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一刀両断 Severing the Smile  作者: eno
儀式の崩壊編
9/17

第8話 沈黙の音

 その日の任務地は、静寂に包まれていた。

 旧国立図書館。かつて知の殿堂だった場所は、今は天井が崩落し、湿ったカビと古紙の匂いが充満する迷宮となっていた。

(……静かすぎる)

 灰賀乃亜は、息を潜めて書架の陰に隠れていた。

 いつもならインカムから標の指示が飛んでくるはずだ。だが、今日は違う。

 完全な無線封鎖(ラジオ・サイレンス)。

 事前のブリーフィングで厳命されたルールは一つだけ。「一言も発するな」。

 乃亜の視線の先には、今日の合同任務のパートナーであるH班――**無言寺流(むごんじりゅう)**の隊員たちがいた。

 彼らの姿は異様だった。

 黒に近い濃紺の袴。そして口元には、呼吸音すら殺すための厚手のマスク(口覆い)が装着されている。

 彼らは動かない。石像のように気配を消し、闇に溶け込んでいる。

 コツ、コツ……。

 回廊の奥から、硬質な足音が近づいてくる。スマイルだ。

 今回の個体は「聴覚強化型」と予測されている。頭部の側面に、耳のような突起が異常発達したタイプだ。

(来る……!)

 乃亜は緊張で喉が鳴りそうになるのを、必死で抑え込んだ。

 心臓の音さえ聞かれそうだ。

 スマイルが広間に入ってきた。

 能面のような顔が、レーダーのように左右に振られる。

 奴は探している。「音」を。「生体反応」を。そして何より、敵意を持った「声」を。

 その時、H班の軍師・**語部(かたりべ) 叶(かなう)**から、乃亜のゴーグルにテキストデータだけが送信された。

『C-3、心拍数上昇。落ち着け。思考の声すら拾われるぞ』

(思考まで……!?)

 文字だけの指示。それが余計に恐怖を煽る。

 スマイルが、乃亜の隠れている書架に近づいてきた。

 バレているのか?

 乃亜の手が「廻(リボルバー)」の柄にかかる。

 だが、抜けない。

 C班の標準装備であるこの武器は、抜刀時に「銃声」が鳴る。この静寂の中で引き金を引けば、それは「私を殺してくれ」と叫ぶに等しい自殺行為だ。

 丸腰のまま、震える指を抑え込むしかない。

 その刹那。

 反対側の書架から、H班の一人が「本」を落とした。

 バサッ。

 静寂を破る音。

 スマイルが猛烈な勢いでそちらへ振り向く。

 同時だった。

 H班の隊長・**無言寺(むごんじ) 刀真(とうま)**が、音もなく虚空から現れた。

 彼はスマイルの死角――真後ろに立っていた。

 抜刀音がない。

 彼の「廻」は、シリンダーの回転音や火薬の炸裂音を特殊な機構で「消音(サイレント)」化した特注品だ。

 刀真が、無言のまま左手を挙げた。

 ハンドサイン。『包囲完了』。

 いつの間にか、他の隊員たちも音もなく展開を終えていた。

 逃げ場はない。

 だが、誰も叫ばない。威嚇もしない。

 ただ冷たい殺気だけが、図書館の空気を凍らせていく。

 スマイルが震え出した。

 どこだ? 敵はどこにいる?

 目には見えている。だが「音」がない。

 生物特有の「息遣い」や「叫び」がない。

 まるで、幽霊に囲まれているような根源的な恐怖。

 ギギギ……。

 無音の圧力に耐えかね、スマイルの能面が引きつった。

 虚ろな目が細められ、口が裂ける。

 ニチャァ……。

 満面の笑顔。核の固定。

 通常なら、ここで隊長が高らかに宣言するはずだ。「一刀両断!」と。

 だが、刀真は口を開かない。

 代わりに、軍師・語部が手元の端末を操作した。

 瞬時に、乃亜の装着している戦術ゴーグルへ、無機質なテキストデータが割り込んだ。

『ターゲット確認』

『儀式移行:一刀両断』

『これより手出し無用』

(文字で……宣言した!?)

 乃亜は目を見開いた。

 声ではない。

 軍師が送信したテキスト信号が、部隊全員の共有画面をジャックし、儀式モードへの移行を告げたのだ。

 完全なる沈黙の連携。

 スマイルは混乱していた。

 「声」がない。なのに、空気(フィールド)が変わった。

 スマイルが判断に迷うコンマ数秒。

 刀真の姿がブレた。

 無言寺流奥義「無響(むきょう)」。

 足音も、衣擦れの音も、そして斬撃の風切り音さえもしない。

 世界から「音」が切り取られたような一撃。

 気づいた時には、スマイルの首と核が、同時に宙を舞っていた。

 ――……。

 倒れる音だけが、やけに大きく響いた。

 笑顔の生首が転がる。

 刀真は静かに刀を納め、マスク越しに深く息を吐いた。

 排莢の音さえ、手で包んで消す徹底ぶりだ。

 任務完了。

 H班の隊員たちは、互いに目配せするだけで撤収を開始する。

「……あの」

 乃亜が思わず声を出すと、全員が一斉に乃亜を睨んだ。

 刀真が近づいてくる。

 怒られる、と思った。

 だが、彼は乃亜の肩に手を置き、スマホの画面を見せた。

『喋るな。声は「位置」だ』

 そこには、メモアプリで打たれた文字があった。

『奴らは耳がいいだけじゃない。声に乗る「感情の波長」を読んでいる。

 「怖い」「殺す」「勝ちたい」。そういう心の声(ノイズ)が、奴らに攻撃のタイミングを教えてしまう』

 乃亜はハッとした。

 達人の間合い。先読み。

 それは超能力ではなく、こちらの「叫び」や「息遣い」から情報を得ていたのか。

『黙って殺せ。

 沈黙こそが、奴らの予測演算を狂わせる最強の盾だ』

 刀真はそれだけ伝えると、闇の中へ消えていった。

 残された乃亜は、自分の胸に手を当てた。

 ドキドキと五月蝿い心臓の音。

 これまで、自分はいかに大声で「隙」を晒していたのか。

「……沈黙、か」

 乃亜は口を閉ざした。

 言葉を飲み込む。恐怖を飲み込む。

 静寂の中でこそ、研ぎ澄まされる感覚があることを、H班は教えてくれた。

 

 この図書館の静けさは、平和なものではない。

 いつ破られるか分からない、死と隣り合わせの静寂だ。

 乃亜はその重さを噛み締めながら、音もなく歩き出した。

(第8話 完)

次回予告:第9話『反逆のバグ』

静寂の次は、騒音と混沌(カオス)がやってくる。

I班【逆廻流(さかまわりりゅう)】。

彼らは軍規違反の常習犯であり、戦い方も定石を無視した「喧嘩殺法」。

隊長・逆廻迅(さかまわり じん)は、儀式の最中にあえてスマイルを挑発し、暴走寸前まで追い込む。

「儀式? 知るかよ。バグらせてぶっ壊すのが俺たちの流儀だ」

ルール無用の異端児たちが、戦場を掻き回す。

だがその無秩序の中に、乃亜はスマイルの「ある弱点」を見出す。

次回、一刀両断 第9話『反逆のバグ』

「怒らせれば……動きが単調になる?」



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