絡みつく思惑
痛む足をかばいながら森を抜け、デルライラムの家へと戻って来たが、庭には老人の姿はなかった。
「師匠、いないな。家の中にいるのかな」
玄関のドアへと近づき、ノックする。
「誰だぁ? 俺は、今、忙しいんだ、後にしろ――」
不機嫌そうな声が返ってきたが、こちらからも声をかける。
「師匠! 俺です。無事に戻ってこられました!」
家の中で何かを蹴飛ばした様な音が響き、それに続いて慌てた足音が鳴る。
そして、ドアは勢いよく開かれた。
目の前に立っていた老人は、目を丸く見開き、その唇が微かに震える。
「お、お前! 戻ってきやがったか! よくやった! よくやったぞ!」
初めに目にした冷たい態度とは大違いの温かい言葉がかけられる。苦労が報われた気がした。
「はいっ! ただいま戻りました! これでやっと師匠と呼べますね」
師匠は可笑しそうにして、吹き出しそうになるのを堪えている様だった。
「ははっ。お前! 正直なところ、けえって来る望みは薄いと思ってたぜ! それをよぉ……」
そこで言葉に詰まり、俯き視線を落とす。喉の奥から感情がこみ上げて来ているのだろうか?
しばらくして師匠は再び、こちらを向き、俺の手や脚の傷を見回した。
「酷ぇ怪我をこさえて来やがったな……。だが、命があったんだ。それだけでも喜ばしい。……それじゃあ、手ぇ見せてみな」
無言で手を差し出した。師匠はそれをつぶさに観察し、何事かを真剣に呟いている様だった。「これは――!? 導管が光り輝いて!? こんな代物は、今まで目にした事がねぇ!」そして脚や頭にも順に目をやった。
「確かに通ってやがるな……。霊体の隅々にまで。それによ、こいつぁ、とんでもない出来みたいだぜ? お前、どうやってこれを……? 一体どんな奴に憑かれたんだ!?」
あの精霊の声を思い浮かべながら、どう答えたものかと思案していたが、師匠はそれを片手で制した。
「いや、いいんだ。聞いても詮無い事だった。……俺とした事がよぉ。つい、嫉妬しちまった。だが――カイト。自信を持っていいぜ、お前の手にしたそれは間違いなくとっておきの代物だ!」
師匠が太鼓判を押してくれた。あの精霊の発言は、嘘ではなかったという事か。
そして再び師匠は何かを呟く「出来はともかく、通ったばかりじゃ無茶はさせられねぇ。一晩は様子を見た方がいいだろうな……」そしてしばらくの沈黙の後に話し始めた。
「カイト。まだ日暮れまでは間があるが、今日は帰れ。お前のそれが、確かに定着するか、様子をみる必要がある。……その代わり、明日は出来るだけ早くから来るんだぜ? 俺の修行は厳しいからな! ははっ」
師匠は本当に嬉しそうだった。全身から喜びが溢れているみたいだ。その様子を見て、逸る気持ちを抑えながら頷いた。
「分かりました。また明日にします。……明日からの魔法の教授のための修行、よろしくお願いします!」
師匠は家へと戻りながら、半分だけ振り向いて答える。
「おう! 任せときな! じゃあな、明日は遅れるんじゃねぇぞ」
師匠の家を離れ、来た道を戻り、アイシャの待つ家へと急ぐ。
「心配してるだろうな……。早く帰ってあげないと」
それなりの距離のある道を何度も往復したせいか、それとも脚の怪我の影響だろうか。もう辺りは暗くなり始めていた。前方に窓から明かりが漏れ出したアイシャの家が見えた。
玄関のドアへ手をかけ、飛び込んでくる光に目を細めながら開いていく。
アイシャは台所に立っていて、部屋中にいい匂いが漂っている。ドアの開く音に気付いたのか、彼女はこちらを向いた――。
その表情が、みるみるうちに移り変わって行き、潤んだ瞳と不安気な姿を見せたかと思ったら、次の瞬間には満面の笑みを湛えていた。部屋の明かりを受けた金の瞳が大きく輝き、こちらの心の内にまで光が射した様だった。
「カイト! 無事に帰ってこられたんだね! お帰りなさい!」
そう言って駆け寄って来て両手を開いた――。
うおおお!? こ、これは久々に『豊かな実り』に埋まっちゃうパターン!? いつでもウェルカム!
