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ホワイトアウト・シティ  作者: 芦田直人(あしだ)
第8章 ホワイトアウト
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4 決着のとき

 先に動いたのはサラエサラスの方だった。

 その逞しい二本の腕を高々と振り上げ、メアリーアンに向かって打ち下ろす。

 メアリーアンは飛び退いてこれをかわしたが、鋭利な爪がワンピースの裾を切り裂いた。見た目だけではなく、現実に硬度も切れ味も確かな凶器だった。

 腕を狂ったように振り回し、サラエラサスはメアリーアンに迫る。メアリーアンはゆっくりと後ずさりながら、これを的確にかわしていくのだった。

 そして、一瞬のタイミングをついて、サラエサラスの懐に潜り込む。振り上げた腕を取って、そのままねじ上げる。

 だが、それがサラエサラスには通用しない。関節を逆に捻ろうとも、その瞬間に腕だけが部分的に無形化し、彼女がねじ上げた方向に普通に曲がるように、関節の向き自体がすぐに変わってしまうのだ。

 慌てて離れるメアリーアンだったが、その彼女の虚をつくように、腹部から何の脈略もなく唐突に、触手が伸びてきて彼女を襲うのだった。アイボリーのそれは振り回すだけの鈍器だったが、サラエサラスのそれは先端が鋭い槍のようになっていた。

 メアリーアンはその尖った刃先を躊躇せず掴みかかる。だが触手はすぐに無形化したかと思うと、手のひらのようになって逆に彼女の細い手首を掴み返そうとするのだった。

「きりがないな」

 遠巻きに見ていたアシュレーが、苛立たしげに呟いた。

 メアリーアン自身も同じように考えたのだろう、地上でサラエサラスに相対するのをやめて、羽根を広げ空へと逃れていく。

 サラエサラスもまた鳥の形状に転じるかと思えば、そうはしなかった。触手を天に向かって目いっぱいに伸ばし、メアリーアンを絡めとろうとする。一本や二本ではない、無数の細長い形状のものが、形らしい形もないままにメアリーアンにまとわりつこうとし、それが高みに伸びていくにつれ地上にいるサラエサラスの本体もまた元の形状を見失っていく。触手自体がらせん模様に絡み合うようにして空へと延びていくさまはただひたすらに異様だった。

 やがてそれが一本の太いぶよぶよとしたかたまりに一体化していくと、もはやサラエサラスは何かしら生き物らしい形状になろうという努力を捨てたように見えて、正体不明の柔らかいかたまりのままに空を舞うメアリーアンを飲み込もうとするのだった。

(ノイエ、お願い。もう一度手を貸してくれないかしら。あの子が敗れるとは思わないけれど、あのままでは埒が明かないわ)

 とは言え、どうするというのだろう……?

 ノイエの疑問を察知するかのように、イゼルキュロスは先を続ける。

(私が考えるに……彼自身が言うような実験室で培養された細胞片から今の状態に至った彼と、いったんは身にまとった形質を失って液状化した私とは、違うプロセスを経たとはいえ結果的には同じ性質に至った、よく似た存在であると言える。……その私があなたの体内に侵入したように、私が彼に侵入したら、一体どういう事になるのかしらね)

「イゼルキュロス、それって……」

(ただ食べられてしまうだけか、異物として拒絶されるのか……ともあれ、実行に移すなら早いに越したことはないわ)

「……分かったよ」

 今しがたのイゼルキュロスの声はノイエ少年にしか聞こえていないから、少年が何に返事をしたのかは周囲の者には分からなかった。彼は近くにいた兵士から一本のナイフを借り受けると、そのまま誰の制止も聞かずにその場を離れていった。

 そこからは、先ほどの追いかけっこと同じく、再び駆け足だった。近くの廃墟の建物に飛び込み、ぐんぐんと上の階へと駆け上がっていく。

 どれほどのぼっただろうか。高層階の窓から下を見おろすと、すぐ眼下でメアリーアンがサラエサラスともつれ合っていた。

(もう少し上よ)

