ふらふら④
ハンネスの家はすぐに分かった。
外に出た直後、目の前を通り過ぎる住民に彼の家を尋ねたところ、快く教えてくれる。コンカーレでは有名なのか、誰でも知っているような口振りだった。あっさり判明してしまったことに拍子抜けしつつ、教えてもらった住所に向かう。
中央通りから一本入ると、賑わいは一気に遠ざかっていった。足を踏み入れたのは年季を重ねた建物が肩を寄せ合う住宅街。その一角に彼の家はあった。
小さな煉瓦作りの建物の前には、刈り揃えられた芝生が広がっている。端に植えられた細い植木も丁寧に整えられ、玄関前には花の植木鉢が整然と並んでいた。
扉の前で立ち止まる。気が進むわけがない。扉を叩いた瞬間から、彼を俺達の都合に巻き込むこととなるのだから。
腕を上げた状態で静止していると、リーナに横から肘で突かれた。早く行けということらしい。急かされ、気乗りしないまま渋々扉を叩く。乾いた音が三回、室内へ染み込んだ後、間を開けずに男性の応答が聞こえた。不在を願ったが、残念ながら在宅らしい。
まあ良い。命の危険があることを、きちんと、省くことなく、強調して伝えれば引くだろう。
そう思った、のに。
「良いですよ、それくらい」
「え?」
出てきたハンネスに説明した所、彼は驚くほど快く承諾した。話の内容をよく聞いていない、もしくは意味が伝わっていなかったのだろうか。もう一度言う。
「だから、俺達が今から行くのは立入禁止区域で……」
「ええ、魔物に襲われる危険があるということですよね」
必要ないと、先回りして結論を言われる。きちんと理解はしているようだ。だからこそ疑問が浮かぶ。度胸があると言えば聞こえはいいが、事の重さを把握していないか、命を軽く見ているのではないか。しつこいだろうが、もう一度念を押す。
「技師に立ち会って貰えるのは助かる。けど強制じゃない。断っても良いんだぞ」
ハンネスは穏やかな表情のまま、静かに目を細めた。
「いえ、私なんかが役に立つのなら、いくらでもお付き合いしますよ」
「やった! ありがとうございます!」
俺が口を開くより早く、ネルが喜んだ。頼んだ俺が思うのは変だが、どんなに理由を付けてもきっと彼は同行をやめないだろう。リーナも「よろしくお願いします」と深く頭を下げていた。
「今のところ、修理の依頼は受けていません。皆様に同行しても問題ないでしょう」
後ろから調査を急かすネルの声を聞きながら、俺は溜息をつく。なんでこう、この町はこんなに良い奴が多いんだ。
昨日と似たような道を進んでいく。道と言っても辛うじて人が通れそうなもの。細い隙間を進む度、好き勝手に伸びた草が足を絡め取り、木々から垂れた蔦が幾度も視界を遮った。
前回と違うのは、歩みの速さの他、先導するシモンが進行に邪魔な枝をあらかじめ剣で払っていること。一応部外者がいるということに気を使っているらしい。人に対して関心のなかった彼が、グラウスで過ごすうちに身に付けた社交性だろう。
だが、やはりハンネスの顔には疲労が滲んでいた。頬には汗が伝い、半分開かれた口からは浅い呼吸が漏れる。町で暮らしていればこんな所を歩く機会なんてないし当然だ。
と言っても、グラウス内でもこんな場所を歩くのは俺達くらいか。思い返して少しだけ怒りが浮かんでくる。自分達が過去に仕出かした取り締まりのせいだと指摘されようがむかつくもんはむかつく。
「それにしても、皆さんはお強いんですね。あんな魔物を一瞬で仕留めるなんて」
ハンネスは額から伝う汗をハンカチで拭いながら言った。今し方、魔物を払ったばかり。間近で見ていた彼は息をつく。
