エピローグ
二日連続でやってきた〈ブリザード〉。二日目のそれは街に深刻な被害をもたらした。降り積もった大量の結晶が街の至る所に残されて、人々の暮らしを大いに妨げる事になった。それでも人々は協力して除去作業にあたり、元の暮らしを取り戻そうとした。
廃墟へと出動していった駐留部隊も、明けて翌朝以降は市民生活の復旧のため奔走していた。幸い、出動のさいの人的被害はなく、街にも逃げ遅れた被害者などはほとんどいなかったという。
表向きはそんなごく少ない犠牲者として処理される事になっただろう、廃工場に住み着いていた母子と少年はついに帰らなかったし、〈グラン・ファクトリー〉の見習い工の少年も、そこに数日前から滞在していた親戚だという娘も、ついぞそこに戻ってくる事はなかった。
* * *
エル・グランはわずか数日間で、見る影もなくやつれ果てていた。
色んな事があった。結局二度目の〈ブリザード〉のあとでノイエが工場に帰ってくる事はなかった。けれど一応、アシュレーと名乗る男と駐留部隊のエッシャー大尉の証言から、少年が誰とどこへ消えていったのか、取り敢えずの消息は知れたのだったが。
エル達がこの工場でメアリーアンを隠匿していたことは、相応に責任を問われる事だったのかも知れなかったが、何せ彼ら攻性生物については事の最初から機密事項であり、エッシャー大尉も何も知らなければ、当然ハイシティの住民たちの知るところではあり得なかったので、非を問われたところでどうするわけにもいかなかった。
結局、消息を断った少年について型どおりの慰めの言葉を大尉が吐いて、それで話の決着はついたはずだった。……本当は大尉の去り際に、感情にまかせてその背中を思いっきり蹴り倒してしまったのだが、ローランド・エッシャーは王国軍大尉である以前に鷹揚で紳士的な青年だったので、それを寛容な心でもって、無かった事にしてくれた。
それらのごたごたが片付くと、エルはここ数日ずっと取りかかっていた発掘機械の作業を二、三日ほど徹夜して一気に片付けてしまった。運び込まれたときは泥のかたまりだったそれが、初期起動するところまで復旧を果たしたのだった。
正直これに没頭してでもいないと、ノイエの事ばかり考えて何も手につかなくなってしまいそうだったから。
それが仕上がった日の朝、どうせ連絡するにしてもジョッシュの朝は遅いと踏んで、彼女も一度仮眠をとろうと二階に上がろうとした時だった。夜の間に閉め忘れていた正面の大扉の前に、不意の来客があったのだった。
「あんた……確か」
「こんな早くにどうかと思ったんだが、来てみたら開いていたものでね」
訪れたのは、例のアシュレーだった。エッシャー大尉と一緒に来て、ノイエが失踪したときの状況を詳しく話してくれた男だった。……ついでに言うと、あのイゼルキュロスを〈王都〉からずっと執念深く追いかけてきた男。
「〈ブリザード〉前にマゼラヴィルから来たバスが、状況が落ち着いたんで今日向こうに戻る事になったそうだ。あまり長居もしていられないんで、いい加減出ていく事にした」
「ふうん」
エルはあくびを噛み殺しもせずに、大きく口を開けながらぞんざいに相槌を打った。
「……まさか、そういう報告をしにわざわざこんな朝っぱらからウチに来たってわけ?」
「いや、一つ頼み事があってな。どうしたものかと、少し迷ったんだが」
そう言って、アシュレーはいったん工場の外に出ると、手押し車に載せて運んできた荷物を作業場の中に持ち込んだ。
「こいつの処遇を考えなくちゃいけないものでね」
「これって……」
エルが対面するのは初めてだった。だが、アシュレーやエッシャー大尉から聞いた話にはたびたび言及があったので、聞き知ってはいた。
「あんたが連れてきたっていう、〈シミュラークル〉?」
「名前はミハルだ」
アシュレーはそう補足して、言う。
「エル・グランはこの街でも有数の腕利きの技師だという話だからな。上手く直してくれるんじゃないかと思ってな」
「……機械の部分はともかく、生物工学は私の専門外だからどうにもならないよ?」
嫌々そうな口調だが、それでも職人の目になって、状況を入念にチェックし始める。
見た目は人間そっくりに見えるが元々は手足など躯体のほとんどは人造された機械部分だった。頭部から頚部、胴体にかけて生体部分があり、それと接続された制御系が胸部に集中している。そこに何かが貫通した大きな穴が開けられていたが、傷は制御系のユニットをピンポイントに貫いており、外殻と人口筋肉のほかは明確に破損しているのはその部分だけのようだった。
「生体系と一体化している部分は私にも手の付けようがないけど……制御系で破損しているユニットをいくつか交換すれば、もしかしたら起動ぐらいはするかも」
「本当は出発前に一度話でもしたかったんだけどな」
「そんなに都合よく直るわけないでしょ。……あ、でもちょっと待って、ストックの中に規格のあうやつがあったかも」
エルはそういうと、いったん奥にひっこんで、ややあって一抱えほどもある黒い箱型の部品を持ってきた。
「不格好だけど、応急処置には充分でしょ」
そう言って、ミハルの首筋のメンテナンスパネルを無造作に開いて、持ってきた箱と太いケーブルでてきぱきと接続していく。箱の側のコンソールパネルを操作すると、ごく二、三分でミハルは再起動した。
片方だけ残された彼女の目が左右に動いて、自分をまじまじと見ている二人組を確認する。
(……アシュレー?)
