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アップデートしてください。〜うちのバイト先、なんか変な人しかいないんですけど〜  作者: ハル
このバイト先、なんか変じゃない?

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第31話「おじいさんは、知っている」

謎のおじいさんが帰った後の店内は、どこかひっそりとしていた。


 客はいなかった。田所店長は在庫確認でバックヤードに引っ込んでいる。カウンターに残ったソウとレイの間に、しばらく会話がなかった。


 おじいさんの言葉が、まだ耳の奥に残っている。


 気のせいにしておかんほうがええ。


 気のせいにしない、となると——何を、どこまで。


「氷室さん」


 ソウが口を開いた。


「なんですか」


 レイはカウンターの書類を揃えながら答える。視線はソウに向けていないが、聞いている気配はある。


「あのおじいさん、毎週来るじゃないですか」


「そうですね」


「スマホの使い方、毎週聞きに来て、毎週同じこと聞いて」


「そうですね」


「でも、全然使えるようになってないのに、なんか楽しそうで。毎回ちゃんとお礼言って帰って」


 レイが手を止めた。


「何が言いたいんですか、神崎くん」


「……なんか変じゃない? って話なんですけど」


 レイはソウをちらりと見た。そのまま、また視線を書類に落とす。


「変、というのは」


「使い方を覚えに来てるわけじゃない気がする、ってことです。毎回同じ質問してるのに、困った顔ひとつしない。むしろ、こっちのことをじっくり見てるみたいな……」


 言葉にしながら、ソウ自身も整理できていなかった。


 ずっと引っかかっていたことだ。おじいさんは来るたびに同じ手順でソウに問いかける。「スマホいうのはどこを押せばいいんじゃろか」「写真はどうやって見るんじゃろ」。毎週。同じ順番で。


 まるで、確認するみたいに。


「神崎くん」


「はい」


「それは——」


 レイが何か言いかけた、そのタイミングで、バックヤードのドアが開いた。


「あー、疲れた!」


 ナナが背伸びしながら出てくる。シフトの終わりが近づいてロッカーに荷物を取りに来たらしい。


「ソウくん、おじいさん来てた? さっき見かけた気がしたんだけど」


「来てた。もう帰ったよ」


「そっかー。挨拶できなかった。残念」


 ナナはカウンターの端に腰を当てながら言う。


「ねえ、あのおじいさんっていつ来るかわかる? 毎週来るけど、なんか曜日バラバラじゃない?」


 ソウは思い返した。


 月曜に来た週もある。木曜に来た週もある。土曜に来たこともある。


 時間帯もバラバラだ。開店直後のこともあれば、夕方閉店ぎりぎりのこともある。


「……言われてみると、バラバラかも」


「でも、必ず来るんだよね。不思議」


 ナナはそこで深く考えるのをやめて、「ま、いっか」と言いながらバックヤードに引き返していった。


 レイが再びソウを見た。


「続けますか」


「え?」


「さっきの話」


「あ、はい。——氷室さんはあのおじいさんのこと、どう思ってますか」


 レイは少し間を置いた。


「正確にはわかりません」


「わからない?」


「私が把握できる範囲で言えば——おじいさんは、この世界の成分ではない気がします」


 ソウは固まった。


「成分」


「言い方が難しいのですが。私たちのような存在でもなく、あなたのような存在でもない。もっと別の、何か」


「氷室さん、それ怖いこと言ってます? それとも普通に言ってます?」


「普通に言っています」


「それが一番怖いんですよね」


 レイは少し首を傾けた。困っているような、考えているような、どちらとも取れる表情だった。


「ただ」とレイが続ける。「悪意がある存在ではないと思います。これは感覚的な話ですが」


「感覚的な話でも、氷室さんが言うなら信じます」


「なぜですか」


「なんか……そういう気がするので」


 レイは今度こそ、はっきり困ったような顔をした。


「根拠のないことを言わないでください」


「氷室さんだって根拠なしに感覚的って言ったじゃないですか」


「それとこれは」


「同じですよ」


 言い切ったら、レイが黙った。珍しいことだった。



 