先程の戦闘はほんの数秒。後ろから現れた魔物をネルが止め、その一瞬で俺が砲弾魔法で仕留めた。予告通り、シモンが介入する余地を与えてやらない。そうだ、変なマナの変動さえなければ魔法を使うのはこんなにも容易いこと。
「付いて来たこと、そろそろ後悔してるか?」
歩幅を合わせながら笑いかける。不快感を増長する真夏の暑さに、纏わりつくような森の湿気。進んでも進んでも緑一面の代わり映えのない景色に、ただただ体力を奪われる獣道。俺なら魔物と遭遇した時点で引き返している。ハンネスは嫌な顔一つせず首を振った。
「いえ、逆に安心しましたよ」
無駄に肝が据わってやがる。喉の奥から乾いた笑い声が湧いた。
「あんたも物好きだな。こんな訳の分からない四人組に声をかけられて付いてくるなんて」
疲労の溜まった彼の口元からは、笑いにも息にも聞こえる曖昧な声が上がる。
「訳の分からないなんてそんな。あなた達も見知らずのチェリアを助け、町まで送ってくださったじゃないですか」
「あれは偶然通りかかっただけだよ。そこまで感謝されることじゃない」
「それでも、私達にとってはありがたいことです」
横から真っ直ぐな視線が注がれていることは見なくても分かった。普段、何かと怒鳴られてばかりの俺達だ。こうした飾らない言葉はなんだかむず痒くなる。
ちょっとした手助けが循環する、と言うのは暖かいことだろうが改めて思うと少し照れくさい。顔を合わせていないのにも関わらず、居心地の悪さを隠すように顔を逸らした。浮かんだ感情が零れる前に軽口が滑り出る。
「言っとくけど、謝礼は出ないからな」
「はは、大丈夫ですよ。この町に起こっていた異常について解決できることがあればと思っていただけですから」
濃緑色の瞳はシモンの更に向こう、原因の一つが置かれているであろう場所へ向けられた。その眼差しがあまりにも誠実で、逆に疑問を抱く。
「なんで金にもなんねーのにそんな人助けができるんだ?」
問いは、包むことなく口をついて出た。横目で彼を見ると、丁度顔を俯かせたところだった。
「ただ、コンカーレの皆さんの役に立ちたいからですよ」
先程とは打って変わった沈んだ口調。絞られた声に耳を傾けているせいか、草を蹴って進む足音はより大きく聞こえた。
「私はこの町で生まれたわけではありません。戦争が始まるよりずっと前に、路頭に迷って辿り着いたのがこの町でした」
「こんな国境に?」
確かにわざわざ選んでここに来ることはないだろうが、そのまま居付くのは少々違和感が残る。ハンネスは懐疑的な声に自嘲気味に笑った。
「行く当てなんてありませんでしたから」
当時を思い出したのか、歳を重ねた唇からため息が落ちる。
「仕事ばかりやってて、家族にも見放されて。結局その仕事も上手くいかなくて。何もかも中途半端だったんです。仕事を辞めた瞬間、何もない人間だったって気付かされましたよ」
彼の持つ魔具への知識から、以前は技術職。どこかの企業、もしくは研究所に勤めていたのだろう。ハンネスは続ける。
「でも、偶然辿り着いたこの町でちょっとした生活魔具の修理をしたんですよ。そしたらとても喜ばれましてね。お恥ずかしながら、誰かに感謝されるのなんてその時は数年ぶりでして。そこでやっと人らしい生活に戻れるような気がしたんです」
声は懐かしさと、当時に得た感動を湛えていた。
「だからここに永住を決めたんですか?」
後ろからネルが結論を問うと、ハンネスの口が綻ぶ。
「はい。この町だったらやり直せると思ったんです。今度こそ、良い人間になろうと思って」
「素晴らしいですね! 良いことです!」
ネルが称賛に照れたように視線を下げた。
「だから、こんな自分を受け入れてくれた人たちに恩を返したいんです。自分は魔具のことしか分かりません。けれども、それが役に立つなら」
それが今回俺達に同行した理由か。実に人の良い、真っ当な理由だった。
