ふらふら⑤
現れたのは長身の青年。最初に目を引いたのは赤いリボンで束ねられた紺色の髪だった。
首の後ろで一括りにされているのにも関わらず、束ねた先が胸のあたりまで垂れている。左へ軽く流した前髪の隙間からは、切れ長の青い瞳が鋭く俺達を射貫いていた。均整がとれた顔立ちに柔らかさはなく、氷のような敵意だけが浮かんでいる。
そしてもう一人、青年の後ろに女性が立っていた。波打つ白金の髪と、夜の色を映したような紫の瞳。非現実的なほど美しく縁取られた顔にも関わらず、唇に刻まれているのは毒々しい笑み。興味の色を強く湛える視線にも関わらず、全てを揶揄うように歪んでいた。
一番目を疑うのは美貌ではなく、その服装。純白のドレスは汚れ見当たらず、本当に森を歩いてきたのか疑いたくなる程だった。ニギギとは系統が違うが、同じような異質さを感じる。
「こんな場所で何をしてるんだ」
青年が問う。余計な感情を間引いた声は凍て付くよう。手は腰の剣型魔具に沿えられ、いつでも抜刀できる状態だ。それに対して女性はただ笑っているだけ。魔具はおろか、武器すら携帯している様子はない。にも関わらず、この場で一番余裕の表情を浮かべている。
見れば見る程怪しい二人組。顔立ちからこの国の者ではないだろうし、青年の発声にはやや東部訛りを感じる。では何故こんなイスベルクの辺境に居るのか。どう見ても研究職ではない。敵意はあるが声をかけてきたということは、まだ攻撃の意思はないのだろうか。
「それはこっちの台詞だ」
思考を巡らせつつ、一先ず対話を試みる。
「ここは立入禁止区域になっている。イスベルク側からは入れないようになっているはずだ。まさかアウルムからのこのこ歩いてきたわけじゃねーだろ?」
軽口を飛ばしたところ、青年の眉間に深い皺が刻まれた。返答はなく、ただ不快感を与えただけだった。歩いてきた方向は俺達と同じだと言うことくらい知っている。国境越えは冗談だが、とりあえず言ってみたかった。リーナが静かに俺に寄り、耳元に口を近づける。
「あの人達、索敵魔法に引っ掛からなかった」
短く、小声で言う。彼女が何を言いたいのか、すぐに分かった。俺達がこの場所に来てから彼らに声をかけられるまで、それ程の時間は経っていない。ならば、リーナが索敵魔法を使用した時、術式の範囲内にいたということ。
俺も横で確認したが、術式が何らかの干渉を受けている様子はなかった。なのに、二人の形跡はない。ますます怪しさが増していく。
「御託は良い。とにかくここから離れろ」
青年の口調は先程よりもやや早く、苛立ちを帯びる。彼の手はいつの間にか剣の柄に触れていた。ため息をつきたくなるが、この場では飲み込んだ。会話で何とかなる相手ではないらしい。まったく、安全を優先すると言ったのにも関わらずこれだ。
「昨日のニギギに引き続きまたこんなんかよ」
思わず愚痴が零れた。警告から入る分、まだ話が通じるかと思ったが勘違いだったようだ。よし、切り替え切り替え。
ネルに視線を向けた後、ハンネスを見る。そしてもう一度ネルに戻すと彼女は小さく頷いた。次にリーナ、最後にシモンを見る。顔を青年たちに戻した。
「そんな怖い顔すんなって。俺達はただこれを調べに来ただけだ」
「調べる? これを?」
青年の眉間の皺は更に深くなる。なんでこの発言だけでそんなに機嫌が悪くなるんだ。
この魔具の様子から、彼らがこれを管理している様子はない。本当に近付けたくなかったら、何らかの隠蔽を行っているはずだ。俺の勘だが、こいつらは魔具の製造と運用に関して無関係。ただ、これがなんであるかははっきりと知っている。青年の手が、ついに柄を握り締めた。
「なら、尚更近付かせる訳にはいかない」
「待てよ。俺達は争うつもりなんてない。ほら」
両手を挙げて見せる。声は軽く、笑みも浮かべてやる。顔だけ背後の魔具に向けた。
「お前らもこれに用があるんだろ? 協力することは?」
青年に問う。彼は表情を変えなかった。
「無理だ」
「分かった」
諦めの言葉と共に『槍弩』を射出。青年が目を見開き、表情を変えたのは一瞬だった。凄まじい反応速度で剣を抜き、投槍を叩き落とす。
甲高い鉄音が響き渡る中、俺とリーナは後退。ネルがハンネスを抱え林の中へ去り、シモンが前に出る。
