表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アップデートしてください。〜うちのバイト先、なんか変な人しかいないんですけど〜  作者: ハル
このバイト先、なんか変じゃない?

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/67

第38話「六人の、昼」

月曜の午後、客足がぱったり途絶えた。


モールの通路をぼんやり眺めながら、神崎ソウはカウンターの端に肘をついていた。正面のテレビは音量を絞った状態でニュースを垂れ流している。


「——南アルプス、北岳の標高について国土地理院は『誤差の範囲』と説明していますが、登山者からは実感として山が低くなっているとの声も——」


「……なんか変じゃない、また」


ソウは口の中でつぶやいて、すぐにやめた。考え始めると止まらなくなる。テルが広げていたあの資料。ミオが三週間前から知っていたあの顔。レイが昨日、壁から戻ってきたときの——


「神崎さん」


声がして、ソウは顔を上げた。


氷室レイが書類を片手に立っている。いつ通路から入ってきたのか、まったく気配がなかった。


「お昼、そろそろです」


「あ、はい」


ソウは腕時計を確認した。十二時四分。気づけばいつの間にかその時間になっていた。


「……考えすぎてた?」


レイが小声で言った。訊くというより、確認するような言い方だった。


「まあ」とソウは答えた。「ちょっとだけ」


レイはそれ以上何も言わなかった。ただ少し間があって、「行きましょう」とだけ言った。



 



休憩室は、いつもより少しだけ賑やかだった。


朱雀ミオがすでにテーブルの中央にお弁当を並べていた。蓋を開けたものと、まだ閉じたものが混在している。日向ナナが椅子に座ったまま飛び跳ねるようにして「今日の卵焼き、甘め?」と聞いていて、御堂カイが腕組みしながら「俺はどっちでもいい、でもどっちかと言えば甘め」と答えていた。霧島テルは壁に背中を預けて、目を半分閉じていた。寝ているのか起きているのか、相変わらずよくわからない。


ソウとレイが入ってくると、ナナが「あ、ソウくんどっちがいい?」と即座に聞いてきた。


「どっちって何が?」


「卵焼きの甘さ。多数決。」


「……甘めで」


「よし、三対一」とナナが言うと、カイが「俺は棄権だと言ったはずだが」と低い声で言った。


「棄権は棄権票だから」


「それは俺に不利では」


「カイくんには関係ないでしょ卵焼き関係ないでしょ」


「関係ある、俺は今朝から少し憂鬱な気分だ」


「甘めにしたら解決しない問題だよ」


テルが片目を開けて、何も言わずに笑った。


ソウはレイの隣の椅子を引いて座りながら、この会話の意味のなさに少し救われた気がした。


ミオが弁当を一つ一つ配り始める。


「はい、ナナちゃん」


「ありがとうございます!」


「カイくん」


「感謝」


「テルちゃん」


「……ん」


「レイちゃん」


「いただきます」


「ソウくん」


「あ、ありがとうございます」


最後に自分の分を取り出して、ミオはソウの斜め向かいに座った。六人が揃っている。いつもの光景。なのに、今日はどこか違う重みがある気がした。


「——みなさんに、少し話があります」


ミオが箸を持つ前に言った。声は穏やかだったが、誰も次の言葉を引き取らなかった。カイも、ナナも、箸を止めた。テルは目を開けた。


「難しい話じゃないです。ただ——聞いておいてほしくて」



 



ミオは一度弁当を脇に置いて、テーブルの上で両手を組んだ。


「世界が、変わっていますよね」


誰も否定しなかった。


「チリの件。アンデスの件。南アルプス。私が把握しているだけでも、もう六十三か所以上、地形に変化が起きています」


「六十三」とカイが繰り返した。「三週間で?」


「三週間で。ただ——」ミオは少し間を置いた。「これは、みんなのせいじゃないと思っています」


「……それって」ナナが首を傾けた。「どういうこと?」


「能力を使うことで世界に負荷がかかる、というのは事実だと思います。でも」ミオは静かに続けた。「世界がこれほど変化しているのは、能力の問題だけじゃない。もっと前から、何かが動いていた」