聞く限りでは心を入れ替え、今の彼を形作るきっかけとなった暖かい思い出話。けれども、俺が捻くれているだけか、それ以前の不透明さが際立つように感じた。
気になるのは、仕事を辞め、こんな辺境まで訪れるに至った経緯。彼の口振りや話している時の仕草、視線まで観察しているが嘘を言っているとは思えない。しかし、この町で初めて彼を見た時の既視感。あれが引っ掛かりとなっている。
考えてもこの場で答えは出ないだろう。今は彼がこの町に長く暮らし、皆から信頼されているという事実があれば十分か。外部の人間を警戒する癖は疲れるし、自分でも嫌になる。息を吐き出した口が自虐的に歪んだ。
「皆さんはもうすぐこの町を発つんですか?」
「何だ、急に」
探るような声を受け、ハンネスを見る。思った以上に視線が鋭くなってしまったのか、彼は少したじろいだ。
「いえ、チェリアが私の所に来ましてね。術師に物を送るとしたら何が良いかと聞いてきたんです」
「ふーん?」
それは俺達に話して良いことなのか。疑問に思いつつ話を聞く。
「チェリアが助けられた後です。何か送るとしたらあなた方かなと。急いでいる様子でしたので、もうすぐ居なくなってしまうかと思い……」
「まあ、長く滞在するつもりはねーな。けど、あと二日は居るよ、多分」
復旧の目途が立たないため、はっきりとした日程は分からない。俺の発言には、あと二日で直れという願望も含まれていた。俺の心境とは逆に、ハンネスの顔からはほんの少しだけ力が抜ける。
「皆さん腕が立つようなので、こちらとしては長くいてくれた方が助かります」
「なるほどな」
彼の安堵の表情の意味を理解する。何か武力が必要になった際、俺達は体よく使われるのだろう。けれども、まあ、感謝されるのはそこまで悪くない。ニギギのような異常者が相手でなければ、魔物程度いくらでも倒してやる。
「聞いていませんでしたが、皆さんは何の仕事をしているんですか?」
ハンネスが俺達に興味の色を向けた。一瞬迷うも、協力して貰っている以上、隠すことではないだろう。
「術師協会。その中でも悪い奴を捕まえる専門の部署だよ」
適当にそう答える。後ろから「もう少し言い方があるでしょ」とリーナの棘のある声が聞こえるが、何も間違っていないので訂正する気はない。むしろこっちの方が分かりやすいだろ。術師協会所属違法術師取締課グラウスなんて長ったらしい名前一々言えるか。
伝えたところでハンネスから応答はない。横を見ると、一歩だけ俺から離れていた。明らかに不審な動き。疑念を抱くもあまり距離は取られたくない。
「何だよ、なんかやましいことでもあんのか?」
あえて茶化すように問う。ハンネスは目を伏せた後、引き攣った頬を無理矢理上げるように笑った。
「あるわけないじゃないですか。権力者が隣に居たら誰だって離れたくなります」
「そんなもんか?」
「ええ、技術師なら特に」
ハンネスは当たり前と言わんばかりに力強く答えた。そういうものなのだろうか。そういえば、軍にいた頃も術師協会の監査で大荒れしていた記憶がある。普段鬼のような上司が術師協会の監査官に対し萎縮し、恐る恐る様子を窺っていたっけ。
グラウスに在籍する術師は皆奔放だし、技術師達も直属の組織という免罪符があるからこそやりたい放題。魔法に関する事柄について、権力の傍にいるせいでかなり麻痺しているようだ。一応、俺も術師達にとって恐怖の対象らしい。ハンネスはまだ俺から距離を取っていた。
「でも、失礼ですが……そうは見えませんね」
「よく言われるよ」
その通り過ぎて今更何の感情も浮かばない。俺やリーナはともかく、ネルは若く直線的。シモンに至っては完全にガキ。術師協会の手帳がなければ誰も信じないだろう。
