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妻の正体は、魔王の分身でした。それでも俺は、二人で帰りたい。  作者: 黒咲かぐら


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第5話 生きるための仕事

 ミレナの証言を読む前に、俺はダニエルへ尋ねた。


「こいつは、どうなる」


 彼は、誰のことか聞き返さなかった。


「降った敵側の者として拘束している。密偵としての行為は、軍の指揮官だけでは裁けない。記録と本人の申述を、後方の審理担当へ送る」


「今すぐ、殺されるわけじゃないんだな」


「そういう命令は出していない。俺にも、お前にも、勝手に殺す権限はない」


 俺は息を吐いた。


 それを聞いた自分が安心したことを、隠せなかった。


 ダニエルは机の端へ、別の紙を置いた。


「治療と、夫婦としてどうするかと、行為の責任は分ける。お前が支えると言っても、俺は監視を外さない。お前が見放したからといって、治療をやめるつもりもない」


「分かった」


「トマスへは、記録担当から説明を送った。本人が話を聞くかどうかは、本人に決めてもらう」


 俺は頷いた。


 俺から先に、謝りに行ってはいけない気がした。


 妻の代わりに謝れば、俺が彼女の隣へ戻ったことになる。それでトマスの返事を待つのは、彼へ何かを背負わせることになる。


 まだ、どこへ立てばよいか分からなかった。


     *


 面会は、サビナの天幕で行った。


 左右に見張りが一人ずつ立っている。ミレナの手は縛られていなかったが、左手首の痕には、薄い灰色の布が巻かれていた。


 ルーカスが、伝令の声を鈍らせる術を織り込んだものだと説明した。


「これで魔王から切り離せるなら、話は早いんだが。声を遠ざけるだけで、命を保つ結びまでは切れない」


 俺は頷いた。


 ミレナは膝に両手を置いていた。


 指輪はなかった。


 俺はそれを見て、椅子へ座った。


「読んだ」


 彼女が顔を上げる。


「出会ってから四か月。出発日を伝えたのは三回、馬車の数も三回。経路は一回。これで全部か」


「私が実際に送ったものは、全部」


「推測したものは?」


「人数。あなたが宿で話していた相手から、数えた。正確でないから、幅をつけて送った」


 俺は手元の紙へ目を落とした。


 そのことも、書かれていた。


 訊けばどこかが違うかもしれないと、期待していたのかもしれない。


 彼女は否定しなかった。


「その後は、偽の報告をしたと」


「あなたと付き合うようになってから。初めは、日を一日ずらすだけだった。その後、通らない経路を送った」


「別の人が襲われたら?」


 ミレナの顔が強張った。


「人が通らないと確かめた道を選んだ。でも、私が見たあとで誰かが来るかまでは、分からなかった」


 俺は紙を握りかけ、机へ置いた。


 ルーカスがその部分へ印をつけた。別の襲撃との照合が必要になる。


「最後に送ったのは、八か月前。そこでやめた」


「うん」


「結婚するより前だな」


「そう」


 俺はミレナを見た。


「どうして、その時に言わなかった」


 彼女はしばらく、何も答えなかった。


 サビナが止めるかと思ったが、止めなかった。


「あなたが、いなくなると思った」


 ミレナが言った。


「襲撃を知らせたのが私だと話したら。一緒にはいられなくなると」


「俺には、選ばせなかったんだな」


「うん」


 俺は顔を伏せた。


 自分の足元に、泥がついていた。


 宿駅へ入る前に落としたつもりだったのに、靴底の端に残っている。


 俺はその泥を見たまま、次の話を聞いた。


     *


 彼女の身体には、胸の奥に小さな結び目があった。


 自分の命を、自分で保つためのものだという。


 ルーカスが俺へ見せた図には、その周りを覆うように、外からの太い結びが描かれていた。


「魔王から分けられた身体だが、肉も、血も、意識も、今は本人のものだ。幻を見せられているわけじゃない。ただ、働きの一部を外の力へ預けたまま、生きている」


「犬と同じか」


「違う所もある。あの犬は、元の働きを取り戻せばよかった。彼女の場合、育っていない働きを、これから育てなくてはならない」


 サビナが口を挟んだ。


「胃は食べ物を受けつけるし、血も流れる。眠って、傷を治そうともしている。だから見込みはある。でも、できるかどうかは、本人の体で確かめるしかない」


 俺は図を指した。


「外の分を、一度に切れば死ぬ」


「だから、先に弱めて、自分の分で保つ時間を延ばす。ただ、それだけでは終わらない」


 ルーカスは、二つの結びが重なった箇所を示した。


「今の検査では、外の力を弱めると、彼女自身の結びまで同じ方向へ引かれている。供給を減らしても、本体へ繋がる根そのものは残る。まだ、別々になっていないんだ」


「そのまま、魔王が死んだら?」


「根が崩れる時、育てたほうまで引き裂かれるおそれがある。息を助けることはできても、命を保つ結びそのものが壊れたら、今ある治療では戻せない」


 俺は図の上へ指を置いた。


「後ろで供給を止めておいて、討伐が済んでから補うんじゃ、駄目なのか」


「供給を一時的に止める練習では、根を壊していない。水を止めても、繋がった管がなくなるわけじゃないだろう。切り離す前に本体が死ねば、止めている間でも、その壊れ方に巻き込まれる」


