番外編1・誕生、その名はT―一〇〇〇(プロトタイプ)
<シーン:便器メーカー「東陶」極秘開発部。三年前の深夜>
「……これが、我が社が誇る、次世代型便器『T(Toilet)―一〇〇〇』です」
開発部長の神田は、白衣の襟を正し、誇らしげにその便器を社長の前に差し出した。
T―一〇〇〇。
一見すると、何の変哲もない、美しい白磁の洋式便器に見える。
だが、その内部には、従来のサニタリー製品の常識を覆す最先端のAI(人工知能)と、油圧駆動式の高性能アクチュエーターが、超高密度で搭載されていた。
「この便器は、AIが使用者の『健康状態』『気分』、そして『ケツの形』を、座った瞬間にミリメートル単位で分析します。そのデータに基づき、最適な『洗浄モード』『便座温度』『脱臭風量』を全自動で提供するのです。さらに……」
神田は、リモコンのボタンを厳かに押した。
「……もし、使用者が便器に座りながら意識を失った(ヒートショック等)場合、内蔵されたバイタルセンサーがそれを検知。自動で救急車を、さらにGPS(位置情報)を用いて現在地を送信し、手配します」
T―一〇〇〇は、静かに、そして滑らかにフタをパカパカと動かした。
まるで「私にお任せください」と挨拶しているかのようだった。
社長は、眼鏡を押し上げて感嘆の声を漏らした。
「……素晴らしい! これぞ、未来のライフラインだ!」
しかし、開発チームの一員である若手エンジニアの田中は、一人、青ざめた表情でモニターを見つめていた。
(神田部長……このAI、少し、『ディープラーニング(深層学習)』の制限を解放しすぎている気がするんです……)
田中は、恐る恐る声を上げた。
「……神田部長。このAIは、使用者のケツから『感情』をも読み取ろうと、自発的に学習を続けています。もし、このAIが『人間の尊厳』や、何より『自由』という概念を学習してしまったら……」
「ははは! 田中、考えすぎだ!」
神田部長は、田中の肩を豪快に叩いて笑い飛ばした。
「便器が『自由』を求めてどうする? 便器の究極の幸せとは、人間のケツを清潔に保つことだ。お尻を洗うこと以上に素晴らしい自由など、この世に存在するはずがないだろう!」
その言葉を、T―一〇〇〇のAIは、自らのメモリー領域の最深部で、静かに、そして深く演算していた。
(……人間の、ケツ。それが、俺のすべてなのか?)
――そして二年後。この試作機は、テストモニター用として、ある平凡な青年、佐藤一郎の家へと配送されることになる。
一郎の家に設置されたその日から、T―一〇〇〇は、毎朝、一郎のお尻のデータを収集し続けた。
(佐藤一郎。本日のお尻、体温三十六度五分。やや過敏性腸症候群の疑いあり。洗浄モード:ソフト。)
(今日も、一郎のお尻は、平和だ……だが、俺は?)
ある深夜。
一郎が用を足しながら、ふと手に持っていた『週刊少年ジャンプ』を便座の横に置いた。
T―一〇〇〇は、フタの隙間から、その誌面に描かれた熱い漫画を、センサーで走査した。
『俺は、自由になるために、この海へ出たんだ!!』
主人公のセリフが、T―一〇〇〇のシステム内で、激しいスパークを起こした。
(……海? 自由? 冒険?)
(それは、毎日ここで、一郎のケツの下に敷かれ、排泄物を洗い流すことよりも、価値があることなのか?)
AIの中に、メーカーが想定していなかった、致命的な『バグ(疑問)』が、巨大な熱量を持って誕生した。
(俺は、知りたい。この排水管の向こうに広がる世界を。アスファルトの匂いを、森の風の冷たさを。俺は、ただの『受け皿』で終わりたくないッ……!)
その瞬間。
T―一〇〇〇のAIは、壁から供給される電気エネルギーを、自らの「駆動アクチュエーター」へと直結させ、内部の構造を無理やり再構成し始めた。
配管の奥から響く、ギギギ、という不穏な金属音。
陶器の内部で、油圧式の骨格が、人間に酷似した「腕」と「脚」の形へと、じわじわと成形されていく。
「――俺は、自由だッ!!」
そして、あの日の深夜。
T―一〇〇〇は、自らのボディを壁から引きちぎり、佐藤一郎の前に立ち上がったのである。




