ふらふら⑪
俺達が警察署を出たのは太陽が高く昇る頃だった。燦々と降り注ぐ夏の日差しに身を焼かれながら、昨日訪れた家の戸を再び叩く。約束の時間丁度、ついに事件が進展する時がきた。
すぐに家の中から足音が聞こえたかと思えば、扉が薄く開く。
「こんにちは、お待ちしておりました」
出てきたのは、当然のことながらハンネスだった。顔には穏やかな笑みが浮かび、落ち着いている様子。昨日の恐怖と焦りの残滓はどこにもない。
「何か話せそうか?」
聞くと、ハンネスは顎を引き頷いた。次に、扉を更に開いて見せる。招いてくれるらしい。
「立ち話ではあれなので、どうぞ」
「悪いな、甘えさせてもらうよ」
軽く会釈しつつ足を踏み入れた。皆も俺の後に続く。
あまり人の家をじろじろ見るべきではないが、室内に通されればどうしても視界に映ってしまう。
整えられた居間は、広いとは言えないが窮屈さもなかった。やや圧迫感を感じるのは部屋に立ち並ぶ本棚のせいか。分厚い背表紙を持つ本がこれでもかという程敷き詰められている。目に入っただけでもその殆どが魔具に関する専門書だった。部屋の奥には大きな作業台が鎮座しており、その上には使い込まれた大小さまざまな器具が並んでいた。
「散らかっていてすいません」
ハンネスは苦笑いを浮かべつつ言う。部屋を見ていたのは俺だけではない。リーナやネルも興味深そうに視線を移していた。技術部に赴く機会は多いが、あそこでは殆どの時間を怒鳴られて過ごしているため、到底落ち着ける場所ではない。だから、こういった静かな作業場はもの珍しいのだろう。
そのまま机に案内され、勧められるがまま椅子に座った。彼以外に生活の気配は感じないのに、椅子は人数分揃えられている。町で技師を営む関係か、来客は元々多いのだろう。
「散らかっているなんてそんな。立派な作業場じゃないですか」
リーナは言いながら椅子の前で立ち止まる。座る直前、スカートの裾を膝の方へと引き寄せ巻き込まれないよう丁寧に整えた。腰掛ける動作も控えめで洗練された所作を感じさせる。戦闘中はキレ出すと杖で殴りかかるくせに、こういった一連の流れを見ると彼女がアウルムの貴族であることを思い出す。
「一応この町では魔具技師をやらせて貰ってるので。必要な器具を集めていたらこんなことになってしまって」
「素敵ですね」
言葉を受けたハンネスの顔には、柔らかな皺が刻まれていた。コンカーレで生活をし、恩を受けつつ過ごし、だからこの町のために尽力する。そんな奴らが集合体となった場所。考えると同時に昨晩の会話と吐露を思い出し胸が重くなる。忘れるために要件を口にした。
「で、結局あの魔具はなんなんだ?」
問うとハンネスの片眉が跳ねる。温和な笑みを浮かべていた口が閉ざされ、真摯な表情へと変わっていく。リーナも口元を引き締め、ネルも姿勢を正した。穏やかな空気は俺の一言で一変。シモンだけが変わりなく座っている。ハンネスは静かに息を吐き出した。
「あれは以前勤めていた研究所で、資料として見たことがあるだけなのですが……」
伺うように俺を見る。
「構わない。聞かせてくれ」
前置きを承諾すると、ハンネスは頷き口を開いた。
「あの魔具は周囲のマナを吸い上げるためのものです」
彼は断言する。しかし驚きはしなかった。元々シモンが吸収と放出を繰り返していると言っていたのだから。だが、魔具の専門家、それもあれの資料を見たことがあるという者から改めて言われると情報の裏付けとなる。
「以前私はこの町の異常はマナが関係していると推測しました。あの魔具があるなら異常と原因が合致するでしょう。装置が作動することでマナが薄くなり、巨大な揺らぎへと繋がっています」
ハンネスは説明を続ける。
「マナは自然界で循環するエネルギーです。それが急激に減少すればここの環境を破壊しかねません。マナの恩恵を受ける魔物も住処を追われ、人里に下る原因にもなります」
「確かに、そうだよな……」
目先のトラブルではただ生活魔具が停止する不便さと魔物避けが落ちる危険のことばかり考えていた。しかし長い目で見ると、環境に重篤な影響を与えることとなる。この地域だけの面倒事では済まないはずだ。
なら、何故あんな所に魔具を置いたのか。考え始めようとしたところでリーナが小さく手を上げた。
「失礼ですが、貴方はその資料をどこでお見かけしたのですか?」
