第23話「なんか、増えてない?」
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スマートフォンのケースが、また三枚多かった。
ソウは在庫リストと棚を見比べて、何度も数え直した。間違いない。昨日の閉店時に確かめた数と、今朝の開店前の数が合わない。
「……気のせいか」
声に出してみると、そうでもない気がしてきた。
在庫管理シートに赤いボールペンで丸をつけ、ソウはバックヤードのドアを肩で開けた。ロッカー横のパイプ椅子に、ミオが腰かけてタッパーを三段重ねにしていた。
「おはようございます」とミオが顔を上げる。
「おはようございます。ミオさん、ちょっと聞いていいですか」
「なに?」
「スマホケース、三枚増えてるんですけど」
ミオは三段重ねのタッパーから目を離さないまま、少しだけ動きを止めた。
「昨日、補充した?」
「してないです。在庫表にも書いてない」
「……ああ」
短い沈黙のあと、ミオは「悪かった」と言った。
ソウは椅子を引きずって向かいに座った。「複製、ですか」
「試作品を置きっぱなしにしてた。今日の十七時くらいには消えるから、在庫表には書かなくていい」
「それ、ちゃんと区別してくださいよ。売ったら困る」
「売れてもいいケースではある」
「消えるので困ります」
ミオは少し笑った。うっすらとした、静かな笑い方だった。ソウはそれを見て、千年間この土地にいたという話を昨日また思い出した。笑い方が、どこか時間の外側にあるような気がする。そう思うのは気のせいかもしれなかったが、最近、気のせいの量が増えていた。
「ご飯、食べていく?」とミオが訊く。
「まだ開店前です」
「いいから」
タッパーの蓋を開けると、白米と厚焼き卵と、小松菜のお浸しが並んでいた。ソウは断る言葉を探したが、見つかる前に箸を渡されていた。
開店してしばらくして、ナナが来た。
「間に合った!」
ガラスドアをスライドさせながら飛び込んできたナナが、時計を見てガッツポーズをする。ソウはカウンター越しに壁の時計と自分の腕時計を交互に確認した。ぴったり十時。ぴったりだ。遅刻ではない。
「今日は余裕があったんですか」
「全然! 三回止めた!」
「三回」
「駅から! 走ったんですけど、信号が赤で。一回、坂が長くて。一回、犬が可愛くて」
最後の一回は完全に自分のせいだった。ソウは何も言わなかった。
エプロンを結びながらナナが横に並ぶ。「あ、ミオさんもういる」
「もういます」
「弁当、昼も食べる? 昨日のミートボール、おかわりしたかったんですよね」
「お昼も作ってきたよ」とミオがバックヤードから声をかけた。
ナナが目を輝かせた。ソウはその顔を横目で見ながら、在庫シートに「ケース×3、試作品・一七時消滅」と書き足した。
午前中は穏やかだった。
機種変更の相談が二件、修理の受け付けが一件、あとはプランの見直しを希望する中年の女性客が三十分ほど滞在した。その女性客が「このスマホ、もう古いですよね」と言ったとき、ソウは何となく答えに詰まった。
「えっと……まだ使えますよ、十分」
「でも対応してないアプリが増えてきて」
「それは確かに、あります」
「世の中の動きが早すぎて、追いつけないのよ」
女性客が帰った後、ソウはカウンターの端に頬杖をついた。世の中の動きが早すぎる。そういう問題ではないかもしれないが、なんとなく頭の隅に引っかかった。
テレビが流れている。音量が小さいので断片しか聞こえない。
——北海道・帯広市内の一部地域で、設置から三年以内の精密機器に誤作動が相次いでいることが……
「ああ、時計ね」とミオが呟いた。
「また北海道ですか」とソウが言った。
「うん」
「なんか最近、変じゃないですか」
「そうかもね」
ミオの言い方がどこか遠かったので、ソウはそれ以上聞かなかった。