「オーブ型か……!」
青年が手首を返しながら吐き捨てる。俺の魔具の種類を言い当て、美貌を歪ませた。まんまと騙されたことに腹を立てているらしい。触れなくても魔法が使えるのがオーブ型最大の特徴。不意打ちに利用しない手はない。
距離を詰めたシモンが勢いのまま斬り上げる。剣先が青年の胸へ向かう軌道の中、金属音を響かせながら刃が停止。青年はシモンの大剣を涼しい顔で受け止めていた。ニギギに続き、とんでもない筋力だ。
互いに押し返そうと刃は胸の前で鍔迫り合う。青年の手が僅かに揺れた後、顔を顰めた。シモン自体は小さいが大剣は青年の剣の二倍以上。上から押す形になるとシモンの方が強い。
青年は剣を流しつつ引き、再び踏み出した。そこから放たれるのは目にも止まらぬ刺突。顔面に向かう剣先をシモンが首を振って躱している間、青年は更に前へ近付いた。
同じだけ下がるも、同時に振られる剣を受け止めるだけ。自分から斬撃を叩き込めずにいる。
大剣は彼の小柄な体躯を補うことが出来るが、距離を詰められれば振れない分不利になる。密着する近接戦闘の場合、俺達後衛術師も手が出しにくい。
青年が剣を振ると、シモンは垂直に立てて剣で受け止めつつ後退。けれども彼は離れる隙を与えない。追撃の斬撃を身体を半身にして躱し、流れの動作で左足を軸に旋回。弧を描く勢いで振られた刃を予測していたのか、青年は攻撃が届く前に地を蹴って後方へ。好機と見たシモンが剣を回転させつつ前進する。
が、次の一歩へと移行する前に足を止めた。青年の前に青い術式が浮かぶのとシモンが剣の腹を正面に構えたのはほぼ同時。
直後、術式から何かが射出されたかと思えば、甲高い破砕音が三連続で広がった。剣の正面には砕けた透明の破片が転がっている。地面に触れ、端が僅かに溶けていた。おそらく氷。なら、今のは『氷針』の魔法か。
二人が離れた今が好機。すかさず『雷牙』を打ち込むが予測済、難なく後退し避けられる。一瞬だけ俺に視線を向けたかと思えば、再び正面に術式の光。ついでに放たれた『氷針』を『岩突』で弾き、即岩壁魔法を解除する。
術式の構築から発動までが早すぎる。かなり戦闘慣れしている様子。正規資格を持っているのなら、三級以上の高位術師だろう。かなり厄介だ。
シモンが再び距離を詰め、青年も前に出る。互いに腕を振り、刃が衝突する寸前で俺は『槍弩』を放つ。普段シモンが嫌う援護方法だが、そんなこと言っている場合ではない。颶風を纏う槍が青年の腕に突き立つ寸前、地面に術式が浮かんだ。発光と同時に地面から氷が隆起。俺と青年の間に生じた氷壁が槍を弾いた。
今の魔法は『純凍壁』。『岩突』を氷に置き換えた低位魔法だが、あの一瞬で丁寧に術式を練っているのか、岩と同等、いや、それ以上の硬度を持ってやがる。あの勢いでぶつかったにも関わらず、亀裂一つ見当たらない。
嫌な予感に下がってみると、今の今まで俺がいた場所に氷が立ち上がった。間一髪で串刺しを免れ、背中には冷気とは別の冷たさが走る。
氷の向こう側では幾つもの鉄音が轟いていた。剣も強い、魔法も使える、予測能力と判断力も優秀。一人のくせに厄介過ぎる相手だ。ん? 一人?
もう一人の女性はどこに行ったんだ?
周囲を見渡すがどこにもいない。後方に控えるリーナに視線を送ると、彼女は既に索敵魔法を展開済だった。深緑の瞳が上下左右動き、術式を隈なく確認するがそこに望んだ結果は映し出されていないようだった。俺を見ないまま首を振る。
魔法に反映されているのは、少し離れた場所に待機させているネルとハンネスの影のみ。そこから動いている様子、ましてや戦っている様子もない。
もしかして女性だけこの場から離脱した? いや、そんな訳ないだろう。もしくは離れた場所から魔法をぶち込む機会を伺っているのか。それなら俺達が彼女を見失った時点で殺されているはずだ。
いなくなった者のことは、まあいい。シモンと青年の戦いに目を戻す。
丁度シモンが刃を振り下ろす所。青年は身体を右に反らしただけで回避、そして一歩踏み出したのを見てシモンが反応する。軸足の回転開始と共にシモンの背後を刺突が掠る。青年の背後に回るが、彼も突きの勢いのまま回転。二人、同じ拍子で振り返り横薙ぎ同士が衝突する!
