トネリコの魂石④
目の前の人間は、毒矢を握ったまま動かなかった。
トネリコも、隠し持った毒矢をにぎりなおした。
沈黙が、辺りを包んでいた。
永遠にも感じられる睨み合いは、人間が動いて破られた。
「俺の名はアーデン・セントルオだ」
日焼けした肌と筋肉の目立つ、アーデンと名乗った人間は、そう言って胸の前で手を組み、頭を下げた。
握っていた毒矢はいつの間にか、足元に落とし捨てられていた。
無防備なその動作には敵意など一切感じられなかった。
むしろ、初めて見るトネリコにも心からの感謝を感じられるほどに美しい所作だった。
トネリコは目を離さず、アーデンの動作を監視していた。
大木から素手で脱出する筋力と、飛んでくる矢を掴む動体視力。
この人間が本気で殺しにくるなら毒矢などなくとも、ほんの一瞬でトネリコを殺す事ができる。
それがわかっているからこそ、どれだけ無防備な動作を見せても、後ろ手に隠した毒矢は手放せなかった。
「命を救って貰ったこと、心より感謝を述べたい」
アーデンは頭を下げたまま言った。
トネリコは情報を聞き出すためにケガを直しただけであって、助けるためではなかった。
しかし、それは言わなかった。アーデンもそれはわかっているだろう。
「良ければ我が恩人の名前を聞かせて貰えぬだろうか」
まだアーデンは頭を下げたままだ。敵意はないと伝えるかの様に。
「トネリコ」
「トネリコ、殿。感謝する。トネリコ殿の敵は人間か?」
「……そうだ。お前たち人間だ」
トネリコは一瞬悩み、答えた。
それは隠していても分かりきっていることだ。
「……俺は、魔物の体にある魔石を獲るために、この世界の人間と共に、ここへ来た。しかし、この世界の人間のやり方は……『奪う者』になる事が、俺にはできなかった……」
アーデンはまだ頭を下げている。謝罪をする様に、アーデンの体が少しだけ小さくなった様に見える。
「今の俺には、帰る場所も、守る者もない。トネリコ殿に救われたこの命、トネリコ殿の為に使わせて貰いたい」
判断はトネリコに委ねる、とアーデンは言っているのだろう。
だが、選択肢など初めからない様なものだ。
アーデンの協力を断った所で、この人間が素直に森を去るかはわからない。
もしかすると、敵に変わる可能性もある。
「……いいだろう。しかし、信頼するわけではないからな」
これ以外の返事はトネリコには初めからない様なものだった。
「ありがたい!感謝する」
アーデンは顔をあげ、笑顔を見せた。
不意な素早い動きに、トネリコは驚き、内心ではこの人間からは敵意が感じられないことに安堵していた。
「早速だが、村の状況を教えてくれ。人間に対抗する為の手段を考えたい」
「待ってくれ。村の事を教える訳にはいかない。……そこまでキサマを、信用できない」
「それもそうか。……だったら人間の情報を教えよう。それなら俺が話すだけで良いだろう」
「それはそうだが、なぜそこまで私に協力するんだ?キサマは同じ人間だろう」
「そうだが……そうだな。まずは、俺のことを話そうか。だが少し……複雑なんだ。俺もまだ理解できてないが、俺はこの世界とは別の世界から来たらしい」
「さっきも言っていたが、別の世界とはなんだ」
「俺にもよくわからないんだが、つまり……」
アーデンはどう説明していいのかわからない様子で、頭を悩ませながら言葉を考え、思いついたように言った。
「すごく遠くから来たんだ。もう2度と戻る事ができないほど、遠くから。俺はそう言われたんだ」
「……まぁ、なんとなくわかった。すごく遠くから、か。それで?」
「俺が住んでいた場所は、ここほど豊かではなかった。砂漠……周りは砂ばかりで、水も植物もなかった。そこで俺は、小さな村の長だったんだ」
生まれた時から緑に囲まれていたトネリコには、アーデンの住んでいた場所は想像がつかなかった。それでも話を聞くことに徹しようと思った。