 その言葉通り、ノイエはさらに上を目指す。ハイシティの名前は伊達ではなく、建物は天を貫かんばかりの高みにあり、階段はどこまでも果てしなく続いているように思われた。

 〈ブリザード〉はまだまだ去ったわけではなかった。廃墟の建物は窓も割れ、外からの風が容赦なく吹き込んでくる。イゼルキュロスのおかげで結晶の毒も受け付けなければ踏みしめる二本の足の脚力も強靱になったとはいえ、突風にまかれれば少年のか細い身体など、簡単に飛ばされそうになってしまう。

 見れば、そのフロアは壁の一面が窓ガラスだったのだろう。それが全部破れて、そこから容赦なく風が吹き付けてくる。ノイエがどうにか窓の側まで歩み寄って、下を覗いてみると、メアリーアンとサラエサラスの戦いはなおも続いていた。

「メアリーアン……!」

 ノイエの口から、声がもれる。

 サラエサラスはダメージを負うことを知らなかったし、アイボリーとよく似た形態を見せていたかと思えば、ノイエたちを追いかけていた時のような複数の生き物になるなど、柔軟に形状を変え、予測も付かない攻撃を彼女に仕掛けてくるのだ。すでにメアリーアンの全身は傷だらけで、深く切り裂かれた脇腹からは透明な体液がとめどなく流れ、ぼろぼろになったワンピースを濡らしている。

 サラエサラスはそうやって、メアリーアンが徐々に衰弱していくのを待っていたのだろう。羽根までも傷ついて、やがて地上へと後退していこうとするメアリーアンを、いよいよ追いつめるかのように、彼は無形化し、ぶよぶよした粘体となって、一気に彼女に襲いかかったのだった。

(ノイエ、今よ)

「分かった」

 見下ろす両者の姿は、〈ブリザード〉で白く覆われた視界の向こうにあった。

 二人が浮かんでいるのは、廃墟の区画の目抜き通りの丁度真ん中辺りで、建物からの距離で言えば決して近くはなかった。

 ノイエはいったん階段まで駆け戻っていくぐらいに後ろまで引き下がると、そのまま突風の吹き付ける窓際に向かって、全力疾走を開始した。

 怖くないかと言えば、嘘になる。地上からの高さも相当なものだったし、いかにイゼルキュロスが一緒だったからと言って、地面に叩き付けられれば少年とて無事では済まないだろう。

 もはやイゼルキュロスが勝手にノイエを操縦している感覚はなかった。彼は自分の意志で、自分の足で、その無謀なジャンプを試みようとしていた。

 ――大丈夫、イゼルキュロスが付いている。きっとノイエの意識しないところで、跳躍のさいの踏み込みを調整してくれるに違いないと、信じるより他になかった。

 吹き付ける風に逆らって、ノイエの身体が窓から飛び出していく。

 高層階の窓からの、決死の跳躍。床を蹴って大きく飛んだノイエの身体は、そのまま重力に引かれて真っ逆さまに落ちていく。

「――!!!」

 声にならない悲鳴も、突風にかき消されるばかりだった。

 吹き付ける風に煽られて、少年の身体はくるくると回る。それでもひたすらまっすぐに、正しく落下運動を続けていくのだった。

 イゼルキュロスの読み通り、彼は一直線に、空中にぶよぶよと浮かぶサラエサラスに向かって落ちていく。

 メアリーアンを捉え、包み込むべく広げられたサラエサラスの粘体は、彼女の代わりにノイエを捕まえた。落下の勢いで深く沈み込んで、そのまま突き破っていくかと思われたが――サラエサラス自身、咄嗟に判断してそうしていれば良かったのだろうが、彼の考えの中にはメアリーアンを絡め取ることしか無かったので、ノイエは弾力のある粘体に助けられる形となって、地面に叩き付けられるのは免れたのであった。

 だがそれをサラエサラスが放置しておくわけがない。そのまま体内に包み込んでしまった少年を、地面に吐き捨てるべく粘体は蠕動運動を開始する。

(ノイエ!)

