5 彼方まで
それでも、広げた羽根は風を捉えていた。いよいよ本格的に勢いを増して来つつある〈ブリザード〉のさなか、メアリーアンはゆっくりと滑空するように、瓦礫の上に軟着陸する。身を起こしたのは抱えられていた少年の方で、メアリーアンは倒れ伏したままぴくりとも動かなかった。
周囲に、サラエサラスの醜い肉片がひとつも残っていないのを確認すると、アシュレーは火種を落とした。
それを見やって、遠巻きにみていた兵士達が恐る恐るアシュレーの元に歩み出てくる。かろうじて銃を握ったままの者が数名いたが、任務からというよりは、単にことの成り行きを見届けたい思いから、自然と彼らは寄り集まってきたのだった。
アシュレーは近づいてきた伍長に火炎放射器を押しつける。そんな彼に、やはりその場に歩み寄ってきたエッシャー大尉が、恐る恐る問うた。
「……それで、あの二人はどうするんですか?」
「そうだな」
アシュレーは深くため息をついた。服の内側に入り込んだ〈ブリザード〉の結晶が気になるのか、袖口を上着の上からぼりぼりとかきながら、うっそりと呟いた。
「どうしたものかな。俺も今、それを考えているんだ」
そのように言ってエッシャー大尉を呆れさせたものの、逡巡の時間はさして長くはなかった。アシュレーはあらためて銃を抜くと、ゆっくりと二人の元に近づいていった。
メアリーアンは本当に力尽きてしまったのか、ぐったりとしたまま動こうともしなかった。ノイエが半身を抱え起こすが、眼を開けようともしない。
そんな二人の前に、アシュレーが立ちはだかった。
「……アシュレーさん、あなたは」
「ノイエ君。すまないな」
抜き身の銃を突きつけるでもなく、ただぶらさげていただけだが、何のために彼が二人の前に立ったのか、それを見れば明白だった。
「申し訳ないが、君ら二人とも、身柄を拘束させてもらう。元々俺の任務は〈イゼルキュロス〉の追跡と捕獲、だったんだからな」
そんな、とノイエが抗議の声を上げる。そのまま少年は何かしら言い返そうとしたが、うまく言葉にならなかった。中途半端に開いた口を、力なく閉ざす。
アシュレーとて、イゼルキュロスやメアリーアンを憎んでいるわけではない。それが彼の職務だという、それだけの話だ。それを完遂するために、彼はわざわざこんな最果てまでやってきたのだ――。
(アシュレー、ひとつ質問してもいい?)
不意に飛び出してきた言葉に、アシュレーもノイエも意外そうな顔を見せた。特にノイエ少年は、自分の口が動いているのにひどく狼狽していた。
それもやむを得なかっただろう。イゼルキュロスこそアシュレーが追っていた宿敵であり、その両者の対話がどのような決着を見るのか見当もつかなかった。しかも少年は、そこでは決して傍観者ではいられないのだ。
「……なんだ?」
アシュレーが促す。イゼルキュロスはしばし逡巡するような間をおいて、やがて話し出した。
(あなたはどうして、私たちを助けようと思ったの? 別にサラエサラスが私たちを殺すに任せても、それで良かったはずでしょう?)
「確かにな。……確かに、その通りだ」
アシュレーは苦笑いを浮かべた。
「だが、そもそも約束してたからな。〈メアリーアン〉と」
(あなたがそう約束したのは、私が奴隷のようにこき使っていた、何代か前のメアリーアンの事でしょう。彼女はもういないし、私もどうせ後が無かった。……今ここにいるメアリーアンの事は想定外だったとしても、私たちはいずれ自滅していた身なのよ。あなたや、他の誰かが手を下さずとも)
「むしろ、俺の方からあらためてお前に聞きたいよ。あとがないと分かっていたなら、どうして俺から逃げた。どうして、サラエサラス達に敵対したりしたんだ。……もっと違う場所で、静かに最後を迎える事も出来たんじゃないのか
(その違う場所というのは、戦科研の実験室のこと?)
