電気船「渡雷号」 ⑤
翌朝、アイシャは眠い目を擦りながら客室を出ると、頭上からグレースに呼びかけられた。
「その様子だとあまり眠れなかったようだな」
見上げると、強い日差しを背に、船尾楼甲板で操舵輪を握るグレースが不敵な笑みを浮かべていた。
「ええ、まだちょっと眠いわ」
甲板上の階段を上り、グレースのいる躁舵輪の前に立つ。
「ルーファスに何かされなかったか?」
「えっ、別に何もなかったけど……」
アイシャは頬を赤くして否定する。
「ははっ! あんた、澄ました顔をしてるかと思いきや、表情がころころ変わるんだな。ルーファスの野郎もあんたを揶揄いたくなるだろうよ」
グレースが朝から大きな笑い声を発するが、アイシャは不思議と腹が立たなかった。船上で生きる者は皆快活で、揶揄われても嫌味を感じることがない。
「昨夜伝えた通り、到着までは好きに過ごしていいぞ? ずっと客室で寝ていても構わない」
「……そうね」
アイシャはヴェルミオンを探そうとして甲板を見回す。その時、頭上から白い鳥が降下してきた。振り返ると、グレースの腕に留まっている。
〈グレース。二時の方向。強い風が吹いているわ〉
「分かった」
囁く白い鳥に対しグレースが力強く頷いた。
「あなた、魔女なの?」
「そうさ。海猫の『ヘヴリング』はあたしの相棒。こうして風を読んで教えてくれるんだ」
グレースが誇らしげにヘヴリングの羽毛を撫でる。
「そろそろ、皆を休ませてやろうか」
グレースが甲板を見回せる場所に歩み出て呼びかける。
「お前たち! 帆を張りな! 機関室は一時停止する」
「はい、船長!」
甲板にいた船員たちが、機関室に伝令をする者と帆を張る者に分かれる。アイシャは船員たちが力を合わせてロープを引っ張っている様子に目を留めた。
「わたしも手伝っていい?」
「ああ、好きにして構わない」
ヘヴリングを肩に載せて躁舵輪を操るグレースを後にし、アイシャは船員たちの元へ駆け寄る。
「手伝うわ」
「本当かい? あんたは客人なんだ。それに結構重いよ?」
ロープを引っ張っている中年の船員が驚くが、アイシャも甲板に垂れたロープを手に持つ。
「大丈夫。身体を動かしておきたいから」
「そうかい。じゃあ、掛け声に合わせて引っ張るんだよ。せーの!」
(ふんっ!)
アイシャも体重を掛けてロープを引く。頭上を見上げるとメインマストに掛かる帆が少しずつ広がっていく様子が見えた。同時に、見張り台の上に煌めく深紅の羽毛が目に入る。
(ヴェルミオン。そこにいたのね)
心の中で呟きながら、掛け声に合わせてロープを引っ張る。何度か繰り返す内に、帆が一杯に広がり風を掴んでいた。
「ふう……華奢な身体で大したもんだね。何もしないルーファスとは大違いだ」
汗を拭いながら船員がアイシャに礼を言う。
「彼には他にやることがあるのよ。その……、ルーファスとグレースの間には何があったの?」
アイシャが声を落として訊く。
「ん? まだ聞いてなかったのか。恋人同士だったんだよ。でも仕事上、中々会う機会が無かったみたいでねえ。ルーファスから別れようと言われたらしいさ。それで喧嘩別れして以来、あの通りなんだ」
「そうだったの……」
疑問は解消したが、アイシャは苦い後味を覚える。
「教えてくれてありがとう。えっと、マストの上に行きたいんだけど、これを上っていけばいいの?」
アイシャはメインマストを支えるロープ、『シュラウド』を指差す。
「そうだけど、ちょっとしたこつが要るよ。訊かなくていいのかい?」
「心配ないわ」