「陽射しと暑さが酷くて、水も食料も少ない。それでも村のみんなが助け合って、生活をしていた。そこに王族、つまり、偉い奴の使いが来て、水をよこせと言ってきた」
「それで、どうしたんだ。水を渡したのか」
「渡さなければ、村を滅ぼすと言われたんだ。相手の戦力は俺たちとは比べ物にならない程、強い。戦って死ぬか、飢え渇いて死ぬか。どちらを選んでも、俺たちに未来はなかった」
トネリコは言葉を失った。
戦うか、逃げるか。その選択を迫られている。
似ている、と思った。あまりにも、今の私たちの状況にそっくりだ。
「俺は村のみんなと話し合って水を渡すことにした。……だがな、俺たちも黙って死ぬつもりもなかったんだ。奴らは奪った水を飲むつもりなのはわかっていたからな。一服盛ってやったんだ」
「毒を混ぜたのか!やるじゃないか!それで、奴らは死んだのか?」
「死んだよ。俺の目の前でな。……俺が、王族に献上する役目を買ったんだ。だから俺は、その場で、殺された」
「なんて事だ。キサマは死んだのか?それなのに、今ここに生きているじゃないか」
「そうだ。死んで、ここにきたんだ。その技術を、この世界の人間は持っている。しかも、俺のようにこの世界にきた人間は、特別な力を持っているんだ」
「……キサマの怪力がそれか」
「そうだ。俺は以前とは比べ物にならない程の力を得た。それで、この世界の人間に誘われて、魔物を狩る為にここにきた。だが、魔物と戦う事もできずに死にかけていたがな」
話を終えたアーデンの顔は笑っていたが、その表情にはどこか影があった。
「……アンタが死んだ後の村がどうなったのか、わからないのか?」
「わからない。だが、村には俺の妹もいた。アイツは頭が良かったから、なんとか上手くやっているだろう」
希望にも似た推測だ。そう願うしか、今のアーデンにはできないのだろう。
「そうか。アンタが言うなら、きっと、そうなのだろうな」
トネリコも、気付かぬ内にそう願っていた。見た事もない、その村が幸せである事を、確かに願っていた。
「俺の話はこれくらいだな。……信じてもらえるかは別だが」
「信じるよ」
トネリコは考える前に口にしていた。
アーデンの話は疑う気になれなかった。
「……ありがとう」
アーデンも一瞬驚き、素直に礼を口にしていた。
奇妙な信頼が2人の中に生まれていた。
トネリコは手に持った毒矢を仕舞うことにした。これはもう、アーデンには必要がない物だ。
「……アタシの村は、ここからそう遠くない場所にある。そこも、人間と戦うか、逃げるかの選択を迫られている。アタシもどうにかしたいんだ」
トネリコは話す事を決めた。村の状況や、人間について、今わかっている事。
この人間ならなんとか上手くやってくれるかもしれないと信じて。
「そうか……大変だったな。わかった。少し、時間をくれ。考えてみよう」
話を聞き終えたアーデンは、迷う事なく手を貸してくれる事を決めた。
「ありがとう、心強いよ。……だが、今日はアタシは村に戻らなきゃならない。随分と時間が経っちまった」
トネリコも気付かぬ内に随分と話していたようで、気がつけば周囲は夕暮れに照らされていた。
「わかった。俺はここにいる、しかないか」
「すまないな。アンタが仲間に見つかると庇えなくなるから、上手く隠れていてくれ」
そう言ってトネリコは近くの大木に魔法で横穴を開けた。
大木にアーデンの巨体でも多少は余裕のある空間が瞬く間に出来上がる。
「アンタは魔法が使えないから扉は付けられない。他のエルフが近づいてきたら、他の場所に隠れた方がいいだろうな」
そう言いながら周辺に幾つかの種類の植物を生やす。
植物は瞬く間に成長し、実が成っていく。
「食事はこれで済ませてくれ」
唖然としていたアーデンは、ようやく事態を理解して口を開く。
「……ありがたい。食事に住処まで貰えるとは……。ここでなら何日でも暮らしていけそうだな」
アーデンはそう言って笑った。
トネリコはそれがむず痒く、思わず顔を背けて「また明日、来る」と言い残して立ち去った。




