電気船「渡雷号」 ②
アイシャとルーファスは渡雷号の側面に付けられたタラップを使って甲板へと上がった。二人の到着に気付いたグレースがアイシャの前に近付き、右手を差し出した。
「船長のグレースだ。ルーファスの野郎とは色々とあったが、あんたが火の魔女の関係者だって言うなら協力しよう。よろしく。」
アイシャも右手を差し出し握手を交わす。濃い化粧に縁どられた目に友好的な光を浮かべるグレースからは、強いサフランの香りがした。
「こちらこそよろしく。カトレアとはどこで?」
「五年ほど前に、火の国へ帰る彼女をこの船に乗せたんだ。彼女のような貴婦人が信頼を置く人なら、あたしも信用しよう。」
〈直接会うのは初めてだが、確かに彼女の世話になった。〉
「そうだったんだ……。」
アイシャはすぐに合点がいった。自分がカトレアの足跡を辿っていることに不思議な縁を感じる。
「グレース、これが今回の報酬だ。悪いが今すぐにここを出発したい。」
二人の間に割り込み、金貨の入った袋を差し出したルーファスをグレースがひと睨みする。
「ルーファス、それが人にものを頼む態度かい?」
「……この通りだ。俺たちを火の国まで送って欲しい。」
トップハットを片手に頭を下げたルーファスから、グレースが袋を奪い取る。
「はっ! 誠意は態度で示すもんだ。それが一回限りじゃないことを祈るよ。」
散々な言われようのルーファスに対し、流石のアイシャも同情を覚える。それでも、二人の関係がここまで険悪な理由を聞ける状況ではなかった。
グレースが袋を掲げて背後に呼びかける。
「お前たち、ルーファスからたんまりと搾り上げてやったぞ! この金で食料と酒を急いで買ってきな!」
「はい船長!」
グレースの一声で、甲板上に次々と女性の船員が現れる。金を受け取りタラップへと向かう彼女たちが傍を通るたび、アイシャは強い香気にむせ返りそうになった。
咳き込みを抑えながら目を向けると、彼女たちの多くが身体のどこかに傷を負っていることに気付いた。
「ちょっと待て。今すぐここを発つ必要があるんだ。買い出しに行かせる暇はないぞ。」
慌ててルーファスが止めに入ろうとする。
「馬鹿を言うな。出立はいま決まったばかりなんだ。長期間の食料を用意している訳がないだろう? 出航は今から一時間後。それまでは大人しく待ってな。」
ルーファスを一喝して黙らせた後、グレースがアイシャに向き直る。
「アイシャ。あんたに話がある。付いてきな。」
「分かったわ。」
颯爽と船尾へ向かう女船長の後ろをアイシャは付いて行く。渡雷号は息を吹き返したかの如く、俄かに活気づいていた。船員たちがきびきびと動き回り、出航に向けた準備を進めている。
「船長! 行先はどちらで?」
「ヒブラルタル海峡だ。それも最大船速で行く。後で航路を教えてくれ。」
「分かりました!」
航海士と思しき女性が足早に船尾の部屋へと駆けて行く。グレースと話す船員の表情には深い敬意が浮かんでいた。グレースは言葉遣いこそ粗野だが、その身のこなしには気品がある。
多数の船員を率いる長に相応しく、彼女らの憧憬の的であるようだった。
「この船には女性しかいないの?」
先程から感じていた疑問をグレースに訊く。
「勿論。この船の主たる動力は雷の魔法。非力な男は不要なのさ。」
グレースが得意げな笑みを浮かべる。二人は船長室の前に着いていた。
「さあ、入りな。」
グレースが天井に吊るした雷灯に光を灯す。船長室の壁面に掛けられた数々の海図や測定器具が照らされる。グレースが机上の物品を手早く片付けた後、机の前にある椅子をアイシャに指し示す。
「そこに座りな。」
「ええ。」
アイシャが椅子に座った後、机を挟んでグレースも着席した。
「あんたを戦場に送り届けることは了解した。だが一つ問題がある。」
「問題?」
「この船には客室が一つしかないんだ。寝台も一つだけ。あんたとルーファスにはそこで寝泊まりしてもらうんだが、どうだい? あんた達の仲がどんなものかまだ知らないけどね。」
グレースが揶揄うような笑みを浮かべる。アイシャは頬が紅潮するのを感じた。
「そ、それは困るわ! ルーファスとはそんな仲じゃないし。」
「そうか。それならルーファスの野郎は船員室に追い出すか? だが、うちの船員はみな男に飢えてるからな。同じ場所にいたらルーファスはひとたまりもないぞ?」
「……分かったわ。それなら船員室には私が行く。」
グレースは明らかにアイシャの反応を楽しんでいた。
「ほう。しかし、うちの船員は酒に酔うと見境が無くなるんだ。あんたみたいな可愛らしい娘がいたら、あんたにも手を出すかもしれないよ?」
アイシャは思わず身を固くした。
「いいわ! そこまで言うなら私とルーファス二人で泊まるから。」
「あっはっは! まあ、ルーファスには気を付けなよ? あいつは手が早いことで有名だからね。」
アイシャはごくりと唾を飲み込む。自分の選択に間違いは無いと思うが、それでも心の不安は拭えなかった。
その後、グレースから船内での過ごし方を教えて貰った所で、船長室の扉をノックする音が聞こえた。
「船長! 食料と酒の準備が整いました。いつでも出航できます。」
「分かった。今行く。」
立ち上がって船長室を後にするグレースに続き、アイシャも甲板へと向かった。グレースがよく通る声で船員たちに呼びかける。
「お前たち! 錨を上げろ。行先はヒブラルタル海峡だ。」
「はい船長!」
五人の船員がキャプスタンに取り付き、息を合わせて錨を巻き上げる。暫くした後、帆を畳んだ状態にも関わらず船が前進を始めた。グレースが言った通り、渡雷号の動力は雷の魔法のようだった。
「電気船に乗るのは初めてかい?」
グレースがアイシャの表情に浮かぶ期待と焦りを見透かすかのように語りかける。
「……ええ。」
「心配ないよ。うちの船員はみな精鋭だ。半日程度の遅れなら巻き返せる。」
アイシャは小さく頷く。戦争が終結した後に到着していては意味がない。今は彼女たちを頼るしかなかった。




