連合軍 ①
火の国の要衝、ヒブラルタル海峡。火の国本土とエル・イエロ島の間に形成された海峡には、火の国の主要な港が集中している。南北に細長く伸びたエル・イエロ島の東側は切り立った断崖のため、東側からの攻撃を困難にする天然の要害と化していた。
火の国への遠征を計画した帝国軍は、その地理的性質を予め調査し、海峡内部へ攻撃するための作戦を多数立案していた。敵軍がどんな動きを見せようが、それに対応するだけの軍事演習も積み重ねて来ている。
雲一つ無い穏やかな気候の中、両軍は既に互いの位置を確認できる距離まで接近している。ヒブラルタル海峡を巡る戦いの火蓋は、もう間もなく切られようとしていた。
― 帝国海軍 旗艦ヴィクトリア ―
敵軍の存在を確認した帝国海軍は雷花を派遣し、各艦長に命令を伝達していた。その命令には、各艦の帆を畳み機関室の動力で稼動させることも含まれている。火の国が相手では真っ先に帆を燃やされてしまうためだ。
そして、いち早く司令室に戻ったクレアが指揮卓に駆け寄る。彼女の役割は高所から両軍の配置を鳥瞰し、指揮卓で再現することだった。
「艦隊の配置は、……こうだった」
優れた記憶力を持つクレアが机上の模型を手早く並べ直す。海図の上に、両軍の位置が一隻ずつ示された。
海峡に向かって整然とした二列縦隊で進軍する帝国軍に対し、敵軍は二つに分けた艦隊を一か所に集中させつつある。海峡付近で相対する戦力は、帝国軍四十隻に対し敵軍は三十五隻。帝国軍は補給線を確保するため、物資を積んだ十隻を域外に待機させていた。
「ローレン、修正は要るか?」
帝国海軍の司令官であるダルシウスが、クレアに続いて司令室に戻ったローレンに問う。実戦経験が豊富な初老の魔女は首を素早く横に振った。
「いえ、不要です」
「よし。オーウェン、敵の動きをどう見る?」
ダルシウスが副官に視線を向けた。オーウェンは司令官と並ぶ程に背が高い青年だが、その表情と体格からはひ弱な印象を与える。それでも副官として抜擢されたのは、彼の頭に過去の戦争における全ての戦術とその結果が入っているからだった。
「はっ、はい。……敵の意図が読めません。地の利を生かすなら、海峡内で我々を待ち構えた方が戦術的に優位です。ですが敵は自らその優位を捨てている。各個撃破を恐れてのことでしょうが、何か策があってのことかもしれません。慎重に進むべきと思います」
オーウェンの言葉を真剣に聞いていたダルシウスが大きく頷く。ダルシウスは今までも副官の判断に高い信頼を置いていた。
「同感だ。フィオナ。当初の作戦通り二列縦隊を維持して進むが、敵の出方によっては針路を変える。雷花が全員戻ったら指示を出せ」
「かしこまりました」
「クレア。ひとまずは十五分おきに両軍の陣形を確認しろ。我が軍の動きに敵がどう対応するか見たい」
「はい」
フィオナとクレアが直立して敬礼する。
フェリシアは体力を温存するため、司令室の隅で待機をしていた。傍に来たローレンに声をかけられる。
「隊長。『獣化』は問題なくできそうか?」
『獣化』とは、魔獣の身体の一部を魔女の外側に出現させる『顕現』とは異なり、魔女の内側で融合させ身体能力を強化する方法である。
フェリシアは帝都で刺客に敗れた後、ローレンの助言を得て獣化の訓練を行っていた。
「問題ない。いつでも使える」
「……前にも言ったが、ヒューグの指示に従うんだよ。本当に危険な時は彼が教えてくれる」
「ああ」
鋭く光るローレンの目を、フェリシアは真っ直ぐ見つめた。獣化が過度に進行すると魔獣の身体が魔女の外側にも表出するようになる。その制御が効かなくなると、魔女は理性を失った獣と化してしまうのだ。
諸刃の剣である獣化の危険性はフェリシアも理解していた。
指揮卓へと戻るローレンの背を見つめながら、フェリシアは昂る感情を抑えていた。自分の立場を弁えてじっとしているが、フェリシアを除く皆がせわしなく動き回る戦場で、ただ待つというのは殊更に焦燥が募る。
フェリシアの役割は敵の魔女を狩ること。雷花が魔女の位置を確認するまで、帝国軍は切り札たる『鴉の魔女』を戦場に解き放つことはできない。
(……)
シャルナ皇女から授かった剣『グラム』の柄に添えようとした手を止める。グラムに触れて良いのは旗艦から飛び立った後。その時こそ、内に溜めていた感情を解放することが許されるのだった。
― 連合軍 旗艦アストゥリアス ―
エフレイン王国軍の参謀長であるバルタザールは、連合軍の指揮官に抜擢されるという栄誉を授かっていたが、早くも匙を投げたい気持ちになっていた。