「よかった、データはまだ残っていたみたい」
エルが呟く。声帯の制御が出来ていないようで、声は口からではなく、箱の側のスピーカーから聞こえていた。
(アシュレー……無事だったんですね)
「ああ、この通り生きている。……サラエサラスたちの一件は、すっかり片付いたから安心しろ」
(私の不手際で、あなたを危機に陥れてしまいました)
「過ぎたことだ。忘れろ」
そう言って、アシュレーは笑った。
(アシュレー、私の破損状況は、かなり深刻なのでしょうか。……任務には、無事に復帰出来るのでしょうか?)
殊勝にもそんな事を尋ねてきたミハルに、アシュレーは告げた。
「……一つ、お前に面白い話をしてやろうか。どうしたものかどうか、ずっと考えていたんだが」
(なんでしょう?)
「最初にマゼラヴィルで出会ったときの事を覚えているか? あのとき君は俺あての命令書を持参していた。それを読んだか、と俺は君に質問した」
(命令書はあなた宛のものですし、私自身の任務内容については事前にちゃんと説明を受けていましたから。……あなたが命令書を受け取らなかった時の対応も含めて)
「ここに、その命令書がある。……視覚センサはちゃんと作動しているか? 読んでみろ」
そう言って、アシュレーは内ポケットから取り出した書面を、ミハルの眼前に突き付けた。
「一番最後の行だ。何が書いてあるか、分かるか」
(……任務終了ののち、同行の〈シミュラークル〉は破棄処分すること。老朽化した個体であり、そもそも貴殿の任務内容を鑑みれば、任務終了を待たずして破損は免れぬものと推定される)
そう読み上げたきり、ミハルは言葉を失った。側で聞いていたエルが、苦い表情を見せた。
「ひどい話ね」
「先の国際条約の改定で、攻性生物は研究や所有が大幅に制限されることになったからな。〈シミュラークル〉は製造年次から言って確かに耐用年数は過ぎているし、機能概要を鑑みれば条約の保有数制限対象にも引っかかるだろう。表向き処分したことにして黙って保有していた分を、辺境送りを良いことに使い捨てにしようって腹だったんだろう」
アシュレーは淡々と言う。
(……それで、私はどうなるんですか?)
「さて、俺は専門家じゃないからな」
そう言って、アシュレーはエルをまじまじと見やる。
「……私?」
「どうだろう。専門家の目から見て、壊れてしまってどうにもならないというのであれば、それ以上は仕方がないんじゃないかな……?」
エルはしばし面食らった表情を見せていたかと思うと、乾いた笑いを浮かべながらこう答えた。
「そうね、もう完膚無きまでに壊れまくってるわね。実際今も、全然再起動しないし動く気配もないし」
(私は……)
「この私が再起動しなかったって言ってるんだから、しなかったの! 分かった?」
はい、と返事をしかけたミハルだったが、エルがわざとらしく耳をそばだてる仕草をしたので、無言を貫いた。
「ほら、ちゃんと壊れてる」
「……そうだな」
アシュレーは苦笑する。
「まあ、そういうわけでこれは君に預けていくから……あとは勝手にしてくれて構わない。よろしく頼む」
「分かった。よろしく頼まれてあげようじゃないの」
(あの……もう口をきいてもいいんでしょうか)
恐る恐る発言したミハルを横目に、エルが淡々と説明を述べる。
「制御系のユニットは、知り合いのパーツ屋に頼んで、なるべく元のと同じ型のを探してみる。元の通り躯体内に収まるのが一番だろうと思うけど、サイズも含めてうまく適合するのが見つからないようだったら、不格好だけど今つなげているような感じで外部接続のものを担いで歩いてもらう事になるわね。生体部分の損傷状況は現時点では不明だけど、制御系が無事に作動すれば自己治癒システムが作動するはずだから、仮にどこかダメージがあったとしてもそれで対応するしかないと思う。それがどこまで修復できるかどうか、ね……手足に関しては生体じゃなくて人造躯体のはずだし、見たところ損傷も無いようだけど、もし動かないとなればこれも私じゃどうにもならないかな。まさか同型モデルを探してきて移植するわけにも行かないし。最悪、人間用の義肢で対応するか……まあそれは実際動かなかったときに考えましょ」