興奮して鼻血を出しそうになりながら、その時を待ったが、一向に訪れる気配はなかった。
何故なら彼女がまた冷静になって止まってしまったのだ!
「こほん。えっとね……カイトのえっちな事に期待してそうな目を見てたら、気が変わっちゃった。え、えっちなのはダメなんだからねっ! カイトのヘンタイ!」
んなあ!? 命がけの場所から帰って来た人間にそれを言うのか!?
だが、彼女はすぐにこちらに手を伸ばし、優しく手を取った。
「でも、本当に無事で良かったよ。お帰りなさい、カイト……」
彼女の潤んだ大きな瞳を覗き込み、その言葉を噛みしめながら、手を強く握り返していた――。
「ああ、ただいま」
※ ※ ※
その夜、誰もが寝静まった頃、暗く沈んだ森の奥で何者かが目を覚ます。辺りには所々に月明りが射し、虫の音が響いていた。
「身体の修復に随分と時を要したな、それだけあれの反動が常軌を逸しておるのか……。だが、匂う、匂うぞ。これは――」
そこで一度、言葉は切られる。狂おしく昂る熱情を抑えこむ様に。
「あの者の残り香か……。くふふっ。まるで誘っておる様じゃ」
その影が、生き物であったなら、匂いを辿り、鼻を鳴らす音が聞こえたかもしれない。だが、辺りには依然として虫の音が響くばかりだった。
影は少しずつ歩みを進め、ひとつの巨岩の前で止まった。
「古くは神と崇められたこの身に、斯様な石くれなぞ何の力も持たぬ……」
何かを封じるために置かれたであろう、その巨岩を意に介する様子など全く見せず通り抜けた。
影の後ろには幾多の姿なき人ならざる者たちが群れ集う。だが、こちらは不可視の壁に阻まれて歩み出る事は叶わない。影はそちらを顔のみを動かし、一瞥した。
「羨んでおるのか? うぬらには出る事は叶わぬぞ。それにそこは似合いの棲み処じゃろう? とこしえに彷徨うがよいぞ。……まあ、うぬらの境遇に憐みを感じぬでもないがの。古の契約により、その地の守護を命じられ、代が幾度かわろうとも同じく縛られ続けておる」
続く言葉には憐みなど全く感じられなかった。
「じゃがのう。ヒトより長いとはいえ、うぬらも塵芥の如く生まれては消え、その繰り返し、儂はもう飽いたのじゃ」
そこで影の両目は輝きを帯びる。まるで心の内に射した光が溢れ出す様に。
「しかし――儂はついに見つけた。ヒトの身でありながら、我が半身となり得る者を――」
そこで言葉は切られ、影は再び前を向いた。うしろに控えた者たちからは答えはなかった。
「帰りは待たずとも良い。儂は、儂の望みを追う旅へと出る。二度と戻らぬやも知れぬ」
その言葉を最後に、影は緩やかな下り坂を降りてその場を離れた。
「真に良い香りじゃ……。嗅いでおるだけで胸は高鳴り、呼気は乱れる。……これこそが我がしるべ、輝かしい行く末を予感させよる。さあ、愛し子よ、早くその姿をみせておくれ!」
影は何かの匂いを辿り、森を抜け、一軒の家へと行き着いた。
「ここじゃな……」
玄関のドアの前に立ち、不気味な笑いをあげる。
「ヒトとは実に可愛いものよな。斯様な木切れ一枚で誰の侵入を防げようか」
そしてドアを壊すでもなく、通り抜けてしまった。
抜けた先は外よりも暗い空間だったが、影には問題にならない様だ。小さな呟きが聞こえる。
「ふぅむ? ここは、食卓か? ここにはおらぬのなら、外観からも考えて、残すは――」
左を向き、次のドアを確認するが、天井へと目をやった時に、別の考えが浮かんだ様だ。
「この壁、仕切りにはなっておるが、上には通り抜けられる隙間があるのぉ。どれ、ここは一つ、壁を越えて覗き見てやるか。それも一興じゃ」
影は、壁の高さを物ともせずに、一瞬で駆け上がった。だが、不思議な事に音は聞こえない。
