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皇女の剣 ③

― ロンディウム市街 ヴァルハルム宮殿 応接間 ―


「失礼致します。鴉の魔女がお見えです。」


「通せ。」


「はい。」


 侍女が開けた扉からフェリシアは部屋に入った。通されたのは応接間。煌びやかな装飾が辺り一面に施された広大な部屋は、そこに入るだけで目の眩むような錯覚を起こす。


 天井にはシャンデリア、壁面には鏡などの調度品、床一面には絨毯が置かれている。


 そしてフェリシアが謁見する皇女、シャルナは応接間の中央に位置する長椅子に座り、こちらに視線を向けていた。


 帰還時から装いを変えた皇女は、結っていた金髪を下ろし、軍服ではなく深い青色のアフタヌーンドレスを着用していた。装飾品を一切身に付けていない皇女であるが、華美な応接間にあって際立った存在感を放っていた。


「そこに座れ。」


「はい。」


 シャルナの凛とした声に従い、フェリシアは向かい合わせの長椅子に腰を下ろした。


 皇女との間を遮るものは何も無い。侍女が来訪者にお茶を出すようなことも無かった。


 息を吐く暇も無く緊張に身を固めたフェリシアは、浅く腰掛けて背筋を伸ばしながら皇女の言葉を待った。


 シャルナが窓の外を眺めながら徐に話し始める。


「私はミスガイスで多くを学んだ。その一つは、人は一度覚えた怒りの感情を容易に忘れ去るということだ。ミスガイスを帝国領とした直後、民衆が私に向ける感情は殺意と敵意だけだった。


 それでも私がミスガイスの経済を立て直し、帝国領となる前よりも豊かな暮らしを実現してからは、私を褒め称える者まで現れた。人は心の平穏を求めるものだ。ずっと何かに怒りを持ち続けるほど強くはない。


 しかし、国を統べる者はそうあるべきではない。国を繁栄させるためには、平穏な感情に安住していてはならない。それはお前にも分かるな?」


「……はい。」


 フェリシアは少しの戸惑いを覚えながら答える。ミスガイスへの復讐心を胸に抱いていた頃の自分。それが絶えず怒りを保ち続けていたのか、今では判然としなくなっていた。


「政府が成立してから、帝室は多くの権利を手放してきた。そのことに異論は無い。貴族や市民にも国の舵取りをさせねば、拡大を続ける我が国の運営は立ち行かなくなるからな。

 

 だが、彼らは生涯をかけて我が国の行く末に責任を負っている訳ではない。


 だからこそ、未だ外交権だけは帝室の手中にある。誰よりも先を見据えて国を運営するには帝室の主導が必要だ。帝国の道筋を示す責任は私が負っている。


 そして外交の成否を左右するのは武力だ。我が国の要求を敵に呑ませるためには、その喉元に剣を突き付ける必要がある。お前は私の剣として、誰よりも鋭くなければならない。」


