第2話 乳白色
ヒストの元に、依頼が舞い込む。依頼人の自宅の地下から、白骨死体が発見されたらしかった。
王都14区の路地、とある昼間。
隣の酒場は相変わらず喧騒が響いていたが、事務所はヒストが紙にペンを走らせる音のみが響いていて、応接用のソファの端で本を読んでいたノベルは何とも言い難い不安を抱き、ヒストを覗き見た。何度目かわからないこの行為に、はじめのうちはヒストも反応していたが、もうノベルのほうを見返すことすらせず、やはり黒い手袋に包まれた手元を動かし続ける。
本が読めない、わけではなかった。ノベルが奴隷であるとて…いっそ奴隷であるからこそ、最低限の教育は受けている。公用語といくつかの民族言語は、書くことはできないが、会話と読みであれば問題ない。
では何故読み進めないかというと、それは、その内容が理由であった。ヒストから手渡されたその本は、この王国の古い歴史について、判明している範囲で大まかにまとめられていた。戦争や革命、事件…。それらは国家に関わるものも多く、ひとつ知るだけでも、極刑に処されそうな代物であった。
首に手を当てて、ヒストに気づかれないよう小さくため息をついた。手に触れるのは、ヒストが揃えたフォーマルな服の一式だ。ヒストが揃えたとはいっても、ヒストは呉服屋の老主人クロスに頼んだだけであって、そのベージュを選んだのはクロスなのだろうが。
ノベルがヒストに買われてから、数日が経過した。ヒストの元にはあれから3件ほど依頼が舞い込んだ。
ヒストは表向き、史学者ではなく情報屋として活動している。3件の依頼はすべて表…とはいってもヒストが史学者だと知っている彼の知人ではあったが、しかしそれ以上は関わるつもりのない人間からのもので、いずれにせよヒストはそれらの情報をすでに持っていたので、すぐに終わったが。
できることなら、今すぐにでも逃げ出したい。
そう思う反面、この数日で、ヒストとの生活に馴染みかけているのも事実であった。その事実にぞっとする。
ソファに手を下ろして…このソファに座る感覚には、まだ慣れてはいなかったが、少しだけ身体を持ち上げて座りなおす。
もう一度、ヒストを覗き見た。ノベルからは見えないその手元で、しかし書き込んでいるそれは、知られれば極刑は免れないのだろうと予想して…
そして突然、事務所内に金属のぶつかる明るい音が鳴り響いた。
それは、来客を告げるベルだ。
「ノベル」
顔を上げないまま、ヒストがノベルに声を掛ける。この2週間でその意味を理解したノベルは、「はい」とだけ返して先程まで読んでいた本をヒストに手渡し、自身は扉へ向かう。一度ノベルが振り返ると、ヒストは本と、先程書き込んでいたはずの紙を机の中へと仕舞っていた。
扉を開けると、そこにいたのは、一見普通の平民のような男だった。
「あの、何かご用でしょうか?」
ノベルが声を掛けると、男はどこか苛立ったような様子で、「お前がヒストか」と問うた。
「いえ、あの…」
ノベルが口ごもる。この男は両手で鞄を持っている。ポケットに手を入れるなどしておらず、鞄もすぐに手を入れてものを取り出せるような構造にはなっていないので、ヒストに危害を加える可能性は低い。
このまま中に入れてもいいのか?教会の人間である可能性は?
