⑧
翌日、私は牢付きの馬車に乗せられてフォーマルハウト王国とサルバドール共和国の国境までやって来ていた。
両国のスパイの身柄交換会という珍妙なイベントのためである。
国境に集ったのは両国の諜報機関の人間と軍の幹部らしかった。
ちなみにフォーマルハウトからは代表としてジョシュアが立ち会っている。
「では、我が国のアリシア・ロンドと貴国のギギブ・タールの身柄を互いに引き渡すということで良いですな?」
「嗚呼、承知した」
諜報機関のお偉いさん達の間で承認の書類が交わされた。
「アリシア・ロンド、前へ出ろっ」
私は乱暴に牢から出され、手錠を解かれた。
国境に立ち、同じく捕らえられた同業者ギギブさんと対面する。
「同じタイミングで捕まって命拾いしたわね、私たち」
とギギブさんは自虐的に嗤った。
「確かにそれもそうね」
私も合わせるように笑った。
そして、囚われのスパイ2人が同時に国境を跨ぐ。
至って簡潔に両国の取引は完了した。
「よし、帰るぞ」
そう促された私は歩き出す。
後ろは振り返らない。
たとえジョシュアがいても振りはしない。
お別れするって決めたんだから。
「……っ」
と、私が泣くのを我慢したときだった。
「すみませーんっ!」
大声で誰かがこちらに叫んでいる。
いや、この声は。
この大好きな声はーー、
「サルバドールのみなさーん。もう少しお話しませんかあ!」
そうこちらに語りかけてくる声の主はジョシュアだ。
「僕らの国の対立を回避するために良い案があるんですっ!」
「何だ?」
サルバドールの諜報部員が怪訝な顔をする。
「聞いてなくても言いますよーっ!」
いくぞ、と腕を引かれ私は歩を進めるが、耳はジョシュアの言葉に集中していた。
「そのスパイさん、アリシア・ロンドさんと結婚させてくださいっ! 政略結婚で構いませんっ!」
「ーーっつ!」
彼の言葉に私は振り返ってしまった。
視線の先には自信満々な顔で叫ぶジョシュアがいる。
昨晩は別れようと決めたのに、まだ私のことを考えていてくれたんだ。
そう思うと込み上げてくるものがあった。
「フォーマルハウトとサルバドールで縁談を組みましょうっ! これで僕らは親戚ですっ! もう互いの軍事力に怯えなくて済みますっ!」
「言わせとけ」
と、サルバドール人たちは鼻で笑った。
しかし、一人だけジョシュアの言葉に興味を惹かれた人物がいた。
「なるほど、さすがは希代の参謀。面白いことを言う」
そう愉快そうに笑ったのは隊列の先頭の人物。
「止まれっ。彼の話を聞こうではないか」
「ユークリッド様っ!?」
ジョシュアの話に興味を持ったのはユークリッド・サルバドール。
サルバドール共和国の若きトップだ。
しかし、どうしてユークリッド様がこんなところに来ている?
「ジョシュア・フォーマルハウト君。君には一度会いたかったんだ。今日は無駄足にならないで良かった」
軽薄そうな笑みを浮かべてユークリッドは馬から降りた。
そして、私を見る。
「アリシア、君は任務中に本気で彼を好きになったのかい?」
「……」
何て答えるのが正解か全力で思考回路を回したが、答えは出なかった。
だから、正直に答えようと思った。
何よりもジョシュアに応えるためにも。
「はい。私はジョシュアを愛しています」
私はユークリッド様の瞳をじっと見て言った。
「貴様っ! 諜報の任務を何だとーー、」
「よせ、カール」
私に突っかかろうとした諜報部員をユークリッド様が片手で制す。
「確かに本来ならば潜入先の男に惚れるなどとは言語道断だ」
「……はい」
冷たく、圧倒的な威圧感。
それがユークリッド様独特のオーラ。
「だが、今回のばかりは怪我の功名だったな。それにしてもあの男、一晩で妙案を考え付いたものだ」
「ということは……?」
私の胸に期待が宿った。
私の感情を察したのか、ユークリッド様は一転してニコリと笑った。
「いっておいでアリシア。君が彼と幸せになることが我々の国の幸せにも繋がる」
「はいっ!」
心に喜びが溢れた私は元気良く返事をした。
「君の新しい任務だよ」
「ありがとうございますっ!」
ユークリッド様に一礼し私は走り出す。
もちろん、ジョシュアの元へ。
「カトリーヌっ!」
「ジョシュアっ」
そのまま私はジョシュアの胸に飛び込んだ。
ぎゅうっとお互いに力を込めて抱き合う。
「ありがとう、ジョシュア」
「僕の方こそ来てくれてありがとう。カトリーヌ。いや、アリシア」
「ふふ。カトリーヌでいいわよ」
「そうかい?」
だって、あなたが愛してくれた私はカトリーヌだったのだから。
「じゃあ、カトリーヌ。今日からまたよろしくね」
「ええ。よろしくお願いします。王子様」
こうして私のスパイ活動は幕を閉じた。
待っていたのはこの上ない幸福だった。
だから、私はこの幸福を大切にしていこうと思う。
恋しくて愛おしい、大好きな人と一緒に。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
スパイが敵国の王子に恋してしまうというシチュエーションから発想して書き出したのですが、どうしてもハッピーエンドにしたくなり最後は少し強引だったかもしれませんね……笑
もしよければ評価等していただけると嬉しいです。