第60話「テツジンの数字」
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日曜日の朝、ソウはメモを書き直していた。
「閾値まで残り87日」の紙と、自分のスマホのメモを並べて見た。レイの試算と、テツジンの83日。算出方法が違うとテツジンは言った。でも両方を無視するわけにはいかない。
二つの数字を書き出した。「レイ試算:百九十三日(現ペース)」「テツジン:83日(三週間前)」。
テツジンの83日が三週間前の数字なら、今はおそらく60日を切っている。
一方でレイの試算は百九十三日。
倍以上の差がある。
開店してすぐ、ソウはレイに話しかけた。
「テツジンの83日という数字について、考えましたか」
「考えました」
「レイさんの試算と倍以上ズレてます」
「ええ。算出方法が違うのは理解しているので、単純に比較はできません。ただ——テツジンさんが何を見て83日と言ったのか、気になっています」
「聞けばよかったですね」
「昨日の話の流れでは難しかったと思います」
「次に来たとき、聞きましょう」
「はい」
「ただ」とソウは言った。「テツジンの数字の方が短い。もしテツジンの見方の方が正確なら、百九十三日は楽観的すぎる」
「そうなります」
「楽観的な数字に引っ張られないようにしたい」
「同じく」
午前中、ナナがソウに「テツジンって誰」と聞いてきた。
「昨日、おじいさんが名前を教えてくれました」
「テツジン。本名?」
「今日から本名だそうです」
「どういうこと」
「謎の人なので」
「それはずっとそうだけど」とナナは言って、「テツジンさん、また来る?」と聞いた。
「来ると言っていました。来たらもう少し聞けると思います」
「何を聞きたいの」
「いくつかあるんですけど——まず、83日というのはどういう算出方法なのか」
「ほかには」
「テツジンが観測者だとしたら、何を観測しているのか。どこから見ているのか」
「ほかには」
「レイさんたちが何なのか、テツジンはどう理解しているのか」
「ほかには」
「ほかには……」
ソウは少し考えた。
「俺に何ができるのか、を聞いてみたいです」
ナナが少し目を丸くした。「そんなこと聞けるの」
「聞いてみるだけは」
「テツジンさん、答えてくれそう?」
「分からないです。でも聞いてから判断しようと思います」
昼頃、テツジンが来た。
「また来ます」と言って昨日帰ったが、翌日に来るとは思っていなかった。ソウが「昨日の今日で」と言うと、テツジンが「話し足りなかったので」と言った。
ソファに向かい合って座った。
「一つ聞いていいですか」とソウが先に言った。
「どうぞ」
「83日という数字は、どうやって出しましたか」
「見ています」
「見ている、というのは」
「この世界の状態が、私には見えます。安定性のパターンを直接観測できるので、そこから算出しました」
「レイさんが壁の感触から測るのと似た方法ですか」
「似ていますが、私の観測の方が精度が高いと思います。ただし、確実ではありません」
「今の数字はいくつですか」
テツジンが少し間を置いた。
「今日の時点で、六十三日です」
ソウはメモに「63日」と書いた。
「レイさんの試算とだいぶ違いますね」
「レイさんの試算は、安定性の下降速度を一定と仮定しています。でも実際は、下降速度は曲線で変化します。指数関数的な部分があります」
「指数関数的に下がっていくということですか」
「ある閾値を超えると、急激に加速します。レイさんの試算の百九十三日は、加速の手前の数字です」
「閾値を超えたら」
「加速します。そうなると、百九十三日よりずっと短くなる」
「六十三日というのは」
「閾値を過ぎた後の加速も含めた試算です」
ソウはその数字を見た。六十三日。二ヶ月ほど。
「テツジンさん」
「はい」
「あなたは観測しているだけ、と言いましたが」
「ええ」
「俺に何かできることはありますか」
テツジンが少し目を細めた。
「……あなたが聞くとは思っていませんでした」
「聞いてから判断しようと思って」
「そうですか」
テツジンは少し考えた。
「一つだけ言えることがあります。あなたにしかできないことがある」
「何ですか」
「それを教えることが、私にできるかどうかが分かりません。でも——」
テツジンが立ち上がった。
「また来ます。今日はここまでにさせてください」
「また途中で帰るんですか」
「一度に多く言うのは、私の主義ではないので」
「それを昨日も言っていましたね」
「覚えていましたか」
「覚えてます。毎回言うので」
テツジンが笑った。
「次に来たとき、もう少し話しましょう」
テツジンが帰ったあと、ソウはバックヤードに行って全員を集めた。
「テツジンさんから聞きました。今の安定性はレイさんの試算とは別の方法で、六十三日だそうです」
「六十三日」とナナが繰り返した。
「二ヶ月ちょっとです」
「レイさんの百九十三日より全然短い」とカイが言った。
「下降が指数関数的に加速するため、レイさんの試算だと保守的すぎるということでした」
全員が静かになった。
「ただ、テツジンさんも確実ではないと言っていました。どちらが正確かは分かりません」
「短い方を信じた方がいいよね」とナナが言った。
「そう思います」
「六十三日で何かしなきゃいけないとしたら、何をするの」
全員がソウを見た。
ソウは少し間を置いた。
「それをテツジンさんに聞いたら、『あなたにしかできないことがある』と言って帰りました」
「また途中で帰った」とカイが言った。
「毎回です」
テルが「なるようになる」と言った。
「テルさん」
「うん」
「なるようになるのに、六十三日は短くないですか」
テルが少し間を置いた。
「……短いな」
「そうですよね」
バックヤードが静かになった。
田所店長が外で「お客さーん」と声をかけているのが聞こえた。
六十三日。
数字は短かった。でも、今日のバックヤードには六人がいた。