「はい。」


 フェリシアの身に一層の緊張が走る。皇女に掛けられた期待を誇らしく思うと同時に、自らが負う責任の重さを感じた。


「此度の遠征、私の剣で切り伏せられぬ敵は現れるだろうか。お前はどう思う?」


 皇女が不敵な笑みを浮かべる。その表情は強大な敵が現れることを待ち望むかのようだった。フェリシアはこれまで見聞きした情報から幾人かを思い浮かべる。


「火の国であれば、『炎竜将軍』が武人の筆頭として知られています。ですが、現在は高齢のため前線には出ていないと。」


「そのようだな。男でありながら魔獣と契約した稀有な者だとは聞いている。だが、火の魔法の使い手は雷を防ぐ術を持たない。お前の脅威にならないのではないか?」


「恐らく。……将軍以外の実力者は、火の魔女でしょうか。しかし、外交を司る火の魔女が自ら前線に姿を見せることは無いと存じます。」


「同感だ。最高位の魔女は恐らく姿を見せないだろう。若輩者の『水の魔女』然りな。」


 『水の魔女』は、水の国ハイドレシアにおける最高位の魔女。そしてハイドレアシアは火の国の同盟国である。


 帝国は今回の遠征にあたり、火と水の両国を相手にする想定をしていた。


「お前が遭遇した刺客は?」


「刺客は素性を隠していました。逃げ場の無い戦場にその姿を現すとは思えません。」


「成程。それでは、紅い火の魔法の使い手はどう対処する?」


 皇女の視線が鋭くなる。フェリシアは高鳴る鼓動を抑えながら答えた。


「……雷は紅い火と相性が悪いことが分かりました。魔法ではなく剣で戦います。」


「よかろう。……それにしても、反戦派の議員を三人も手に掛けるとは。その刺客の正体は早急に工部省に掴ませなくてはな。


 だが、来たる帝国議会の結果は決まったも同然だ。私はその刺客に感謝をすべきかもしれないな。」


 シャルナの様子に刺客への怒りは感じられない。フェリシアは皇女の言葉に僅かな疑念を覚えた。警察隊隊長でありながら刺客を捕らえられなかった後悔、その責任感から意図せず疑問を発していた。


「恐れながらシャルナ様……、今回の暗殺事件、何か事前に把握されていたのでしょうか。」


 フェリシアは思わず口を突いて発した言葉に自分でも驚いた。しかし、発した以上は取り消せない。


 シャルナが椅子から立ち上がり、フェリシアの目の前に立つ。フェリシアは思わず身体を浮かせようとするがシャルナが手振りで制した。その手を伸ばし、フェリシアの顎に添える。


「フェリシア。お前は私の剣だ。私の望みを妨げる全てを切り伏せるための。お前は剣として、ただ鋭くあればいい。政略で何を為すかは私が決める。」


 皇女は瞬きもせず、フェリシアの心の底を見通すように視線を合わせる。それだけで、フェリシアは全身が拘束されたかのように身を強張らせた。


「……はい。」


 フェリシアは皇女に答えるが、一瞬の躊躇いをシャルナは見逃さなかった。


「何かを迷っているな? またティグリアに何か言われたのか?」


「いえ、……何もございません。」


 シャルナが屈み、お互いの息がかかる程に顔を近付ける。


「迷いを無くせ、フェリシア。お前らしくも無い。その迷いが、我が軍を危機に陥れる。」


「かしこまりました。」


 声の震えを懸命に抑えながらフェリシアは答える。訝し気な表情のシャルナが身を翻し、長椅子の後方にある衝立の向こうへと姿を消した。


 少しの後、その手に剣を携えて戻って来た。身構えるフェリシアを余所に、皇女は剣を両手で持ち正面に立つ。


「この剣をお前に授ける。」


 シャルナが差し出した剣は、その鞘と柄に黄金の装飾が施され、柄には蒼い宝石が嵌め込まれている。フェリシアは思わず顔を上げた。


「シャルナ様、これは……。」


「帝室に伝わる剣、『グラム』。遠征の勝利を確実にするための剣だ。」


「恐れながら、私には……。」


「受け取れ。お前以外に相応しい者はいない。」


 『グラム』は帝国の秘宝と謳われる名剣。極めて鋭い切れ味を誇り、力のある者が振るえば持ち主の魔力が大幅に増強されるという。フェリシアは剣の存在は知っていたが、目にするのは初めてだった。


 フェリシアは逡巡するが、このままずっとシャルナを待たせる訳にもいかず、グラムをその手に取った。柄に触れた瞬間、身体に雷が走るかのような震えを覚えた。まるで剣から意志が伝わるかの如く、フェリシアの内に微かな衝動が生まれる。


「私の前で振るって見せろ。」


「……はい。」


 フェリシアは柄を握る手に力を込め、恐る恐る鞘から引き抜く。金属が擦れる微かな音と共に、両刃の剣身が現れた。


 そのまま席を立ち、窓の方に向かって数度剣を振るう。剣の重さはサーベルと変わりないが、振るう度に自らの心が揺さぶられる衝動を覚えた。


「この剣は持ち主の感情に呼応する。お前の感情が昂る程、発揮される魔力は高まる。」


 刀身を鞘に仕舞い、フェリシアはシャルナに向き直る。


「忘れるな。お前は我が軍の切り札。その剣と共に、万全の状態で臨め。」


「かしこまりました。」


「出立は間近だ。それまでに備えるべきことは山ほどあるだろう。ウォーデンの加護があらんことを。」


「はい。失礼致します。」


 フェリシアはグラムを手に、一礼をして応接間から退出した。

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