発現
自分の置かれた状況も忘れて、頭に浮かんだ疑問を叩きつける。
「分かるのか!? 一体どんな呪いなんだ!? あの力と関係が――」
しかし言葉は強く遮られた。
「ああもう五月蠅い! 突然わめきだしよって! 分からん! 分かるのは、かけられた部位と、相当に性質の悪い、捻じ曲がった呪いと言う事だけじゃ。それこそ術者の性根の腐り具合が伝わって来る様な、な……」
その返答に落胆を隠せない、全ての謎が解けるかもしれないと思ったのが、高望みだったのか。
「それよりも、先ほどの言葉、あの力とは何の事じゃ?」
こんな訳の分からない相手に話しても大丈夫か? だが、少しでも可能性があるのなら試すべきなのか……?
相手の出方を注視しながら、少しずつ語り始める。
「俺の身体には、何かおかしな力が眠っていて、命が危険にさらされた時に、現れるみたいなんだ。身体能力が極限まで上がって、でも……、その代償に肉体が破壊される、そんな悪夢みたいな力が……」
暗闇の中に頷きながらこちらを見つめる何かが見えた気がした。
「ふぅむ? それだけでは、どの様な呪いか分からぬな」
ここで響く声は悪戯っぽい茶目っ気を漂わせ始める。
「くふふっ。つまみ食いは次の機会にするかのお。どれ、ここは一つ。儂がその力とやらの正体、見極めてしんぜよう」
その言葉に絶句する。使えばたちまち身体が破壊されると言ったはずだ。止めなければ……!
「なに。遠慮する事はない。これは、純粋な厚意によるモノじゃ」
何を言って!? 人の身体を実験台にして、壊すのが厚意な訳ないだろ!?
「では――いざ参ろうぞ!」
ありったけの力を込めて抵抗しようとするが、五感は奪われ、ただ喚く事しか出来なかった。
「止めろぉぉぉ! 止めてくれぇ!!」
五感を奪われたはずの暗闇の中に、心臓の鼓動だけが不気味に響き渡る。
「なるほどのぉ。これが、力を発現させる起点なのじゃな。……喚いても無駄じゃぞ。儂の好奇心は精霊をも殺すのじゃ! 誰にも止められはせん!」
まるでゲーム機の電源を押す様に、簡単に力のスイッチを入れられる。何だ? 命の危険を感じた時しか使えない訳じゃなかったのか。
「さあ、準備は整ったようじゃ! 此度こそ、めくるめく空中散歩へと踏み出そうではないか!」
何だ? 何を言ってるんだ!? いや、何をしようと――!? 真っ暗で何も分からないぞ!?
「くふふっ。愉快、愉快! 実に愉快じゃ!」
暗闇の中に楽しそうな声がこだまする。
「おお、そうじゃった。何も感じぬのではつまらんじゃろう? ちぃとだけおんしの知覚を返してやろう。くふふっ。儂としたことがすっかり忘れておったわ」
突然、視覚と聴覚が戻ってくる。身体の主導権はまだ握られたままだったが。開けた視界には信じられない光景が映っていた。
「何だ!? 空を――飛んでる!?」
いや、正確には飛び跳ねていたのだ。重力に引かれる事もなく、次々と木の幹を蹴り、まるで樹幹の間に見えない糸を通していく様に、風の如き速度で動き続けていた。
「どうじゃ? これが、おんしの力らしいぞ? 見事な物じゃな! 儂が全力で飛んでもここまでの速度は出ん!」
耳には風を切る音が響き、他の音はほとんど入ってこない。皮膚感覚が戻っていたなら強烈な風圧を感じていたことだろう。
「ほれっ! ほれ! 斯様な曲芸も可能じゃぞっ!」
言うや否や、片手を伸ばし枝を掴み、一回転してみせる。天地が回る感覚に追いつけず唖然とする。
そして回転の勢いに乗って次の木へと飛ぶ。反動で枝葉が激しく揺さぶられるのが見えた。
「おっと! すまぬ、ちぃとばかし、傷を作ってしもうた様じゃ、まあ、この程度なら問題はあるまい」
良く見ると枝を高速で擦ったせいか手が裂けて出血していた。い、痛みは感じないんだけど、いい加減にしろよ! これは俺の身体なんだぞ!
