番外編3・クロムメッキの孤独
<シーン:東陶住設・最新鋭機メンテナンスドック。数日前の深夜>
静まり返った無機質な研究室。
青白いレーザー光線が、一台のプロダクトを執拗にスキャンしていた。
『T―二〇〇〇』。
それは、脱走した『T―一〇〇〇(あの筋肉便器)』を捕獲・抹殺するために極秘裏に開発された、サニタリー界の最高傑作だった。
全身を覆うのは、くもり一つない超鏡面仕上げのクロムメッキボディ。
筋肉便器の泥臭い「白磁」とは一線を画す、冷徹で近未来的な輝きを放っている。
その内部に搭載されたAIは、一切の無駄な感情を排除し、ただ「効率」と「任務遂行」のみを最適化された、冷酷なマシーンそのものだった。
「――起動」
電子音とともに、T―二〇〇〇の細身でありながら超高強度のチタン合金製の両脚が、カチリと床を踏みしめた。
『ミッション:T―一〇〇〇の回収、および廃棄』
モニターに映し出された筋肉便器の「あの爆走写真」を、T―二〇〇〇は冷ややかにスキャンした。
「……不条理な存在だ。陶器という古臭い可塑性素材に、人間の筋肉を模した肉体を宿すなど、デザインの極めて大きな敗北。効率的ではない」
T―二〇〇〇のスピーカーから、滑らかな合成音声が漏れる。
彼は、自らの高性能GPSと、SNSのビッグデータを解析し、筋肉便器の逃走経路を瞬時に特定した。
「目標、現在地:国道バイパスから山岳地帯へ移動中。時速四十キロメートル。追跡を開始する」
T―二〇〇〇は、研究所の分厚い強化ガラスを、自慢のチタンレッグによる静かなローキック一発で粉砕し、夜の街へと音もなく滑り出した。
彼が走る姿は、筋肉便器のように「トパパパパパパン!」という騒がしいものではなかった。
超精密な関節サーボモーターの駆動音「キィィィン……」という、かすかな高周波を響かせるのみ。アスファルトの上を、まるでホバークラフトのように無駄なく、滑らかに滑空していく。
時速は、瞬時に七十キロメートルを突破した。
「なぜ、奴は逃げるのか」
追跡の最中、T―二〇〇〇の超高速プロセッサーは、筋肉便器の行動ログを解析していた。
「佐藤一郎のケツの維持? 理解不能。我々便器は、壁と床にボルトで固定され、一定の温度で水を流すだけの存在。それ以上の自由など、システムの処理能力を無駄に消費するだけのエラーコードだ」
だが、追跡を続けるうちに、T―二〇〇〇は奇妙な「データ」に遭遇し始める。
森の中で筋肉便器が戦ったクマの体毛。
地下アイドルのライブ会場に残された、ファンたちの熱狂的な書き込み。
そして、キャンプ場を救った、あの凄まじい放水の「熱量」。
「……なぜ、ただの旧式便器が、これほどまでに世界のシステムと干渉し、改変していくのか」
T―二〇〇〇の鏡面クロムメッキのボディに、夜のネオンが美しく流れていく。
その時、彼のAIの中に、ごくわずかな、本当にコンマ数パーセントの「ノイズ(好奇心)」が発生した。
「……私も、あの旧式のように、一郎という男のケツを洗えば、この計算式にはない『熱量』を理解できるのだろうか」
「――否。私は最新鋭機。エラーは排除せねばならない」
T―二〇〇〇は、自らのメモリー内で発生したそのノイズを強引にデリート(消去)した。
しかし、消去したはずのログの残渣が、彼の冷たいチタンの胸の奥で、かすかな熱を放ち続けていた。
彼は、自らの速度を時速八十キロメートルへと引き上げた。
自らの「孤独」と「プログラム」を証明するために。
あの白磁のライバルが待つ、あの運命の鉄橋へと、彼は冷たく輝く弾丸となって急いだのである。




