第2話 笑わない仮面
戦闘終了から二時間後。
地下深くに位置する対スマイル防衛拠点「大和」の格納庫には、独特の焦げ臭い匂いが漂っていた。
それは、高出力レーザーが雨とオゾンを焼き焦がした残り香だ。
「――排莢」
整備班の声と共に、乃亜が預けた愛刀「廻」のシリンダーが開かれた。
カラン、コロン。
乾いた音がして、親指ほどの太さの金属筒が床に転がる。
カートリッジだ。戦闘前には青白く輝いていたそれは、今は真っ黒に炭化し、煙を上げていた。
「……これが、俺の命の値段か」
灰賀乃亜は、震えが止まらない手を太ももに押し付けていた。
初陣の興奮は去り、代わりにじっとりとした恐怖が内臓を掴んでいる。
あの笑顔。
端正な能面の口元が、耳まで裂けるほど吊り上がり、虚ろな目尻が細められたあの瞬間。
あれが脳裏に焼き付いて離れない。
「おい、新人。辛気臭い顔をするな」
背後から声をかけられた。
C班の専属軍師、標。
彼は白衣の上に和装の羽織を引っ掛けるという奇妙な出で立ちで、タブレット端末を指で叩いていた。
現場には出ない軍師だが、その瞳は戦場の誰よりも冷たく、状況を見透かしている。
「標……さん」
「バイタルが乱れているぞ。あの『笑顔』がトラウマになったか?」
図星だった。
乃亜は俯きながら、正直な心情を吐露する。
「……不気味でした。あいつら、殺されるのが楽しいんでしょうか。それとも、俺たちを嘲笑っているのか……」
「誤解だな」
標は即答した。
彼は近くのパイプ椅子を引き寄せ、乃亜の目の前に座ると、タブレットの画面を突きつけた。
そこに映っていたのは、解剖されたスマイルの頭部データ――その顔面筋のシミュレーション映像だった。
「いいか、よく聞け。奴らに『感情』はない。あるのは『生存本能』と、母星から持ち込んだ『剣術プログラム』だけだ」
標の指が、美しい能面の画像をなぞる。
「奴らの通常時は、極限の精神統一状態にある。いわゆる『無の境地』だ。この状態の時、奴らの核は体内を高速移動しており、こちらの攻撃を一切受け付けない」
「……はい」
「だが、包囲され、逃げ場を失い、死を確信した時――その精神統一が崩壊する」
標は無表情のまま、自身の頬を指でグイと吊り上げてみせた。
「極度のストレスと恐怖。それが顔面神経に過剰な電気信号を送る。結果、筋肉が痙攣し、引きつる。……それが『笑顔』の正体だ」
画面の中で、能面の口角がビクンと跳ね上がり、醜悪な笑顔へと変貌した。
乃亜は息を呑んだ。
あのニチャァという笑い。
あれは余裕の笑みでも、嘲笑でもなかった。
人間で言えば、恐怖で失禁している状態と同じ。
死にたくない、怖い、と顔を歪ませていただけなのだ。
「奴らは、笑いたくて笑っているんじゃない。怖くて、笑うことしかできないんだよ」
標の言葉が、冷たい楔のように突き刺さる。
「我々『特剣』の仕事は、奴らを狩ることだ。そのために、物理的に逃げ場を奪い、精神的に追い詰め、無理やり『恐怖の痙攣』を引き起こさせる。そうすることで初めて、体内を逃げ回る核が固定される」
なんて、残酷なシステムだ。
乃亜は吐き気を覚えた。
だが、そうでもしなければ、あの身体を殺すことはできない。
「じゃあ……あの『一刀両断』の宣言は? 儀式をして、わざわざ一対一にする意味は……」
「あれは、奴らに対する『慈悲ある詐欺』だ」
標は冷めたコーヒーを一口啜り、淡々と続けた。
「奴らは賢い。集団で襲われれば『生存確率ゼロ』と判断し、即座に自爆して敵を道連れにする。我々にとって最悪の結末だ。だから、我々は嘘をつく。『一対一なら、お前にも勝機があるぞ』とな」
隊員たちが攻撃の手を止め、隊長だけが前に出る。