「さてと、そろそろ儂の身体も限界の様じゃの。返してやるとするか」
何だ? 限界? そういえば何故、俺の身体は壊れていない? こんなに極限のパワーを引き出した状態を続けても、外傷で手が裂けたくらいで問題なく動き続けていた。どうなって――?
「ほれ、ほれ、ほれぇ!」
掛け声と共に、樹幹を跳ねながら徐々に高度を落として行く。最後に細めの木に足から激突し、それを両脚で挟み込み、回転しながら勢いを殺して行き、まるで羽の様に着地した。
「ああ、しもた! また裂けてしもうたわ! くふふっ! 膝裏の皮が削ぎ落とされて出血しておる。人間の身体とは不便な物じゃな?」
んなあ!? わ、笑ってんじゃねぇぇぇ! いや、こ、こいつの感情をいつの間にか自然に受け止めていた!? 最初はただの怪物としか思えなかったのに!?
「そら、返してやるぞ。初めに言うたはずじゃ、つまみ食いだけじゃと。まあ、魂の味は知れなんだが、十分に楽しんだゆえにな!」
五感が戻り始め、同時に裂けた手と膝裏にひりつく様な痛みを感じる。まだ出血も止まっていなかった。
「くそ! お前! こんな怪我させやがって、どう責任とってくれるんだ!?」
身体から離れた影は笑っている様に、揺らめいていたが、ひとつ変わっている事に気付いた。
「何じゃ、何じゃ? 儂の口づけで癒せとでも申すのか? 真に欲深きことよな」
そんな事もとめてねぇ! それより!
「お、お前、なんかさっき見た時より、身体が薄くなってないか? 向こう側が透けまくってるぞ」
影はまた笑う様に揺らめいた。
「とくと聞くがよいぞ。おんしの力の正体、その一端が掴めた」
影はこちらの質問など意に介していない様だ。それよりも力の正体とは一体?
「普通の生物はの。霊体と肉体は一体じゃが、日頃から相互に干渉する事はないのが常じゃ。しかしのお。おんしのその力とやらが発現している場合は別じゃ。肉体の負荷は霊体にも転移し、またそれに応じて霊体から引き出された力が肉体に与えられておる。分かるかの?」
いや、全然わかんねぇ。
「要するにじゃ。力が発現した時に、身体が壊れるのは肉体への負荷が霊体に増幅して転移され、それを再び肉体へ返し、力とともに反動として出力すると言う、ねじくれた手順が取られておって、その帰結として、霊体の傷が肉体を破壊しておるのじゃ」
いや、全然わかんねぇ。
「やれやれ、理解力が乏しいのぉ。儂の状態を見れば分かるじゃろう? おんしの肉体へ憑依し、力を使ったがために、儂の霊体が消えかかっておるのじゃ。その代わりにおんしの肉体は傷ついておらんじゃろう? ああ、先ほどの怪我は別じゃぞ?」
何だと……? こ……いつ。それが、分かってて敢えて実験台になったとでも言うのか!?
「礼には及ばぬぞ。中々に愉快であった。儂もこの森にあって長いが、斯様な心躍る体験は初めてじゃ! また身体を貸すが良いぞ!」
死んでもごめんだぜ!
影は何かを思案しながら、首を傾げた様に見えた。
「じゃが、一つ不可解な点がある。波があるのじゃ」
何だ? 波?
「おんしの力の事よ。出力が一定ではないのじゃ。まるで生き物でもあるかの様に、力が安定せず、変動しよる。それをモノにしたければ、この点を解決せねば上手くは行かぬじゃろうなぁ」
そう言って影は考え込む様に、黙った。そ、そうだった。導管の事を確かめておかないと!