 サラエサラスが身体にまとわりついてくる中、ノイエは必死でポケットに押し込んだナイフを取り出す。一瞬の躊躇はあったものの、少年はぎゅっと目を閉じて、刃先をおのが右手首に突き立てた。

 痛みはナイフの先端が最初にちくりと皮膚を裂いたその一瞬だけだった。あとはイゼルキュロスが痛覚と触覚をすぐに遮断した。

 元よりその右手は、イゼルキュロス自身が少年にまるまる貸し与えたものだった。傷口からあふれ出してきた透明な液体は、血というよりは、あるいはイゼルキュロス自身だったのだろうか。

 その液状のイゼルキュロスが、ノイエを包み込む粘体に徐々に浸透していく。

 次の瞬間……サラエサラスの身に、変化が起きた。

 少年を排除すべくもぞもぞと動いていたのが、急に乱暴な動きに変化した。

 彼はきっと混乱していたのだろう。形のない、ねばねばした粘体でしかなかった彼だったが、それが急速に硬度を上げていく。ぶよぶよしたクッションのような手触りだったのが、ゴムのような固い感触に変わっていくのだった。

「ぐっ……!?」

 そのうち、ノイエは急に自分の身に圧迫感を覚えるようになってきた。固さを増していくサラエサラスの身体が、ノイエの身体をぐるりと包み込んだまま、ぎゅっと彼を締め付けてきたのだ。

 それは、異物――イゼルキュロスを取り込んだ拒絶反応で、サラエサラス自身には無意識の動きだったのかも知れない。それでも、ノイエには予期せぬものであり、不利な状況には違いなかった。

 思わずもらした声は、粘体の外側にいるメアリーアンにも聞こえたようだった。

 彼女にしてみても、一連の出来事は意外なものだった。あわや、というところまでサラエサラスに肉薄されていたかと思えば、突然ノイエ少年が空から降ってきて、おのれにまとわりつこうとしていたサラエサラスが間違って少年を受け止めてしまったのだ。

 それに続く、サラエサラスの身に起きた異常。……そして少年のうめき声。

 ノイエが危ない。

 決して傷は浅くなかったが、メアリーアンはそれまでの後退の姿勢から転じ、必死にサラエサラスにとりついていく。

「ノイエ!」

 叫びながら、彼女は目の前に立ちふさがるサラエサラスの身体に爪を立てて、必死でノイエを掘り起こそうとした。急速に硬くなっていく粘体を、小さな破片にちぎっては投げ、ちぎっては投げ飛ばしていく。

 しかしサラエサラスも黙ってはいない。無形化した身体の全体をびくり、びくりと痙攣させながらも、おのが身体に風穴を空けようとするメアリーアンに向かって、攻撃の手を繰り出してくるのを忘れないのだった。

 唐突ににょきりと生えてきた突起が、メアリーアンの胸部を突打する。彼女が怯んだ瞬間、その突起の先端が鋭利な錐状になって、さらに彼女に襲いかかるのだった。

 メアリーアンもいちいち引き下がってはいられなかった。おのが胸部を貫いたその突起を、根元から無理矢理に引きちぎって、やはりこれも地面へと投げ捨てるのだった。そのちぎった破れ目に両手の爪をねじ込ませて、さらに力任せに引きちぎる。

 すると今度は逆に、ねじ込んだメアリーアンの腕を、内側から引き寄せて……彼女の身体とぶつかる瞬間に、その接触面には無数の針の山が突き出ていた。

 メアリーアンは避けることも出来ずに、これに串刺しにされてしまうのだった。

 サラエサラスはそのまま一部を再度粘体化させて、今度こそメアリーアンの身体をからめ取って、そのまま身動き出来ないように固定してしまおうとするのだった。

(そうはさせない)

 イゼルキュロスの声が、メアリーアンに聞こえたような気がした。

 メアリーアンに回した触手状のかたまりの動きが、ぴたりと停まる。サラエサラスは無理に動かそうともがくが……それを止めているのは、彼の体内に紛れ込んだイゼルキュロスのしわざだった。

 彼女が侵入した影響だろうか。拒絶反応のようにいったんはきゅっと縮こまって強い弾力のある固まりとなった彼の身体は、次第に制御がつかなくなったのか、再び柔らかい粘体になって、そのままぼとぼとと地面にこぼれ始めていたのだった。

 サラエサラスはそれを引き留めようと、重力に引かれて垂れていった分をたぐり寄せようとするが、そんな動きも途中で止まって、また落下を続けていく。イゼルキュロスが妨害しているせいだった。

(くそ……僕の身体だぞ。どうして邪魔をするんだ!)

