第10話 シミュレーション・エラー
地下防衛拠点「大和」の中枢、第3戦略室。
通称「知恵の回廊」。
そこは、無数のモニターの光と、サーバーの冷却ファンの駆動音だけに支配された空間だった。
「……おかしい」
C班専属軍師・標慎二は、眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、モニターに映る波形データを凝視していた。
彼の手元にあるのは、ここ一週間の全流派の戦闘ログだ。
「どうしました、標さん。眉間のシワが凄いことになってますよ」
呼び出されていた灰賀乃亜が、恐る恐る声をかける。
乃亜は身体検査の帰りだった。再生能力の経過観察という名目で、モルモットのように血を抜かれたばかりだ。
「灰賀。お前、先日の戦闘で『違和感』を感じなかったか?」
「違和感……ですか?」
「例えば、包囲してから奴らが笑うまでの時間が、ほんの少し長かったとか。あるいは、自爆キャンセルの瞬間に一瞬だけ熱量が上がったとか」
乃亜は記憶を探った。
必死すぎて覚えていない。だが、言われてみれば、逆廻流が戦った時、スマイルは「混乱」していたが、その直前まで妙に冷静にこちらを観察していたような気もする。
「……いえ、俺には分かりません。でも、何かあったんですか?」
標は溜息をつき、モニターの一つを乃亜に向けた。
そこに表示されていたのは、「恐怖反応曲線」と呼ばれるグラフだ。
「これを見ろ。過去三ヶ月、スマイルが包囲されてから『笑顔(核固定)』に至るまでの平均タイムは、3.2秒だった」
標の指が、直近のデータを示す。
「だが、ここ三日で、それが平均3.8秒に延びている」
「えっ……たったの0.6秒ですよね? 個体差じゃないんですか?」
乃亜が首を傾げると、背後から別の男の声がした。
「コンマ6秒の遅延は、戦場では致命的な『誤差』だよ、新人君」
振り返ると、白衣を着た長髪の男が立っていた。
G班【玻璃院流】の軍師、**御影 玄**だ。
データ至上主義の科学班。標とは旧知の仲であり、ライバルでもある。
「御影。……お前のところもか?」
「ああ。ウチの『透徹』による解析でも同じ結果が出た」
御影は標の隣に座り込み、自身のタブレットからデータを転送した。
二つのグラフが重なる。ピッタリと一致していた。
「奴らは、恐怖を感じにくくなっているわけじゃない」
御影が冷たい声で解説する。
「『恐怖を我慢する』ことを覚え始めているんだ」
「我慢……?」
「包囲された瞬間、即座にパニックになるのではなく、『本当に逃げ場がないか』『この包囲に穴はないか』を、コンマ数秒かけて確認している。……つまり、理性が芽生え始めている」
乃亜の背筋が寒くなった。
ただの本能で動く獣だと思っていた。
だが、奴らは学習している。
何度も何度も殺される中で、「一刀両断」という儀式の構造を理解しようとしているのだ。
「それだけじゃない」
標がさらに深刻なデータを表示した。
それは、シミュレーション上の戦闘予測図だ。
「昨日、シミュレーターで『スマイルが儀式のフリをする』という条件を入力して演算させた」
「フリをする……?」
「ああ。『嘘の笑顔』だ。恐怖していないのに、わざと顔を引きつらせ、核を露出させたフリをして、隊長をおびき寄せる。そして、隊長が斬り込んだ瞬間に――」
画面上のシミュレーション映像が動く。
隊長がスマイルの懐に入る。
その瞬間、スマイルの笑顔が消え、至近距離で胸部が赤熱する。
――自爆(BOOM)。
画面が真っ赤に染まった。
隊長死亡。巻き込まれた隊員全滅。生存率0%。
「……な、なんですかこれ」
乃亜の声が震える。
「もし奴らが、この戦術を実行したら、我々はどうなる?」
「……全滅、ですね」
「そうだ。現在の『一刀両断』システムは、相手の笑顔が『本物の恐怖』であることを前提にしている。もし奴らが『演技』を覚えたら、この儀式はただの自殺行為になる」
室内に、ファンの駆動音だけが重く響く。
それはまるで、人類へのカウントダウンのようだった。
「まだ仮説だ」
標は眼鏡を外し、疲れたように目を擦った。
「だが、奴らの学習速度は異常だ。この『0.6秒の遅延』は、奴らがこちらの戦術を見極めようとしている証拠かもしれない」
「あるいは……」
御影がボソリと呟く。
「これまで何万体と殺されてきたのは、単なる『データ収集』だったのかもしれないね。
我々の剣術、カートリッジの限界時間、包囲のパターン……全てを学習するために、あえて殺されてデータを王(上位個体)へ送っていたとしたら?」
乃亜は言葉を失った。
自分たちが必死で積み上げてきた勝利の山。
それが全て、敵の手のひらの上で踊らされていただけだったとしたら?
「……標さん。俺たちは、どうすれば」
「戦うしかない」
標は眼鏡をかけ直し、再び軍師の顔に戻った。
「奴らが進化するなら、我々も進化する。
これまでの儀式が通じなくなる『Xデー』は近い。その時に備えて、新しい計算式を作る。それが俺たちの仕事だ」
標は乃亜を見た。
その瞳には、冷徹さの中に、わずかな焦燥が見えた。
「灰賀。お前の『死なない』能力。……これからは、それが唯一の計算の頼みの綱になるかもしれんぞ」
「え……?」
「予測不能の事態が起きた時、最後まで盤面に残れるのは『強い駒』じゃない。『壊れない駒』だけだからな」
警告のような予言。
乃亜は、モニターの中で赤く点滅する「ERROR」の文字を見つめた。
チュートリアルは終わった。
ここから先は、答えのない本当の地獄が始まる。
(第10話 完)
次回予告:第11話『雨中の包囲網』
戦略室での懸念は、すぐに現実のものとなる。
視界の悪い雨の中での連戦。
いつも通りに包囲し、いつも通りに笑ったはずのスマイルが、儀式の最中に奇妙な動きを見せる。
「笑っているのに、核が固定されない……!?」
タイミングのズレ。焦る隊員たち。そして、最初の一人が餌食となる。
次回、一刀両断 第11話『雨中の包囲網』
「隊長、下がってください! そいつ、笑ってません!!」