「聞きたい事があるんだ! 俺は、ここへ霊体の導管を開通させるために来た! それはどうなってるか分かるか!?」
影は徐々に薄くなって行き、今にも消えそうだったが、また笑っている様だ。
「導管? ああ、霊体の魔力の通り道の事じゃな。それならとうに出来ておるぞ。それもとっておきのやつがな」
その答えを聞いて心から安堵する。とりあえず目的は果たせたのか……。思わぬ拾い物もあったみたいだが。
ああ!? 持ってきたぼろきれ! あれがないぞ!? 畳んでズボンのポケットに無理やり突っ込んでおいたが、いつの間にかなくなっていた。
「さてと、儂はそろそろ限界の様じゃな。しばらく消えるとしよう。……ほれ。おんし、呆けておる場合ではない、儂が消えれば、あやつらがまた群がって来るぞ?」
その言葉もまったく耳に入っていなかった。くそ! 返すって約束したのに、どこに落としたんだ? 目の前の影に問いかける。
「おい! 俺の持ってたぼろきれ! お前が憑依して暴れた時に落としたんじゃないのか!? 何処にやった!?」
不思議そうな声が聞こえる。
「何じゃ? あの様な薄汚い布きれがそんなに大事なのかの? まあ、よい。それなら、ほれっ。あそこに落ちておるぞ」
おぼろげな人型だった影の腕らしき部位が動き、森の奥を指し示す。
ああ!? あんなに奥に!? すぐに拾いに行こうと思ったが、目の前の影の状態が少しだけ気がかりだった。
「なあ。お前……。消えるって、大丈夫なのか。それって戻ってこられるのか?」
影は揺らめき、心から楽しそうに笑っている様だった。人の姿なら、腹を抱えていたかもしれない。
「何じゃ、何じゃ? 儂を気遣っておるのか? くふふっ。あの様な目に遭っておきながら、儂を想うとは! 心根が優しいのか。それともやはり、先ほどの接吻に昂っておるのかの? また感じたいのならば、儂はいつでも良いぞ?」
何いってんだ! 何かすげぇ腹立って来た!
「うるせぇ! 心配して損した! さっさと消えちまえ!」
影は揺らめき、笑い続けていた様だが、急に動きが止まり、真剣だが、どこか優しさを感じさせる声音に変わる。
「優しいのじゃな……。じゃが、心配には及ばん。儂よりもむしろ、おんしの方が窮地に立っている事を知れ。ほれ、もう幾ばくも無く消える。無事に帰りたくば、力の限りに駆けるがよいぞ」
そして影は周囲の風景に溶け込む様に、掻き消えていた。
「ああ! ほんとに消えやがった!? それよりも――!」
走り出しながら周囲の空中へと視線を漂わせる。影の言葉どおりにそこを浮遊する精霊たちが、再び俺に狙いを付けた様だ。
「く、くそ! こんなに奥に落としやがって!」
例え薄汚いぼろでも返すと約束したのだから、放っては行けなかった。ぼろきれを拾い直し、畳む暇もなく、入り口の要石を見据え走り始める!
周囲の空間はそれ自体が生きている様に、蠢き、俺めがけて迫りくる!
「クアアア!」
奇声と共に、背後を通り抜けた実体のないはずの精霊が、風を起こした様に錯覚する。
「急げっ! また憑かれたら今度こそ――いや!? 待てよ!」
背後を振り返りながら、覆いかぶさろうとする影を見て、閃いた。
「この状態じゃもう躱せない! なら――」
背骨を抉られる様な不快な感覚と共に、身体が痙攣し始める、その瞬間――。跳ねる様に響いた鼓動が、大気を震わせ、同時に意識を覚醒させる!
「出来た!? あいつに身体を弄られたせいか。いつでもスイッチを入れられる様になったみたいだ! このまま――」
こいつの霊体を燃料にして出口まで走り抜けるぞ! 主導権を握られる前なら動けるはずだ!