カイが出勤してきたのは昼前だった。
「遅刻じゃないですよ」とカイは言いながら、ちょうど入り口の自動ドアをくぐった。「シフトは十一時からなんで」
「知ってます」とソウが言った。
カイはロッカーで荷物を置きながら、独り言のように「今朝やっちまってさ」と続けた。
「やっちまった、って何を」
「ゴミ袋がいっぱいになって、ゴミ置き場まで持っていくの面倒くさかったから、浮かせようとしたら」
「浮かせようとしたら?」
「袋が破けて、ゴミが部屋に散らばった」
ソウは少し考えた。「それ、能力の問題じゃないですよね」
「……そうなんだよな。袋が古かった」
「普通に持って行けばよかったんじゃないですか」
「重力すら俺には従うはずなのに」
「袋の耐久度は変わらないので」
カイはエプロンを結びながら、少し悔しそうに口をとがらせた。それから「そういえば」と話題を変えた。
「ミオさんって、複製する回数、最近多くない?」
ソウは少し考えた。「……言われると、そうかもしれない」
「弁当だけじゃなくて、昨日も在庫のケースが増えてたし。俺の部屋に似たような充電器が二本あったし」
「複製したんですか、充電器も」
「貸したまま返ってこなかったとか言ってたけど、いや俺の部屋にないはずの奴が増えてたんですよ」
ソウは在庫シートの「ケース×3」という文字を見た。試作品。一七時消滅。
「……なんか変じゃない?」
「そうなんですよ」とカイが静かな声で言った。
昼休憩、テルも来た。
テルはシフトが午後からなのに、なぜか昼には店の裏の非常階段に座っていた。
「休憩、ここでしてたんですか」とソウが声をかける。
「日当たりがいい」とテルが答えた。
「非常階段ですよ」
「いい天気だし」
反論できなかった。ソウは手すりに背を預けて、空を見上げた。薄い雲がゆっくり流れている。
「ねえ」とテルが言った。
「なんですか」
「最近、ミオさんのこと、気になってる?」
「……まあ」とソウは曖昧に答えた。「千年いるって話、まだ頭に残ってて」
「そう」
テルは目を細めた。「ミオさんはさ、長い分だけ、いろいろ見えてると思う」
「いろいろ、っていうのは」
「なんかあるじゃん、多分。言わないだけで」
テルの言い方はいつもどこか曖昧で、でも外れていないことが多かった。ソウは少し考えてから、「テルは何か知ってるんですか」と訊いた。
「知らない」とテルはすぐに答えた。「でも確率的に、何かあるだろうなとは思う」
「確率的に」
「うん。まあ、なるようになる」
「なるようになる、って何が」
テルは答えなかった。自販機でお茶を買って、ゆっくり飲んでいた。
ソウは手すりを握り直した。なるようになる、という言葉が、何かの予感のような形で胸の底に落ちていった。
午後、レイが来た。
「こんにちは」と、無表情のまま完璧な敬語で言いながら入ってきたレイが、カウンターに立つソウの隣に並んだ。
「お疲れ様です」とソウが言った。
「在庫に変動があると聞きました」
「ミオさんの試作品です。夕方に消えます」
「了解しました」
レイは淡々とシステムを立ち上げ、業務用端末に向かった。ソウはその横顔を少し見てから、視線を戻した。
「あの」
「はい」
「昨日の夜、ミオさんの複製の頻度が増えてるって、カイさんが言ってたんですけど」
「そうですね」とレイはすぐに答えた。
「そうですね、って、把握してたんですか」
「おおよそ」
ソウはしばらく待ったが、レイはそれ以上言わなかった。ソウは少し踏み込んでみることにした。
「……それって、何か意味があることですか」
レイは画面を見たまま、少し間を置いた。「意味、というより」
「というより?」
「習性だと思います」
「習性」
「長くいる存在は、増やそうとする傾向がある。安定させるために」
