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婚約破棄ですね。では議事録を取ります 〜元ベテランPMの悪役令嬢は、破滅フラグをリスク登録簿で管理する〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ


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第9話 清書議事録と宰相府の判断

「受領いたします。期限は本日正午。ただいま、正午前でございます」


宰相府書記官の声が、静かな小会議室に落ちた。


四日前の夜、断罪の場で取り始めた議事録が、いま王宮の机の上で正式な提出物になった。


王宮の宰相府。


磨かれた長机の向こうには、グレアム・フォン・アイゼンベルク宰相が座っている。あの夜会で即時の婚約破棄を止め、正式調査を宰相府預かりにした人だ。


その宰相府へ、私は約束の紙を届けに来た。


断罪会議議事録の清書。


被害者要求整理メモ。


証言利用リスクメモ。


利害整理メモ。


どれも、この四日間で書いた紙だ。


断罪の場の発言を分けた議事録に、リリア様の感情と要求を分けたメモ。証言が誰に整えられ、誰に使われうるかのメモ。そして、関係者の善意と利益を分けたメモには、昨日届いた確認結果も反映してある。


公爵家を出る前に、私は紙束を三つに分けてきた。提出する束。求められた時に示す束。手元に残す控えの束。


「お嬢様。馬車の中で三度も数え直していらっしゃいました」


ここへ入る前、マルタは少し呆れたように言った。


「三度目は数えていません。並び順の確認です」


「それを数えると言うのです」


言い返せなかったので、記録しないことにした。


提出は、原本を全部抱えて行けば済むものではない。何を渡し、何を見せ、何を残すか。そこまで決めて、ようやく提出になる。


提出束の一番上には、一覧を載せてある。


書記官がその一枚を取り、読み上げた。


◆ 提出資料一覧

項目  :提出 SB-009-001

提出先 :宰相府

提出者 :エレオノーラ・フォン・リューデンベルク

資料一 :断罪会議議事録(清書)

資料二 :被害者要求整理メモ

資料三 :証言利用リスクメモ

資料四 :利害整理メモ(証言整理の助言者の確認結果を反映)

期限  :本日正午(変更後)

状態  :受領確認待ち


「受領確認待ち、とございますが」


「はい。いま、確認していただいています」


書記官は私と一覧を見比べ、それから黙って各資料の表紙を照合し始めた。


隣に控えるマルタが、ほんの少しだけ姿勢を正す。


「正午前だな」


グレアム宰相が最初に確認したのは、内容ではなく時間だった。


「はい。変更後の期限内です」


「期限内、か」


宰相の口元が、わずかに動いた。笑ったのか、呆れたのかは分からない。


「君は、断罪調査中の身でありながら、提出物の状態管理までしているのだな」


「提出物は、出しただけでは完了しません。受領され、確認観点が共有されて、ようやく調査の入口に立てます」


言ってから、少しだけ黙った。


ここは王宮で、相手は宰相だ。提出物の完了条件について語るには、相手が大きすぎる。


だが、グレアム宰相は怒らなかった。書記官へ短く頷いただけだった。


書記官が新しい紙に受領の記録を書き、読み上げる。


◆ 受領記録

項目  :受領 RC-009-001

受領物 :断罪会議議事録(清書)および添付確認資料三点

提出者 :エレオノーラ・フォン・リューデンベルク

受領者 :宰相府書記官

受領時刻:本日正午前

判定  :期限内提出

扱い  :正式調査の調査資料


「受領いたしました。本日より、正式調査の調査資料として扱います」


マルタが、かすかに肩の力を抜いた気配がした。


私もそうしたかった。


四日前の夜会から、この正午のためだけに積んできた紙ではない。それでも、この受領が一つの区切りであることは確かだった。


グレアム宰相は、清書議事録の表紙に視線を落とした。


「発言、決定事項、未決事項、確認事項を分けた。添付資料は断定ではなく、確認事項に限定した」


「はい」


「自分に不利な事実も残している」


「はい」


「侍女への叱責。リリア・ベルナール嬢への家格による圧力。嫌がらせの手紙と階段の件は、未確認のまま」


宰相は罪状の行を、淡々と読み上げていく。


私がやったこと。やっていないこと。まだ確認できていないこと。


行になっても、私の負債は軽くならない。むしろ行になった分だけ、逃げ場がない。


謝罪は始まったばかりで、完了条件には遠い。被害を受けた方の恐怖も、消えてはいない。紙はそのことを、私の代わりに覚え続ける。


「確認事項にしたものは、確認されます。私に不利なものも含めて」


「そこまで分かっていて出したのか」


「はい」


本当は、怖い。


清書議事録は、私を助けるための紙ではない。私を裁く材料にもなる。


それでも、混ぜるよりはいい。事実と推測と未確認を混ぜれば、被害者の声も、私の罪も、誰かの保身に使われる。


「よろしい」


グレアム宰相は議事録を横へ置いた。


そして、置いた手を止めないまま言った。


「ここに、揃っていないものが一つある」


「不足でしょうか」


「君の提出物ではない」


宰相は、机の何もない場所を指で示した。


「第二王子殿下側からの、提出物だ」


部屋の空気が、一段静かになった。


「宰相府は正式調査の開始にあたり、殿下側へも書面での説明を求めていた。婚約破棄を急がれた理由。破棄を決めうる権限。リリア・ベルナール嬢の証言を、どの範囲で用いたか」


