第1話 死神への接待
第1話 死神への接待
雨が降っていた。
廃墟となった新宿の摩天楼を、鉛色の雨が濡らしている。
灰賀乃亜は、震える指先で腰のホルダーを確認した。
そこには、日本刀の柄だけが刺さっている。
鞘はない。刃もない。
あるのは、リボルバー拳銃のような回転式弾倉がついた、無骨な鉄塊だけだ。
『C班、各員。定位置』
耳元のインカムから、冷徹な男の声が響く。
C班専属軍師、標。彼の声には、人間らしい湿度というものが欠落している。
「……了解」
乃亜は喉の奥で押し殺した声を返し、瓦礫の山に身を潜めた。
今日が初陣だった。
訓練校を出たばかりの18歳。身に纏っているのは、防弾繊維で織られた「着物」型の戦闘服だ。
だぶついた袖、広がる袴。一見すると動きにくそうなその和装には、明確な生存戦略がある。
布のゆらぎで身体の輪郭を誤認させ、敵に「切っ先三寸」の距離を見誤らせるための欺瞞工作。
この格好でなければ、達人級の剣技を持つ奴らの前では、一秒たりとも立ってはいられない。
『来るぞ。前方12時の方向』
標の警告と同時だった。
雨のカーテンを裂いて、”それ”が現れた。
人型だった。
手足があり、胴体があり、首がある。
そして、顔があった。
白磁のように白い肌。真一文字に結ばれた唇。
一見すると整った顔立ちだが、決定的な違和感がある。
――「目」だ。
その瞳は大きく見開かれているが、どこも見ていない。焦点が合わず、虚空を映す濁ったガラス玉のようだった。
能面。
まさに、「小面」のような無表情な怪物が、そこにはいた。
――擬態生物「スマイル」。
奴は、雨の中を滑るように歩いていた。
その進行方向には横転した大型トラックがあったが、奴は避けない。
虚ろな目を宙に向けたまま、直進する。
ドォォォォォンッ!!
轟音。
だが、奴の足は止まらない。
数トンの鉄塊であるトラックの方が、まるで豆腐のようにひしゃげ、ひっくり返った。
作用・反作用の法則をあざ笑うかのように、奴は衝撃を微塵も受けず、鉄骨を引き千切りながら直進してくる。
(……化け物め)
知識では知っていた。
奴らの皮膚は、物理衝撃を「吸収」する。銃弾も爆風も、沼に小石を投げるようなものだ。
奴を殺せるのは、その異常な再生能力を焼き切り、核まで届く「高圧縮エネルギー」――この武器だけ。
乃亜は柄を握りしめた。
人差し指を、冷たいトリガーにかける。
『総員、抜刀』
号令と共に、乃亜はトリガーを引き絞った。
瞬間、シリンダー内の炸薬が暴発する。
バンッ!!
破裂するような銃声。コンマ数秒遅れて、
ジャキィィィン!!
硬質な金属音が重なり、噴出したエネルギーが三尺の青白いレーザー刀身を形成した。
対魔回転式太刀「廻」。
その銃声こそが、死神への招待状だ。
刀身が形成された瞬間、それまで無反応だったスマイルが、ピタリと足を止めた。
能面のような顔が、ゆっくりとこちらを向く。
虚ろな瞳孔は、やはり乃亜を見ていない。
だが、全身に突き刺さるような明確な殺意が、奴が乃亜を「敵」と認識したことを告げていた。
「……ッ!」
目が合わない。なのに、殺そうとしてくる。
その生物的な矛盾に、乃亜の背筋が粟立った。
刀を持つ者だけが、奴らにとっての「脅威」となり、優先排除対象となる。
スマイルの右腕が、ボコボコと波打った。
皮膚を突き破り、真っ白な骨が伸びる。それは瞬く間に、鋭利な「骨刀」へと変貌した。
『C-3(灰賀)、動くな』
スマイルが乃亜に向かって踏み込もうとした瞬間、標の声が刺さった。
「で、でも! こっちに来ます!」
『動くなと言っている。お前が動けば、奴の演算変数がズレる』
「へん、すう……!?」
『右足、30センチ後退。姿勢を低くしろ』
わけがわからなかった。目の前で、異星の怪物が骨刀を振り上げているのだ。
だが、軍師の指示は絶対だ。
乃亜は悲鳴を噛み殺し、言われた通りに半歩下がって屈んだ。
ブォンッ!!
頭上数センチを、骨刀が薙ぎ払った。
強烈な風圧が頬を打ち、雨粒が弾け飛ぶ。
バックパックのアンテナが切断され、地面に落ちた。
乃亜の着物の袖がわずかに裂けたが、中身(腕)は無事だ。だぶついた布が距離感を狂わせ、骨刀の切っ先を数センチ誤らせたのだ。
(当たってたら……即死……!)