問いかけた声に、皮肉めいた色合いがあった。
(アシュレー。全ての生き物がそうであるように、生まれたからにはその生を全うする義務が、どんな生き物にだってあるはずでしょう。……それは私だって同じ事。呪われた生き物だからと言って、生まれ落ちてしまったことまで、私が罪に問われる事ではないはずでしょう?)
「……」
(だとしたら、どんな生き物にも備わっている義務が、この私にだってあったはず。だから私は、自分自身の意志で、自分自身の望むように、それを完遂したかった。……アシュレー、私達に初めから未来がないからといって……私達の未来にそれらしい値打ちがないように見えるからと言って、誰かの都合で私達の人生や未来を勝手にもてあそんでいいっていう理由にはならないのよ? 誰か他人の価値観で、私たちにとっての幸せを勝手に決めて欲しくなかった。それは全て、私自身が、私の責任で選びたかったの。私自身の最後も含めてね。……それだけの話。それを願うことまで、私にとって罪だとは、あなただって言わないでしょう?)
「……だが、どうする」
(……?)
「俺は生き物としてのお前の自由を否定はしない。だがそれがお前が今までやってきたことへの免罪符になるわけじゃないだろ。俺の事はどうでもいいし、サラエサラス達がお前を敵に回して敗れ去ったことは、それはあいつら自身の選択した事に対する結果に過ぎない。だがお前がここまでの逃亡の旅の途中で殺したり傷つけたりしてきた連中はどうなんだ? 情報省の黒服の連中だって、いけすかない連中だったが、だからって死んでよかったわけじゃないだろ」
(……だったら、どうしろというの?)
「ノイエの事は仕方がない。そこから出てこい、とも今更言えないしな。だがせめてメアリーアンの身柄は渡してもらう。お前が選んだ選択のツケを、お前が払えないというのなら、この子に払ってもらうしかないだろう」
(……)
「どうせこの傷だ。このメアリーアンだって、長く持つかどうか分からないんじゃないのか」
(……そうね)
イゼルキュロスはため息こそつかなかったが、心境を言えばそういうものだったに違いない。もしここでメアリーアンが二度と目覚めなければ、もしかしたら同じようにコピーを生み出す可能性も否定できなかったが……何はともあれ、彼女がすでにもてる力の限りを出し尽くしたのは確かなようだった。
(ならば、仕方がないわ。メアリーアンは、あなたに引き渡す)
イゼルキュロスはそう言ったが……メアリーアンを抱きかかえた姿勢のまま、身体はぴくりとも動かなかった。いや――。
ノイエの身体は言葉とは逆に、メアリーアンを庇うようにしてぎゅっと引き寄せ、アシュレーに背中を向けたのだった。
「イゼルキュロス、どういうつもりだ――」
「駄目だよ。メアリーアンをあなたに渡すわけにはいかないよ」
「……ノイエ? 君なのか?」
是正も否定も返答はなかったが、その背中が無言のままに問いかけを認めていた。
「彼女を渡してくれ」
「イヤだ」
「何故だ」
「だって……イゼルキュロスの言うとおりだよ。メアリーアンだってイゼルキュロスだって、生きていくために必死なんじゃないか。ただそれだけじゃないか!」
「……そうかも知れないが」
アシュレーはそこに至って、ふっと自嘲気味に笑みを洩らした。
「それを言うなら俺だって、こんな飼い犬みたいな立場に好き好んでなりたいものか。ノイエ、お前の言い分を聞いてこいつらに温情を示すのはたやすいがな。それをやるには、俺にはもう少し体裁の整った言い訳が必要なんだよ」
そのとき……ノイエに抱えられたままぐったりとしていたはずのメアリーアンが、再びその目を見開いた。
力のないその視線がノイエを見やり、次にアシュレーを見やる。
彼は銃こそその手に提げていたが、狙いを定めるわけでもなし、引き金を引こうともしなかった。
目を覚ましたメアリーアンがそんな風に何かをじっと見ているのに気付いて、ノイエもアシュレーの方を仰ぎ見る。
