てた醜悪な旋律に慄き動きを止めてしまった。
「な、何じゃあ! これは――! わ、儂の身体創造術が破られたと言うのか!」
静けさを取り戻した食卓に、アイシャの声が明瞭に響く。
「ふふぅん。ラブちゃんはね、血の精霊の上位種なんだよっ。どんな生命体の肉体でも再構成させられちゃうんだから! ジジちゃんが隠しちゃった耳も、ラブちゃんの力で巻き戻してもらったんだ!」
言い終えたアイシャはすぐに固有精霊を隠してしまった。ジジは悔しさに震えながら、目の前をきつく見据える。
「でも、マナだけじゃなくて私の生命力も消耗しちゃうのが玉に瑕なんだ。……だから、ジジちゃんもおふざけはこれくらいにしてねっ?」
震えるジジは負けを認めたのか、食器を持ちなおし、黙々と食事を再開した。不器用に開きに向き合う姿はどこか愛らしく思える。
はあ、なんとかなったか。……それにしても、やっぱりアイシャにも固有精霊がいたのか、彼女の事だ、さっきのラブだけでなく他にも多く従えていそうだな。いつか目にする日が来るだろうか?
穏やかな食事が再開された食卓で、彼女のまだ見ぬ力を思い、底知れなさを再確認するのだった――。
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