 そんな罵りの言葉も負け惜しみにしか聞こえなかった。彼自身どうする事も出来ないまま、サラエサラスの身体はぼろぼろに崩れ落ちていく。

(終わりにしましょう、サラエサラス)

(お断りだ! こんな結末など、僕は迎えたくない! ……どうしてだ。どうしても、僕は滅びていかなくてはいけないのか。お前は新しい自分を得る事が出来たというのに、僕は……僕は……!)

(いいえ。私だって所詮滅び行くだけの存在よ。でも私は何者をも、もはや恨まない)

 イゼルキュロスは哀しげに呟く。

(……何かが違うとしたら、きっとそこが私たちの違いなのでしょう)

 ノイエの身体は、ぼろぼろに崩れようとしているサラエサラスの身体の、その粘液に絡め取られるようにしながらゆっくりと落下を始めていた。

 見れば、その右手が二の腕の途中で欠落していた。サラエサラスの身体からにゅっと伸びた粘液のかたまりが、少年の身体に取り付いて……やがて右手の形を復元したかと思うと、そのまま千切れてしまう。それはサラエサラスではなく、中に紛れ込んでいたイゼルキュロスの欠片がそこに戻ったという事なのだろう。

 メアリーアンはそんなノイエ=イゼルキュロスの姿を見やると、なおも空中でぐずぐずとわだかまっているサラエサラスの残りを、その爪でひと思いに真っ二つに引き裂いた。

 その瞬間、悲痛な叫びが響きわたった。

 粘液状に崩れ落ちていたサラエサラスだが、その粘液のしずくが、やがて結晶のようなかたまりになって、ぼろぼろになって地面へと崩れ落ちていくのだった。

 そんな光景を、アシュレーは地上で見ていた。

「おい、誰か、火炎放射器を持ってきていないか?」

「火炎放射器?」

 声を挙げたのは伍長だった。

「き、危険ですよ! 空気中にこれだけ〈ブリザード〉の結晶が舞っているんです。引火したら、粉塵爆発を引き起こしちまいます」

 伍長はいったんそう反論したが、自分の口から出た今の言葉がそのままアシュレーの狙いである事にすぐに気づいた。脇でやり取りを聞いていたエッシャー大尉が無言で頷き、伍長が放射器を渋々用意して手渡した。

「……君らは下がっていろ」

 見ろ、と言ってアシュレーが指さした先の地面で、ぼとぼとと落下したサラエサラスの肉片が、もぞもぞとしぶとく蠢動していた。よろよろと寄り集まって、再び一つになろうとしているのだった。

 アシュレーが何をしようとしているのか、今や明白だった。エッシャー大尉の指示で、駐留部隊の兵士達は一斉に引き下がる。

 現金なやつらだ、とアシュレーは苦笑いをすると、そんなサラエサラスの破片に歩み寄って、火炎放射器を構えるのだった。

 バーナー部分に点火し、ポンプのレバーを引く。

 噴霧された燃料が、またたくまに炎の帯を描く。軌道上の結晶の粉を焼いて、暗い空に鮮やかに、紅い星がパチパチとはぜた。

 風に乗って舞う結晶に、炎は目にもとまらぬ早さで引火していく。

 空中でそれを見ていたメアリーアンも、何が起ころうとしているのかすぐに察知したようだった。粘液に絡め取られ、ゆっくりと地上に落下しようとしていたノイエの元に駆け付けて、慌ててその場から連れ去るのだった。

 少年を抱えたまま、メアリーアンはふわり浮き上がってそこから離れていく。引火した炎は、地上に落下した肉片と、空中からゆっくりと落下しようとしていたねばねばの粘体とを、一気に包み込んだ。

 誘爆の炎が、もがき続けるサラエサラスをあっという間に焼き尽くす。その炎の中でぼろぼろの灰に変貌しつつも、それでもどうにか残った肉片で再生を試みる怪物だったが、それもアシュレーが続けざまに放った炎に包まれて、結局は何もかも焼き尽くされようとしていた。

 そんな炎の噴射を……踊り狂う炎の軌跡をノイエはメアリーアンにしがみついたままじっと見上げていた。そんな少年の視界が、不意に地上へと下がっていく。

「……メアリーアン!?」

 細い腕にノイエの身体をしっかりと支えたまま……力なく目を閉じた彼女は、ゆっくりと地上へと墜落していった。



(次話につづく)

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