35話 闇を祓う心の光
「――馬鹿な……痛みだと?」
譲の拳が叩き込まれた鳩尾を押さえ、羅喉が片膝をついた。
「半妖ごときが……俺の……『マガツ』を取り込んだ俺の身体に傷をつけた……?」
「綺羅星の民」たちも、羅喉の様子を目にして驚きの声を漏らしている。
「半妖が相手だと、『マガツ』の加護は効果がないのか……」
「歯向かった同胞たちは、成すすべなく『粛清』されたというのに……」
羅喉は蹲り、苦しげに呻いている。
「何だこれは……俺の中の『マガツ』が……離れ……?!」
そう言う彼の口から、突然凄まじい勢いで黒いモヤが吐き出された。
先刻、譲が羅喉に放ったのは、かつて放火犯の火洞に対して使った技と同じものだった。
相手の体内に巣食う悪しきものを追い出す拳が、羅喉の取り込んでいた「マガツ」をも剥がすことに成功したのだ。
しかし譲は、事態がこれで終息する訳ではないと即座に悟った。
羅喉が吐き出す「マガツ」は、見る見るうちに、この戦闘用の空間を満たしていく。
「なんという量だ……こんなものを、あの羅喉とかいう奴は一人で取り込んでいたのか」
「人間であれば、とうに死んでいただろうな……」
絢斗と白露が、青ざめた顔で言った。
「あれほど大量の『マガツ』を浴びれば、我々もどうなるか分からん。散らすぞ!」
「闇狩り」の当主にして絢斗たちの兄である立夏が、懐から数枚の呪符を取り出して空中に投げ上げた。
一枚一枚が意思を持つごとく舞う呪符からは、炎や雷が発生し、黒いモヤを散らしていく。
絢斗と白露、そして他の「闇狩り」の戦士たちも、立夏に倣い術による攻撃を始めた。
「人間だけに任せておけるかよ」
集まっていた妖たちも、それぞれの力で「マガツ」を退けようと試みた。
「同胞たちよ! 手を貸してほしい!」
莉沙の呼びかけに、「綺羅星の民」たちも動いた。彼らの生み出す無数の光の槍が「マガツ」を押し返していく。
一方、譲は羅喉が倒れたまま動けずにいるのを見て取った。
「ユズ兄、危ないよ!」
莉沙の声を背に、譲は羅喉のもとへ駆け寄った。
初めて見た時は若々しく美しかった羅喉だが、体内に「マガツ」を取り込んでいた影響か、今は見る影もなくやつれ果てている。
「マガツ」から逃れるように、譲は彼の身体を担いで走った。
「坊ちゃん、そんな奴、放っておけばいいでしょうに」
譲の傍に舞い降りた綿雪が、鼻に皺を寄せて言った。
「考える前に身体が動いていた……彼も、『マガツ』に取り込まれて変わってしまったのかもしれないからね」
羅喉を地面に横たえながら、譲は「マガツ」に満たされていく空間を見上げた。
「『マガツ』め、散らせば散らしただけ増殖してくるとは……」
次々に術を放ちながら、白露が歯噛みしている。
彼の言うとおり、「マガツ」は連合軍の攻撃で一瞬削られたと思っても、再び何事もなかったかのように増殖して迫ってくるのだ。
――人間一人に憑いていた程度の量なら消し去ることも可能だったが、これは相手が大きすぎる……
譲の中にも焦りが生まれた、その時――溢れる「マガツ」の中に、淡い光を放つ球体が、ひとつ、またひとつと出現した。
水色や桃色、淡い黄色など様々な色をした光球は、瞬く間にその数を増やしていく。
「――間に合ったか?」
どこからともなく、聞き覚えのある声――化け狸の長、幸助の声が響いた。
「人間たちに夢を見せて思念を集めるのに、少し時間がかかってしまって……」
やはり化け狸であるキヌの声も聞こえる。
「いま、同族や協力してくれる妖たちと頑張っているところよ」
妖狐の重鎮、織江も言った。
『――なんだ……なんと不快な……これは……負の感情とは対極にある感情……やめろ……そんなものを持ち込むな……!』
不意に、ざらざらと脳髄を擦られるような思念が刺さるのを、譲は感じた。
「お前は、『マガツ』か。やはり、『負の感情』の対極……他者を思いやる心が苦手なようだな」
『おのれ、生きとし生けるものの怒りや憎悪を蔓延らせるはずが……』
「マガツ」で溢れていたはずの空間は、時間が経つにつれ、いつしか柔らかな光を放つ球体と、その優しい温もりに満たされつつあった。
『我の……我の力が……だが、我は滅びぬ……お前たちが存在している限り、負の感情が完全に消えることはない……いつの日か……また……』
