表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アップデートしてください。〜うちのバイト先、なんか変な人しかいないんですけど〜  作者: ハル
このバイト先、なんか変じゃない?

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/66

第36話「ミオが、知っていた」

朱雀ミオが到着したのは、昼前の十一時五十分だった。


 バックヤードのドアが開いた瞬間、ソウはテルの調査資料から顔を上げた。ミオはいつもと同じペースで、いつもと同じ笑顔で入ってきた。手には保温バッグ。今日の弁当は、昨日の深夜に仕込んだやつだろう。


「おはようございます、ソウくん」


「おはようございます」


「テルちゃん、またここで寝てたんですか」


「さっきまで。今は店頭です」


「そうですか」


 ミオは保温バッグをロッカーの上に置き、ソウの手元のコピー用紙を一枚だけ見た。


 視線が、一瞬だけ止まった。


 ほんの一秒。でもソウは見ていた。


「……それ」とミオが言った。「テルちゃんが調べてたやつですね」


「知ってたんですか」


「今朝、声をかけようとしたら、もう寝てたので」


 笑いながら言う。でもその笑顔は、いつもより少しだけ疲れていた。目の下の影が、心持ち濃い気がした。


「ミオさん」とソウは言った。「テルが調べてた内容、見ますか」


 ミオは少し黙った。


「……見なくても、だいたいわかります」


 その一言が、バックヤードの空気をすっと変えた。



 



 昼休憩は十二時半からだった。


 今日はカイが客対応で遅れ、ナナが補充業務でまだ戻れないということで、最初にバックヤードに揃ったのはソウ・ミオ・テル・レイの四人だった。


 ミオが弁当を並べる。今日は肉じゃがと鶏の照り焼き、ほうれん草のおひたし。ラップのかかったどれもが、複製品とは思えない完成度だ。


「ミオさん」とテルが言った。眠そうな目をしているのに、声だけはしゃんとしている。「チリ沖の話、知ってましたよね」


「……そうですね」


「いつから」


「三週間くらい前から、兆候は見えていました」


 テルが箸を持ったまま動きを止めた。ソウも止まった。


 レイだけが、静かに照り焼きを口に運んでいた。


「三週間」とソウは繰り返した。「でも、それは」


「能力を止める前から、です」とミオは言った。「みんなが自制を始める前から、もう動いていました」


 テルが「だよね」と呟いた。どこか、確認が取れたような声だった。


「だよねって、予測してたの?」


「してた。でも早かった。もう三週間前には始まってたのか」


 テルは視線を天井に向けた。何かを計算しているのかもしれないし、ただ疲れているだけかもしれない。


「ミオさん」とレイが口を開いた。「なぜ、黙っていたんですか」


 問い詰めているわけではない。でも答えを求めているのはわかった。


「みんなに伝えたところで、できることが変わるわけじゃなかったから」とミオは言った。「それに。もう少し、普通のままでいさせてあげたかったんです」


 誰も何も言わなかった。


 ソウはほうれん草のおひたしを一口食べた。出汁が効いていた。なんで複製品がこんなにうまいんだろう、とぼんやり思った。


「三週間前から加速していたとして」とソウは言った。「これ、止まりますか」


 ミオは答えなかった。


 その沈黙が、答えだった。



 



 ナナとカイが遅れて戻ってきたのは、十三時をまわったころだった。


「ただいまーっ! 今日の接客めちゃくちゃ長かった。プランの移行で一時間かかったよ、一時間!」


 ナナが鞄を投げるように下ろして席につく。隣でカイがため息をついた。


「俺は別の客に捕まってた。機種変か新規かで延々と迷われて、最終的に『やっぱり今日は帰ります』で終わった」


「お疲れ様です」とミオが弁当を差し出した。「冷めてしまいましたけど、よかったら」


「ありがとうミオさん! あ、今日肉じゃが! 好き!」


 ナナが勢いよく蓋を開ける。カイも受け取って、ひと口食べて、ふっと表情が緩んだ。


 しばらく、誰も話さなかった。


 食べる音だけがある。箸の音、汁物をすする音、ナナが「おいしい」と小声で言う声。


 ソウはその光景を、少しゆっくり見た。


 別に特別なことは何もない。六人がせまいバックヤードで弁当を食べているだけだ。でもなんかこれ、いつかなくなるんだろうなという予感が、じわじわと胸の底を押していた。


 気のせいか。


 ……いや、気のせいじゃない。それはわかってた。


「なんか暗くない?」とナナが顔を上げた。「今日のみんな」


「そう?」とカイが言った。


「そう。テルちゃんはいつも眠そうだから除くとして、ソウくんとレイさんがなんか静かだよ」


「静かなのはいつもでしょう」とレイが答えた。


「レイさんのはいつもの静かさと違う。なんか、考えてる静かさ」


 レイが少し止まった。


「……よく気がつきますね」


「なんでよ。褒めてるの? 怖い」


 ナナが首をすくめる。カイが「ナナ、鋭いとこあるよな」と言った。


「えっ、カイくんに言われると照れる」


「褒めてないけど」


「ひどっ」


 テルがくすっと笑った。ミオも口元を緩めていた。


 ソウも、少しだけ笑えた。



 