そのノベルの葛藤は、背後からのゆっくりとした足音で、晴れることになる。
「なあお兄さん、俺に何か用?」
そう首を傾げたヒストに、やはり一番恐ろしいのはこの人であると、ノベルは内心で思い返した。
そんなノベルの様子はいざ知らず、ヒストは男をソファに案内し、自身はその対面…先程までノベルが本を読んでいたそこに座った。ノベルはその後を追い、斜め後ろに立つ。
決してヒストとノベルが並んで座っても手狭になるようなソファではなかったが、ヒストの隣に座る勇気はノベルにはまだなかった。
「まず初めに、」
そうヒストは話し始める。
「守秘義務は守る。あんたの態度によるけどな」
「『あんた』じゃない、ジャックだ」
そう返した男…ジャックに、ヒストは少し目を細め、「じゃあ、ジャックさん」と続ける。
「あんたの依頼内容を教えろ」
そう、恐らく意図して、ヒストは告げた。依頼人に対する敬意も何も感じられないそのヒストの様子に、ジャックが眉を顰める。しかし、それ以上言うのは諦めたのか、舌打ちだけに留めた。
「…元々、6区のウィルに依頼してたんだが…」
「ああ、教会に捕まったらしいな」
そう、なんてことないことかのように、ヒストは返した。瞠目するジャックに、「それで?」とヒストは問いかける。
「ウィルさんは、史学者だったかもしれないが、情報屋でもあるだろう。ジャックさんは、あんたは、どっちだ?」
黙るジャックに、ヒストは、「ああ」と首を傾げる。
「初めにも言ったが。守秘義務は守る。あんたの依頼内容がどっちだろうと構わない」
それは、依頼内容が何であろうと黙っている、とも受け取られるし、歴史関係の依頼でも受ける、という意味にも聞こえる言い回しだった。
数秒の沈黙。苦虫を噛み潰したように、ジャックが口を開く。
「…最近買った家の地下から、骨が出てきた、大量にな」
「骨?」
「ああ、人骨だ」
それにヒストは、聞いているのかいないのか、両手の指を突き合わせた。手袋に阻まれてはいるがその指は、しかし手袋越しでもわかる程度に、市井の人間にしては細い。そこはさすが、学者というべきか。
「…なあジャックさん、あんたの自宅は6区か?」
「いや、10区だ」
「…遠いな」
そうヒストが返す。ノベルは、ヒストに覚えるよう言われた王都の区分を思い出した。王城のある、城壁と森で囲われた1区を中央に、円を描くような形で北西から右回りに2区から7区、その外周に、同様に8区から19区、そこから再び城壁を挟んで、王都外、各貴族の領地。つまり6区と10区は、1区を挟んで殆ど対極に位置している。どちらかと言えば、6区とこの14区のほうが近いだろう。
そこをヒストやノベルが訝しんでいるのを察したのか、ジャックは口を開いた。
「元々は表の方に依頼したんだ。そしたら歴史絡みだって言って…」
歴史絡み、という言葉に、ジャックの表情の理由が察せられた。
「…確かに、平和ボケした10区の連中よりかは、ウィルさんの方が情報屋としてはまともだな」
そうヒストは呟き、「それで?」と、どこか投げやりにも感じられる様子で問うた。
「いくら出せるんだ?」
そう問うてから、ヒストはジャックがそれを持っていないことを察したのか、ノベルに小切手を渡すよう指示をした。ヒストの机に置かれたそれを差し出すと、ジャックがいくつかを書き込んで「前金だ」と言いながらヒストへと渡す。
ヒストは、それを見て一瞬、目を細めた。そのわずかな時間で何を考えたのかはノベルにはわからなかったし、恐らく、ジャックはそれにすら気づいてもいないが。
それから、どこかわざとらしく、「なあ、ジャックさん」とジャックに笑いかけた。
「あんたの家を見せてくれよ」
そう告げたヒストに、ジャックは予測していたのか、それともウィルにも同じことを言われたのか、驚くようなことはせず「ああ」と返す。
しかしノベルは、ぞっとした。それは、具体的に何とは言えないが、ヒストの話し方や少し大げさなまでの身振り、表情の使い方、その他全てに対してであった。
「決まりだな」
ノベルの動揺など気にすらかけず、もしくは気づいてすらいないのか、ヒストは立ち上がった。
そのまま事務所の端、扉の横にあるポールハンガーに掛かった上着と帽子、鞄を手に取った。そして、「…ああ、」と呟く。
「ものをとってくる。ノベル、お前はジャックさんといろ」
「はい」
立ち去るヒストを見送って、それからノベルは、ジャックの視線が自分に向いていることに気がついた。
「…あの、僕に何かご用でしょうか?」
「……あの男は、信用できるのか」
ジャックに問われ、ノベルはすぐには、返答する事ができなかった。
「……正直、僕にはわかりません。まだ、あの人と関わって日が浅いので…」
それに無言を返したジャックに、でも、とノベルは続けた。
「取り敢えず僕は、あの人のことを信用できたらいいなとは思っています」
ノベルの言葉に、「そうかよ」と、ジャックは興味なさげに目を逸らした。