『C-1、C-2、展開。包囲しろ』
乃亜が囮になった一瞬の隙に、左右の瓦礫から先輩隊員二人が飛び出した。
彼らは無言で、しかし機械のような精密さでスマイルの背後と側面を取る。
逃げ場がない。三方向からの、レーザー刀身による包囲。
スマイルの動きが止まった。
右を向いても、左を向いても、後ろを向いても、そこには「死(刀)」がある。
その時だ。
ギギ、ギ、と。
スマイルの端正な能面顔に、亀裂のような「シワ」が寄った。
顔面筋が異常な痙攣を起こす。
焦点の合っていなかった目が、三日月のように細められ、目尻が下がる。
真一文字だった口角が、耳まで裂けるほど吊り上がった。
ニチャァ。
笑った。
目も、口も。顔面のパーツ全てが、歓喜の形に歪んでいる。
無機質な能面が、一瞬にして「満面の笑み」へと変貌した。
同時に、その胸の中央が赤く発光し、ぼんやりとした光の球体が浮かび上がった。
「わ、笑った……楽しんでやがるのか……?」
乃亜が慄くと、インカムの向こうで標が鼻で笑った。
『違うな、新人。
それは恐怖だ。逃げ場を失った生物が起こす、威嚇のための生理的な痙攣に過ぎない』
核の露出を確認。標の声色が、事務的なものに変わる。
『スマイル(笑顔)を確認。――隊長、どうぞ』
その瞬間、頭上のビル風の中から、影が落ちてきた。
C班隊長。灰賀流の使い手。
「ターゲット確認」
着地と同時に、隊長は厳かに告げた。
その言葉は、戦場のルールを書き換える「儀式」の合図だ。
「――戦術移行。『一刀両断』。これより手出し無用」
その言葉が放たれた瞬間、乃亜以外の隊員たちは、まるでスイッチを切ったように構えを解き、バックステップで距離を取った。
戦場には、隊長とスマイル、ただ二人が残された。
包囲が解かれた。一対一。
これこそが、特剣の流儀。
だが、スマイルの表情は戻らない。
満面の笑みのままだ。
目は嬉しそうに細められ、口は裂けんばかりに笑っている。
変わったのは、胸の光だけ。自爆の予兆である「高エネルギー反応」が消えた。
奴は選んだのだ。「自爆」ではなく「決闘による生存」を。
極限の死の恐怖(笑顔)を張り付かせたまま、目の前の敵を殺して生き延びようとしている。
「……あぁ、本当に」
乃亜は呆然と呟いた。
教科書で習った通りだ。奴らは、生き残る可能性がある限り、決して自爆しない。
隊長が、切っ先を下げた独特の構えを取る。
灰賀流・受けの型。
スマイルが疾走した。
地面のアスファルトを粉砕する脚力。ニタニタと笑う顔面。骨刀が隊長の首を狙う一閃。
だが、隊長の「廻」は、それより速く軌道を描いていた。
ガギィィィンッ!!
激しい火花。
鍔迫り合いの衝撃で、隊長の刀身からごっそりと光量が削ぎ落とされる。
だが、隊長は退かない。
受け流し、いなし、敵の体勢が崩れた一瞬――。
逆袈裟に、レーザーが走った。
ズンッ。
再生を許さぬ超高熱の刃が、スマイルの硬質な皮膚をバターのように断ち切った。
スマイルの身体が、斜めにズレた。
胸部の核が両断され、炭化して崩れ落ちる。再生はない。
奴は二度と動かなかった。
「……状況終了」
隊長が残心を解き、刀身の光がフッと消滅した。
弾切れだ。
隊長の「廻」のシリンダーからは、既に全ての薬莢が排出され、地面で白煙を上げている。
あと一合打ち合っていたら、隊長はただの「柄」を持った無防備な肉塊になっていただろう。
乃亜はへたり込んだ。
心臓が早鐘を打っている。
これが、実戦。これが、一刀両断。
『C-3、生体反応正常。……悪くない立ち回りだったぞ、デコイ(囮)』
標の声が聞こえた。
『お前がビビって動かなかったおかげで、奴をあの位置に固定できた。ナイス「棒立ち」だ』
「……俺は、計算式の一部ですか」
『そうだ。ここでは全員がそうだ。弾一発、命一つ、全てが生存確率を弾き出すための変数だ』
雨が強くなってきた。
足元の水たまりに、死んだスマイルの頭部が転がっている。
その目は、死んでもなお、嬉しそうに三日月の形に歪んでいた。
こうして、灰賀乃亜の最初の儀式は終わった。
だが彼はまだ知らない。
この完璧に見えるシステムが、人類が吐き続けている「嘘」の上に成り立っていることを。
(第1話 完)
次回予告:第2話『笑わない仮面』
雨の新宿から帰還した乃亜を待っていたのは、安息ではなく冷徹なデータ解析だった。
「なぜ奴らは笑うのか?」
軍師・標が語る敵の生態。それは人類が生き残るために構築した、狂気的なまでの「合理性」の上に成り立っていた。
奴らに恐怖を与えよ。
笑顔を引きずり出せ。
それが唯一の――殺害許可証。
次回、一刀両断 第2話『笑わない仮面』
「貴様のその名は、呪いだよ。灰賀乃亜」