壁を越えた影は隣の部屋を覗き込んだが、そこでそれまでの余裕を感じさせる声音が一変し、苛立ちを露わにする。
「ほう? ほうほう。これは、これは。年若き男女が仲睦まじく同衾とは――! それだけにとどまらず、揃いの上下を着込んで――!」
部屋へと降り立ち一組の男女が眠るベッドへと近づき、結ばれた手を恨めしそうにねめつける。
「なんと――心乱される光景であろうか!」
そして眠る少年へと徐々に迫る。
「くふふっ。……この仲を、千々に裂いてやったなら、それは、それは――堪らぬ愉悦じゃろうなぁ!」
影は、少年の身体へと吸い込まれる様に消えて行った。
「うむ……、うむ! やはりここは居心地がよいのう……」
※ ※ ※
薄暗い森らしき場所に一人の少年が倒れ伏し、苦しみから呻きを上げていた。
「や、やめろ。どうなってる!? 何故こんなことが!?」
うつ伏せになった少年の背に何者かが立ち、その膝の裏へと金属製のヤスリの様な物を当て、皮を削り、肉を削いでいた。それと同時に、前に座り込む者は、少年の手を取り、そこへ鋭い剃刀を当て削りだしていく。
辺りには削がれた皮膚や肉の欠片が散り、血の色に染まっていた。そしてそれを貪る不快な虫たちが蠢く。
「うぐっ。やめろぉ。何なんだ!? お前らは――!」
抵抗もできず、おぞましい行為は無言のまま続けられる。
その光景を高くから俯瞰する影があった。その存在は驚愕の声を上げる。
「何と言う事じゃ! あの傷の部位からして――これは、昼に起きたあの森での事に相違ない。それが――、斯様なおぞましき悪夢へと変じるとは!」
影は顎に手を当て、何事かを考えている様だった。
「そうか、暗き負の情念……。苦痛、恐怖、悔恨、嫌悪、絶望。そういったモノを喰ろうて喜びとしよる下衆が、どこかにおると言う事か! これも、あの呪いの一端なのじゃな」
影は考えを止め、少年へと手を伸ばそうと試みる。
「しかし、不味いのう。斯様な悪夢を見続ければ、この世界へと囚われ、二度と目覚めぬやも知れぬ。早う解き放ってやらねば!」
だが、その想いとは裏腹に上手く行かない様だった。伸ばした手は、空を切り、どうやっても届かない。
「なんと口惜しいことか! ……いや、何か来よる。この気配は――」
地に伏せる少年の元へと白い人型の発光体が現れた。
「儂が手を下さずとも、救いはもたらされると言う事か……。あの様な年端もいかぬおのこに、これだけ多くの思惑が絡みついておるとは……! この世がかくも酷薄とは夢にも思わなんだ」
影は眼下の光景をみやりながら何かを強く決意した様だ。
「やはり儂が守ってやらねばならぬ様じゃな」
白い光に悪夢の世界が払われて行く。その中心に何かが見えた。
「あれは、この魂に触れる気は――。どこか懐かしい……。古くは人々に崇められ、同時に畏れられた。今は、その姿を隠したもの」
最後の呟きは終わりを迎える世界に掻き消され、聞き取れなかった。
「その名は――」
※ ※ ※
森の中に立つ放棄された廃屋、屋根も壁も一部が崩れ落ち、月明かりが遮られることなく射しこむ。そこに動く影が見えた。
一人は朽ちかけた椅子に座り、同じく傷み薄汚れた机の上で何かの道具を取り出し作業をしていた。もう一人はその様子を無言で壁に背を預けながら見守る。冷え込んだ空気が崩れた壁から容赦なく染み込んで来るのか。二人の身体は小刻みに震えていた。
「ちっ。今日は随分と冷え込んできやがったな……。こんな廃屋じゃ、寒さも凌げねえ。あいつは大丈夫か?」
そう言って、隣にある部屋の入口へと目をやった。
「隊長を寝かせている部屋はまだ、屋根も壁もマシな方です。自分たちのクロークもかけてあります。後は、体力の問題でしょう……」