しばらく無言が続いたのち、書架の隣の扉が開く。そこから現れたヒストは、ノベルを確認すると、鞄をノベルに押し付けた。
「待たせたな、ジャックさん。行こうぜ」
「…ああ」
ジャックは一度ちらりとノベルを見たが、すぐにまた目を逸らした。
ジャックは乗合馬車で14区まで来たようだが、ヒストがそれを渋り、結局はヒストの自腹で、3人は、ノベルが買われた初日に乗ったよりは手狭な、しかししっかりとした作りのそれに乗り込んだ。
やたら慣れた様子で、それも平民にしては…そもそも史学者を平民としていいのかは微妙であるが、少なくとも平民から見れば高額な馬車を利用するヒストに若干引いた眼をしたジャックが、「儲かるんだな」と呟くと、ヒストは当然といった様子で口角を上げた。
「こちとら命がけなんでな」
驚いた様子のジャックを見て、更に自分の隣で「こっちのほうが仕事の話ができるだろ」と続けるヒストを確認し、ノベルは、ヒストに気づかれないよう小さくため息をついた。
命がけ、というのは、正しいだろう。もし依頼人に裏切られたりすれば、ヒストは教会に捕まる。そこで待っているのは浄化であり、生きたまま燃やされる。
先程ジャックにはああ言ったが、それは現状ノベルがヒストの所有物であるからであり、ヒストの性格や立場は、あまり信用すべき類のものではないだろう。
もっとも、もしそのせいでジャックに何かがあったところでノベルにはそれをフォローするすべも意思もなく、その点を考えると、ノベル自身ある意味ヒストと同類ではあるのだろうが。
数時間が経過し、馬車は停止した。ヒストが代金とチップを支払って降りたので、ノベルとジャックはその後を追った。
ノベルの視界に映ったのは、古くしっかりとしたつくりの一軒家だった。
「これか?」
そう、ヒストはジャックに問う。ああ、とジャックが返し、ヒストを案内するために歩き始めた。その後を、ヒストはどこかゆったりとした動作でついていく。
建物に入り、右手に曲がる。暖炉の前を通り過ぎた先、ジャックが床板を外すと、そこから、石でできた階段が伸びていた。
興味深そうに、ヒストが、小さく、笑い声にも似た息を漏らした。ジャックがランプを持って先導する。階段を降りると、地下の空気が淀んでいたためか、ヒストが少し咽た。
ヒストの咳が収まったのを確認し、ノベルは、その壁に視線を移した。丁度農場の真下に当たる部分に、レンガ造りの壁と棚、そこに並ぶ、大量の乳白色の丸いものがあった。つまり、人間の頭蓋骨だ。
ノベルが息を呑むと、ヒストが漸くノベルを振り返り、「苦手か?」と問いかける。
「…いいえ、すみません」
苦手なわけではない。ただ、量に驚いただけだ。
ノベルの返事を聞くや否や、ヒストはノベルから目を逸らし、右手側の棚に並ぶ頭蓋骨をひとつ、手袋のまま持ち上げる。ジャックに声を掛けて、反対の手でランプを受け取って、その頭蓋骨と、それから棚へと近づけた。
頭蓋骨の下や奥から出てきた細かい骨は、恐らく、その頭蓋骨の持ち主の身体の骨だろう。
「…確かに、骨自体は古いな」
保存状態が良いから風化はしていないが、と、ヒストは呟いた。「だが、」と、ヒストはジャックを振り返る。
「その階段は新しかった。現在の暦…俺たちは便宜上『新暦』と呼んでいるが、古くても新暦に入ってからのものだろう。それに比べてその骨は、旧暦…つまりは、教会の連中が嫌う時代の遺物だ」
ヒストは、以前も、「旧暦」という単語を用いた。歴史を知ってはいけない、と一概に言うが、教会の指す歴史と言うのは数百年以上前、新暦が始まるよりも以前の話である。それを、ヒスト達歴史に触れている人間は、「旧暦」と言い表しているらしかった。
ノベルは、階段に視線を向けた。しかしやはりそれは薄汚れていて、ノベルの目では、その時間経過を認識することはできなかった。
「この棚も同じだ。しかも、修繕された跡がある…これは真新しいな」
そう、ヒストは棚に視線を這わせた。
「なあ、ジャックさん」
そう、ヒストは、事務所にいた時より幾段か低い声でジャックに話しかけた。
「あんた、ここを『最近買った』って言ったよな?以前の持ち主は?」
「死んだらしい。娘から買った」
「…その娘さんは?」
「この街の教会のシスターだ」
その言葉に、ノベルは目を見開いたが、当の本人であるヒストは、少し目を細めるだけで、大した反応も示さなかった。
「…まあ、取り敢えず話を聞くしかないな」
そう、ヒストは頭蓋骨を棚へと戻し、ランプをジャックへと押し付けて、出口に向かって足を向けた。
「教会か役人の情報は確認しておけ、俺が捕まっているかもしれないからな」
そう、ヒストは冗談めいた様子で、ジャックに声を掛けた。
ノベルは一度ジャックに頭を下げてから、ヒストの後を追う。しかし、ヒストは一度、「ああ、そうだ」と呟き、立ち止まって振り返った。
「娘さんの名前を聞いても?」
「リリーだ」
そのジャックの言葉に、ヒストは、鼻で笑った。
「それと同じ色だな」
成瀬です。
彼らの普段の仕事の様子です。




