皇女の剣 ④
フェリシアが退出した後、シャルナは応接間の壁面へと進んだ。壁面にはイズナディア女帝の肖像画が掛けられている。その左側にある鏡の縁を押すと、鏡が奥に向かって傾いた。シャルナは隠し扉を開け、自らの執務室に入った。
執務椅子に掛けて机上の呼び鈴を鳴らす。直後、執務室に通じる扉が開き、シルハーンが足音一つ立てずシャルナのもとに駆け寄った。
「こちらに。」
シルハーンが跪き皇女を見上げた。本来であれば、従者は主人の声がかかるまで顔を上げないものである。補佐官に任命されているシルハーンは、皇女の政務を迅速に進めるため儀礼的な作法の多くが簡素化されていた。
「この後の予定は?」
「はい。十四時から女帝陛下への謁見。十六時から宰相閣下との面会。十九時からはシャルナ様の帰還を祝う晩餐会がございます。」
シルハーンが落ち着いた口調で淡々と答える。
「ロンディウムは私の時間を悉く奪うようだな。ミスガイスに居た時は私の思うがままだったというのに。」
「御意に。こちらでは日々の過ごし方が大きく変わります故。」
「大きく変わるのはお前の方ではないか? 帝国に来るのは初めてなのだからな。」
「行うことは変わりません。シャルナ様の政務を滞りなく進めるまで。」
「ふっ。大した自信だな。」
一切視線を逸らさず即答するシルハーンに、シャルナは口角を上げる。
「ミスガイスの王女の件、これからはどうする? 帝国から捜索の指揮をするのは困難だろう。」
「はい。更なる人員が必要です。追って手筈を整えます。」
「構わん。この件はお前に一任している。早く手がかりを掴んで来い。」
「はい。……シャルナ様。王女の消息は、やはりティグリアから情報を引き出すべきではないでしょうか?」
「前にも言ったはずだ。ティグリアは死ぬまで口を割らないとな。元女王を監獄塔に幽閉しているのは、別の利用価値があるからだ。」
気だるげに諭すシャルナの言葉を、シルハーンが身動ぎせず聞いている。
「手がかりは帝国領にあるはずだ。捜索を続けろ。」
「御意。」
いつしかシャルナの瞼が下がっていた。その口調からは先程までの気勢が失われている。
「……喉が渇いた。茶を淹れて欲しい。」
「恐れながら、シャルナ様。長旅でお疲れでしょう。そのご様子では、先に一睡された方が良いかと……。」
「うるさい。二度も言わせるな。」
脱力して椅子の背に凭れるシャルナはいかにも眠たげだ。フェリシアの前で見せた覇気は霧散し、同年代の女性と大差ない姿になっていた。
「かしこまりました。」
シルハーンが大人しく引き下がり、部屋を後にした。
数分後、茶器一式をお盆に載せて戻ったシルハーンの前には、執務机に覆い被さり無防備に眠るシャルナの姿があった。
「……仕方の無い人ですね。」
シルハーンはため息を吐く。音を立てずお盆を執務机に置いた後、シャルナを抱え上げて寝室へと運んだ。寝室への立ち入りは侍女ですら認められていない。皇女と補佐官の信頼関係は単なる主従の関係を超えていた。
シルハーンは寝台の上にシャルナを横たえ、そっと毛布を掛ける。目を覚ますことなく寝息を立てているシャルナを見ながら、シルハーンは自分の運命を大きく変えた出会いを思い返していた。
『お前はここで死ぬには惜しいな。私の補佐官になれ。私の手で帝国は覇権を握る。お前は私の傍でその様を見届けろ。』
傲然と言い放つシャルナの翠玉色の瞳に魅入られ、シルハーンは選択した。もう生まれは関係ない。俺はこの御方に従う。今までの人生がどんなに唾棄すべきものであろうとも、この選択で新たな意味を与える……。
シャルナを静かに見つめるシルハーンの瞳には、あの時から変わらぬ狂おしい程の期待が漲っていた。




