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電気船「渡雷号」 ①

― ロンディウム市街 西地区 ロンディウム港 ―


 夜のロンディウム港。ここに来るのが初めてのアイシャもグレースの船はすぐに見つけられた。ただ一隻を除いて、全ての船がヒブラルタル海峡へ出航した後だったからだ。微かに淀んだ潮風と寂しげな波音の中、アイシャはルーファスと共に港の端へと向かっていた。


 周囲に人影が無いことを確認し、アイシャは掲げた右手に火の玉を出現させる。すぐに上空からヴェルミオンが現れてアイシャの腕に留まった。


「ごめんなさい。ちょっと長くなったわ。」


〈気にするな。大した時間ではない。〉


(……相変わらず肩肘張ってるのね。)


 カトレアと同じ思いを抱きながら、アイシャはルーファスに視線を向ける。


「ねえ。グレースってどんな人なの?」


 前を歩くルーファスが大きなため息を零す。


「……今に分かるさ。」


 いつになく気力の無いルーファスを前に、アイシャは言い知れぬ不安を増幅させていた。






 停泊中の電気船『渡雷号とらいごう』は中型の帆船軍艦だった。腐食を防ぐために黒色の樹脂が塗られた木造の船体は、船尾楼せんびろう甲板に取り付けられたランタンの光が無ければ闇夜に紛れてしまいそうだ。

 

 百人は乗り込めそうな大きさだが、誰も息をしていないかのように静かで、聞こえるのは船体に打ち寄せる波の音だけ。船が備えている多数の砲門を見たアイシャは、渡雷号が帝国軍の徴発を逃れたことを不思議に思っていた。


 渡雷号の目の前に着いたルーファスが、甲板の端で何やら作業をしている大柄な女性に大声で問いかける。


「おい! グレースはいるか?」


 女性が不愉快そうな表情をしてこちらを向いた後、三倍の声量で船内に呼びかけた。


「船長! ルーファスのお出ましだ!」


 あまりの声の大きさにアイシャは思わずどきりとする。その腕に乗っているヴェルミオンも僅かに身を浮かせた。


 船内から扉が叩き付けられる音が聞こえ、かつかつと甲板にこだまする足音が近付いて来た。身を固める二人の前に、雷灯を持った長身の女性が姿を現した。


 褐色の長髪に日に焼けた肌。青色の瞳からは鋭い視線を放っている。茶色の三角帽子に男物のコートを身に付けた女性はルーファスを見て嫌悪を露わにした。


「ルーファス! よくもあたしの前にその面を出せたもんだね!」


 女性の声の大きさに、アイシャは鞭で叩かれたかの如く身を強張らせる。


「グレース、聞いてくれ。折り入っての頼みだ。」


「もうその手は食わないよ。とっとと失せな!」


「待ってくれ。今回は報酬を倍にする。」


「はっ! あたしを金で釣ろうなんて嘗められたもんだね。」


 腰に手を当てたグレースに睨みつけられ、行き詰まったルーファスがぐっと黙り込む。アイシャは驚いてその横顔に視線を向けた。


(ちょっと、ここで引き下がるの?)


 話は終わったとばかりにグレースが振り返ろうとした時、ふとアイシャに目を留めた。


「その腕にいるのは魔獣か? 魔女があたしに何の用だい?」


 急に話の矛先を向けられたアイシャは慌てて答える。


「えっと、私は魔女じゃないわ。」


「何を言ってるんだい? じゃあ、その魔獣は誰が使役してるのさ?」


「火の魔女よ。」


〈左様。私の主は火の国にいる。〉


「火の魔女だって? ……これは奇遇だね。」


 グレースが興味深げな表情をした。ここで断られる訳にはいかないアイシャは説得を試みる。


「グレース、私からもお願いよ。私は火の国の戦交官、アイシャ。これからヒブラルタル海峡で起こる戦争に駆け付ける必要があるの。ルーファスとの間に何があったかは知らないけど、今はあなたに頼るしかない。どうかお願いします。」


〈私からもお願いする。我々には貴方の助力が必要だ。〉


 真摯に頭を下げるアイシャとヴェルミオンを見て、グレースがため息を吐いた。


「……やれやれ。火の魔女の関係者なら無下にできないね。……いいよ。まずは甲板まで上がってきな。」


「……ありがとう。」


 胸の高鳴りを抑えながらアイシャは感謝の意を示す。カトレアとグレースの関係は分からないが、話に応じる気になってくれたようだ。


「全く。大したお嬢ちゃんだよ。」


 アイシャを横目に、ルーファスが感心した表情で小さく呟いた。

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