大地を蹴った身体は急加速し、周囲の視界が高速でブレ、強烈な風圧を感じる。手に持ったぼろきれが吹き飛ばされない様に、両手で持って胸の前に抱え込む。巻き起こった風は周囲の木々の枝葉を揺らし、その場の空間じたいを鳴動させている様だった。
「行けるぞ! タイミングがあったのはただの偶然かもしれないけどな!」
追い縋って来た影は遠く後方に離れていったが、前方の上空からは新手が迫りつつあった。
「もう少しで――」
だが、ここで貧弱な霊体は負荷に耐え切れなくなったのか、憑依状態が解け、精霊は消滅した様だ。
突然、力が抜けて、ブレーキに失敗し、つんのめる。そこへ周囲を覆った影が渦を巻きながら迫りくる。
「しまった! 普通の奴じゃ、すぐに消えるのか!」
勢いを止められずに前方へと浮き上がる身体をあえてそのままにし、一回転しながら足から着地し、続いて尻餅をついた。
振り返ると、精霊たちは先ほどまで俺の居た空間を呑み込んでいた。
「要石はもう目の前だ!」
立ち上がり、走り出しながら、空いた手で幻廊の真珠を取り出し、握りしめた!
再び白と灰の世界が周囲を覆って行き、身体から重さが失われるのを感じた。それと共に、駆けていたはずの身体は一瞬で速度を失う。まるで水中にいる様に、何かがまとわりつく感覚があった。
「精霊界に入ると走れないのか!? まずい――!」
振り向くと精霊たちが輝く様な不気味な姿に変じて襲い来る。
「あれが、奴らの本来の姿なのか? それより、こっちは走れないのに、向こうは速度制限ないのかよ!?」
縋る様に、要石へ手を伸ばし、引き寄せようとするが、虚しく空を切った。
「急げ、急げ! 後すこしなんだ!」
背後に夥しい数の不快な感覚が迫りつつあったが、何とか要石を通り抜けた。手を開き、精霊界を抜ける。
「奴らはどうなったんだ!?」
すぐさま反転して背後の空間を確認するが、精霊たちは要石の先へ出てこられない様だった。見えない壁に阻まれ、空中に張り付き、恨めしそうにこちらを見る。
「ふぅ。なんとか助かったみたいだな。この石はこいつらを封じる意味もあるのかもな……?」
胸に手をやると、鼓動は早鐘の様に打っていて、それを確かめながら、身体を要石に預ける様に、座り込んでいた。
「は、ははは! 生き延びたぞ! あの時は、死んだかと思ったけど……。そういえば、あいつ。どうなったんだろうな……」
先ほどの流暢に話す精霊が気になって、顔だけを動かしてみるが、分厚い石の壁に阻まれ、向こう側は見えるはずがなかった。
「まあいっか。大丈夫みたいに言ってたしな。……目的も果たしたんだし、早くアイシャの所へ帰らないと……。あ、そっか。師匠に報告するのが先だ。家はすぐ近くなんだけどなぁ」
落ち着いて来た所で、立ち上がるが、先ほどまでは感じていなかった痛みが息を吹き返した様だ。
「い、いてて。くそ! 手も酷い状態だけど、膝裏の怪我、動くだけで痛いぞ!」
ふと手に持っていたぼろきれに目をやると、血の手形が残っていた。
「うわぁ。ホラーかよ……。でも、もう出血は止まってるみたいだな」
鳥のフンまみれだったぼろきれを怪我した手で触ったって、大丈夫なのか?
「あの川で洗うかなぁ……。そうすれば大丈夫だろ、多分」
短い間に多くの死線を潜り抜けた身体は、疲労を訴えている様だが、それよりも目的を果たし、魔法の習得への第一歩を踏み出したという事実が、心を高揚させ疲れを忘れさせた――。