人の心の光に照らされ、「マガツ」は、この空間から消滅した。
「……『マガツ』は、消えたのね」
莉沙が、胸を撫で下ろした。
「完全にではないけれど、力の多くを失ったようだね」
譲は、袖で額の汗を拭った。
「ということは、また奴が現れるかもしれないということか?」
絢斗が、目を丸くして言った。
「対抗手段も分かったし、我々人間が妖たちと協力できることも分かった。次もまた、両者が手を結ぶことができれば……」
白露が、譲に目をやった。
「ええ、きっと大丈夫でしょう」
譲は、そう言って微笑んだ。
「……何が……起きた……? 俺は……?」
足元に横たわっていた羅喉の呻くような声を聞き、譲は屈んで彼の顔を見た。
黒く濁っていた白目は正常に戻っており、今の羅喉からは「マガツ」が完全に抜け落ちているのが分かった。
「そなたの中の『マガツ』は祓われた」
歩み寄ってきた莉沙も、そう言って譲の隣で体を屈めた。「綺羅星の民」たちは、そんな二人を遠巻きに見守っている。
「明星殿……そして半妖の男……か」
譲たちの顔を見て、羅喉は小さく息をついた。
「羅喉よ、なぜ父上を殺めた」
莉沙が、哀しげな目をして言った。肉親を奪われた彼女の、抑えきれない気持ちが溢れたのだと、譲は感じた。
「お……俺は……強くなりたくて……強さの証である……『王』の称号がほしかった」
苦しげな息のもとで、羅喉は言葉を絞り出しているようだった。
「だが……一対一では……星河王には到底敵わず……何度も挑んでは敗れるうちに……俺は……どんなことをしてでも王を倒したいと……」
「その気持ちに、『マガツ』がつけ込んできた、ということか」
譲の言葉に、羅喉は弱々しく頷いた。
「『王』と認められるのは、自らの力で先代を倒した者……それすらも忘れ、俺は『マガツ』に頼り、あまつさえ……力で従わせた同胞たちをも使い……星河王と明星殿を亡き者に……しようと……今は……自分がどれほど恥ずべき者か分かった……」
そこまで話すと、羅喉は顔をしかめた。彼に残された時間は僅かなのだと、譲は悟った。
「もう喋るな、羅喉よ。そなたのしたことは許されるものではない……だが、誰にでも、そういう気持ちを抱いてしまう可能性はある。そなたに悔やむ気持ちがあるのなら、私は何も言うつもりはない」
莉沙が羅喉の肩に軽く手を添えると、彼の橙色の目から、ひとすじの涙がこぼれた。
「……明星殿、すまなかった……そして同胞の皆も……」
消え入るような声と共に、羅喉の身体は解けるように崩れ、目に見えぬ塵となって霧散した。
その様を見て、小刻みに肩を震わせる莉沙を、譲は抱きしめた。
「よく、我慢したね。やはり、莉沙は優しい子だね」
本当は、恨みも怒りも悲しみも簡単に消えるはずはないのだと、譲は莉沙の髪を撫でながら言った。
「羅喉も報いは受けたから……」
涙を流していた莉沙は、譲の胸に顔を埋めた。
「……明星殿、ご無事で何よりです」
「綺羅星の民」の男が一人、おずおずと近付いてきた。
「私を案じてくれていたのか。羅喉に襲撃され深手を負ったが、『可惜夜の王』である北辰様に救われ、これまで人間の世界に隠されていたのだ」
莉沙が説明すると、「綺羅星の民」たちは、なるほどと言うように頷いた。
「そうでしたか……以後は、再び我らのもとへ戻られるのですよね?」
男の言葉に、譲の肩がぴくりと震えた。奪われる――反射的に思った彼は、無意識に莉沙を抱く手に力を込めた。
「いや、すまぬが私は人間の世界に残りたく思っている」
莉沙が言うと、「綺羅星の民」たちは騒めいた。
「以前に負った傷のせいで、まだ完全に力が戻っていないのもあるが……私は、人間の世界が気に入ってしまったのだ。時々は『綺羅星の里』へも顔を出そうと思っているが……どうか、私の我儘を許してほしい」
「うむ、明星殿の気持ちは分かるぞ」
莉沙の言葉を受けて、蒼梧が口を挟んだ。
「人間の世界には、我々が知らぬ様々な『文化』や旨いものがあるからな」
木賊も、加勢するように言った。
「なんだか、私が食いしん坊みたいじゃない」
くすりと笑う莉沙に釣られ、譲も安堵と共に微笑んだ。
「莉沙、これからも、人間の世界にいるんだね?」
「もちろんよ。私、ユズ兄のお嫁さんになるって言ったでしょ?」
優しく見つめ合う二人を、人の心の光が温かく包んだ。