テルが小さく「そうだと思った」と言った。


「なんで言わなかったの」とカイが言った。詰問ではなく、確認するような声だった。


「言えなかった」とミオは答えた。「ちゃんと言える準備ができていなかった。それだけです」


ソウはミオの顔を見ていた。いつも世話焼きで、少し遠くを見ているような目をするミオが、今は真正面を向いていた。


「それで、ミオさん」ソウは言った。「何かできることって、あるんですか」


ミオはソウを見た。


「まだわからない。でも、わかろうとしている」


「……それって」ナナが小声で言った。「世界がなくなる、ってこと?」


誰も笑わなかった。


ミオはゆっくりと首を横に振った。


「形が変わる、ということだと思います。なくなるかどうかは——私にも、まだわからない」



 



沈黙がしばらく続いた。


最初に動いたのはテルだった。


「んじゃ、まず飯食おっか」


ナナが「え」という顔をして、カイが「そこは普通続きを——」と言いかけて、でもテルはもう箸を開いていた。


「どうせ考えても今すぐ答えは出ない。それならミオさんの弁当が冷める前に食べた方がいい」


「……そういうもんか」とソウは言った。


「そういうもんだよ」とテルは言って、卵焼きを口に入れた。「あ、甘め正解。」


ナナがくすっと笑った。カイが「……俺の意見も聞けよ」とつぶやいた。レイが静かに箸を取った。ミオが「食べて」と言うように、そっと笑った。


ソウも箸を取った。


いつも通りの弁当だった。卵焼きは甘かった。出汁巻きではなくて、砂糖がきいていて、なんか親戚の家みたいな味がした。


「ミオさん」とソウは言いながら食べた。「これ、今日も複製ですか」


「ううん、今日は全部手作り」


「違いわかんない」


「ありがとう」とミオは笑った。「最近、手作りの方が多いの」


「なんで?」


少し間があった。


「あると思ってたものが、次の日もあってほしいから」


ソウはその意味を考えながら、もう一口食べた。



 



昼食が終わって、各自が片付けをし始めたころ、ナナが急に思い出したように声を上げた。


「あ、そうだ。今朝ニュースで言ってたんですけど——」


全員がナナの方を向いた。


「なんか、山梨の方で、池が突然消えたって。昨日まであったのに、今朝見たら跡形もなかったって地元の人が言ってて」


「……また?」ソウはつぶやいた。「なんか変じゃない、最近」


「変だよね。普通じゃないよ。」


「……気のせいか、って思いたいけど、さすがにもう気のせいじゃないかな」


「ソウくんどれだけ気のせいって言い続けるつもりだったの」とカイが言った。「俺たちずっと横にいたんだけど」


「いや、俺は普通に考えて能力が存在する世界の知識がなかったので」


「それはそう」とテルが言った。「でも気づきかけてはいたでしょ」


「……まあ」


レイが静かに口を開いた。


「気のせいにしないで済む人間が、そばにいた方がいいと思っていました」


ソウが顔を向けると、レイはすでに別の方向を見ていた。さらりと言って、さらりと次の動作に移っていた。


「……それって、俺のことですか」


「他に誰がいるんですか」


「…………気のせいかと思ってました」


「いい加減にしてください」


ナナが「えー、ソウくんとレイさんいい感じ」と言い、カイが「俺にはそういうセリフ誰も言ってくれないが?」と拗ねた声を出し、テルが「カイには必要ない気がする」と言い、カイが「なぜ!」と言った。


ミオがそれを見て、また少し笑った。



 



午後のシフトが始まる五分前、ソウはロッカーの前で制服の胸元を直していた。


隣でレイがスーツのジャケットを羽織った。鏡に映る姿は、いつも通り完璧だった。


「レイさん」


「何ですか」


「なんでもないです」


「……それ、最近多いですね」


ソウは少し考えた。


「言いたいことがあるんですけど、まだうまくまとまってなくて」


「まとまったら言ってください」


「うまくまとまらないかもしれないです」


「そしたらまとまらないまま言ってください」


ソウはレイの顔を見た。レイは鏡を見ていたが、視線だけがソウの方に動いた。


「……はい」


「行きましょう」


二人でロッカー室を出た。廊下を歩きながら、ソウは後ろから声を掛けた。


「ミオさんの話、みんなどう思ったんですかね」


レイは歩みを止めずに答えた。


「それぞれ、考えていると思います」


「レイさんは」


少しだけ、間があった。


「——少し待ってください」


「え?」


「比喩的な意味で」レイは言った。「答えをまとめています」


ソウは「あ」と思って、それから少し笑った。


「わかりました」



 



