3 迎撃戦(その1)
ひとたび地面に塗り込められたメアリーアンをどうにか地面から持ち上げられる状態にまで掘り返すと、アシュレーもノイエもそこでようやく一息つくことが出来た。彼らがその場にそうやって留まっている間にも、風は弱まるどころかなおいっそうに勢いを増してきており、〈ブリザード〉はこれからが本番を迎えつつあると言えた。
「それで……今のところ、サラエサラス達の状況はどうなっているんだ?」
「ライナって女の子は多分もう死んでるはずです。……イゼルキュロスが倒しました」
アシュレーの問いにノイエの声のトーンが落ちたのは、自分があれだけの傷を負わされたとはいえやはり幼子にしてはむごい最期だったからだろうか。アイボリーもまた負傷したが、傷の程度も、その後どこへ行ったのかも不明である。ノイエは淡々と、そのように説明した。
ノイエがこの閉鎖区画に駆けつけたのは、メアリーアンとサラエサラスとの交戦がひと段落した直後だったので、少年はサラエサラスの姿を見ていなかった。サラエサラスに負わされた傷が塞がるまで足止めを食っていたアシュレーも同様だが、サラエサラスがメアリーアンを追いつめていったところまでは把握していたので、多分両者が交戦した結果としてのこの〈さなぎ〉であろう事は察しがついた。
「アイボリーの方は行方知れずとして、サラエサラスのやつはやはり、屑鉄平原に逃れたのでなければ、この廃虚のどこかでメアリーアンともう一戦交えるために、機を窺っていると見た方がよさそうだな」
勿論、翼ある者にも化けられるのならもっと遠くにまで飛んで逃げた可能性もあるが、〈ブリザード〉のこの強風を思えば遠く距離を飛んでいくのも簡単ではなかっただろうから、やはり近くに潜伏していると見るのが妥当に思われた。むろん、行方の知れないアイボリーもまた、サラエサラスと合流するためにこちらにやってきている可能性は充分にあった。
考えてみれば、もし彼らと戦うとなるとこちらの戦力だって心許ないと言えば、心許ないのだ。いくら不死人とは言えアシュレーでは本気を出した攻性生物たちの前では物の数ではないだろう。じっさい、半身を引き裂かれるほどの重傷からつい先ほど再生したばかりで、まだ本調子とは言えなかったし、そのくらいの傷は簡単に負わされる実力差は認めざるを得ない。
ではイゼルキュロスはというと、あくまでも彼女はノイエの身体を間借りしているだけだったから、果たしてサラエサラスやアイボリーと真正面から渡り合えるかどうかはこれも疑問だった。
となると、戦力と言えるのは〈シミュラークル〉であるミハルだけ、という事になる。そのミハルは、アシュレーから何も言われずとも、周囲に警戒を配るようにそれとなく歩哨に立っていた。
そのミハルが、唐突にこんなことを言い出すのだった。
「提案ですが、今のうちに〈メアリーアン〉を連れてここを退去した方が良くはないでしょうか」
「退去というが、どこへ行くっていうんだ?」
「〈メアリーアン〉は身動き出来ない状態ですから、当面は逃亡の恐れがありません。〈イゼルキュロス〉はあの少年の身体に一体化していますから、恐らく少年の不利益になるような極端な行動は取らないはずです。この二人の身柄を駐留部隊に引き渡してしまえば、サラエサラス達も迂闊には手を出せないのではないでしょうか?」
そう言いながら、彼女の目はアシュレーを見てはいなかった。風がごうと唸る廃墟の往来の彼方へと注意を配り、どこかに身を潜めているはずの敵の出方を窺っていた。この天候に紛れ込めば、向こうから不意打ちをしかけてくる事も容易なはずだった。
「なるほど。お前の言うことも一理あるな」
アシュレーはノイエ少年の元に向かい、ミハルの提案をそのまま伝えた。アシュレーとしては、こんな地の果ての土地まで逃亡してきたイゼルキュロスが簡単に駐留部隊への投降に応じてくれるかどうかという懸念はあったが、イゼルキュロスの心配はまた別のところにあった。
(私たちが投降するのはいいとして、あの連中がそれであっさりと引き下がってくれればいいけど。例えば見境無く駐留部隊を襲ってきたらどうするつもりなの?)