 午後の接客が始まってから、ソウは一度だけバックヤードに戻った。


 ミオが一人でいた。保温バッグを畳んで、ロッカーの前に立っている。


「ミオさん」


「あ、ソウくん」


「少し聞いてもいいですか」


「どうぞ」


 ソウは少し間を置いた。何を聞くか、昼休みからずっと考えていた。


「止まらないとしたら、どうなりますか。最終的に」


 ミオは答えるのに時間をかけた。急いでいないというより、正確に言葉を選んでいる感じだった。


「世界が薄くなっていきます」とミオは言った。「景色が溶けて、物が消えて、人の記憶が飛んで。最終的には」


「最終的には」


「形を保てなくなる」


 ソウはそれを聞いて、何も言えなかった。


「でも」とミオが続けた。「まだ時間はあると思ってます。それだけははっきり言えます」


「どのくらい」


「……それは、わかりません」


 ミオが振り返った。表情は穏やかだった。穏やかすぎるくらい穏やかだったので、ソウは逆に胸が痛かった。


「ソウくん」


「はい」


「今日も、お客さんとちゃんと話せてましたね。さっき見えました」


「え、そうですか」


「難しい質問をされてたのに、丁寧に答えてた。すごいと思って」


 なんでこのタイミングでそんなことを言うのか。ソウは少し戸惑った。


「……ミオさん、話ずらしてますよね」


「ずらしてないです」とミオはあっさり言った。「ただ、それも本当のことだから言いました」


 ミオが保温バッグを手に取って、バックヤードのドアに向かう。


「あ、ミオさん」


「なんですか」


「また明日も弁当ありますか」


 ミオは少し止まって、それから笑った。


「もちろんです」



 



 夕方、閉店一時間前になって、店内のテレビが切り替わった。


 夕方のニュースだ。ソウはカウンター越しにちらっと見た。


『本日、気象庁は国内各地で観測された「光の散乱異常」について会見を開きました。複数の地点で、日光が通常とは異なる角度で屈折する現象が確認されており――』


 キャスターが淡々と読み上げる。映像が切り替わって、街の映像が映った。確かに、建物の影の向きがどこかおかしい。


 ソウは少し見た。


 ……なんか変じゃない?


 でも、今日はうまく流せなかった。


 カウンターの隣でレイが書類を整えていた。ソウはそちらを見た。レイはテレビを見ていなかった。でも耳は向いている気がした。


「レイさん」と小声で言った。


「なんですか」


「光が屈折するって、何かの能力の副作用になったりしますか」


 レイは少し考えた。


「直接的には、そうではないと思います」と答えた。「ただ、物質境界が不安定になれば、光の通り道も変わる可能性はある」


「なるほど」


「ソウ」


「はい」


「怖がっていますか」


 ソウは少し止まった。正直に考えた。


「……怖い、というより」と言った。「どうすればいいか、まだわかんないって感じです」


「そうですか」


「レイさんは」


「私は」とレイが言いかけて、止まった。


 数秒あって、続けた。


「私も、まだ答えが出ていません」


 その声は、いつもより少しだけやわらかかった。



 



 閉店作業は、いつも通り全員で分担してやる。


 今日はカイが床の清掃担当で、ナナが在庫確認、テルとソウが展示品の電源を落とすことになった。


 テルと並んで端末を一台ずつシャットダウンしながら、ソウは横を見た。テルは眠そうな目をしたまま、淡々と画面を消している。


「テル」


「うん」


「論文、全部読んだの」


「読んだ。ほぼ」


「しんどくなかった」


「なった。でも、知っておきたかった」


 テルが画面を一台消した。展示台がひとつ暗くなる。


「俺さ」とテルが言った。「確率を操作する能力があるでしょ」


「うん」


「あれってさ、どうでもいいことしか操作できないじゃん」


「そうだね」


「自販機の当たりとか、信号とか。世界が崩れるのを止めるのには、絶対使えない」


「……そうかもね」


「でも」と言って、テルが次の端末のボタンを押した。「なるようになる、でも着地点による、って言ったじゃん。昨日」


「言ってた」


「着地点を決めるのは、確率じゃないんだよね」


 ソウは何も言わずに次の端末を消した。


 展示台がまたひとつ暗くなった。


「そっか」とソウは言った。


「そっか、じゃないよ」とテルが笑った。「なんか言いなよ」


「なんか言えって言われても、俺なんも能力ないし」


「それがいいんじゃん」


 テルがふっと目を細めた。


「俺たちの能力、全部この世界に悪さしてるじゃん。ソウの『なにもない』だけ、悪さしてないんだよ」


 ソウはその言葉を、一拍おいてから受け取った。


「……それ、慰めてる?」


「慰めてない。本当のことを言ってる」


「どっちでもいいけど」


「どっちでもよくない」


 テルがまた笑った。こいつ、今日は珍しく喋るな、とソウは思った。



 



 バックヤードの鍵を閉めたのは、ソウだった。


 他のみんなは先に出て行って、ロッカーの前に残ったのはソウとミオだけだった。


「ミオさん、明日も早いんですか」


「そうですね。五時起きくらいで」


「毎日それですよ」


「慣れてます」


 ミオがコートを羽織った。保温バッグを持ち、軽く振り返る。


「ソウくん」


「はい」


「今日、よく聞いてくれましたね。みんなの話も、私の話も」


「聞いてただけですよ」


「それが大事なんです」


 ミオが先に出た。ソウは少し立ったままでいた。


 蛍光灯の音だけが、しばらくしていた。


 なんか変じゃない?


 そう思ったけど、今日は流さないことにした。



 



 翌朝、モールの入口の自動ドアをくぐったとき、ソウはスマホのニュースアプリを何気なく開いた。


 一番上に出ていた記事のタイトルを、ソウは三秒ほど見た。


『インド洋の無人島、昨日から衛星画像に映らず。消滅か、誤作動か――専門家に見解を聞いた』


 ソウはアプリを閉じた。


 自動ドアの向こうから、ナナの「おはようございます! 今日は五分前に来ました!」という声が聞こえた。


 一日が、始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