カウンターに立つと、ちょうど常連の老人が入ってくるのが見えた。


いつもの水曜より二日早い。薄いベージュのコートを着て、特に急いでいる様子もなく、ゆっくりと入口からこちらへ歩いてくる。


「いらっしゃいませ」とソウは言った。


老人はソウを見て、少し目を細めた。


「今日は六人いるな」


「あ、はい。たまたま全員出勤で」


「ふむ」


老人はカウンターの前に立って、いつものようにポケットからスマホを取り出した。古い機種だ。画面の端に細かいひびが入っている。


「また文字の打ち方を教えてほしい」


「もちろんです」


老人は画面を操作しながら、ぽつりと言った。


「今日のニュース、見たか」


「山梨の池ですか」


「そうじゃない方だ」


ソウは顔を上げた。


老人はスマホの画面を見たまま言った。


「東京の西の方で、昨晩から空の色が少しだけおかしいと報告が出ている。行政は気象現象と言っているが」


「……そうなんですか」


「若い人間は夜に空を見ないからな」


老人は静かに続けた。「でも、見た方がいい。何かが変わっているときは、大体空に出る」


ソウは何か答えようとして、老人がすでに画面に視線を落としていることに気づいた。「文字の打ち方、ここを押すんですよね」と老人は言った。まるで今の会話がなかったかのように。


「……はい、そこです」


ソウはカウンターの向こうから老人の画面を覗き込みながら、窓の外にわずかに目をやった。


空は今日も、普通に青かった。


普通だった。


たぶん。



 



閉店間際、バックヤードで片付けをしていたソウは、奥の棚の前に氷室レイが立っているのに気づいた。


上の段に書類の束を戻そうとして——手が届かないのか、少し止まっている。


「手伝いますか」


「……いいえ」


レイは静かに言った。


「少し待ってください」


ソウは即座に後ろを向いた。


どさっ、という音。


スーツジャケットが落ちる音。続いてシャツ。


「——ご覧になっていませんね」


「全力で見ていません」


「結構です」


壁が、音もなく透過する気配がした。


ソウは背中を向けたまま、壁の向こうから聞こえてくるレイの足音を数えていた。


戻ってきたのは、三十秒後くらいだった。


「終わりました」


「……早いですね」


「慣れています」


ソウは振り向いた。レイはすでにスペアのスーツを完璧に着ていた。書類はちゃんと棚の上に収まっている。


「……一つ聞いていいですか」


「何ですか」


「毎回、こわくないんですか。壁に入るとき」


レイは少し考えた。


「こわいという感覚が、何を指しているかによります」


「暗い、とか。先が見えない、とか」


「——暗いです」レイは言った。「壁の中は基本的に暗い。でも」


「でも?」


「出口があることを、知っています」


ソウはそれを聞いた。


何も言わなかった。言えなかったというより、言う必要がなかった。


「そうですか」とだけ言って、ソウは棚の荷物を整理し続けた。


レイも隣に立って、残りの片付けを始めた。


二人で作業していると、バックヤードの小さなラジオが夜のニュースを流し始めた。


「——東京都西部の複数地点で観測された空の色の異変について、気象庁は現在原因を調査中としています。住民からは『夕方でもないのに空が赤みがかっていた』との証言が——」


ソウは手を止めた。


「……さっきのおじいさん、言ってたやつだ」


レイも聞いていた。


「……見ましたか、今日の空」


「見てないです」とソウは言った。「見ればよかった」


「また明日、見ればいいと思います」


「……明日も変わってるかな」


「わかりません」


レイは棚に書類を並べながら、小さな声で続けた。


「でも、明日も開店はします」


ソウは、それを聞いて少し息を吐いた。


「そうですね」


答えながら、ソウは棚の上の書類を一冊ずつ整えた。


隣にレイがいて、ラジオが話し続けていて、どこか遠い世界の空が赤くなっていた。



 



翌朝、ソウは出勤前に空を見上げた。


青かった。


普通だった。


……気のせいか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