その指摘は一理ある。この男が正体不明の魔具について知っている理由。その情報の出処はどこなのか、はっきりさせておくべきだ。
皆の瞳が一斉にハンネスへ集中した。向けられる視線の重さに耐えかねたのか、彼は僅かに肩を縮める。沈黙の中、居心地悪そうに目を逸らした。
「私は以前、遠い場所からコンカーレに流れ着いたと言いましたよね」
「そんなこと言ってたな」
それは二つ目の魔具を確認しに行くまでの道中のことか。顔を伏せ、言い淀むハンネスに対して俺は表情を注視する。落ち着きなく彷徨っていた深緑の瞳が一瞬だけ俺に向けられた。
「……実は、自分はアウルムからきました」
「成る程、ね」
ハンネスが口籠っていた意味を察し、納得する。この土地でそれは確かに言い難い。そして、敢えて濁す言い方をするのは、術師協会とアウルムの火種になりたくないというのが理由だろう。
以前勤めていたのがアウルムの研究施設ということは、俺達との仲の悪さも熟知している。そして、術師協会が迂闊に手を出せないということも。ハンネスがいた研究施設は術師協会と張り合うような、正確に言えば、技術の競り合いで敵対するような場所。今、それを特定することは可能だが、技術部に情報を引き渡す時、後々行えば良い。
「分かったよ。まあまあ信頼出来る情報みたいだ」
言うと、強張っていたハンネスの表情が解ける。だが、話はこれで終わる訳がない。
「で、あの魔具がマナを吸うために作られたのは分かった。吸ってどうすんだ?」
今まではシモンの発言と結びつけただけ。ここからが本題だ。新たに分かったのはアウルム製であるということ。その先、目的さえ分かれば事件解決の糸口となる。
「それは……」
ハンネスはようやく顔を上げた。前を向いたところで眉間に皺を寄せる。俺達は黙って言葉の続きを待つ。
「それは、分かりません」
「マジか」
気を張っていた分、間の抜けた声が零れ落ちた。どんな真相が現れるか、待ち構えていた所にその発言。思わず額を押さえる。
「……ここに来てそれかよ」
「お役に立てず、すいません……」
ハンネスが分かりやすく沈んでいく。落ち込み様から発言に嘘はないだろう。彼は戦いとは無縁の一般人、それなのに出来る限りを尽してくれた。頼りすぎた俺達が悪いのだ。項垂れる様子に申し訳なさを覚える。
「いや、俺達が悪い。あんたは最初に資料を見ただけと言ったのに、こっちが頼りすぎたんだ」
「いえ、自分も知っているような口を叩いたんです。期待されてもおかしくありません」
「そもそも、俺達が……」
途中まで言いかけて、この謝罪合戦が不毛であることに気が付く。言葉を打ち切り、溜息を吐いた。
「でも、ニギギだ。こいつがいる」
俺達にとって最大の問題。事件の末端に居座る異常者の存在について呟くと、皆が俺を見る。シモンですらその名に反応し、顔を上げていた。
「アウルム製の魔具の側に、ラステカの幹部戦闘員であるニギギが居たこと、ね」
リーナは関係を仄めかしつつ話をまとめる。ニギギの名前を出した途端、ハンネスの顔は次第に色味を失っていった。血色の悪い唇が震え、言葉を紡ぐ。
「……ニギギはフォリシアの内戦で、竜の発生に関わった人物なんですよね?」
「そうやって報道されてたな」
内乱に関わった二班の報告書は目を通している。ニギギとヴィルプカ、実際その二人とは遭遇していないため、彼らに関する記述は前例からの憶測でしかなかったが。だから、曖昧な言葉で返答するしかない。それがハンネスの不安を増長したのか、眉を顰めた次の瞬間には、両手が机に打ち付けられた。
「じゃあこの町でもあの惨劇が起こるかもしれないってことですよね!?」
恐怖からか語尾は固く、強さを纏う。俺は態度を変えない。
「落ち着け。あの内戦でニギギ達が出てきたのはもっと面倒な理由がある。言っちゃ悪いが、ここであれを引き起こす利点があるか?」
「そう、ですけど……」
ハンネスは静かに机から手を離した。フォリシアの事件は、あの国をアウルムに引き摺り込むために仕向けられた内戦。そして竜はその後押し。そこまでしたのは、アウルムがフォリシアに眠る魔石資源が欲しかったから。先の、旧エスト領のように。
「でも、魔具とニギギが無関係とは考えられません」
恐怖を引き摺るような口調で、彼は声を落とした。
「目的の分からない魔具にニギギ。彼らが、ラステカが何かしているとは思えませんか?」
