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妻の正体は、魔王の分身でした。それでも俺は、二人で帰りたい。  作者: 黒咲かぐら


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3/10

第3話 妻の知っていた道

 東へ出る予定の朝、後ろの宿駅が襲われた。


 修繕班がいた、小さな村だった。


 先頭の荷馬が銃声のように嘶き、俺たちは馬車を道の脇へ寄せた。伝令が息を切らして走ってくる。


 近くの林から魔物が入った。住民と後方の班は、村の集会所へ集められている。


 俺は伝令へ、妻のことを聞きかけた。


 喉の途中で止め、ダニエルを見た。


「後ろへ戻すのは二班。バルト、お前は行け。村の入口に、結びの術があるそうだ」


 俺は頷き、馬へ乗った。


 道には、荷車を引いて逃げる人がいた。軍から逃げる方向を聞いたのだろう。子供を抱えた男に、俺の向かう先を尋ねられた。


「村の中へ戻るのか」


「ああ。西の宿駅なら、もう受け入れを始めている。途中で止まらずに進んでくれ」


 人を避けながら馬を走らせた。


 村へ近づくと、木々の間に黒いものが見えた。人の背より高い魔物が、四つ脚で道を塞いでいる。口元から白い霧が漏れていた。


 俺は馬を降りた。


 近くへ寄る前に、二人が盾を持って前へ出る。


 霧が地面を這ったところへ、俺は剣を当てた。低く結ばれた術の輪が見えた。


「踏むな」


 後ろへ声を掛け、切った。


 霧が散った。


 俺は息を吐き、次の結びへ手を伸ばした。


 生き物そのものではなく、道に掛けられた足止めだった。先へ入る者を捕らえ、声を出せなくする術。これがあると、逃げる住民も止まってしまう。


 左の盾が魔物を押し、右から槍が入った。


 倒れたものの奥で、誰かが叫んだ。


「集会所じゃない。粉挽き小屋へ!」


 俺は、その声を知っていた。


 ミレナが村の広場に立っていた。


 修繕班の腕章をつけ、子供の肩を押している。集会所に人は残っていなかった。後ろの道へ、女たちが走っていく。


「ミレナ」


 俺が呼ぶと、彼女はこちらを見た。


 ほっとした顔を、しなかった。


「橋の下!」


 俺は剣を上げた。


 石橋の影から、もう一頭が跳んだ。見張りは川の上流を見ていた。下を通ってくるものを、捉えられていなかった。


 俺は剣の腹で受け、身体ごと横へ流した。


 獣の肩から、細いものが伸びる。


 骨ではなかった。硬く固めた魔力が、槍の穂のように出ていた。


 俺の剣は、身体の外へ離れていた。


 喉へ届くと思った。


 次の瞬間、ミレナの手が間へ入った。


 肩を押され、俺は横へ倒れた。彼女の左腕に、穂が刺さった。


 薄い血が飛んだ。


 槍を持った仲間が魔物の胴を貫き、俺は喉元の結びを切った。硬い穂が崩れ、妻の腕から抜け落ちた。


 ミレナが膝をつく。


 俺は、その身体を支えた。


「馬鹿、何で前に出た」


「橋の、下に」


「もういい。喋るな」


 傷を押さえた布が、すぐに濡れた。


 俺が手を伸ばすと、ミレナは一度だけ引いた。左の手首を、自分の身体へ隠そうとした。


「見せろ」


 言ってから、俺は布の下を見た。


 古い火傷だと聞いていた痕が、白く光っていた。


 倒れた魔物の肩にも、同じような光が残っていた。


     *


 村から退くまでに、四人が傷を負った。


 住民の一人は避難の途中で転び、もう一人は足止めの術に捕まっていた。二人とも、こちらの兵が運び出した。


 死者はいないと、戻ってきた班長から聞いた。


 俺はその報告を聞いてから、初めて座った。


 サビナの天幕の外だった。


 妻は中にいる。俺は手についた血を洗ったが、爪の端に残っていた。


 水で擦りながら、あの光を思い出した。


 同じ術を受けたのかもしれない。


 傷を負わせたものに、何かを植えつけられたのかもしれない。


 俺は幾つも理由を考えた。


 どれも、眠れない夜に手首を握っていた姿を、説明してくれなかった。


 サビナが出てきた。


「命には、今のところ問題ない。傷を閉じたら、出血は止まった」


「腕は」


「指は動いている。深い傷だから、しばらく使わせない」


 俺は立ち上がった。


