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虎招亭 ④

 声の主はスィンドだった。


「スィンド? この娘を知っているのかい?」


「前に言ったでしょ? 怪我をしていたお姉さんを助けたって。」


 スィンドが得意そうな表情で近づいて来た。彼の家で会った時とは違い、給仕のような恰好をしていた。アイシャは申し訳ない気持ちを覚える。


「……スィンド。私の本当の名前はアイシャよ。この前は追われていたから嘘を言ったの。ごめんね。」


「そうだったんだ。でも大丈夫だよ。」


 スィンドは明るく答えるが、残念そうな表情が透けて見えた。


「……話があるなら後にしな。今は内密の話をしているんだ。」


「ご、ごめん。」


 アルカハナに睨まれ、スィンドが足早に退散する。


「邪魔が入っちまったね。何かと首を突っ込もうとするたちなんだ。」


「そんなことないわ。彼にはお世話になったの。」


「そうかい。……アイシャと言ったね。あんたが工部省のルーファスと一緒にいるのはどういう訳だい?」


 訝し気な視線を向けるアルカハナに対し、アイシャは毅然として答える。


「雷の魔女に保護されていたからよ。今は彼女の娘を止めるために、戦場へ行こうとしているわ。」


 アルカハナが一瞬間を丸くした後、大声で笑い始めた。


「あの怪物を止める? ははっ! あんた、火の魔法でどうやって雷を防ぐんだい?」


 馬鹿にしたような笑みを浮かべるアルカハナに腹を立てたアイシャは、素早く右手を突き出して紅い炎を出現させた。アルカハナが表情を一転させて紅い炎を凝視する。


「私は本気よ。あなたの魔法で試してみる?」


「おい、お嬢ちゃん。うちの取引先を脅すのは止めてくれ。」


「何?」


 アイシャに睨まれたルーファスが口ごもる。アイシャも他に穏便なやり方が無かったかと少し反省していたが、父親に続き自分の力量が疑われることには我慢がならなかった。


「これは悪かったね。発言を撤回するよ。それにあたしは魔法が使えないんだ。」


「そうなの。ごめんなさい……。」


 アイシャは紅い炎を消失させる。アルカハナはスィンドと違って、改宗を選択しなかったようだ。


「いや、もう気にしてないさ。噂には聞いていたが、今のが紅い火の魔法かい? 貴重なものを見せてもらったよ。」


 アルカハナが興味深げな表情をする。


「策があることは分かった。だが、あんたが鴉の魔女に拘る理由は何だい?」


「私は、自分の力がずっと人に恐れられるものだと思ってた。でも、この力でみんなを守りたい。紅い火の魔法が役に立つことを示したいの。だから、フェリシアを止める機会を逃す手はないわ。」


「それが、あんたの覚悟なんだね?」


「ええ。」


 アルカハナの問いに対し、アイシャはきっぱりと答えた。紅い瞳は揺るがずにアルカハナを見つめている。


「面白い娘だね。そうだ。あんたの運命を教えてやろうじゃないか。あたしは占いが得意でね。」


「私の運命?」


「おい、アルカハナ……。」


 焦れたルーファスが口を挟もうとするが、アルカハナが邪魔者を払い除けるように制す。


「情報料はただにしてやるから、ちょっと黙ってな。こんな面白い運命の持ち主に会うのは久々なんだ。」


 悉く袖にされているルーファスをいい気味だと思いながら、アイシャはアルカハナの話に強く惹かれていることに気付いた。


「いいかい? あんたの運命は『火』だ。それは変化そのものさ。その命が尽きるまで、あんたと、その周囲の者たちに強力な変化を及ぼす。


 そこに意思が介在する余地は殆ど無い。大体は運命の為すがままさ。……だが、その運命を少しでも意思で従えることができれば、途轍もない力になる。


 戦場で鴉の魔女を止めると言ったね? あたしがあんたなら、まずは味方の助けを借りる。最初は小さな火だとしても、上手いこと協力を得られれば燎原の火となって鴉の魔女に対抗できるだろうさ。」


 アイシャはじっとアルカハナを見つめて聞いていた。


「死ぬんじゃないよ。鴉の魔女は本物の怪物。一瞬たりとも油断はできないからね。」


「ええ。ありがとう、アルカハナ。」


 アルカハナが真剣な表情で頷いた後、ルーファスに顔を向ける。


「それと、ルーファス。グレースはロンディウム港の一番西側の桟橋にいる。ここ数日仕事もなく退屈そうにしていたよ。」


「分かった。じゃあ、行かせてもらうよ。」


「ああ。気を付けるんだね。」


 個室から出たアイシャは店内を見回し黒髪の少年を見付けた。


「何してる? もう行くぞ。」


「すぐ戻るから!」


 戸口に立つルーファスを置いて、アイシャはスィンドのもとに駆け寄る。


「あれ? 話はもう終わったの?」


 カウンターから飲み物を運び出そうとしていたスィンドが振り返る。


「スィンド。この前はありがとう。お礼をするって言ったけど、今はこれくらいしかできないわ。」


 アイシャは屈んでスィンドの頬に軽くキスをする。スィンドが束の間、ぽかんとした表情になった。


「え、えっと……。」


「元気でね。スィンド。」


 背を向けるアイシャに対し、気を取り戻したスィンドが声をかける。


「アイシャ、途中まで見送るよ!」


 スィンドが二人の後を追おうとするが、その頭をアルカハナに押さえ付けられる。


「あんたは引っ込んでな。」


「わっ! 放してよ!」


「……。」


 スィンドの抵抗も虚しく、アイシャはすでに虎招亭を出てロンディウム港へと向かって行った。






 スィンドの頭から手を離したアルカハナが意地悪な笑みを浮かべて見下ろす。


「スィンド。もしや、あの娘に惚れたね?」


「そ、そんなことないよ!」


 スィンドは顔を真っ赤にして否定するが、アルカハナがそれを無視して続ける。


「あんたがあの娘に憧れる気持ちは分かる。だがあの娘はすでに自分の運命に従って進み始めているんだよ。自らを焦がすような火の運命にね。あんたじゃ簡単に焼かれてしまうさ。ルーファスのような男じゃなきゃ耐え切れない。」


「……じゃあ、どうしたらいいんだい?」


「まずは自分の運命を見付けることだね。女神レネネトの導きがあれば、あの娘と出会う日が来るだろうさ。」


 熱の冷めやらぬ表情のまま、スィンドはじっとアルカハナの言葉に耳を傾けている。


「あんたが一角ひとかどの人物だってことは私も知っているさ。その才能を磨き続けて時機を待つことだね。」


 アルカハナが戸口に視線を遣りながら独り言のように呟く。


「……このあたしと同じように。」

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