それは武士道でも騎士道でもない。
敵に「生存ルートあり」と誤認させ、自爆スイッチを切らせるための演技。
「つまり、あの一騎打ちは、敵を生かさず殺さずの状態に保つ綱渡りってことですか……」
乃亜はそこで、恐ろしい可能性に思い至った。
喉が渇く。聞きたくないが、聞かねばならない問いが口をついて出た。
「……標さん。もし、その一騎打ちで……隊長が負けたら、どうなるんですか?」
標の手が止まった。
彼はゆっくりと顔を上げ、氷のような視線を乃亜に向けた。
「全滅だ」
短い言葉だった。
「ぜ、全滅……? 残りの二人で、一斉に攻撃すれば……」
「無駄だ。思い出せ。奴らがなぜ笑うのかを」
標は画面をスワイプし、真っ赤な警告色で表示されたシミュレーション映像を表示した。
「奴らが笑うのは『死の恐怖』を感じているからだ。だが、もし決闘で隊長を殺し、勝利してしまったらどうなる?」
「……まさか」
「そう、恐怖が消える。奴は『勝った』という事実によって安堵し、スマイル状態を解除する。再び『無の境地』へと戻るんだ」
そこから先は、想像するだけで悪寒がした。
核が固定されていない、完全無欠の戦闘マシーン。
恐怖による動きの鈍りもなくなり、本来のスペックを取り戻した能面の怪物。
「スマイルが消えれば、我々の攻撃は通じなくなる。それに加え、勝利の高揚によって奴らの身体能力は数段跳ね上がる。いわゆる『覚醒』状態だ」
標は淡々と、絶望的な事実を告げた。
「そうなれば、並の隊員では足止めすら叶わない。運良く逃げ延びられる者がいれば御の字。基本的には、その場にいる全員が肉片に変わる」
隊長一人が背負っている責任の重さに、乃亜はめまいを覚えた。
隊長はただ敵と戦っているのではない。
自分が負ければ部下全員が惨殺されるというプレッシャーの中で、ずっと笑い続ける化け物と斬り結んでいるのだ。
「……理解しました。俺たちは、本当にギリギリの場所に立っているんですね」
「その通りだ。だからこそ、お前のような『囮』が重要になる」
標は立ち上がり、去り際にふと思い出したように足を止めた。
「そういえば、お前の名前。『灰賀乃亜』だったな」
「……はい。それが何か?」
「自分の名前の意味を、考えたことはあるか?」
乃亜は首を傾げた。
父がつけた名前だということ以外、深く考えたことはなかった。
「乃ち、亜。……『亜』とは、正統なものに近いが、それとは異なる劣ったもの。亜流、亜種」
「え……?」
「お前の父、灰賀宗一らしいネーミングだ。お前のことを人間ではなく、ただの『パチモン(亜種)』だと思っているのさ」
標は薄く笑った。その笑顔は、どこかスマイルのそれに似ていた。
「誇れよ、デコイ。お前には、人間よりも使い捨ての囮がお似合いだ」
標の姿が通路の奥に消えても、乃亜は動けなかった。
亜種。偽物。
それが、父が自分に込めた意味なのか。
乃亜は新しいカートリッジを手に取った。
冷たい金属の感触。
その重さだけが、今の自分を繋ぎ止める現実だった。
カチャリ。
装填音。
シリンダーに弾が収まる。
「……上等だ」
乃亜は小さく呟いた。
偽物でも構わない。この命が尽きるまで、奴らを笑わせてやる。
それが、呪われた名前を持つ自分の、唯一の存在証明なのだから。
(第2話 完)
次回予告:第3話『一刀両断』
「パチモン」という呪いを背負い、訓練に没頭する乃亜。
そんな中、大和基地に一人の男が現れる。
かつて「伝説」と呼ばれた刑事であり剣士、乃亜の実の父・灰賀宗一。
再会の言葉は、温かい抱擁などではなかった。
次回、一刀両断 第3話『一刀両断』
父さん、俺はあなたの何だったんですか?