「術師協会と言えばもっとお堅いイメージでしたが、そうではないんですね」
「俺達の部署が特殊なだけだよ」
俺の言葉をあまり信じていないのか、ハンネスは短い笑い声を上げた。本部の奴らは無駄に威圧感を放っていて怖いし、俺達の部署はとにかく変人が多い。どちらも何も良いことはない。いつの間にか、ハンネスの緊張した表情は解れていた。先程のは俺の考えすぎか。
そのまましばらく歩いたところで、シモンが足を止めた。
「この先だ」
言いながら木々の向こう側を睨み付ける。俺達には木の幹が重なって見えるだけ。ここからではまだ何があるのか分からない。
「誰かいるか?」
「いない。魔具の形状も昨日のものと同じだ。動いているが酷い状態ではない。そこまで魔法に影響は出ないだろうな」
シモンは淡々と述べていく。後ろで術式の光が灯った。
「周囲に人の気配もないわ。索敵が妨害されている感じもない」
リーナが索敵魔法を展開しつつ言う。覗き込むが、そこに見えるのは野生動物の影のみ。彼女の言う通り、誰かがいる様子はない。どうしようか。腕を組み考えると、全員の視線が俺に集中していた。
「行ってみるか」
数秒悩み、答えを出す。シモンの感覚とリーナの索敵魔法は信頼している。彼らが言うのなら大丈夫だ。俺の言葉を受け、シモンは頷き再び進み出す。
そこまで歩かない内に魔具の全貌が見えた。
シモンの言う通り、昨日と変わらぬ風貌で少し開けた場所に佇んでいる。上部が球体に膨れ上がった鈍色の体は同じ。違うのは上部に術式の光が見えないということ。けれどもこれで動いている状態らしい。昨日のものは故障で内包されていた術式が露出してしまっていただけなのか。
近付くと更に細部が見える。雨風に晒され続けた胴体は、所々傷が刻まれていた。足元には濃い緑の苔が張り付いたままになっている。どう見ても、長い間人が触れた気配はない。
更に近付いて魔具を見上げる。俺の身長より高く、二メートル程度と見積もって良いだろう。手を伸ばせば触れる位置だが不快感はない。やはり、昨日の魔具がかなり異常な状態だったのか。
「やっぱり、なんも分かんねーな、これ」
呟いた通りだった。こうして見ても用途は全く不明。昨日のように術式が浮かんでいたのなら、その内容を読もうと思ったが今日はそれすらない。弄り方は勿論見当もつかないし、下手に触って暴走させたくない。技術師はこれをどう見るのか、横に居るはずのハンネスへ顔を向けた瞬間、俺の思考が止まる。
「こんなものが……」
震える唇から言葉が落ちた。よろめきながら後退するハンネスの顔からは血の気が消え失せ、額には汗が滲む。息を呑んだまま、彼は魔具から目を離せずにいた。強張った顔の中で、瞳だけが上下に何度も動き確認を重ねていく。その度に、動揺が形を増していった。
「何を知って、」
ハンネスに問おうとするが、言葉は途中で止まる。中断せざるを得なかった。シモンが静かな動作で剣を抜いていたのだから。鋭い視線が向かう先はハンネス。まさか、刃を向ける気か?
いや、俺が気付いていなかっただけだ。正確にはその後ろ、俺達が歩いてきた道に向けられている。シモンの行動を見てネルも剣の柄に手をかけ、リーナも距離を取るために一歩ずつ引いていく。俺も魔具を起動し背中に回した。
皆が同じ方向を凝視する中、葉が揺れ微かな音を立てる。気配を隠す気がないのか、その必要がないのか。けれども、誰かが近付いてくるのは確実だった。
「その魔具に近付くな」
林の奥から聞こえたのは、低く威嚇するような、それでいて透き通った声。ハンネスの肩が跳ね、俺達の後ろに身を寄せる。手前の藪から腕が伸び、小枝が折れる音と共にその姿が露わになった。




