電気船「渡雷号」 ⑥
「ヴェルミオン! これならいけるわ」
アイシャはヴェルミオンを見上げながら喜びを露わにする。腕は痛むが何度か練習をすれば戦場でも使えそうだった。
〈ああ。だが両手が塞がっていては魔法が使えない。次は片方の手を空けるんだ〉
「分かってる。また後で練習に付き合って」
ちょうどアイシャの前に、一部始終を見ていたルーファスが近付いて来た。強い日差しの中、今はジャケットを着ていない。
「驚いたな。召喚した魔獣と空を飛ぶなんて」
昨夜までとは違い、彼の表情や口調からは親しみが感じられる。
「ええ。小さい頃から彼と遊んでいたから」
アイシャは一瞬だけルーファスと視線を合わせた後、水平線へと目を向けた。ルーファスも倣い、二人は胸壁に寄り掛かる。
「魔獣が遊び相手なんて珍しいな。親はどうしてたんだ?」
「……母さんとは小さい頃に別れてからそれっきり。父さんとカトレアはずっと忙しくしていたわ」
(友達もいないで魔獣と遊んでたなんて、改めて思うと普通じゃないわね……)
アイシャは胸にちくりと痛みを感じる。
「ルーファスは小さい頃どうしてたの?」
「ん? 俺か?」
ルーファスが少し間を置いてから話し始める。
「……俺は十歳の時に両親を失ったんだ。ミスガイスとの戦争でな。親父は軍人、母親は魔女だった」
「そうだったの、ごめんなさい……」
「気にするな、昔の話だ」
ルーファスが空を仰ぎ、口元に冷笑的な笑みを浮かべる。
「俺は帝国が嫌いなんだ。国土の拡大のために、いくらでも人命を費やそうとするからな。だが戦争に反対する人は国内では少数派なのさ。戦場に身を投じる者を称賛する風潮は増すばかりだ」
「……」
「身寄りのいなくなった俺を引き取ってくれたのがアルメリアだ。俺の母親が彼女と懇意にしていたんだ。アルメリアとは自然に打ち解けたよ。お互い、帝国に大切な人を奪われた者同士だからな」
「アルメリアも?」
「そうだ。陸軍司令官だった夫を亡くしているんだ。そして、娘のフェリシアも軍人。アルメリアは娘を失うことをずっと恐れている。だから反戦派の筆頭なんだよ」
アイシャは雷の魔女の、どこか憂いを帯びた表情を思い浮かべる。始めて会った時から感じていたことの正体を漸く理解した。
フェリシアとルーファス。両者ともミスガイスとの戦争によって親を失ったが、その後に取った行動は対照的だった。
「暗い話になっちまったな。……そうだ。前から一つ訊きたかったことがあるんだ」
「何?」
「紅い火の魔法の使い手は、普通なら火の魔法が使えなくなるんだよな?」
「ええ、そうよ」
「アイシャは、何で二つの火の魔法を使えるんだ?」
アイシャは思わずルーファスに顔を向けるが、彼の表情には純粋な好奇の色が浮かんでいるように見えた。
「えっと、それは……秘密よ」
アイシャは焦りながら答える。『秘密』とは言ったものの、これはアイシャですら分かっていないことだった。
「……成程。確かに易々とは明かせないか」
ルーファスが頷いて視線を水平線に向ける。アイシャは彼の横顔を見ながら複雑な思いを胸に抱いていた。
物心ついた時から二つの火の魔法を使えるアイシャ。悪竜憑きが忌み嫌われる火の国において、更に特殊な存在として嫉妬と蔑視の視線を向けられる日々を過ごしてきた。
それでも、ルーファスは自分の力を知りながら普通に接してくれている。
「……ねえ、紅い火の魔法のこと。ルーファスはどう思ってるの?」
「変なことを訊くんだな。……敵には使って欲しくない魔法だ。何せ雷が通用しないんだからな」
口元に笑みを浮かべるルーファスを、アイシャは暫く放心したように見つめていた。
「どうした? 俺の顔に何か付いてるか?」
「えっ、違うわ! ……何でもない」
アイシャは視線を水平線に向ける。不思議そうに見つめるルーファスの視線を感じながら、自分がどう振る舞えばよいか分からなくなっていた。
渡雷号は穏やかな海を進み、甲板には優しい潮風が吹いてアイシャの頬をそっと撫でる。
思いがけず手に入れた船旅のひと時。それは、アイシャが長く探し求め半ば諦めかけていた『自分が普通でいられる瞬間』に他ならなかった。
