表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄ですね。では議事録を取ります 〜元ベテランPMの悪役令嬢は、破滅フラグをリスク登録簿で管理する〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/24

第8話 担当者不在の仕事は終わりません

仕事は、誰かのものになった瞬間に動き出す。


逆に言えば、誰のものでもない仕事は、机の上で静かに腐る。


正午の提出を控えた朝に、腐らせてよい紙は一枚もなかった。


公爵家案件一覧を抱えて帳簿室へ戻ると、マルタと書記係の青年がついてきた。


年配の侍女と若い従僕も、少し迷ってから入ってくる。


机に広げた一覧の停滞理由の欄には、同じ言葉が並んでいる。


担当者不在。


承認者不明。


「次は、役割分担表を作ります」


「先ほどの一覧とは、違うのでございますか」


マルタが聞いた。


「違います。案件一覧は、何が止まっているかを見る表です。役割分担表は、誰が動き、誰に聞くかを見る表です」


「誰が、誰に」


「はい。先ほども申しました。担当者不在の仕事は、終わりません。誰も悪くなくても、終わりません」


だから先に、誰のものかを決める。


全部ではなくていい。


まず、一件からだ。


私は新しい紙に、四つの列を作った。


作業役。手を動かす人。


裁可役。最後に責を負い、決める人。


相談役。判断の前に相談すべき人。


報告先。結果を知らせる人。


「RACIで言えば」


言いかけたところで、四人の目が同時に曇った。


やめておこう。


「……こちらで通じる言葉で進めます」


マルタが紙を覗き込んだ。


「裁可役とは、一覧の承認者とは違うのでございますか」


「同じ人になることが多いです。ただ、印を押す人ではなく、最後に責を負う人だと分かる名にしました」


若い従僕が、おずおずと聞いた。


「手を動かす人と、最後に責を負う人は、分けるものなのでございますか」


「分けます。手を動かす人と、最後に責を負う人を混ぜると、現場は黙ります。しくじった時に、全部自分の責めにされると思うからです」


帳簿室が静かになった。


理屈ではなく、体で知っている沈黙だった。


年配の侍女が、低く尋ねた。


「名が書かれた者は、しくじった時に叱られるのでございますか」


来た。


名前を書く表は、たいてい処罰者リストに見える。


「責めるための表ではありません。困った時に、誰へ聞けばよいかを示す表です。責める前に、その役割へ権限と情報と期限を渡していたかを確認します」


侍女は黙った。


拒絶ではなく、考える沈黙だった。


「もし、作業役に名があっても、裁可役が未定のままでしたら」


「作業役だけを叱ってはいけません」


「相談役が未定でしたら」


「相談できなかったことを、その人の怠りにはしません」


侍女は、ゆっくり頷いた。


「それならば、紙に名を書く意味はございます」


「では、私は作業役で、裁可役ではない……ということでしょうか」


マルタが恐る恐る言う。


「案件によります。たとえば、これです」


私は一覧の一番上を指した。


P-001。西門水路補修用金具。


雨季前という期限があり、職人組合への返答が止まり、外部の信用に関わる。


「職人組合への文面を起こせるのは、誰ですか」


「書状でしたら、私が」


書記係が手を挙げた。


「では作業役は、マルタと書記係。マルタには、この書状がどこで止まっていたかの確認をお願いします」


「承知いたしました。……裁可は、どなたが」


「水路の修繕費を最後に決めるのは、どなたですか」


マルタと侍女が顔を見合わせた。


「家令様か、旦那様か。修繕の書状が侍女頭様へ回ることもございますが、水路となると」


「分からないなら、未定と書きます」


私は裁可役の欄に、未定と書いた。


若い従僕が、不安そうに言う。


「未定のままで、職人組合へ返せるのでしょうか」


「正式な返答はできません。ですが、仮回答は作れます」


返答が遅れていることを詫びる。


内容を確認中だと伝える。


次にいつ返事をするかを示す。


決める権限がないことを理由に、黙り続ける必要はない。


「相談役は職人組合の窓口。必要な金具や期限は、相手に聞かないと分かりません。報告先は私です。裁可役ではなく、報告先です」


「お嬢様が、裁可なさらないのでございますか」


「公爵令嬢であることと、水路補修費を裁可できることは別です。権限のない決裁は、後で必ず揉めます」


それに、と私は内心で付け足す。


全部を自分で抱えれば、責任を取った気にはなれる。


前世の炎上現場でも、仕事を仕切る人ほど自分の手で火を消したがった。


その人が倒れた瞬間、何も残らないのに。


責任を明確にすることと、責任を一人で抱えることは違う。


今の私に必要なのは、抱える腕の数ではなく、責任の置き場所だ。


書き終えた紙を、私は皆へ向けた。


◆ 役割分担表案

項目     :案件 P-001

案件名    :西門水路補修用金具

作業役    :マルタ / 書記係

裁可役    :未定

相談役    :職人組合窓口

報告先    :エレオノーラ

次アクション :返答案を作成し、裁可役候補を確認する

状態     :返答案作成中


「未定が、残っております」


「残します。未定は恥ではありません。確認事項です」


書記係の下書きは、すぐに上がってきた。


文面は丁寧で、公爵家らしい飾りもある。


ただ、何が確認中で、次にいつ返事が来るのかが読めなかった。


美しい文章は、時々仕事を隠す。


「確認したいことを三つに絞ります。依頼の内容、必要な資材、雨季前に間に合わせるための最低期限。冒頭に遅れへの詫び、末尾に次の返答日を入れます」