それは、私が利害整理メモの説明責任の欄に書いた三つと、ほとんど同じだった。


驚きはしない。あの夜、即時の破棄を保留にした時点で、宰相府は殿下にも説明を求める側に立っている。公的な婚約破棄は王家の案件であり、調査は王家の名の下に進む。


ならば、調査される者と同じように、宣言した者にも期日があるはずだ。


「期日は」


「君と同じだ。本日正午」


私は思わず、窓の外を見た。


その時、遠くで鐘が鳴った。


正午の鐘だった。


誰も声を上げなかった。


「届いているものを確認しろ」


宰相に促され、書記官が綴りを繰った。


「殿下付き侍従の名義による、手続きを急がれたい旨の催促が一通。殿下の御名で公爵家へ送られた書状の写しが一通。以上でございます」


「ご本人のお言葉による説明は」


「ございません」


鐘の音は、もう止んでいた。


書記官が静かにペンを取り、確認の記録を書く。


◆ 確認記録

項目  :確認 KC-009-001

確認事項:第二王子殿下ご本人による説明(婚約破棄を急がれた理由、決裁権限、証言利用範囲)

期日  :本日正午

提出状況:期日までに本人説明の提出なし

記録者 :宰相府書記官

状態  :説明不足のまま記録確定


「殿下ご本人からの説明は、期日までに届いていない。宰相府は、その事実を記録する」


グレアム宰相の声に、怒りはなかった。責める色もなかった。


ただ、事実だけが机の上に置かれた。


御名の書状はある。保護の言葉も、名誉の言葉も、丁寧に書かれている。


けれど、誰が決め、誰が責任を負うのか。それだけが、期日を過ぎても紙の上のどこにもない。


殿下の御名の書状に、殿下がいない。


私が昨日の紙の上で見つけた空白は、今日、宰相府の記録になった。


声を荒らげる者はいない。剣も毒も陰謀もない。あるのは、正午の鐘と一枚の確認記録だけだ。


それでもこの一枚は、あの夜会のどの怒声よりも長く残る。


「君はこれを、どう見る」


試すような問いだった。


ここで一歩踏み込めば、私は断罪する側に回れる。四日前の夜に私を切り捨てようとした人を、今度は記録で切り返せる。


私は息を整えた。


「それは、殿下ご本人に確認すべきことです」


「君が問われた側でもか」


「問われた側だからです。私が殿下の沈黙に理由をつければ、それは事実ではなく、私に都合のよい推測になります」


「では、この空白は何だ」


「空白のまま、残ります」


私は、受領されたばかりの自分の束を見た。


「記録は、人を罰しません。ただ、説明できないことを説明できないまま残します」


グレアム宰相は、しばらく黙っていた。


「便利な言い方だ」


「便利ではありますが、逃げ道ではありません。私の未確認も、同じ形で残っています」


嫌がらせの手紙の原本。階段の件の一次証言者。私自身の罪状の確認も、まだ空白のまま並んでいる。


殿下の空白を喜べば、いずれ私の空白も誰かの娯楽になる。


それは、被害を受けた方の声を雑に使う者たちと、同じ場所に立つことだ。


宰相は答えなかった。


代わりに、書記官へ視線を送った。


書記官が脇の棚から、別の束を運んでくる。


見覚えがあった。


正確には、その全部に見覚えがあった。


リリア様との面会記録の写し。証言整理の助言者についての確認依頼。マルタへの謝罪と再発防止の対応報告。


この三日のあいだ、私が公爵家から宰相府へ送り続けた経緯書類の束だった。


「君は、求められる前から経過を寄こした」


「対応状況は、宰相府へ定期共有すると決めていました」


「なぜ」


「記録は、手元に抱え込むだけでは弱いからです。私に不利な形で切り取られた時、原本と経過がどこへ届いているかが防壁になります」


「期限の変更を自分から申請する者は珍しい。そう伝えさせた意味が、分かったか」


私は、束を見たまま考えた。


理由を示して期日を引き直す者の記録には、申請の理由ごと経過が残る。黙ったまま期日を過ぎる者は、空白だけが残る。


同じ正午が、紙の上ではまったく別の形になる。


「……宰相府は、最初から並べてご覧になっていたのですね」


「並べてなどいない。届いたものを、届いた順に読んだだけだ」


そして、届かなかったものは、届かなかったという形で読まれた。


それだけのことだった。


それだけのことが、四日目の正午に、これほどの差になっている。


私は、誰にも聞こえないように短く息を吐いた。


胸にあるのは勝利の味ではない。紙の冷たさに近い何かだ。


記録は私を守る。同じ力で、いつか私を問う。その両方を忘れた瞬間に、この道具は誰かを殴る棒に変わる。


「本日の確認は以上だ」


グレアム宰相が言い、書記官が私の提出束を綴り直し始めた。


私は一礼して、席を立ちかけた。


その時、書記官がもう一つの束を、机の端へ置いた。


私の提出物ではない。宰相府側の書類だ。覚書らしき紙が重なり、一番上の一枚に、いくつもの部署の名が見えた。


見てはいけない。


あれは私の案件ではない。


私は視線を外した。外したはずだった。


だが、外す途中で見えてしまった。


一番上の紙の、決裁者の欄が薄い。


責任者の欄は、空白だった。


視線が、勝手に戻る。


関わる部署の名は多いのに、決める人の名前がない。あの形の紙を、私は前世で何度も見た。


だいたい、燃える。


「お嬢様」


マルタが小さく言った。


「また、何かを見つけていらっしゃいます」


「見つけていません」


「お顔が、帳簿室の時のお顔です」


「これは……」


言いかけて、私は口を閉じた。


グレアム宰相は、何も言わない。


ただ、その束を片づけようとは、しなかった。


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