宿命のライバル、その名は「新世界」
午後一時。
佐藤一郎は、自宅のリビングに設置された固定電話の前に座り、絶望に打ちひしがれていた。
受話器から聞こえてくるのは、冷淡で事務的な女性のオペレーターの声だった。
「はい、佐藤様。一階トイレの『便器本体の紛失』に伴う、緊急交換工事のご依頼ですね。最短で、本日の午後三時には、最新鋭モデルをお持ちして設置可能でございます」
「あ、あの……本当に今日の午後三時に来られますか? 今、わが家には、一階にトイレがなくて……」
「ご安心ください。弊社が誇る最新機種、極上の座り心地を追求した『ニュー・センチュリー・サニタリー』を、熟練の職人が一時間で完璧に取り付けいたします」
電話を切り、一郎は深いため息をついた。
(これでいいんだ。あいつはもう、森の守護神やらアイドルのバックダンサーやら、別の世界に行ってしまった。俺は、俺の平凡で静かな日常を取り戻すんだ)
玄関の便器型の穴を、段ボールとガムテープでせっせと塞ぎながら、一郎は自分にそう言い聞かせた。
しかし。
その頃、インターネットの海(SNS)では、ある不穏な動きが観測されていた。
『【速報】あの爆走便器、スマホのGPS(位置情報)をハッキングして、自分の家(佐藤家)に最新型便器が導入されることを察知した模様』
「……は?」
スマートフォンを開いた一郎は、その投稿を見て目玉が飛び出そうになった。
画面には、森の中の倒木に腰掛け、どこかで拾ったと思われる壊れたスマートフォンを、陶器の指で器用にタップしている便器の動画がアップされていた。
あいつの青白いLEDの光が、液晶画面を怪しく照らしている。
「――俺の、場所に……新参者が、入るだと……?」
どこから出ているのか分からない、地の底を這うような野太い声が、動画から再生された。
「一郎の、あの適度に引き締まり、しかし温かみのあるケツ(座部)を……俺以外の、他所者が、受け止めるというのか……」
便器のフタが、カタカタと怒りに震える。
「許さん。あの便座は……俺の、聖域だッ!!」
動画は、便器がスマートフォンを握りつぶし(握力は測定不能)、そのまま凄まじいスタートダッシュを決めて画面外へ消え去るところで終わっていた。
「くる……! あいつが、わが家に襲来する!」
一郎の背筋に、冷たい汗が流れた。
午後三時。
佐藤家の前に、一台の白いワンボックスカーが停車した。「東陶住設」と書かれた作業着を着た、二人の体格の良い作業員が、段ボールに入ったピカピカの最新型便器『ニュー・センチュリー・サニタリー』を丁寧に担ぎ出し、玄関の前までやってきた。
「ちわーす! 東陶住設でーす! 交換工事に参りましたー!」
「あ、お待ちしていました! どうぞ、奥へ――」
一郎がガムテープで補修した玄関のドアを少しだけ開けた、その瞬間だった。
「トパパパパパパパパンッ!!」
はるか道路の向こうから、アスファルトを粉砕せんばかりの、激しい金属質の足音が聞こえてきた。
「――ッシャアアアアアア!!!」
「な、なんだあの音は!?」
作業員が振り返る。
朝日に照らされ、泥にまみれ、森の戦いでさらに凄みを増した「あの便器」が、時速五十キロメートルを軽く超える神速で、こちらに向かって直進してきていた。
その太ももの筋肉は、プロテインとコンセント充電のシナジー(相乗効果)によって、ギリシャの彫像すら平伏するほどの、超重量級の筋密度を誇っていた。
「おい、おい! 何か白い、筋肉の生えた便器が走ってくるぞ!」
「新手のテロか!? 逃げろ!」
作業員たちは、担いでいた最新型便器をその場に放り出し、一目散にワンボックスカーへと逃げ帰った。
路上に残された、未開封の最新型便器。
その前に、爆走便器が、キィィィィィッと凄まじいブレーキ音とともに着地した。
あいつは、段ボールの隙間から見える、メッキ加工されたピカピカの最新型便器のボディを、冷ややかに見下ろした。
「……これが、俺の代わりか。フン、温室育ちの軟弱な便座め。走る覚悟もないくせに、一郎のケツを語るな」
「待て! お前、何をしに帰ってきたんだ!」
一郎が叫ぶ。
便器は、ゆっくりと一郎を振り返り、その逞しい陶器の胸を拳でドンと叩いた。
「一郎。俺は、お前に選ばせにきた。機能性だけの冷たい最新型か。それとも、数々の死線を乗り越え、野生の風をまとった、この俺か!」
「どっちも嫌だよ!! 早く普通に、壁と床に固定されてくれ!」
一郎の絶叫が響く中、便器は最新型便器をライバルと認定したのか、その場でおもむろに「マッスルポーズ」をとり、威嚇を開始した。
佐藤家の玄関前は、筋肉便器と最新型便器が対峙する、一触即発の「サニタリー・コロシアム」と化していた。