そこまで言うと、エルはあらためてミハルに向き直る。
「そういう事だから、よろしくね。……私はこいつほど親切じゃないかもしれないけどね」
(どのみち私は機械ですから。誰も使用者がいないのは落ち着きません)
「ややこしいのね、あんたも。……ま、いっか。新しく人を雇うよりは面白そうだ」
「一応、こいつの事はエッシャー大尉にもそれとなく言付けてあるから、面倒な事にはならないだろう。……意外に駐留軍の若い兵士達には、ファンも多いみたいだし」
「そりゃ面白い」
エルは意地悪そうににやりと笑うと、おもむろに立ち上がったアシュレーを見やる。
「……それで、あんたはこれからどうするの」
「サラエサラス達の件は片付いたが、俺の本来の任務はイゼルキュロスの追跡だからな」
「ノイエを、捕まえにいくの?」
「言っただろう。俺の任務は追跡だ。ただただ追いかけるだけだ」
「そっか。『追いかけるだけ』、か」
ふうん、とエルは呟く。
そんな風に二人が話しているところに、別の来客があった。工場の戸口に立つ人影をみやると、そこにいるのはジョッシュと、彼に伴われてきたフランチェスカだった。
「もう、いいの?」
「まぁ、本人がどうしても来たいって言うから」
そう言ったジョッシュの背後からおずおずと進み出てくるフランチェスカ。うつむいたまま、逸らした視線が落ちつきなく言ったり来たりしている。そんな少女ではなかったのに、という思いがエルの胸をついた。
こういう子供を前にも見たことがある。この工場にやってきたばかりの、ノイエの七つの頃と同じ目をしていた。
エルはフランチェスカの目線にしゃがみ込んで、努めて優しそうな声で語りかける。
「フランチェスカ、大丈夫だった?」
こくり、と頷いた少女の腕に、一匹の猫が。年老いた、ふてぶてしい顔つきの猫だった。
「これ、どうしたの?」
その質問には、ジョッシュが答えた。
「どうもこの間の二回目の〈ブリザード〉の時に、ウチの倉庫に忍び込んで難を逃れてたらしいんだ。それっきり住み着いちゃってな」
「……名前は?」
エルが尋ねると、フランチェスカがか細い声でうつむいたまま答えた。
「ノイエ」
エルはその答えにはっとする。周囲の大人達がぎくりとする中、フランチェスカが続ける。
「……でも、ノイエって呼んでも返事しないの」
「じゃあ、その名前はあまり好きじゃないのよ」
エルは猫をそっと受け取ると、まじまじと見やる。どこで無くしてきたのか、前足が片方かけていたのも痛々しかった。……でも、何故ノイエと名付けたかったのか、理由は分かった気がした。
「そもそも、この子、雌よ?」
「……そうなの?」
「うん」
「……だったら、メアリーアン」
フランチェスカがそういうと、老いた猫はやけにかわいげのない声で、にゃあと鳴いた。
「じゃあ、メアリーアンで決まりだ」
そう言ってエルはにっこりと笑う。
「……そもそも、何でもかんでもノイエって名前をつけりゃいいってものじゃあないしな」
ジョッシュのその言葉にフランチェスカも興味を示したのか、顔を上げる。ジョッシュはエルにちらりと目配せしてから、説明する。
「ノイエが来る前に、エルは猫を飼ってたんだ。そもそもそいつが、一番最初のノイエってわけだ」
その言葉に、エルはとたんにばつの悪そうな顔つきになった。
「何か、意味があるの?」
「……なんか、昔々の言葉で、『新しい』って意味があるのよ。最初に猫を飼うことになったときに、私すごい嬉しくてね。新しい家族が出来た、って」
それで名付けた名前が、ノイエ。
けれど、そんな彼らもいつかはここを去っていく。最初のノイエは寿命を全うし、エルの父母も亡くなり、弟のように可愛がっていた少年のノイエも、この街を遠く離れていった。
時が来れば、そうやって誰もがいつか去っていくのだ。
このフランチェスカにしても、いつか両親が迎えに来ることもあるのかも知れない。エルやジョッシュだって、この最果ての街で暮らしている以上不測の最期を迎える事もあるだろう。猫のメアリーアンも老齢で老い先は決して長くはないし、新たな仲間である機械のミハルも、いつまで稼働するかは分からなかった。
そしてアシュレーも、今日旅立っていくという。
人はいつか去っていく。いつか別れの時は来る。