机に向かって作業をしていた一人は、何かに気付き声を上げる。微かに震えているが、それは寒さが原因ではない様だ。
「やっぱりそうか! 先輩。自分たちは、恐ろしいモノを見つけてしまったのかもしれません」
その言葉を受け、壁に立っていたもう一人も首を伸ばし覗き込む。そこには二つの奇妙なガラスの球が置かれていて、椅子に座る者の手から光が伸び、机に何かを映し出していた。片方のガラス球はひびが入り、中に満ちていた液体が漏れ出している。その中心に蠢く怪しい影も力を失くし、動かなくなっていた。
「見てください! こっちは隊長の所持していた精霊喰らいに最後に残った反応ですが、こちらはあの衝撃で破壊されたため、それ以降は更新されていません。……そして、この広大で濃密なマナの反応が示しているのは、おそらく――大精霊域の物です」
もう一人は覗き込みながら、疑問を呈する。
「いや、見ろって言われてもよ。俺は、そいつの使い方がいまいち分かってねぇんだよな……」
椅子に座る者は嫌がる様子も見せず、簡単な解説を始めた。
「この道具、精霊喰らいは、よりマナの反応が強い場所を追いかけて、記録し続けます。そして反応の強さはこうやって光にかざした時に、投影された像から分かります。マナの反応が強い程、白く輝く様に映るんですね。そして、最も強い反応が出たら、それを記録して更新は止まります。……それで、この二つを比べて見てください」
壊れたと言う、片方が映す像は、広範囲の球状で灰色に近く、部分的に白い光が散りばめられて輝いていた。道具じたいに残る物理的な破壊の跡を反映しているのかひび状の亀裂が走っている。
そしてもう一つの方は、同じく大きな半円が片隅にあるが、中央には、白くまばゆく輝く球体が映し出されていた。
「何だ? 眩しいな、目が潰れちまいそうだ! 壊れていないのはお前の手持ちの方か? ……そっちは小せぇが、まるで太陽みてぇに光り輝いてやがるな。これがどうしたってんだ?」
壁に立つ者は、眩しさに手をかざしながら質問する。
椅子に座る者は息を呑み、静かに語り始めた。
「自分の精霊喰らいが最後に映した反応、隅の巨大な半円は、大精霊域でしょう。しかしこっちの小さな球、これはまるで太陽の様ですが、恐らく――」
生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
「あの場に現れた、エルフの女のモノです」
壁に立つ者はここで始めて意味が分かったのか、驚愕の仕草を取る。
「何だと!? 広大で濃密なマナの満ちる空間と言われる、大精霊域。……その反応が翳っちまう様な、強大なマナの反応の元が――ただ一人のエルフのモノだって言うのか!?」
興奮か恐怖か分からない反応を示し、早口でまくしたてる。
「そもそも俺たちの目的地は――、大精霊域だったはずだろ!? ずっとその反応を追って来たはずだ。そいつは一体なにものだってんだ!?」
椅子に座る者は道具を照らすのを止め、片手を力なく机へと置いた。その手は寒さとは別の震えを示す。
「正体は不明ですが……。先代の、精霊の巫女かもしれません。六十年前の侵攻の理由、それは先代の巫女の奪取が目的だったと聞いています。帝国にとって、この森のエルフ全てを敵に回してでも手に入れたかったモノ……。侵攻の折に行方知れずとなり、それ以降、全く所在は掴めなかったそうですが」
薄暗い廃屋の空気が張りつめて行く。
「これは――とんでもない手柄かもしれません。……しかし――」
その言葉を受けてもう一人が震える声を漏らした。
「そんな化け物が――この世に存在するってのか!? しかも、帝国はそんな奴を手に入れて、一体なにをしようとしていたんだ――!」
その言葉を最後に、廃屋は沈黙に包まれた――。