「その時はその時だろう。連中がそのつもりで人間に襲い掛かってくるようなら、俺たちやメアリーアンにしても、どのみちどこへ逃げても同じという事になるんじゃないか」
だったら、投降した上で撤退を試みたところで、別段損はないのではないか……というアシュレーの言い分に、意外にも素直に応じるイゼルキュロスだった。
「待って。だったら、フランチェスカもどうにかしないと」
ノイエは、廃虚の奥に隠れているはずのフランチェスカの事を告げる。とは言え彼女の場合は〈ブリザード〉の中を手を引いて連れてゆくというわけにはいかないから、逆に部隊の方にこちらまで保護に出向いてもらうしかない。
「……サラエサラス達がその子に気付くと、まずいことになる。気の毒だが、〈ブリザード〉から無事避難出来ているのであれば、このまま知らんふりを決め込んだ方がいいかもしれない」
薄情なようだがノイエも同じような可能性には思い至っていたので、それは仕方なかったかも知れない。
ともあれ、これから移動するとなると、ようやく掘り起こしたメアリーアンをノイエとアシュレーの二人で担ぎ上げていく事になるだろう。この状況でもしサラエサラスらが実際に襲ってきたときは、ミハルが一人で矢面に立つことになるはずだった。
「お前だけが頼りだ、ミハル」
「……そんな風に頼み事をされるのは好きではありません。私は機械ですから」
「だったら、命令と言った方が素直に聞けるか?」
「命令して下さい」
彼女なりのロジックがそう言わせているのだろうが、人間の心理になぞらえるならこれはどういう心境からくるものかと、アシュレーは苦笑する。
「なら、命令だ。俺達を死守しろ」
「分かりました」
ミハルは素っ気なく、同時にきっぱりと返事した。
彼女にしても必ずしも何もかもがアシュレーの言いなりというわけではなく、自身に下された命令が状況に則した適切なものなのかどうかを分析する能力をきちんと有しているはずだった。戦局によっては人間の上官がパニックから適切な命令を下せない場合もあるだろうし、先程のような作戦提案を意見として求められる局面もありうる。下された命令が論理的に受け入れられるものだからこそ、それをやり遂げてみせるという決意ゆえか、彼女の横顔はこころなしか誇らしげに見えるのだった。
遠巻きに見守れ、とアシュレーが言ったのを律儀に守っているのだろう、エッシャー大尉率いる部隊は距離を守ってこちらを窺っているのか、目視できる範囲にその姿は見えなかった。〈ブリザード〉に視界を阻まれているのももちろんあったが、アシュレーらは部隊との合流を試みるべく、ゆっくりとその場を離れていく。
襲撃に対する備え、という意味でも慎重だったが、メアリーアンを持ち運ぶのに万全を期す、という意味でも慎重さが必要だった。ノイエとアシュレーとではかなり背丈に違いがあったので、ほぼほぼアシュレーが担ぎ上げるのにノイエが簡単に手を添えるだけのような恰好になったが、それでも人ひとり運んでいるとは思えないくらいに軽い。まるで手ごたえがない。
「俺一人でも全然運べそうだが、落としちゃまずい。そっちの端をしっかり支えていてくれよ」
「分かっています」
風は一向に吹き止まず、むしろ視界は一層濃くなっていっているようにも思えた。 遮蔽物の無い広い空間だったが、この視界では敵からすれば接近は難しくなかっただろう。
出来れば何も起こって欲しくはなかったのだが……ややあって、ミハルが不意に足を止めた。
(来るわ)
「来ます」