壮年の参謀長は濃紺の制服の上に白のジャケットを着用し、頭には濃紺の三角帽を被っている。先程エフレイン王国軍に作戦変更の指示を伝えた後、司令室の中を何度も往復しながら一人思案に暮れていた。
切れ者として知られるバルタザールであるが、連合軍の指揮は容易ではなかった。十年前の西大陸の戦争以来、陸軍の増強に傾倒していた火の国は海軍力を大きく損ねていたのだ。
海軍は人員と隻数を減らされ、艦隊の運用能力は著しく低下している。海軍を動員するのは数十年振りのことであり、実戦経験のある提督は存在しない。
帝国の脅威を予見していた火の魔女を除き、皆が海軍を軽視した代償を、この戦いで初めて海軍を指揮するバルタザールが払うことになっていた。
更に、戦争開始前から連合軍の足並みに乱れが生じている。同盟国であるハイドレシアとの合流が想定より遅れてしまったのだ。
当初の作戦は、連合軍が海峡内で陣形を整えておき、狭い海域への侵入を余儀なくされた帝国軍を一隻ずつ沈めるというものだったが、ハイドレシア王国軍の到着が遅れたことにより変更を迫られた。
到着が遅れた理由を訊いたバルタザールは耳を疑った。何とハイドレシアの女王であるサラーシアがこちらに向かわれていると言うのだ。
バルタザールは海峡内で既に整えていた陣形を解き、急いで合流に向かった。地の利を捨てることになるが、帝国軍が迫る中、友軍が各個撃破される事態にはできない。水の国の女王が乗船している以上、選択の余地は無かった。
「参謀長。サラーシア女王陛下が当艦に乗船されます」
「……分かった。すぐに行く」
火の国の魔女アンヘラの知らせを受けて、バルタザールは司令室の扉を開ける。そして茶色の目を見開き、呆然と立ち尽くした。
(何と……!)
旗艦に接近したハイドレシアの軍艦から、サラーシア本人が直接乗り込んでいたのだ。周囲に漂わせた水の輪で身を持ち上げ、純白のキトーンを纏った水の国の女王は三人の魔女と共に甲板に降り立つ。
陽光に照らされて煌めく水を纏いながら、優美に微笑む女王が来臨する幻想的な光景に、バルタザールは息をするのも忘れて見入っていた。
「……女王陛下」
バルタザールは慌ててその場に跪く。彼に同行していたアンヘラ、甲板にいた船員たちもそれに倣った。
跪くバルタザールの前に、サラーシアが優雅な足取りで近寄った。背後に控える一人の魔女が手を振り、四人が纏っていた水を鯆に変転させ海面に飛び込ませる。彼女らの装備、および甲板には水滴の一粒も存在しなくなった。
「顔を上げてください。貴方が火の国の参謀長ですね?」
バルタザールが顔を上げると、サラーシアが微笑を浮かべていた。女王は頭に金色の月桂冠を被り、栗色の長髪を結って腰のあたりまで垂らしている。
海を思わせる蒼玉色の瞳は柔らかな光を放ち、凛とした容貌は初老に差し掛かる年齢ながらも、目を奪われる程の気品を纏っている。
「はい。お初にお目にかかります。バルタザール・ロサリオと申します」
「私の我儘で貴国の艦隊に迷惑を掛けました。我が軍の到着が遅れたことをお詫びします」
頭を下げる女王を前に、バルタザールは先程まで抱いていた言い知れぬ鬱憤を消失させる。
「とんでもございません! 何故、御自ら戦場に……?」
「先の大戦で、我が国は貴国の女王から多大な力添えを頂きました。今こそ、その恩に報いる時。窮地に陥った時は、最後の手段として我が神獣を召喚しましょう」
「神獣まで……、そこまで貴国を危険に晒すわけには……」
女王の御前であることを半ば忘れながら、バルタザールは驚きを露わにする。対するサラーシアは優美な微笑みを保っている。言葉を発さずとも、その表情が女王の覚悟を雄弁に語っていた。
「……かしこまりました」
バルタザールは恭しく頷く。連合軍の指揮官として平静を装っているが、頭の中では必死に作戦を組み立てていた。
バルタザールも、サラーシアが契約した神獣の正体は知っている。神獣の力を使えば容易に敵の戦線を崩すことができるだろう。その抗いがたい誘惑を意識の片隅に置きながら、軽々に行使してはならないことを自らに言い聞かせる。
(女王陛下の仰る通り、神獣の力を使うのは最後の手段。作戦は当初の目的から外れてはならない……)
連合軍の目的はヒブラルタル海峡の防衛。そのためには、連合軍から帝国軍へ攻撃を仕掛ける必要はない。一発の砲弾を放たずとも、補給を継続できなくなった帝国軍が撤退すれば連合軍の勝利となるのだ。
この戦争において、時間は連合軍に味方している。
数分の後、バルタザールは火と水の国の魔女に指示を出した。連合軍の艦隊への伝達事項は『一刻も早く艦隊を合流させよ』の一点のみ。
その狙いは、両軍を膠着状態に置くことであった。