弾かれ、再び進む。互いの間で斬撃が荒れ狂い、鉄が悲鳴を上げる。それぞれ浮かぶのは涼しい表情。シモンは好敵手に対して笑みを浮かべ、青年は冷静な表情のまま攻撃を見切る。どちらも息一つ上がっていない。シモンの異常に重い斬撃を流し続けているのにも関わらず手元は的確に剣を流し続けていた。
青年が持つのは剣のみ。アーティファクトなど、その他補助魔具を使っている様子などなく、素でこの強さらしい。厄介極まりなく、面倒この上ない。戦闘が長引けば、数で勝る俺達が有利なのだろう。だが、そのつもりはない。
前回は魔法の不発や威力の増減を恐れて狙撃を行うことを控えていた。多分、今回は大丈夫。あの魔具の近くであろうが術式の発動に違和感はない。確信と共に魔法を組み上げる。
シモンが青年を押し返したその一瞬、肩を狙った『槍弩』の射出。風音で気付かれ、避けられるも横髪の端を矛先が捉えていく。惜しいっ。
青い瞳が俺を捉えた瞬間『氷針』が飛んでくる。横に動き躱しつつ『槍弩』の連射に移行。青年は俺の投槍魔法を剣で弾き、前方では『氷針』を展開する。氷の投射魔法でシモンとの距離を保ちながら、俺の魔法にも対応。あまりにも器用過ぎる。
一呼吸の間、俺に視線を向けて眉を寄せた。何かを判断して、それを止めたような動作。その行動の意味を考えた所で俺にも氷の矢が飛んできたため一旦狙撃を中止する。
先程の青年の表情は、間からちょこちょこ邪魔をする俺に対して鬱陶しく思っている様子。俺を直接叩こうとするが止め、代わりの『氷針』を放ったのだろう。
シモンがいるとは言え、俺が避けられないような、もっと面倒な魔法を使うことは出来るはず。なのにやらない。攻撃の意思はあるが殺す気はないのか。それとは違う、手加減とは別の何かがあるのか。彼が目的を話さない以上、今はそれを判別することは出来ない。
シモンが踏み込み、剣が翻る。放たれた刃を青年は上へ受け流し、無理矢理腕を跳ね上げた。上空へ向く二つの剣先。シモンは両腕、青年は片手。空いた一本の腕、その拳がシモンの腹にめり込んだ。
まともに打撃を喰らい踵が浮く。勢いのまま身体が振られ後方に吹き飛んだ。まずいと、思った瞬間『爆炸』を発動。二人の間に軽い爆撃を起こし、追撃を防止する。
草花の灼ける臭いと吹き荒れる砂塵。弾けた地面が頬を掠める中、一つの異音が耳に届いた。鈍く、軋んだ金属音。青年は動いていない。俺もリーナも魔法を放っていない。何だ、今の音。疑問を置き去りにして砂塵は晴れていく。
反射的に踏み出そうとした青年の足が不自然に止まった。あれ程整っていた表情が崩れ、目が大きく見開かれる。半ば開いた口元からは明らかな動揺が零れていた。
何事かと、目を向けた先で俺の思考も凍り付く。それはシモンが飛ばされた方向。彼は立っていた。それは大丈夫。むしろ無事を喜ぶべきだ。しかし、問題はその場所。こいつはよりにもよって魔具の上に立っていた。しかも、魔具の上に剣を突き立てて。
これ以上吹き飛ばされるのを阻止するため、咄嗟に魔具へ剣を突き立てたのだろう。剣の先端が魔具の頭部に埋まり三〇センチ程の亀裂を作っていた。
思い出すのは昨日の出来事。魔具を壊した際に生じた、溜め込んだマナの破裂。高位障壁魔法でも防ぎきれなかった高濃度のマナの照射。重度のマナ中毒に加え町の機能不全!
『拒魔断域聖園』を組み上げようと魔具を掲げたところでやめた。完全に目の前の事態に思考が空回りしていた。同じように壊していたのなら異音がした時点で照射が行われている。それによく見れば突き立っているのは剣の先端数センチ程。恐らく主要部分には届いていない。とりあえず無事だ。多分だけど。
「また壊すか?」
金属の間に埋まった剣を抜き、シモンは平然と言う。こいつ、人の苦労も知らないで!
「必要ない。出来れば触るな」
無事だと分かっていても昨日のマナ中毒を思い出し肝が冷える。あの頭痛と吐き気までぶり返してきた。早くそこから降りろ、頼むから降りてくれ。
「また、壊す……?」
青年の口から、震える声が落ちた。感情を抑えつけようとしているのだろう。押し殺そうとすればする程、その動揺が滲みだし鮮明に届く。震える腕が静かに上がり、剣先をシモンに向けた。
「もしかして、昨日のはお前達の仕業か!」
次に放たれたのは叩きつけるような怒鳴り声だった。冷静な表情で状況を見ていた姿はもうどこにもない。顔には剥き出しの怒りが、明瞭に浮かんでいた。