「会ってもいいか」


 サビナは少し黙った。


「あなたに話す前に、本人へ確かめたいことがあるの。外で待っていて」


「何を」


「傷とは別に、魔力の流れが普通と違う。ルーカスにも来てもらう」


 俺は天幕の入口を見た。


 布の向こうから、妻の声は聞こえなかった。


 そこへダニエルが来た。


 村の防衛について、聞き取りをするという。俺は椅子へ座り直した。


「集会所から、人を動かしたのは奥さんか」


「ああ。俺が戻った時には、もう動いていた」


「橋の下から来ると、言った?」


 俺は頷いた。


「ミレナは、何て」


「まだ、聞いていない。他の班の者から確認している」


 俺は手を拭いた布を握り込んだ。


 ダニエルは目を逸らさなかった。


「奥さんの話も、本人から聞く。お前にも、それは分かっていてほしい」


「ああ」


 返事をしたら、少し声が掠れた。


 妻が俺を守ってくれた。


 その事実は、動かない。


 だが、どうして妻だけが分かったのか。


 その問いを、俺も天幕の外へ追い出せなかった。


     *


 聞き取りが終わり、俺は集会所の裏へ回った。


 修繕班の女が二人、使えなくなった布を分けていた。その一人に呼ばれ、裂けた軍服を持たされた。


「腕が動くなら、これ、あちらへ」


 俺は指された場所へ運んだ。


 妻がいた場所へ、立っていた。


「ミレナは、どうして人を動かしたんだ」


 思わず聞くと、女は顔を上げた。


「危ないから、裏へ出てって。初めは誰も動かなかったわ。ここなら石の壁があるって、村の人は言っていたもの」


「それで?」


「水車小屋の横へ出れば、軍の馬車が見えるって説明してた。子供を先に連れていくから、大人はあとから来てって」


 女は布を広げ、裂け目を見た。


「自分だけ走ったら、私たちもついて行かなかったかもしれない。残ってた荷物を、先に出してくれたのよ。あの子は」


 俺は軍服を積み直した。


 妻が俺を見つける前に、そこで仕事をしていた。


 そのことに、ほっとした。


 ただ、ほっとしたことと、説明のつかない知識があることは、同じ場所へは置けなかった。


「腕を怪我したって、聞いたわ。落ち着いたら、私たちも行っていいか訊いておいて」


 俺は頷いた。


 その言葉をサビナへ伝えたが、妻には会えなかった。


 村の入口へ戻ると、荷車が一台、まだ道を塞いでいた。


 石に車輪を取られていた。御者と兵が押し、別の兵が荷を下ろしている。


 俺は後ろへ回り、肩を入れた。


 一度では動かなかった。


 息を合わせ、もう一度押した。車輪が石を越え、荷車が少し前へ出る。


 俺は手を離し、膝へ両手をついた。


 御者が礼を言った。俺は頷き、荷の一つを元へ戻した。


 妻が傷ついた。


 それだけを考え続けていたかった。あの光も、橋の下を知っていた理由も、今は置いておきたかった。


 だが、車輪が動かなければ、後ろの荷も通れない。


 目の前の重い箱を運んでいる間だけは、考えることが一つになった。


 終わって手を洗うと、指の付け根に小さな擦り傷があった。


 昨日、妻に抜いてもらった棘の隣だった。


 俺は水を止め、布で押さえた。


 夕方、ミレナから伝言があった。


 サビナとルーカス、それから指揮官の前で、自分から話す。俺にも同席してほしいという。


 俺は頷いた。


 天幕へ入ると、彼女は寝台の上で背を起こしていた。


 腕には厚い包帯が巻かれ、左手につけていた指輪は、右手へ移されていた。


 左手が腫れるから外したのだろう。


 彼女の前へ椅子を置かれたが、俺は座るまでに少し時間がかかった。


「バルト」


 妻が呼んだ。


 俺は顔を上げた。


「集会所を、川側から囲めって、声が聞こえたの」


「誰の声だ」


「魔物の伝令。倒れたあの獣が、運んできた命令」


 ルーカスが、横で黙って記録を取っていた。


 妻は俺を見ていた。


「私には、聞こえる」


 俺は膝の上の手を開いた。


 握っていた布が落ちた。


「どうして」


 ミレナの唇が動いた。


 一度、音にならずに閉じた。


 もう一度、開いた。


「同じ所で、作られたから」

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