第15話 地下迷宮の攻略
地下深度40メートル。
かつて東京メトロと呼ばれた地下鉄網は、今やスマイルたちの巣窟と化している。
照明の落ちた闇の中、湿ったカビの臭いと、錆びた鉄の臭いが充満していた。
「……暗いな」
灰賀乃亜は、暗視ゴーグルの緑色の視界の中で呟いた。
狭い。
複線ドリルのトンネル内は、瓦礫と放置された車両で塞がれ、人が一人通れるのがやっとの隙間しかない。
『無駄口を叩くな、C-3』
インカムから標の声が響く。だが、今日はいつもの管制室からの通信ではない。
標自身も現場近くの指揮車まで降りてきている。それほど重要な、そして繊細な作戦だということだ。
『いいか、今回のフィールドは「線」だ。いつものような円形の包囲陣形は組めない』
標が淡々と説明する。
『前後を塞がれても、奴らは天井や壁を利用して逃げる。
ここで奴らを「固定」するには、物理的な包囲ではなく、心理的な「ロック」が必要だ』
「ロック……ですか」
「そうだ。奴らの意識を、たった一点に釘付けにする」
標の声が一段低くなった。
『C-3.先行しろ。お前が「餌」だ』
乃亜は喉を鳴らし、握りしめた「廻」の柄を確認した。
新戦術。
スマイルの学習能力を逆手に取り、あえて「弱そうな単独の敵」を晒すことで、奴らの本能を刺激し、その場に留まらせる。
「……了解」
乃亜は一人、闇の中へと足を踏み入れた。
他の隊員たちは、瓦礫の陰や車両の中に隠れ、気配を殺して待機している。
ザッ、ザッ……。
自分の足音だけが響く。
心細さが胃を締め上げる。
もし、隠れている仲間が飛び出すタイミングが遅れたら?
もし、スマイルが罠を見抜いて、隠れている仲間を先に襲ったら?
キィ……。
微かな金属音が前方から聞こえた。
乃亜は足を止めた。
暗視ゴーグルの奥、トンネルの闇に白い顔が浮かんでいた。
スマイルだ。
天井に張り付き、逆さまの状態でこちらを見下ろしている。
蜘蛛のような異形。
(来た……!)
乃亜は「廻」を抜いた。
青白い光が闇を切り裂く。
だが、スマイルは逃げなかった。
奴は首を傾げ、乃亜を観察している。
――敵影、一名。
――後続なし。
――弱個体。
奴の思考回路がそう判断したのが、空気感で伝わってきた。
恐怖はない。あるのは「狩り」の意思だけ。
ヒュッ!
スマイルが天井から落下してきた。
重力を無視したような急加速。骨刀が上から振り下ろされる。
「くっ!」
乃亜は受け止めた。
ガギィッ!
重い。膝が折れそうになる。
だが、弾いてはいけない。逃げてもいけない。
ここで奴と「泥仕合」を演じ、意識を自分だけに向けさせなければならない。
『耐えろ、C-3。まだだ。奴の意識占有率が足りない』
標の指示は非情だ。
スマイルの連撃。
左、右、突き。
乃亜は防戦一方だ。頬を掠め、肩を裂かれる。
痛い。熱い。
だが、再生能力が即座に傷を塞いでいく。
(痛いけど……倒れるわけにはいかない!)
乃亜の異常な耐久力に、スマイルが焦り始めた。
なぜ倒れない? なぜ逃げない?
奴の攻撃が雑になる。大振りになる。
意識が完全に「目の前の獲物」に固定された。
『今だ。――閉鎖』
標の号令。
その瞬間、トンネルの左右の壁――点検用ハッチが爆砕された。
ドォン!
壁の中から、C班の先輩隊員二人が飛び出した。
左右からの奇襲。
狭いトンネル内で、スマイルを挟み撃ちにする形だ。
キシャッ!?
スマイルが驚愕に振り返る。
だが遅い。
前には乃亜。左右には増援。上は天井、下は地面。
パニック状態の思考停止。
一対一だと思っていた状況が、瞬時に「死の檻」へと変貌した絶望感。
ニチャァ……!
張り付いた。
完璧な笑顔。
核が固定される。
「笑顔確認、一刀両断!これより手出し無用」
隊長の声が轟く。
だが、狭いトンネル内だ。下がる場所がない。
乃亜たちはその場で壁にへばりつき、射線を空けるしかない。
隊長が、車両の上から滑り降りてきた。
重力を乗せた、唐竹割り。
スマイルは反応できない。パニック(笑顔)の硬直が解ける前に、脳天から核ごと叩き斬られた。
ズンッ。
両断された死体が左右に倒れ、黒い灰へと変わっていく。
「……状況終了」
隊長が刀を納める。
乃亜はその場に座り込んだ。
全身傷だらけだ。再生しているとはいえ、失った血液と体力は戻らない。
「よくやった、デコイ」
隊長が乃亜の手を引いて立たせた。
その目は、以前よりも少しだけ温かかったが、同時に深い憐れみも含んでいた。
「お前のおかげで、弾を使わずに位置を固定できた。……だが、こんな戦い方、長くは持たんぞ」
「……分かってます」
乃亜はめまいを堪えて答えた。
自分が生餌になることで、部隊全体の消耗は抑えられる。
それが、軍師・標の出した「最適解」なのだ。
撤収のため、トンネルを戻り始めた時だった。
前方の闇から、別の部隊が歩いてきた。
異様な呪術的ペイントを施した装備。
J班【禍津流】だ。
「おやおや、ボロボロだねぇ」
すれ違いざま、包帯の男――軍師・**祝部 朔**が足を止めた。
彼は乃亜の、破れた羽織の隙間から見える「治りかけの傷」をねっとりと見つめた。
「いいねぇ、その肉体。
切り刻んでも、焼いても、すぐに元通り。
まるで『無限に使える実験動物』だ」
「……何が言いたいんですか」
乃亜が睨み返すと、祝部はクスクスと笑った。
「気をつけなよ。
王も、君のような『特異点』を欲しがるかもしれない。
……あるいは、我々(J班)が先に頂くかもね?」
祝部は意味深な言葉を残し、闇の奥へと消えていった。
背筋に寒気が走った。
スマイルへの恐怖とは違う、人間からの悪意。
この地下迷宮には、怪物以外にも何かが潜んでいる。
「……行くぞ、C-3。聞かなかったことにしろ」
隊長に促され、乃亜は歩き出した。
だが、その足取りは重かった。
傷は治る。だが、削り取られた心の摩耗は、再生能力でも治せないのかもしれない。
(第15話 完)
次回予告:第16話『刃なき殺意』
次回、他流派の「弾切れ」に遭遇するエピソード。
E班【緋月流】の狂戦士たちとの共同戦線。
彼らは弾が尽きても止まらない。
「弾がねえ? 関係ねえよ。刀が消えても、俺たちの殺意は消えねえ!」
スマイルに対し、狂気だけで立ち向かう彼らの姿に、乃亜は「人間の底力」と「狂気の深淵」を見る。
次回、一刀両断 第16話『刃なき殺意』
「奴らの仮面を叩き割れ。絶望を直接流し込んでやれ!」