「次の返答日は、こちらだけで決められますか」


マルタが聞いた。


「確定の日付は無理です。ですから、裁可役の確認が済み次第、遅くとも二日のうちに正式回答と書きます」


裁可役候補への確認は、仮回答の許容範囲に絞った。


家令は今朝も不在。


それでも、外部への遅延連絡を出すことについては、書記室を通して差し戻しがないと確認できた。


正式回答は未定。


仮回答の送付は可能。


返答案は、使いが職人組合の窓口へ届けることになった。


私は行かない。


公爵令嬢が突然窓口に現れて頭を下げれば、それは詫びではなく圧力になる。


「使いが戻るまで、完了にはしません」


「お送りしたのに、でございますか」


従僕が目を丸くした。


「送付は完了条件ではありません。相手が受け取り、次の行動が決まって、ようやく完了に近づきます」


「受け取った、という返事まで確認する……それが完了条件」


マルタが、紙の文字を追いながら呟いた。


「はい。今日終わらせるのは、修繕ではありません。返答の停滞です」


私は紙の端に、完了の条件を書き出した。


返答案が作られている。


職人組合へ届いている。


受領の確認がある。


次の返答期限が決まっている。


遅れた理由と再発防止が記録されている。


「多う、ございますね」


マルタが正直に言った。


「多く見えます。ですが、曖昧な完了より安全です」


使いが戻ったのは、昼前だった。


職人組合の窓口は、返答案を受け取ったという。


短い返書もあった。


礼儀正しく、温度の低い文だった。


公爵家からの確認を受領したこと。


必要な資材の仕様を、改めて送ること。


雨季前に間に合わせるには、遅くとも五日のうちに正式な回答が要ること。


使いに立った従僕が、最後に付け加えた。


「窓口の方が、こう申されました。公爵家から、返答が来るとは思っておりませんでした、と」


帳簿室の空気が、少し沈んだ。


「それも記録します。外部の信用が下がっている兆候です」


「ですが、続きがございます。次の返答日が記されているなら、こちらも準備できます、とも」


「それも記録します」


怒ってはいない。


信頼もしていない。


それでも、次の日付があるなら相手は動ける。


一度止まった返答は、一通で帳消しにはならない。


だが、入口は開いた。


私は完了報告を書いた。


完了したこと。


未完了のこと。


次アクション。


「未完了も、お書きになるのですね」


書記係が驚いた顔をした。


「書きます。未完了を隠した完了報告は、きれいな嘘です。次の火種になります」


◆ 完了報告・ふりかえりメモ案

項目     :完了報告 CR-008-001

案件ID    :P-001

案件名    :西門水路補修用金具

完了したこと :遅延への詫び、依頼内容確認、次の返答期限の提示、受領確認

未完了のこと :修繕実施、正式契約、支払い承認

完了条件   :職人組合が返答案を受領し、次の返答期限を確認した

状態     :返答停滞は完了。案件全体は継続

次アクション :裁可役を確認し、次の返答日までに正式回答する


「最後に、ふりかえりをします。よかったこと、困ったこと、次に試すこと。三行です」


「三行」


マルタが、なぜか安心した顔をした。


◆ 完了報告・ふりかえりメモ案

項目   :ふりかえり

よかったこと:作業役と報告先を決めたため、返答が止まらなかった

困ったこと :裁可役が未定で、正式回答はまだ出せない

次に試すこと:依頼を受けた日に、担当、裁可役、期限を確認する


「もっと、原因や責めを書かずともよろしいのですか」


「今日は責任追及ではなく、再発防止です」


水路は、まだ直っていない。


救貧院の雨漏りも、そのまま。


裁可役も未定のまま。


それでも、一つの停滞は終わった。


朝に役割を分けた紙が、昼前には一件の完了になった。


「小さな完了は、信頼の最小単位です」


「最小単位」


マルタが繰り返す。


「大きな信頼回復は、今の私にはできません。ですが、小さな完了なら積み上げられます」


マルタは完了報告を見つめていた。


その目は、昨日までと少しだけ違う。


怖い人を見る目だけではない。


仕事を終わらせる人を見る目が、ほんの少し混じっている。


私はそれを、進捗として記録しない。


人の心を、勝手に完了扱いしない。


その時、帳簿室の扉が叩かれた。


宰相府からの使いだった。


封蝋は簡素だが、確かに宰相府のもの。


差出人は宰相府書記官。


リリア様の証言を整理した助言者が誰で、何を助言したのか。


私が宰相府へ確認を上げてあった件への、返答だった。


書状は、事実だけを並べていた。


セレスティア・フォン・ローゼンハイム様が、リリア様の社交上の孤立を防ぐため、複数の令嬢へ同席を働きかけていた記録がある。


働きかけの文面は丁寧で、相手を気遣うものだった、と。


善意として読める。


社交の場で孤立しがちな令嬢を、まわりがさりげなく囲む。


守り方としては、正しい。


けれど、同じ記録はこうも読める。


リリア様の周りに、同席者の輪を整えた人がいる。


善意か、利害か。


書状は断定していない。


私も断定しない。


ただ、利害整理メモには、関与が未確定のまま残している行がある。


これは、その行を更新する材料だ。


「マルタ。提出の束を」


清書議事録。


被害者要求整理メモ。


証言利用リスクメモ。


利害整理メモ。


正午に宰相府へ出す束の隣へ、私は届いたばかりの書状を置いた。


利害整理メモを更新して、この記録も添える。


一つ完了すると、次の未確認が見える。


小さな完了は、終わりではない。


正午の机へ向かうための、足場だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