第5話 泥臭い才能
ザシュッ。
鈍い衝撃音と共に、乃亜の視界が明滅した。
「――判定、死亡。そこまで」
無機質なアナウンスが訓練場に響く。
乃亜は床に膝をついた。息が上がっている。手には重量バランスを実戦の「廻」に合わせた模擬刀。
対面に立つ少年は、汗ひとつかかず、涼しい顔で模擬刀を納めた。
「遅いよ、灰賀君。君の太刀筋は正直すぎる」
同期の訓練生だ。彼は【神速】を教義とする「刹那流(B班)」の候補生であり、その動きは目で追えないほど速かった。
「……くそっ」
乃亜は悔しさに唇を噛んだ。
これで十連敗だ。
訓練校の成績は下から数えたほうが早い。反射神経、筋力、剣速。どれをとっても平凡以下。
エリートが集まるこの対スマイル部隊において、乃亜は明らかに「お荷物」だった。
「『廻』は芸術品だ。君のように鉈みたいに振り回す道具じゃない」
同期は、乃亜の泥だらけの袴を蔑むように見下ろした。
「スマイル相手なら、君はもう十回死んでる。……悪いけど、実戦で僕の足だけは引っ張らないでくれよ? こっちは君と違って、将来があるんだ」
同期は肩をすくめ、背を向けて去っていった。
残された乃亜は、汗と泥にまみれた床を見つめるしかなかった。
「……無様だな」
頭上から声がした。
見上げると、観覧席の手すりにC班隊長・灰賀宗一が寄りかかっていた。
その横には、タブレットを持った軍師・標の姿もある。
「隊長……。すみません、俺には才能が……」
「才能か」
宗一は鼻で笑うと、階段を降りてきた。
そして、乃亜の目の前に立つと、いきなり持っていた木刀を振り上げた。
「ッ!?」
殺気。
乃亜はとっさに身を縮め、腕を上げて頭を庇った。
だが、木刀は寸前で止まることなく、乃亜の腕を強打した。
ガツッ!
「ぐあっ!」
「立て」
宗一は容赦しなかった。
うずくまる乃亜の脇腹を蹴り上げる。
「痛いか? 怖いか? 当然だ。人間は痛みを避けるようにできている。だから華麗な剣術が生まれた。痛くないように、死なないように、相手を制するために」
宗一は木刀を構え直した。殺気が肌を刺す。
「だが、灰賀流は違う」
ヒュン。
風切り音。二撃目が来る。
乃亜は歯を食いしばり、痛む腕で模擬刀を拾い、無理やり構えた。
逃げたい。痛いのは嫌だ。
だが、それ以上に「役立たず(コストの無駄)」と言われるのが怖かった。
「――来い」
宗一の一撃。
速い。避けられない。
乃亜の脳が「防御しろ」と叫ぶ。
だが、その瞬間、先日の標の言葉がよぎった。
――お前は安い。安上がりに勝て。
(避けるな……受けるんだ!)
乃亜は、振り下ろされる木刀に向かって、自ら額を突き出した。
ゴッ!!
鈍い音が頭蓋骨を揺らす。
意識が飛びかける。額から血が流れ、視界が赤く染まる。
だが、乃亜は倒れなかった。
脳震盪のめまいの中で、宗一の懐に飛び込み、その腰にタックルしたのだ。
「……捕まえた」
うわ言のように呟く乃亜。
宗一の動きが止まった。
相打ち覚悟の特攻。いや、相打ちですらない。一方的に殴られながら、ただ相手を「拘束」するためだけの動き。
「離せ、バカ! これは実戦なら死んでるぞ!」
周囲の訓練生が騒然とする中、宗一だけがニヤリと笑った。
「いいや。……標、どうだ?」
問いかけに、軍師・標が冷静にデータを読み上げる。
「C-3のバイタル、正常。額の裂傷、すでに止血開始。骨へのダメージ、軽微。……異常な回復力です」
標は眼鏡の位置を直し、冷たく付け加えた。
「今の打撃、常人なら脳震盪で10秒は動けません。ですが彼はコンマ5秒で意識を取り戻し、タックルに移行しました。……痛覚が鈍いのか、あるいは『回復するから問題ない』と脳が学習しているのか」
「そういうことだ」
宗一は木刀を捨て、腰にしがみつく乃亜の背中をポンと叩いた。
「離せ、新人。合格だ」
「へ……?」
乃亜は呆然と手を離した。
額の傷に手をやると、血はすでに止まり、痛みも引いていた。
子供の頃から怪我の治りは早かったが、まさかこれほどとは。
「お前の剣は汚い。下手くそだ。見るに耐えん」
宗一は言い放った。
「だが、お前には『死なない』という才能がある。他の流派が『いかに避けるか』を磨く中、お前だけが『いかに安く喰らうか』を実践できる」
宗一は、乃亜の泥だらけの陣羽織を指差した。
「灰賀流へようこそ。ここは、泥を啜ってでも前へ出る『再生』の部隊だ」
周囲の訓練生たちが、奇異の目で乃亜を見ていた。
それは憧れの眼差しではない。
不気味な生物を見るような、あるいは使い捨ての道具を見るような目。
だが、乃亜は拳を握りしめた。
才能がないなら、怪物でもいい。
あのスマイルという絶望に抗えるなら、自分の身体がいくら壊れようと構わない。
「……ご指導、ありがとうございました」
深々と頭を下げる乃亜。
その背中で、白い羽織が泥と血に染まっていた。
それは、彼がこれから歩む「英雄」とは程遠い、過酷な修羅の道を象徴しているようだった。
(第5話 完)
次回予告:プロローグ 『スマイルの王』