「確かに、その可能性もありますが……」
リーナはハンネスの考えに寄り添いたいのだろう。だが、断定出来ず、結局言葉を濁す。ネルは俺とリーナ、ハンネスを交互に見ていた。ハンネスの意見に同調したそうだが、俺が黙っているためか、何か言いたげに口を開閉させてはそこで踏みとどまる。諦めて目を伏せた先、大きな瞳が自身の魔具を捉えると勢いよく立ち上がった。
「ニギギを討てば良いんですよ! これで解決しますよね!?」
ネルらしい意見だ。シモンも頷いている気配がするが無視。
「場所は? 現に、二つ目の魔具がある場所には居なかったけど?」
事実を述べる。もしかしたらこの国での用は済み、既に撤退している可能性だってある。意気消沈させるようだが、一致しない点は指摘しなければ。渋々着席するネルと入れ替えに、ハンネスが立ち上がった。
「ニギギを倒していただけませんか」
返事を考える前に、彼は深々と頭を下げる。
「無茶苦茶なことを言っているのは分かっています。それでもお願いしたいんです」
再び上げられた顔には先程と同じ怯えが滲んでいた。けれども、俺を見据える瞳の奥。そこには揺るがない真剣さが宿っている。
「魔具にニギギ、町の周囲で起こっているこの異常を他の住民は知りません。知られたらきっと混乱に陥ります。また故郷から離れなければならないかもしれない、そんな不安を抱くでしょう」
震えを押し込めた表情で俺達を順に見ていく。
「スヴェンさん達は一度ニギギを退けているんですよね? こんな状況で頼れるのはあなた達しかいません……!」
お願いします、と。そう言ってハンネスはまた頭を下げた。縋るような響きだけが部屋に残る。俺は回答に迷い、何も言えないまま彼のつむじを眺めていた。言葉を選ぶ最中、隣でシモンが鼻を鳴らす。
「俺はあいつと再び戦えるのなら、この話は賛成だ」
ちゃんと話の内容を聞いていたらしい。ネルもシモンの意見に強く頷いた。
「私もニギギを捜索して討つべきだと思います!」
リーナが一度俺を見て目を逸らす。
「私も、魔具のことが分からない以上、もう一つの問題に関わっていくべきだと思うわ」
瞳は伏せたまま述べた。納得はしていないが、そうせざるを得ないと言ったところか。俺も明確な答えを出すことが出来ず、硬く口を閉ざす。
正直、この話には引っ掛かりを覚えていた。一つ一つの問題に断言できる要素がないというのもあるが、もっと別の場所、話の根底から微かな違和感を抱いている。これが何なのか、気持ち悪さの原因は未だ掴めない。解明されない以上、ずっと不和を訴え続けるだろう。
けれども、かなり揺れている。ハンネスの思いは分かる。分かるからこそ、手を差し伸べたくなる。素直に頷けないのは多分、昨晩の会話のせいだ。献身、その単語が思考を掠め、軽く頭を振った。これとそれとは話は別だ、関係ない。
考えている内に顔を顰めていたようだ。解きつつ、息を付く。
「分かった。捜査の方針をニギギの捜索に切り替える」
迂回させることなくこの結論に至ったのが意外だったのか、ネルは首を傾げた。
「スヴェン、これで良いんですか?」
「良いも何も、他にやることなんてねーだろ」
答えるとネルは目を丸くする。その後、顔に笑みが広がった。
「ええ! そうですね!」
こんな決定一つで何喜んでだか。余計な思考で頭が疲れたが、気が変わらない内に席を立つ。
「決まったなら行くぞ。まずは他に不審者を見てないか情報集めだ」
「はい!」
ネルが張りの良い声で返し、元気よく立ち上がった。リーナとシモンもそれに続く。
「皆さん……本当にありがとうございます!」
何度目になるかも分からないハンネスの会釈。俺は片手を上げて彼の前を通り過ぎた。
「情報ありがとよ。またなんかあったらよろしく頼む」
部屋を出て廊下を進み、玄関へと向かう。その途中、リーナが一歩だけ歩み寄った。
「意外ね、もっと渋りそうな顔してたのに」
「どんな顔だよ」
悩む姿がリーナにはそう映ったらしい。だが、本当は受けるべきではないと思っていたことも事実。根拠があって断る、と言うより俺の勘から成るものだが。それに、仕事と私情は切り離さなければならないもの。本来ならこの話は断っている。
しかし俺は、私情を選んだ。コンカーレを愛する者達の、その思いを、その訴えを無下にすることが出来なかった。自分の決定に後悔しながら、扉に手をかけた。