だけど今、彼女達はここにいる。
永遠には続かないからこそ、今この時は貴重なのだ。
気が付くと、いつの間にかアシュレーの姿がいなくなっていた。
「あれ? いつからいなくなってた?」
(つい今しがたですよ。三十一秒前)
ミハルの言葉に、エルが慌てて外に飛び出してみると、工場街の目抜き通りを旧市街の方に向けて歩き出していたアシュレーの背中が見えた。
そんな彼を、エルが大声で呼び止める。
「ちょっと、あんた!」
「……なんだ?」
「約束して!」
立ち止まって振り返ったアシュレーに、エルは大声で怒鳴りつけるように、念押しする。
「もしノイエに会ったら! 私のところに帰ってこいって、そう言うのよ! 絶対だからね!」
「……分かった。善処してみるよ」
ひらひらと手を振るアシュレー。
そして旅人は旅立っていく。
遠くへ。どこかエルやフランチェスカの知らない、新しい土地へと。
* * *
少し、日時をさかのぼる――。
真っ白に染まった大地で、少年は目を覚ました。
風が静かに凪いで、少年の頬をさやさやと通り過ぎていく。地面に倒れ伏したまま、彼方の景色を見やると、ハイシティの街並みは遙か遠くに見えていた。その上空を、〈ブリザード〉が今ゆっくりと通り過ぎようとしているのが見えた。そろそろ工場街を抜けようとしている頃合いだろうか。
そんな、白い雲のような塊の動きを、少年はまるっきり他人事のように、ただぼんやりと見ていた。
一人ではなかった。二人もつれるようにして、一緒に大地に倒れ伏していた。ノイエは慌てて半身を起こして、ここまで彼を運んできてくれた連れ合いの肩を揺すってみて……何の反応もないことを知った。
まるで眠っているかのようだった。今にも目を見開きそうにも思えたけれど、結局彼女が目覚める事はなかった。
そっと、その頬を撫ぜてみる。
次の瞬間、細いうなじに細かいひびが走って、彼女の細い首はそのまま砕けてしまった。
首が、ごろりと白く染まった地面に転げ落ちるのを、少年は無感動に見ているだけだった。
ノイエは無造作に手を伸ばして、プラチナシルバーの髪を掴んで手元にたぐり寄せる。もう一度、ゆっくりと頬を撫で、そのままぎゅっと抱きしめた。
「メアリーアン……」
彼女の名前を、そっと呟いた。
生首だけになった彼女は、それでも実に安らかな表情を見せていた。何もかもを成し遂げ、もはや悔いなど何ひとつない……そんな満ち足りた様子で、目を閉じていた。
ノイエは儀式めいた様子で、彼女の額にそっと口付けをした。
涙が一滴、少年のほほを伝った。
その視界に、うっすらと影がよぎるのが見えた。
少年がはっと顔を上げる。背後を振り返ってみると――そこに、彼女が立っていた。
すらりと伸びた手足、折れそうに華奢な肩、色を喪ったように、真っ白な肌。惜しげもなく裸身を晒したメアリーアンの姿が、そこにはあった。
「メアリー、アン?」
どういうことなのだろう、と思ったノイエは、そこで初めておのが内なるイゼルキュロスの存在を思い出してみるが、彼女は沈黙したまま、何も答えなかった。
目の前の少女は、にこりと微笑むと……たどたどしい口調で、尋ね返してきた。
「メアリー、アン。それが、わたしの、なまえ?」
「そうだよ。君はメアリーアン。メアリーアンだよ」
「そう」
彼女はひとつ頷くと、少年に向かってこう呼びかけた。
「では、いきましょう。イゼルキュロス」
そう呼ばれて……少年は一瞬言葉を失った。が、次の瞬間には力無く微笑んで、こう答えていた。
「うん、いこうか」
言いながら、手の中の生首を見やり……それをその場に置き去りにしていく。それもいつかは朽ち果てて、粉々に砕け散っていくのだろう。
少年はもう一度だけ、背後に高々とそびえたつ廃墟の高層建築の姿を振り返った。すでにあの場所に、彼らの居場所はなかった。――どうせ、ノイエというのもあとから名付けられた名前だった。それを名付けたエル・グランと工場の人々、ニコルとの思い出と一緒に、この名前をここに置いていくのも、悪くはないと思った。
どこまでも真っ白に染まる何もない平原を……手を繋いだまま、二人はいつしか遠い地平線に向けて歩き始めていた。
(「ホワイトアウト・シティ」おわり)