 夕方、テルが新しい雑誌を抱えてバックヤードに現れた。


 どこで買ったのかは聞かなかった。聞いても「自販機で」とか「落ちてた」とか意味のわからない答えが返ってくるので。


「ねえソウ、これ」


 テルが雑誌を広げてカウンターに置く。科学系の月刊誌だった。


「どこの記事?」


「ここ」


 テルの細い指が、見開きページの右下を差す。


 小さな記事だった。二段組みで、見出しは「各地で観測される光学的異常——専門家も首をひねる」。


 ソウは読んだ。


 内容はこうだった。先月から、世界各地で「景色の透けた部分」が報告されているという。透けている、という表現が正確かどうかわからないが、ある一点を見ると背景が二重になっているように見える現象が複数個所で撮影された。写真もあった。確かに、木々の向こうに見えるはずのない建物が薄く透けて重なっている。


「…なんか変じゃない、これ」


「うん」


 テルはあっさり頷いた。


「能力使ってないの? 全員」


「最近は使ってない。これは知らない」


「じゃあ誰のせいでもない」


「うん。世界が、自分でやってる」


 自分でやってる。


 ソウはその言葉を頭の中でゆっくり転がした。


 第29話の夜に、ミオが言っていた。世界が自分でおかしくなり始めているかもしれない、と。その可能性を、全員が頭の隅に置きながらも、まだ確かめられていなかった。


「テル、これ……深刻だと思う?」


「思う」


 テルは雑誌を閉じた。


「でも、なるようになる」


「それ、今は慰めにならないよ」


「知ってる」


 テルは静かに答えた。


 珍しく、達観した顔ではなかった。目が少し、真剣だった。


「でも言えることがそれしかないから」



 



 閉店後、全員が揃った。


 田所店長が先に上がっていたので、バックヤードにはソウ、レイ、ナナ、カイ、テル、ミオの六人が残った。


 テルが雑誌を広げた。全員が覗き込んだ。


「景色が透けてる、って何だよ」とカイが眉を寄せた。「CGじゃないの?」


「専門家が検証して、加工なしって結論が出てる」とソウが記事を指す。


「マジか」


「マジです」


 カイが腕を組んだ。普段のナルシストっぽい顔ではなく、本気で考えている顔だった。


「俺たち、能力使ってないよな」


「この一週間は誰も使っていません」とレイが言う。「確認のために聞きますが——全員ですね」


 ナナが小さく頷いた。「うん、我慢した」


「私も」とテル。


「俺も」とカイ。少し間があった。「……遅刻の時も、我慢した。バス乗り遅れて、普通に走った」


「見たかった」とソウが言ったら、カイが「うるさい」と返した。


 ミオはひとりで雑誌の写真を見ていた。


「ミオさん」


 ソウが呼んだ。


「……うん」


「知ってました? これ」


「知らなかった」


 ミオが顔を上げた。今日の彼女は珍しく疲れた顔をしていた。目の下がわずかに翳っている。


「ただ、予感はあった。能力を止めても、もう——間に合わないかもしれないって」


 誰も何も言わなかった。


 バックヤードの蛍光灯が、一度だけちかっと瞬いた。誰も指摘しなかった。


「でも」


 ミオが続けた。


「それを言いたくなかったのは、諦めてほしくなかったからじゃない。——正確には、私が諦めたくなかったから」


 ナナが小さく「ミオさん……」と言った。


「ごめんね」とミオは言った。「弁当作れば何かが変わるとか、思ってたわけじゃないんだけど。でもそれくらいしかできないから」


「十分ですよ」


 レイが言った。


 全員がレイを見た。レイが感情めいたことを言うのは珍しかったので。


「複製じゃない弁当を毎朝作るのは、かなり大変なはずです」


「別に大したことじゃ——」


「大したことですよ」


 レイが遮った。静かな声だった。


 ミオが少し、泣きそうな顔になった。千年生きているらしい人が、こんな顔をするのかとソウは思った。



 



