三節 ふらふら
「急に呼び出して済まない」
それは聞き慣れた女性の声だった。懐かしい軍服を纏った彼女と、俺は机を挟み対峙する。普段なら側近の一人や二人いるのだが今日は傍に誰もいない。俺と彼女だけの空間だった。
「こうして顔を合わせるのは久しぶりだが、」
イスベルク人に多い緑色の瞳が俺を見る。
「あまり調子は良くなさそうだね」
自分のせいで彼女の表情が曇る事が許せず、「そんな事はないですよ」と、取り繕いたかったのだが生憎声が出ない。
自分でも気が付いていた。これは夢なのだと。いや、夢というより追体験のような。そうだ、走馬灯。
「勿論、こんな話をするために呼んだのではないよ」
ひと呼吸置き、意を決したのか彼女は再び口を開く。俺は覚えている、この後の言葉を。忘れられるはずがなかった。
「スヴェン、軍を辞める気はないか?」
最初から最後まで彼女の意図は理解していた。だからこそ、今でも胸を締め付けられるような痛みだけが残る。ついでに頭も痛い気がした。
「……で欲し……。これは……の……」
突然言葉が聞き取り難くなる。同時に遠くから俺を呼ぶ声がした。陽炎のように視界が歪む。
最後に、目の前の女性は微笑んだ。
「君にはもっと相応しい場所がある」
目を開けると、最初に視界に飛び込んできたのは青空だった。どこだ、ここ。今いたのは執務室で。いや、あれは夢だ。
寝起きの頭は霞がかかったように重い。自分が何をして、なんでこんな所で寝ていたのかすらぼやけている。
目の奥が痛い。倦怠感が強く体が思うように動かない。口の中には血の味が広がっていた。身体に痛みがないことが幸いか。
順を追って考える。確か昨日、ユーゴに不審者の調査を依頼されて。朝、チェリアに会って……、これは関係ない。変な魔具があって、ニギギがいて──、
「う……っ」
起き上がった所で頭痛が増す。視界がぐらつき額を手で押さえた。そうだ、俺達はニギギと戦ったんだ。ニギギを倒すために魔具を破壊し、結果的に逃亡を許した。最悪だ、寝てる場合じゃねぇよ。
「リーナ! スヴェンが起きましたよ!」
少し横でネルが叫んだ。声が頭に響くが、相当俺を心配していたからこその声音だろう。顔は泣き出しそうな程頼りなく歪み、先程の声も語尾が小さく揺れていた。ニギギが撤退した直後、俺は吐血しながら意識消失。そりゃ不安にもなる。
「悪い、心配させたな」
声はまだ枯れたまま。口の中には吐血の残渣物が残ってて気持ち悪い。でも、彼女に応える方が先だ。
ネルは小さく鼻を啜り腕で目元を拭った。小さく笑い「本当ですよ」と静かに告げた。見たところ、俺が倒れている間に治療を行ったようだ。ニギギに食われた耳も再生が完了している。
「ゆっくり休めたかしら?」
ネルの向こう側からリーナの声がした。俺に向ける瞳は若干の呆れを帯び、視線も軽く咎めるようなものだった。
だが、ネルの声を受け駆けつけてきたらしい。手を腰に当て、俺を見下ろす姿勢だが息が若干切れている。俺だって倒れたくて倒れたんじゃない。ただ少しだけ無茶が重なってしまっただけだ。
倒れていた、で重要な事項が頭に浮かぶ。
「……どれくらい寝てた?」
「二時間くらいかしら」
そんなに時間は経っていないようで一先ず安心。日々の不眠があるのによくその程度の時間で起きられたものだ。あの夢が現実に引き戻してくれたのだろうか。
違う、あれはただの記憶の整理だ。夢がそんな機能を持つわけがない。それでも、口から零れたのは深い溜息だった。
「別に、貴方の判断は間違っていないわ」
突然落とされた声に顔を上げる。寄添うような声の響きに、気遣われているのだと今更気が付いた。目が合いそうになると、リーナはわざと顔を逸らす。遠回しでどこかぎこちない。その不器用な優しさが、かえって胸に馴染む。
「なんだそれ、慰めか?」
笑みを漏らした途端、視線が俺を刺した。張り詰め過ぎないこの空気が、今の俺達には丁度良い。
原因の魔具も発見した。ニギギも退かせた。俺達に死者は出ず、傷も現場の医術師が対応できる程度。
けれども、それは全て最悪の結果を避けただけ。重傷を負い、死にかけたにも関わらず、俺達は何一つ得ていないのだ。
だからと言って立ち止まっている暇はない。次に進めなければ失うだけ。
「町に戻ろう」
呟き、マナの照射による杞憂事項を思い浮かべながら立ち上がる。いつの間にかシモンも合流していた。多分、魔物の襲撃などに備えて哨戒してくれていたのだろう。丁度剣を鞘に戻す所だった。
踏み出した足はまだ覚束ず、視界は振られたままだった。
***
「だめ! こっちもまだ使えない!」「ハンネスさんはなんて言ってる?」「どうなってんだ!」「こんなに長い間使えないことあったかしら」「魔物避けの魔具は大丈夫?」「魔具自体が壊れたわけじゃないって」「このまま使えなかったらどうしよう」「皆一斉に体調が悪くなって……」「一体何が起こったのかしら」「何故かそれだけ無事らしいの」
戻った先、そこは大混乱に陥っていた。騒然とした通りで住民達があわただしく行き交い、誰もが状況を掴めず困惑している。予想通りと言ったら予想通り。一番当たって欲しくない予測に限って毎度的中する。