 ルーカスは紙を俺へ寄せた。


「先に独りで保つ働きを育てる。そのうえで、本体が生きている間に、壊さず切り分ける。両方が必要だ」


「あと、どのくらいある」


 ダニエルが答えた。


「進撃は四週間後が目安だ。道を固め、部隊と糧食を揃える。それが早まることも、遅れることもある。彼女のために日を変えるとは約束できん」


 ミレナは黙って聞いていた。


 ルーカスが紙を裏返した。


「後方にも、別の切断術者を照会した。連絡の届く範囲では、この種類の結びの切り分けを任せられる者を、こちらへ寄越せないという返事だった」


 俺は頷いた。


「私一人のことに、そんなに」


 ミレナが言いかけ、サビナが目を上げた。


「どこまで治療できるか調べるのも、私たちの仕事よ。あなたが断るなら、その話を聞く。でも、他の人が忙しいはずだからと、こちらの判断まで引き取らないで」


 妻は口を閉じた。


 俺も、図から目を離した。


 助かりたいと言うこと自体を、彼女がためらっている。そのためらいまで、自分の痛みを確かめる道具にはしたくなかった。


「もう一つある。遠くで外側を切るだけなら、魔王の側に根が残る。あちらが生きている限り、彼女の身体へ結び直される。途中の練習には使えるが、最後には両側の根を見なくてはならない」


「本人の側で、根まで切れば」


 俺が尋ねると、ルーカスは図の重なりを示した。


「彼女の内側では、元からの結びと育った結びが、同じ層へ入り込んでいる。ここから根まで切り取ろうとすれば、残すべきほうを傷つける。だから、供給元で分かれる境を探す。遠くにある本体側の根は、ここからでは見えない」


「城まで、連れていくのか」


「その可能性がある。本人が自立する準備をできていて、こちらが本体を動けなくできた場合に限る」


 俺はミレナを見た。


 近くへ行けば、向こうから掴まれる。


 彼女自身が言ったことだった。


「そこまで、できると思うか」


 俺が聞くと、ルーカスは首を振った。


「今は、見込みを調べる段階だ。根の形も、力の強さも、できるだけ記録する。本体側でも境が見分けられなければ、その場で中止する。近づけば必ず助けられる、とは言えない」


 俺は頷いた。


 ミレナが死ぬ。


 その言葉を避けていないだけ、この説明を聞いていられた。


     *


 最初の確認は、その日の午後だった。


 その前に、俺はルーカスと二人で図を見直した。


「別の術者が、魔王の代わりに力を渡し続けることは、できないのか」


「同じ量を流せば済む結びじゃない。彼女は、魔王から分かれた力を自分の内側のように受けている。俺の力をそこへ入れても、同じ形にはならない」


「俺が最後に入れるのは?」


「彼女の自分の結びへ、短く補う。そちらなら、一時的に受けられる見込みがある。だからこそ、先に本人の分を育てる必要がある」


 俺は図を指で追った。


「俺の力へ、繋ぎ直して生かすんじゃないんだな」


「そうなれば、お前の状態次第で、また彼女が危なくなる。目指しているのは、それじゃない」


 俺は頷いた。


 妻が俺のいない所でも、眠り、起き、飯を食えるようにする。


 そのために、俺が今できることを引き受ける。


 夫婦として何を選ぶにせよ、その違いは覚えておきたかった。


 俺はミレナの胸へ直接触れず、少し離れた所から結びを見た。


 何度も同じ寝台で眠った人の中に、俺の知らないものがあった。


 見抜けたはずではなかったのかと、何度も考えた。


 だが、俺の力は、人を見ればその内側まで暴くものではない。何に繋がる術を調べるのか意識して、流れを探す必要がある。妻の手首の痕を、術として調べたことは一度もなかった。


 今は、医術師の確かめた場所を、本人の了承を得て見る。


 剣に触れてもらう前、俺はもう一度、これからすることを説明した。


 ミレナは最後まで聞き、見てほしいと答えた。ルーカスが外からの流れを弱め、サビナが息と脈を確かめる。


 魔王へ繋がる分が細くなると、胸の奥の小さな結びが現れた。


 確かに、あった。


 俺はそれを見て、初めて手が震えた。


 他人から借りた命だと聞いていた。


 しかし、そこには彼女自身の、生きようとするものがあった。


「二十」


 サビナが秒を数えた。


 ミレナは寝台の上で目を閉じていた。息は浅いが、止まっていない。


 外の分を減らす時、彼女は自分の息に合わせ、胸の奥を小さくまとめるようにしていた。生まれた時から、外の力へ預けていた働きを、自分で引き受ける練習なのだと聞いた。


 完全に育てば、意識していなくても、眠っていても保てる。だが、今はそこまで進んでいない。


 サビナは彼女の額へ触れ、息を急がせないように、短く声を掛けていた。


 半分ほど流れを弱めた状態で、三十秒。


 それからサビナが元へ戻すよう言った。


 ミレナは目を開け、顔を横へ向けた。吐き気がするのだという。


 俺は反射的に背中へ手を伸ばした。


 途中で止めた。


 サビナが布と桶を取った。


 俺は図を畳み、離れた椅子へ座った。


 治療に協力すると決めたことは、家へ戻ると決めたことではなかった。


 俺は自分へ、それを何度も言い聞かせた。


 それでも、彼女が水を飲めたと聞くまで、天幕を出なかった。

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