 そのとき、バックヤードのドアをノックする音がした。


 全員が止まった。


 閉店後だ。店長はもう帰っている。


「……誰?」


 ソウが立ち上がった。


「ちょっと待ってください」とレイが先に動いた。


 ドアを開けると——謎のおじいさんが立っていた。


 手ぶらで。スマホも持っていなかった。


「あの」


 ソウが前に出た。


「閉店、してますけど」


「知っとる」


 おじいさんは穏やかに言った。皺の深い顔が、電灯の下で柔らかく見えた。


「ちょっとだけ、話せるかの」


 全員が顔を見合わせた。


 カイが「怪しくない?」と小声でソウに言った。ソウは「毎週来てるおじいさんだから」と小声で返した。「それが怪しいんだよ」「まあそうだけど」。


「どうぞ」


 ミオが言った。ミオが先に言うのは珍しかった。


 おじいさんがバックヤードに入った。六人が小さな部屋に詰まった。


 おじいさんはゆっくりと全員を見渡した。ソウ、レイ、ナナ、カイ、テル、ミオ。一人ずつ、確かめるように。


「わしは観測しとる」


 静かに言った。


「この世界を、ずっと。長い間」


 ソウは息をのんだ。


 昼間レイが言っていた言葉が浮かんだ。私たちのような存在でもなく、あなたのような存在でもない。もっと別の、何か。


「あなたは……」


「説明はできんのじゃよ、大したことは。わしにも仕組みはよくわからん。ただ、見えとる」


 おじいさんはカイを見た。カイが「な、なんだよ」と少したじろいだ。


 テルを見た。テルが「……やあ」と小さく手を振った。


 ナナを見た。ナナが「す、すみません、毎週お世話になってます!」と反射的に頭を下げた。


 ミオを見た。


 そこで、少し長く視線が止まった。


「長かったの」


 おじいさんが言った。


 ミオが静かに頷いた。


「うん」


「もうちょっとだけ、もう少しだけ辛抱して」


「……わかってる」


 ミオの声が、わずかに揺れていた。


 おじいさんがソウを見た。


 今度こそ、正面から。真っすぐに。


「あんたはNPCじゃろ」


「……え、その言い方は初めて聞きましたけど」


「おう。まあそうじゃ。普通の人間じゃ」


「そうです」


「なのにここにおる」


「なのに、ここにいます」


 おじいさんが、にやりと笑った。


「それがいちばん大事なことじゃ、たぶん」


 ソウは何か言いたかったが、言葉が出なかった。


「世界がのう」とおじいさんが続けた。「自分でおかしくなり始めとる。あんたらのせいだけじゃない。もともとそういう時期なんじゃ。ただ、重なってしもうた」


「重なった」


「タイミングが悪かった。そういうことじゃよ」


 ソウは雑誌の写真を思い出した。透けている景色。二重になった世界。


「どうすればいいんですか」


 聞いてから、ソウは自分でも驚いた。自然に出た言葉だった。


「それは」


 おじいさんが少し笑った。


「わしにもわからん。わしは観測しとるだけじゃから」


「それ、すごく無責任では?」


「そうじゃな」


 おじいさんは悪びれなかった。


 そして「ま、なるようになる」と言った。


 テルが「それ、私の台詞ですよ」と呟いた。



 



 おじいさんが帰った後、バックヤードは再び静かになった。


 ナナが「あのおじいさん、何者……?」と言ったが、誰も答えられなかった。


 カイが「なんか、怖い話だったんだけど最後まで全然怖くなかった」と言ったら、テルが「怖い話を怖い顔でしないひとだから」と答えた。


 ミオがロッカーから弁当箱を一つ取り出した。


「余った。ソウくん食べる?」


「いただきます」


 受け取ったら、本物だった。


 ——複製の弁当と本物の弁当の見分け方を、ソウはいつの間にか体で覚えていた。弁当箱の重さが少し違う。本物はもう少し重い。


 ミオが作る弁当は、いつも丁寧だった。卵焼きが少し甘くて、ご飯がちゃんと炊きたての匂いで、蓋を開けるとほかほかしている。


 ソウが食べている横で、みんなが少しずつ帰り支度を始めた。


 テルが雑誌を丸めてロッカーに突っ込んだ。カイが鏡を見ながら前髪を直した。ナナが「明日早番だったかな」と不安そうにスマホを確認した。レイがスペアの服を丁寧にたたんでバッグに入れた。


 ミオがソウの隣に座った。


「ソウくん」


「はい」


「怖い?」


 ソウは少し考えた。


「怖いけど」


「うん」


「ここにいる気持ちは変わらないです」


 ミオが小さく笑った。さっきより楽そうな顔だった。


「なんで?」


「なんか……そういう気がするので」


 ミオが笑い声を立てた。小さくて、でも本物の笑い声だった。千年生きている人の笑い声が、こんなに普通に聞こえるのは変な気がした。


 ……気のせいか。


 バックヤードの外、点けっぱなしのテレビからニュースが流れてきた。


 ——「カナダ・ブリティッシュコロンビア州で、昨日から今日にかけて夜が来なかった地域があると、現地住民が証言しています。気象庁は原因を調査中としていますが——」


 誰かが、ああ、と小さく言った。


 ソウは弁当箱の蓋を閉めた。


 おじいさんの言葉が頭の中で繰り返した。


 なるようになる。


 ……どっちなんだろう、それ。

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