ソウには半分くらいしかわからなかったが、「安定させる」という言葉だけが残った。安定。レイが使うとき、その言葉はいつも普通より少し重い。
「安定、させる必要があるんですか、今」
レイは少し考えた。少し、というのは本当に少しで、一秒もなかった。
「どうでしょうね」
どうでしょうね、と言いながら業務に戻るレイの横で、ソウはなんとなくもう一度訊くのをやめた。
夕方の十七時になった。
ソウは棚を確認しに行った。スマホケースの段を見ると、三枚あったはずの試作品が、跡形もなくなっていた。隙間だけが残っていた。
消えた。
分かってはいたが、実際に見るとなんとも言えない気持ちになった。ソウは棚をもう一度眺めてから、在庫シートの「ケース×3、試作品・一七時消滅」という文字に線を引いた。
バックヤードに戻ると、ミオが空のタッパーを洗っていた。
「消えましたよ」とソウが言った。
「うん」とミオが答えた。
「……ミオさん、最近複製の回数、多くないですか」
ミオは蛇口を止めた。振り返って、ソウをまっすぐ見た。その目がいつもより少しだけ真剣で、ソウは少し身構えた。
「気になった?」
「カイさんも言ってて。俺も今日、棚で気づいて」
ミオはしばらく黙っていた。タッパーを布巾で拭きながら、ゆっくりとした動作で棚に並べていく。
「不安なのかもしれない」と、ミオが言った。
「不安、って、ミオさんが?」
「うん」
その一言が、思ったより素直で、ソウは少し驚いた。千年いる人が、不安になる。そういうものかと思ったが、考えてみれば千年いるからこそ分かることがあるのかもしれなかった。
「何が、不安なんですか」
ミオは答えなかった。
でも笑顔でもなかった。ただ静かに、タッパーを並べ続けた。
閉店間際、テレビがまた流れていた。
——南太平洋の無人島、三島が地図から消滅。国際地理学会が調査を開始——
「また消えた」とナナが呟いた。
「島ですか」とソウが言った。
「なんか最近多いよね、こういうの」
「……うん、多い気がする」
そう言ってから、ソウは少し考えた。島が消える。山が低くなる。時計がずれる。ケースが増えて、また消える。
なんか変じゃない?
口から出かけて、飲み込んだ。
今日だけで三回目だった。
代わりに、「お疲れ様でした」と言いながらロッカーの鍵をかけた。ミオが洗い終えたタッパーを鞄に入れている。レイが業務用端末を丁寧にシャットダウンしている。カイが自分の体重のことをぶつぶつ言いながらエプロンを畳んでいる。テルがもう眠そうにしている。ナナがまだ今朝の犬の話をしている。
いつも通りの光景だった。
いつも通りなのに、ソウはなんとなく、その「いつも通り」を少しだけ記憶しておこうと思った。
理由はうまく言えなかった。
ただ、そうしておきたかった。
帰り道、駅のホームのベンチで電車を待っていると、隣に座った見知らぬおじいさんが、スマートフォンを逆さに持ってじっと見ていた。
「……あの、逆ですよ」とソウが思わず言った。
おじいさんはゆっくり向いた。白い眉毛と、穏やかすぎる目をしていた。
「そうだったかね」
「はい」
おじいさんはスマートフォンを正面に向けた。それから、少し間を置いて言った。
「最近、物が消えてるね」
「……ニュースですか?」とソウが言った。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
ソウはそのおじいさんの顔を見た。見たことのない顔だった。でも、どこかで見たことがあるような気もした。
電車が来た。
おじいさんは乗らなかった。
ソウだけが乗った。ドアが閉まって、ホームが遠ざかるとき、ベンチを振り返った。
もうそこには誰もいなかった。
「……気のせいか」
電車の揺れに身を任せながら、ソウは窓の外を流れる夜を見た。
増えたり、消えたり。
なんか最近、その量が多い気がした。




