第62話「観測者」
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火曜日の昼過ぎ、テツジンがまた来た。
三日連続だった。
「また来ましたね」とソウが言った。
「話したいことが出てきまして」
「こちらも聞きたいことがあります」
「どうぞ」
ソウは向かいに座った。
「テツジンさんは、観測者だとおっしゃっていましたね」
「そう言いました」
「何を観測しているんですか」
テツジンが少し考えた。
「この世界の状態です。安定性の変化。アップデートたちの動き。あなたのような存在がどう関わるか」
「俺のような存在、というのは」
「この世界の普通の住民、ということです」
「NPCですか」
テツジンが少し目を細めた。「その言葉をどこで聞きましたか」
「レイさんの話から」
「そうですか。……ええ、あなたはNPCです。この世界の情報パターンとして、設計通りに生まれた存在」
「設計通り、というのは誰が設計したんですか」
「設計した主体がいるのかどうかは、私にも分かりません。自然発生したのかもしれない。ただ、あなたたちNPCはこの世界の基盤として存在しています」
「基盤」
「アップデートたちは例外的な存在です。でも例外がなければ世界は発展しない。あなたたちが基盤として存在して、その上で例外が動いている」
「俺が基盤だとして、それが今の状況と何の関係があるんですか」
テツジンが少し間を置いた。
「あなたが昨日、私に何かできることはあるかと聞きましたね」
「聞きました」
「その答えを今日、少しだけ話せると思います」
「観測者というのは」とテツジンが言った。「ただ見ているだけではありません」
「何をするんですか」
「世界の均衡を、最後のところで支えています」
「どうやって」
「私がここにいることで、世界の観測が成立する。観測されていない世界は、情報として不安定になる」
「量子力学の観測問題みたいな話ですか」とソウが言った。
テツジンが少し驚いた顔をした。「よく知っていますね」
「レイさんの本棚で見た程度ですが」
「……そうです。観測されることで、情報が定まる。私が観測をやめると、世界の情報が揺らぎ始める」
「じゃあテツジンさんがいる限り、世界は観測されている」
「ただし私一人では限界があります。観測の範囲と精度に限界がある」
「それで六十三日という数字が出てくる」
「私の観測能力が限界に近づいていることも、加速の一因です」
ソウは少し考えた。
「テツジンさん自身も、もたないということですか」
「正確には、私の機能が低下しつつある、ということです」
「なぜですか」
「世界が不安定になると、観測者にも影響が及びます。世界が崩れるにつれて、私も崩れていく」
「……それを俺に言うんですか」
「あなたに知っておいてほしいと思いました」
「俺に何ができるか、という話をしてください」とソウが言った。
「あなたは観測できます」
「え」
「アップデートたちを観測している。彼女らの状態を把握している。それはNPCには本来できないことです」
「俺は普通に見ているだけですが」
「普通に見ること、普通に聞くこと——それがNPCには難しいんです」
「難しい?」
「NPCはこの世界の情報パターンを自明のものとして処理します。異常があっても、処理系がそれを正常に補正してしまう。だから普通のNPCは、アップデートたちの異常性を認識できない」
「でも俺は気づいた」
「あなたは、気のせいとして流しながらも、メモを取っていた。ニュースを集めていた。異常に気づきながら、それを保持することができた」
ソウはしばらく黙った。
「それが特別なことなんですか」
「私には珍しく見えます。なぜそれができるのかは分かりません。でも——あなたがアップデートたちを観測し続けることが、私の観測の補助になる可能性があります」
「補助」
「あなたが彼女らを見ていることで、彼女らの情報が定まる。それが世界の安定に、わずかながら寄与するかもしれない」
ソウは少し考えた。「わずかながら、ですか」
「わずかながら、です」
「六十三日を六十四日にできるくらいの話ですか」
「……そのくらいかもしれません」
「正直ですね」
「嘘をつく理由がないので」
「テツジンさん」とソウが言った。「そうすると、俺にできる最大のことって何ですか」
「最大のこと」
「一日でも長くみんなといられるように、俺にできる最大のことを聞きたいです」
テツジンが少し間を置いた。長い間だった。
「……一緒にいることです」
「それだけですか」
「それだけです。あなたが彼女らの傍にいて、普通に話して、普通に聞いて、普通に笑う。それが観測になる。観測が世界を定める」
「それが最大のことですか」
「あなたにできる、最大のことです」
ソウはそれを聞いて、少し長い間、何も言わなかった。
「……ありがとうございます」と最終的に言った。「答えてくれて」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとうございました」
テツジンが立ち上がった。
「また来ます」
「来てください」
夕方、ソウはバックヤードで全員にテツジンの話を伝えた。
「一緒にいることが観測になる。観測が世界を定める」とソウが言った。
「つまり」とカイが言った。「ソウが俺たちを見てることが、世界の安定に繋がってるってこと?」
「テツジンさんはそう言いました。わずかながら、とも言っていましたが」
「わずかながらか」
「六十三日を六十四日にできるくらいの話かもしれない、と正直に言っていました」
「……正直だな」とナナが言った。
「俺もそう思いました」
テルが「でも一日は一日だろ」と言った。
「そうですね」
「一日分、一緒にいられる」
「そうです」
バックヤードが静かになった。
ミオが「じゃあ、今日もここにいましょう」と言った。
全員が頷いた。




