沼地の襲撃者⑧
「魔王軍ってなんなんだ?」
『俺は魔王軍所属のボサノバだ』
森の中で出会った時、ボサノバはそう言っていた。
その言葉がずっと疑問だった。
「魔王軍は人間と戦う為に造られた、魔王が統括する軍隊だ。多種族が協力して、人間と戦っている」
「多種族って、どのくらいだ?」
「知性のある魔族のほとんどだな。知性のないゴブリンやオークなんかは入っていない。……それと、エルフもだな」
「どうしてエルフは入ってないんだ?」
「村に近づける奴がいないからだろうな。近づくと話もせずに弓を撃ってくるんだ。魔王軍の中でも、エルフの村があった場所には近づかないように言われていた」
外との繋がりを持たないエルフは、村に近づく外敵には問答無用で弓を撃っていた。
それが村を隔絶させていたのだろう。
「だったら俺も魔王軍に入れるかな」
「入れるが……どうしてだ?村を襲われた復讐か?」
「復讐、ではない。けど、自分でもよくわからないんだ」
ミモザが撃たれ、村人が数人殺された。
しかし、それでもアカシアの中に、人間に対する怨みはない。
それは確かだった。
しかし、何のために戦うのかと改めて問われると、アカシアの中に明確な理由はなかった。
村が襲われた時、人間の恐ろしさを思い知った。
きっと、魔王軍に入って人間と戦えば、もっと酷い目に遭うだろう。
だったら、村で大人しく暮らしていた方がいいはずだ。
アカシアが自分の中に生まれた疑問と向き合い、考えに耽っていると、ボサノバが不意に立ち止まった。
「ゴブリンだ」
小声で囁いたボサノバの声に頭を上げると、いつの間にかボサノバと出会った場所の近くまで来ていたようだ。
どうやらアカシアの気づかないうちに、随分と歩いていたらしい。
森の奥から、ゴブリンの奇声が聞こえる。
「恐らく、死体を見つけたんだろうな。アカシアはここで待っていてくれ。すぐに片付けてくる」
「待ってくれ、俺も戦う」
「お前に何かあったら、俺が村の連中に殺される。それに相手はゴブリンだ」
ボサノバはそう言い残して森の中へ歩いて行く。
出会った時はボサノバも怪我を負い、背中にはサレアを背負っていた。
今のボサノバにとって、ゴブリンは相手にならないだろう。
初めからから心配はしていなかった。
ただ、ボサノバが戦っているところをアカシアが見たいだけだ。
ボサノバの後を追って、先へ進む。
視線の先では、ボサノバが戦っていた。
ボサノバの、黒い毛皮に包まれた大きな体がしなやかに木々の合間を跳ね回り、ゴブリンの首や胸にナイフを突き立てる。
ゴブリンは反応すらできず、黒い影がすれ違った後で自らの体が斬られた事に気付いて倒れる。
あれだけうるさかったゴブリンの奇声が聞こえなくなるまでに、時間は掛からなかった。
「なんだ、見てたのか」
ナイフの血を拭き取っていたボサノバが見られていた事に気づいた。
「……ローズ達がボサノバに頼んだ理由がわかったよ」
アカシアはボサノバに聞こえない声で呟く。
エルフは弓を撃って戦う。
数が多く、素早く体が小さいゴブリンのような相手と戦う事は向いていない。
エルフは木の上から矢を放ち、ゴブリンは木の裏に隠れて、エルフが降りてくる事をいつまでも待ち続ける。
そうなれば、不利になるのはエルフだ。
「アカシア達はこの死体をどうしている」
ボサノバを助けた時に殺した大量のゴブリンの死体も合わせて地面に転がっている。
サレアの治療の為に一度村に戻る事を決めてから、処理する時間がなかった。
「普段は魂石だけ取って、植物に変えている。食べる事もあるけど、臭くてあまり好きじゃないんだ」
「そうか、植物に……。だったら死体の処理は任せていいか?魂石もアカシアが取ってくれ」
そう言いながらボサノバはすでにゴブリンの死体を拾い、集めて行く。
ボサノバの、ゴブリンの死体の扱いは丁寧だった。
一つ一つを胴体に手を回して持ち、投げる事もしない。
アカシアはゴブリンから魂石を剥ぎ取り、死体を植物に変えて行く。
死体の処理に時間は掛からなかった。
死体がなくなると、再び巣に向けて2人は歩き出した。
巣までの道中は話す事をやめた。
話や考えに耽ってしまうと、敵の発見が遅れてしまうからだ。
ゴブリンの巣はすぐそばにあった。
洞穴に巣食っているようで、見張りのゴブリンが2匹、穴の前に立っている。
「ここからは俺だけでいい。アカシアは先に村に戻っていてくれ。見回りに出ているゴブリンが戻ってくると背後を取られる」
「気にしないでくれ。俺は木の上で見ているから」
アカシアはボサノバの許可を得る前に木に登り、姿を隠す。
エルフが身につける緑色のマントは、樹上に入れば見分けがつかなくなる。
「……それなら大丈夫か。手早く片付けてくる」
ボサノバは見張りのゴブリンに姿を見せて、わざと気付かせた。
ゴブリンは奇声を上げて、襲撃者の存在を仲間に知らせる。
洞穴の奥や、見回りに出ていたゴブリンを連れ戻すためだ。
ボサノバはゆっくりと洞穴に近づく。
ゴブリンも怯まずに武器を構える。
しかし、この2種類の魔族の間には、数では超えられない実力の差がありすぎた。
一方的な虐殺だった。
それは、念のために構えていたアカシアの弓を降ろさせるほどだった。
時間がかかったのは、ゴブリンの生き残りがいない事を確認するためだった。
洞穴の奥にいた者や見回りに出ていた者。
それらを待ち、1匹残らず全滅した。
ゴブリンの奇声が聞こえなくなると、ボサノバは腰に巻いていたカバンから道具を取り出した。
アカシアも木を降りて様子を伺う。
「洞穴の中に入る為の準備だ」
ボサノバは両手に持った2本の小さな棒を枯れ草の上で何度か擦り合わせる。
それだけで火花が散り、枯れ草に火が着き燃え始めた。
「マッチ、とは違うのか?」
「……そうだな。ファイアースターターという、人間の道具だ。それとこれがランタンだ」
ボサノバが取り出したのは小さなカゴだった。
枯れ草から木の枝の先端に火を移し、カゴの中に立てられた白い棒に火を再び移す。
「これで暗い場所でも問題なく歩くことができる。俺は洞穴に入ってクイーンを殺してくる。あまり気分のいい物ではないから、ここで待っていろ」
ゴブリンの生態について、アカシアは知らなかった。
いつもは森を彷徨くゴブリンを撃ち殺すだけで、これだけ巣に近づいた事も初めてだった。
「見ない方がいいのか。でも、それは……」
見ないだけだ。
ボサノバは今からこの洞穴の中に入って、クイーンを殺す。
アカシアはそれを見ずに、村に戻って暮らす。
見たくないから見ない。
それではいけない気がする。
「俺も、見る。見なきゃいけないんだ、と思う」
ボサノバはアカシアの想いを察したのだろうか。
「そうか。なら、着いてこい」
と短く答えた。
そして、2人は洞穴の奥に入っていった。