ミハルが告げるのと、ノイエの耳の奥でイゼルキュロスがささやくのとはほとんど同時だった。一行がちらりと見上げると、姿ははっきりと視認できないにせよ、何かしらまとまったサイズ感のある何かが、さっと頭上を横切っていったのが分かった。
次の瞬間、それはノイエら一行の真後ろにすばやく着地したかと思うと、そのまま隊列の後尾にいたノイエ少年に襲いかかる。
「――!」
突然の事に、ノイエは身を固くすることしか出来なかった。その瞬間、イゼルキュロスが少年の身体のコントロールを強引に奪い取って、回避行動に入ろうとする。
だが結局、それは必要なかった。傍らを併走していたはずのミハルが、いつの間にか敵とノイエとの間に割り込んでいたのだ。
繰り出された相手の一撃は、拳なのか蹴りなのか、何かは分からないが身体を使った打撃には違いなかった。ミハルはおのが拳を繰り出し、その渾身の一撃を払い落とす。
キュルキュルと甲高い、楽器の金属弦をこするような音が、敵の方から響いてきた。まるで舌打ちでもするような、悔しそうなニュアンスがあるように思えた。……つまりそれは声だったのだ。
次の瞬間……白いもやの向こうから、乳白色の翼ある生き物が、ぬっと姿を現した。
「アイボリーか……!?」
アシュレーが思わず口走る。
そこに立ちはだかっていたのは、大理石の彫像が動き出したかのような全身真っ白な生き物だった。〈ブリザード〉の白いもやの中で保護色にもなるそれは、それでも間近で見ると圧倒的な存在感があった。乳白色というか……この時代の彼らは本物を知らなかっただろうが、まさに名前の通りの見事な象牙色の芸術品だった。
実際、その身体は生命体のような肉や皮膚をもっているようには見えなかった。イゼルキュロスもそうだったように、アイボリーもまた見事に削り上げられた彫刻が、そのまま動いているかのようだった。
こちらを向けて恐ろしい形相で睨むその表情に、人間の姿だったころのアイボリーの面影がかすかに見て取れた。
だが、人間らしいのはそこまでだった。彼女自身もイゼルキュロスのように擬態する能力があったのだろうか、今目の前にいるのは人の皮をかなぐり捨てた異形の猛獣だった。
猫科の猛獣のような逞しい四本の足、それとは別に生えた腕には猛禽のような爪が光り、背中には堂々とした大きな翼が生えていた。その翼の付け根辺りから、グロテスクな長虫のような触手が伸びていて、一行の眼前にゆらゆらと揺れていた。今しがたミハルがはたき落としたのは、どうやらその触手の一本だったらしい。
そして全身が、「アイボリー」の名前の通り象牙色に包まれている。……その乳白色のあちこちが、血で真っ赤に汚されているのだ。
攻性生物、という名前の通りの、いかにも凶暴な、破壊のみしか求めぬ生き物のように、彼女は見えた。……それは血走った、何もかもを憎むような殺気だった眼差しのせいもあっただろうか。
アイボリーは巨大な翼をまるで威嚇するように高々と掲げ、彼らの前に立ちはだかるのだった。
「退避してください!」
ミハルがそんな風に叫び声を上げる。その目はいつの間にか真っ赤に爛々と光を放っていた。〈バーサク・モード〉への移行をすでに完了させている証だった。
アシュレーはそれを見やりつつ、二人で担いできたメアリーアンの身体からそっと離れる。
「悪いが少年、一人で持ってくれ」
「わっ、ちょっと……」
腕に抱えたメアリーアンが不意にぐらりとバランスを崩したので、ノイエは慌てて担ぎ直す。一人で持てない重さではないはずだったが、少年の細腕には荷が重かったかも知れない。
「あれ?」
だが、少年はそれを軽々と持ち上げていた。