アイシャはシュラウドに身体を預け、一度も止まることなく天辺へと上っていく。
「何とまあ、猫みたいに身軽だね……」
アイシャを見上げる船員がため息を吐いた。
「ヴェルミオン。こんな所で何をしてるの?」
強い潮風が吹く中、見張り台に辿り着いたアイシャは体勢を崩さぬよう手摺に掴まり、水平線を眺めている不死鳥に問う。
〈戦場でお前を守る方法を考えていた〉
ヴェルミオンが振り向かずに真剣な声音で答える。アイシャは一瞬前まで彼を咎めようとした気持ちを内に仕舞った。
〈魔女でないお前が、帝国随一の魔女を相手取るのだろう。お前の父親ですら敵わなかった相手にどうやって対抗するつもりだ?〉
ヴェルミオンが首を捻ってアイシャに視線を向ける。
「わたし一人でフェリシアに勝つつもりはないわ。味方の魔女と協力して、わたしは足止めに徹する」
アイシャはきっぱりと答える。歴然とした魔力の差は、紅凰館で思い知らされていた。
〈いいだろう。だが、いざという時のために、使える魔力が多いに越したことはない。俺の魔力を使う方法を教える〉
「そんなことができるの?」
アイシャは首を傾げる。自らが契約した魔獣とは魔力の共有ができるが、それが他者の魔獣を相手にしても可能だということは初めて聞いた。
〈俺の身体に触れてみろ〉
「うん」
アイシャはそっとヴェルミオンの羽毛に左手を当てる。
〈俺をお前の身体の一部だと思え。意識を向ければ、異なる魔力の存在に気付けるはずだ〉
アイシャは意識を指先から不死鳥の身体へと向ける。すぐに膨大な魔力の存在を知覚した。
「凄い。こんなに魔力があるの?」
〈俺の身体にはカトレアの込めた魔力がある。試しに使ってみるんだ〉
「ええ」
アイシャは右手を前方に向け、帆に当たらぬように炎を放つ。普段とは違い自らの魔力が減らないことに気付いた。
〈魔力の方は問題なさそうだな〉
ヴェルミオンがアイシャに向き直る。
〈お前に訊くことはもう一つある。今回の戦争は艦隊同士の決戦だ。軍艦の間を移動しながら、飛行能力を持つ魔女と戦うには、どうする?〉
「……ちょっと試したいことがあるの」
アイシャが考えた内容を伝えると、ヴェルミオンが唸るような声を発した。
〈確かにそれしか無さそうだな。後はお前の体力次第だ〉
「大丈夫よ。準備して」
軽く羽ばたいて手摺から身を浮かせたヴェルミオンの両脚を、アイシャはしっかりと掴んだ。ヴェルミオンも彼女の両腕を強く握り返す。
「重くなったとか言わないでよ?」
〈魔獣の力を侮るな。多少成長したからと言って、お前を運ぶのは造作もない〉
「そう。じゃあ、飛んで」
〈ああ〉
ヴェルミオンに引っ張られ、アイシャは見張り台から滑空を始める。足が宙に浮いた瞬間は肝が冷えたが、潮風と共に恐怖は吹き飛んだ。
「船首の下を通って! そのまま船を一周をする!」
〈了解〉
アイシャが出す指示にヴェルミオンが忠実に従う。腕が強く引っ張られる感覚は続いているが、ヴェルミオンの体勢の変化が緩やかなため負担は少ない。
アイシャは思わず口元を綻ばせる。幾度となくカトレアの目を盗んで行っていた遊びが、こんなところで役に立つとは思いもしなかった。
船首の下をくぐり抜けた後、甲板に目を遣ると船員たちが驚きの表情を浮かべてこちらを見ていた。躁舵輪の前に立つグレースが笑顔で右手を振っている。
「甲板に飛び降りるわ」
〈分かった〉
ヴェルミオンが緩やかに降下を始めた所でアイシャは両手を放す。二人分の高さを飛び降り、膝を曲げて甲板に着地した。