「船長! 十一時の方向、ヒブラルタル海峡です。多数の軍艦も見えます!」
アイシャが乗船してから三日が立ち、いつしか渡雷号は戦場を目前にしていた。見張り台で監視をしていた船員が声を張る。
(遂に到着したわね)
船首楼甲板の端で前方を見ていたアイシャにも、朧げに戦場の様子が窺えた。商人たちの退避を支援した時と同様、黒一色の装備に身に付けたアイシャは振り返って船の中央へと歩く。
この三日間で、戦うための準備は可能な限り行った。ヴェルミオンとの飛行訓練の結果、今では片手を空けて飛行することもできるようになった。
身体を動かすために船員たちの仕事を手伝う中で、彼女らとも仲良くなった。アイシャを見送りに集まった者たちはみな別れを惜しみ、目に涙を浮かべる者すらいた。
「アイシャ、元気でな!」
「その前に、戦場で死ぬんじゃないよ!」
アイシャは笑顔を見せようとしたがあまり上手くいかなかった。戦場を目前にしてから、身体が強張っている。アイシャの前にグレースが進み出て、渡雷号に乗船した時と同様に右手を差し出した。
「アイシャ。あんたはあたしたちの大切な友人だ。渡雷号の船長としてあんたに同道できたことを光栄に思う。……絶対に生き延びるんだよ」
「グレース。……短い間だったけど本当にありがとう」
アイシャは頷き、固く握手を交わした。
グレースの隣にいるルーファスに目を向けると、グレースがその意図を察してくれた。
「お前たち、そろそろ奥にすっこんでな」
グレースが船員たちを二人から引き離す。甲板の縁にはアイシャとルーファスだけが残った。ルーファスが躊躇いがちに呟く。
「……なあ、アイシャ」
「どうしたの? いつもと様子が違うわ」
歯切れの悪いルーファスをアイシャが揶揄う。
「あー、湿っぽいのはやめだ。右手を出しな」
「え?」
アイシャが右手を差し出すと、ルーファスが両手で包み込んだ。アイシャの掌を左手で支え、右手に持った指輪を人差し指に通す。
「これって?」
アイシャは目を見張る。指に通された銀の指輪には、陽光に照らされて煌めく紅玉が埋め込まれていた。アイシャは自らの瞳と同じ色の指輪に目を奪われた。
「……綺麗」
「お守りだ。次に会う時まで、君に預ける」
「本当に?」
アイシャが顔を上げ、煌めく深紅の瞳でルーファスを見つめる。その表情を見て、ルーファスが意を決したように話す。
「この指輪を俺に授けた人が言ったんだ。『赤』を意味する名を持つ俺に相応しい指輪だとな。だが君に会って考えが変わった。その瞳を持つ君にこそ相応しい指輪だとな」
アイシャは瞬きもせずルーファスの目を見つめる。
「必ず生きて帰って来い。そしてその指輪を返しに来い」
「……ありがとう、ルーファス」
アイシャの目に涙が浮かぶ。予想外の反応だったのか、ルーファスが慌てた表情で急き立てた。
「早く行け。行かないなら、今すぐその指輪を返してもらうぞ」
アイシャは涙を拭いながらくすりと笑う。
「ふふっ、もう行くわ。ヴェルミオン!」
〈遅いぞ。何をもたもたしている〉
「そんなに怒らないで」
見張り台にいたヴェルミオンが急降下して、アイシャの頭上に舞い降りる。ルーファスは彼らのために一歩引き下がった。
〈しっかり掴まれ。味方の船までかなりの距離がある〉
「ええ」
練習通りアイシャが脚を掴んだ後、ヴェルミオンが力強く羽ばたき、アイシャの体重を物ともせずに甲板の縁から勢いよく飛翔した。
アイシャの姿が戦場に紛れて見えなくなっても、ルーファスは変わらず同じ方角に視線を向けていた。そこへ戻って来たグレースが意地の悪い笑みを浮かべて声を掛ける。
「キスでもしてやらなかったのか?」
「……揶揄うなよ。そんなんじゃないんだ」
「へえ、あんたも変わったね。それともアイシャがあんたを変えたのか」
「……」
グレースも視線を戦場に向ける。かなりの距離を置いた船上であっても聞こえる雷と大砲の音は、ヒブラルタル海峡へと翔けて行ったアイシャが背負う運命の苛烈さを表していた。