「……アシュレー、さん?」
恐る恐る問いかけると、アシュレーは肩をすくめた。
「しょうがないな」
どういうことだ、とノイエが思った瞬間、先ほどの言葉が脳裏に甦った。
(言い訳が、必要なんだよ)
その瞬間――。
ノイエに体重を預けていた彼女が、不意に自らの力で半身を起こした。すぐそこまでにじり寄っていたアシュレーを見やって、その細い手が急速に鉤爪へと変貌していく。
アシュレーは苦笑いを浮かべて、こくり、と頷いただけだった。
次の瞬間、がばりと立ち上がったメアリーアンの爪が、銃を握ったアシュレーの腕を切り落としていた。
相手の目立った抵抗もないままに、次の一撃が彼の口腔を真正面から捉えたかと思うと……爪は深々と突き刺さり、後頭部へと貫通した。
あふれ出した血が、男の半身をあっという間に染め上げた。
血の飛沫をさけるように、メアリーアンが後ずさる。
アシュレーが負傷したのを見やって、辺りを取り囲んでいた駐留軍の兵士達がにわかに色めき立った。素手で人間の頭蓋を貫通出来る怪物を目の当たりにして、恐慌から誰かが引き金を引くまでに、さほどの時間は必要としなかった。
銃弾がすぐ足元ではぜた。びっくりして飛び上がりそうになるノイエだったが、その彼に、メアリーアンがしなだれかかってくる。
今の一撃で、すべての力を振り絞ってしまったとでもいうのだろうか。
倒れ掛かってくるメアリーアンを抱きとめながら、ノイエは叫んだ。
「しっかりして、メアリーアン!」
もつれるように抱き合った二人。その声が届いたのかどうか……メアリーアンは背中の羽根をゆっくりと大きく広げたかと思うと、白く染まった空に向けて、めいっぱいに伸ばした。
「飛んで!」
声は、確かに彼女の心に響いた。
余力を振り絞って、どうにかして目いっぱいに広げた羽根が、風を捉える。
飛んで、メアリーアン。
もう一度声が飛んだ。
そう、翼ある身に生まれついたからには、遠く高く羽ばたいていくのは、それはひとつの責務ですらあるはずだった。
――遠く、高く。ただ、ひたすらに。
そのように彼女が自分に言い聞かせたかどうかは定かではない。だが彼女は目を閉じたまま、その羽根だけが風を捉えようともがいていた。
〈ブリザード〉はいつしか叩きつける吹雪のようになって、横殴りに吹き付けていた。風はまだ立っていられないほどにまでは強くなってはいなかったが、高層建築の隙間を駆け抜ける風は彼らのいる交差点で荒々しく吹き荒れていた。その風を捕まえて、メアリーアンの身体はふわりと地面から浮かび上がろうとしていた。
その一瞬、彼女の手が、不意にノイエに差し伸べられた。
「……?」
少年はしばしその意味を考えるように、はっとこわばった表情を見せていたが、ややあって、何かを確信したような面持ちで、その手を握り返した。
羽根が、もう一度風をおのが身にたぐり寄せ、次の瞬間にはメアリーアンは遙か高みへと一気に舞い上がっていく。
引き上げた少年の身体を、上昇の勢いでひとおもいにたぐり寄せ、抱き止める。ノイエもしっかりとメアリーアンに掴みかかり、二人はお互いをしっかりと抱きしめたまま、高層建築の遙かな高みを乗り越えんばかりにまで上昇していく。複雑ならせん軌道を描きつつ、〈ブリザード〉に塗り込められた鈍い灰白色の空の彼方を目指していくのだった。
防護服に身を包んだ兵士達は、皆一様にこわばった表情で空を見上げるばかりだった。異形の怪物に向けて銃口を向けてはみても、結局それ以上はだれも発砲しなかった。
アシュレーは血を流したまま立ち上がらなかった。もはや何者も、彼らを止める事は出来なかった。
吹き付ける〈ブリザード〉が、二人の姿を人々の視界から消し去るまでに、どれほどもかからなかった。二人の姿がやがて消えていった白い空を、地上に残された者達はただ呆然と見守ることしか出来なかった。
(エピローグにつづく)