「……大変そうね」
リーナが呟いた。声は小さく、視線は彷徨うようで落ち着かない。
「みたいだな」
同意のため絞り出した俺の声は引き攣っていた。まずいと、一目で分かる。この混乱の原因に思い当たる節しかない。多分、というか絶対にあのマナの大照射だ。
俺の口からそれ以上の言葉が出ることはなかった。何を言えば良いのか。どんな行動を取ればいいのか。全く思い浮かばないまま町の入口で立ち尽くす。
もしかして、と思った時には既にネルが腕を掲げていた。そのまま首を振る。
「駄目です。通信魔具も起動すらしません」
腕の簡易通信魔具は術式を一切受け付けず、沈黙を貫いていた。俺達の魔法は使えていたため失念していた。連絡を取ろうという考えも完全に頭から抜けていた。本来なら、ニギギを退けた後連絡を入れるべきなのに。
一応俺も長距離通信術式を組み立ててみる。が、揺らいだマナの中では安定せず、発動しようとした瞬間崩壊した。
ニギギ遭遇時よりもどうしようもない状況。相変わらず頭は痛いままだし、この対応についても一切思い浮かばない。全て正直に話した所で更に不安を煽るだけ。町の近くに凶悪指名手配犯がいたなんて、どう説明すれば、
「ああ、皆さん」
ふと投げかけられた男性の声に顔を上げる。その先には壮年の男性がいた。
表情は少し、いや、かなり疲れている。確かチェリアを送り届けた時にいた人物、ハンネスと言ったか。多分技術師であることは確定。この状況で様々な所に駆り出されているのだろう。
「こんな騒がしい所をお見せしてすいません。折角この町に来てくれたのに」
ハンネスは申し訳なさそうに頭を下げ、気まずさを誤魔化すように薄く笑った。俺達は皆、目を合わせることが出来ないまま強張った笑みを返す。
申し訳ないもなにも、この状況を作り出したのは俺達。悪いのはあれを壊す指示を与えた俺なのだから。
しかし、町の状況に対して、ハンネスには不思議と余裕があるように見える。住民達はあんなに慌てふためき、右往左往しているというのに。
「見たところ、魔具が使えなくなってんのか?」
平静を装って尋ねる。自分で言っていてかなり白々しく思うも、技術師から見た状況は確認しておきたい。ハンネスは問いに頷いた。
「ええ、生活魔具が先程から全く動かないんです」
「生活魔具だけ? 魔物避けは?」
限定的に絞った物言いが気になった。真っ先に一番の気がかりを尋ねる。
「私もそこが気になりましてね。前回のこともありますし、最初に見に行ったんです」
ハンネスの視線は町の中央にある時計台に向かった。
「それが不思議なことに、魔物避けだけは問題なく動いていたんです」
魔物避けの魔具は町の中央に設置される場合が多いが、この町ではあれがその機能を担っているのか。考えている間にハンネスは続ける。
「そこで魔物避けに備え付けられているマナの濃度計を見たら針が振り切れていたんですよ」
腕を組み、更に考えを述べる。
「だから今回の魔具の不調はマナが薄くなったのではなく、どこからか高濃度の放出があり、この事象が起こったと考えています。実際頭痛や眩暈などの体調不良を訴えている人もいましたし」
「へぇ……」
彼の推測は正しい。俺達の起こした出来事と見事合致していた。感心する立場ではないのだが、自然と感嘆の声が落ちる。
「生活魔具に付けられた純度の低い魔石では、高濃度のマナの負荷に耐えられず著しく機能が下がるでしょう。だから魔具と規格が噛み合わなくなり、機能停止に陥ったのだと思います」
「……最高品質の魔石が充てられた魔物避けだから、この状況でも問題なく動いてんのか」
ハンネスの説明からその結論に辿り着く。なるほど、だから俺達は照射の影響なく魔法が使えたのか。
流石に魔物避けに使用されるような純度まではいかないが、俺達が使用する魔石は戦闘用で術師協会から直接支給されているもの。滅多なことでは壊れない。ハンネスの口元が柔らかく緩む。
「魔物避けが動いているなら安心です。生活魔具も魔石からマナが抜ければ元のように使えるでしょう。今は少し不便ですがね」
「説明助かるよ」
どうやらそこまで悲惨な状況ではないらしい。住民達が困っているのに変わりはないし生活に途轍もない影響を与えている。罪悪感は相変わらず俺の胸を殴り続けている。
しかし揺らぎの原因となっていた魔具を壊したことで永続的な不調はなくなると思えば、うん、まぁ、良いのかもしれない。
「急に話しかけてしまってすいません。私はこれで」
「いや、助かったよ。ありがとう」
礼を言うとハンネスは軽く頭を下げ去って行く。次に向かった先は別の住民。彼が声をかけると、不安を貼り付けた表情が解けていく。俺達だけではなく、一人一人説明して回っているらしい。丁寧で親切な男性だ。
「どうします? これから」
ネルに聞かれ腕を組む。確かにここでいつまでも立ったままという訳にはいかない。ニギギや魔具の件と、考えるべきことは山積みだ。ハンネスはこの町の状態は一時的なものと言っているが、俺が仕出かした以上経過は気になる。
思考を巡らすが、疲労とマナ中毒の頭痛も残り上手くまとまらない。悩んだ先、ため息が出る。
「とりあえず、座れるところに行こう」




