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ホワイトアウト・シティ  作者: 芦田直人(あしだ)
第7章 メアリーアン
38/46

3 迎撃戦(その2)

(右腕だけじゃないのよ。あなたの身体は今までとはあちこち違っているはずだから、気をつけなさい……という話はしたはずだけれど)

「うん、そうだった」

 ノイエは内心苦笑いした。

 少年がメアリーアンを一人で無事に抱えていられる事を確認すると、アシュレーは懐から銃を抜き放った。

「すまないが、メアリーアンは君に任せたぞ」

 彼が何を警戒しているのはすぐに分かった。アイボリーが襲ってきたという事は、もう一人の敵もどこかにいるはずだった。

 気配を察知して、アシュレーがさっと振り返る。ノイエもまた何者かが襲いかかってくるのに気付いたが……それはアシュレーが振り返った方とは、逆だった。

「ど、どういうこと?」

(二手から来る!)

 ノイエ自身の口から発せられたイゼルキュロスの警告に、ノイエ自身大いに狼狽えた。

 慌てたのはアシュレーも同じだった。仮にライナが生きていたとすれば来るのはBEEだったかも知れないが、今二人を挟み討ちしようとする新たな敵は、BEEよりもはるかに巨大な体躯で、這うように地面を駆けて近づいてくるのだ。

 アシュレーが、苦々しげに呟いた。

「逃げた方が、良さそうだな」

「に、逃げるって、どこに……」

 ノイエがうろたえている間にも、二体はすぐそこまで迫っていた。

(ノイエ、行くわよ)

「行くって、どこへ……わわっ!」

 ノイエの返事も待たずに、身体が勝手に走り出していた。

 というか、それは「走る」などという生易しい行動ではなかったかも知れない。一枚の長い立板を運ぶかのように、メアリーアンをしっかりと脇に抱えたまま、二本の足がしっかりと地面を捉え、着実に一歩ずつ蹴り出して行く。そうやって一歩進むごとに、景色がものすごい勢いで通り過ぎていくのだった。

 その脚力に、あっという間においてけぼりにされたアシュレーが、どうにか後に続く。そんな彼らに追従するように、左右から迫る敵も軌道を少しずつ修正し、ぐんぐん近づいてくるのが見て取れた。

(来る)

 今更イゼルキュロスのやることに、驚いている暇はなかった。

 迫り来る追っ手は、一瞥したところ野犬のごとき四つ足の獣に見えた。だがその頭だけが、人間の少年の頭そのままで、それがグロテスクを通り越して滑稽にすら見えた。

 その少年の横顔に見覚えはなかったが、正体はすぐに察しがついた。あれが先ほどまで話題に挙がっていた〈サラエサラス〉だ。

 しかも二体は同じ顔かたちをしていたから、左右から来るそれぞれが、等しくサラエサラスという事になるのだろう。

 イゼルキュロスも俊速だったが、そもそもが借り物の身体であったし、人間の少年と野犬まがいの四つ足とでは、身体構造の面で小さからぬ差異があった。

 次の瞬間、左右のサラエサラスが同時にノイエに飛びかかる。前肢の鋭くとがった爪でもって、ノイエを引き裂こうというのだった。

 あわや、ノイエ自身が覚悟した次の瞬間、ノイエの視界は今度は急激に上に向かって移動していく。

「……!」

 そう、彼はその二本の足で、驚異的な跳躍を見せていた。地面を蹴って、身長の何倍もの高さを軽々と飛び上がる。

 大きく跳躍したノイエの身体は、そのまま廃虚の壁面にぶつかりそうになる。そこで外壁をもう一度蹴って、空中で方向転換する。……それはまるで、空中をおのが足で歩くような、そんな驚くべき連続跳躍だった。

「イゼルキュロス、これって一体どうなってるの!?」

(余計な事は考えないで! 身体のコントロールを全部私に委ねて!)

 彼女の言葉どおり、ノイエの身体はノイエ自身の意思とはまったく無関係に動いていた。もちろん少年自身の体であり、抵抗することは全く不可能ではなかったのだろうが……今ここで勝手に手足を動かそうものなら、バランスを崩して、肩に担ぎ上げたメアリーアンごと地面に叩きつけられるに違いない。

 振り返ってみれば――これもノイエの所作ではない。イゼルキュロスが、追っ手の姿を視認しようとした結果だ――サラエサラスはなおも追いすがっていた。跳躍して空へ逃れたノイエを追って、野犬と化したサラエサラス達はビルの外壁を巧みによじ登り、壁をつたって迫り来る。形状がいつしか変化を遂げて、手が足よりも長い猿か何かのようになっていた。目の錯覚ではなしに、顔以外の身体の構造が全然違うものになってしまっているようだった。

 もちろん……野犬だの猿だのを、ノイエが本物をじっくりと見て精通しているわけでもなく、記録映像などでちらりと見ただけの生半可な知識に過ぎない。今目の前に迫っているのも自然に生まれた生き物とは全く呼べない、いびつで悪意に満ちた模造品に過ぎなかった。それだけにことさら、悪夢めいて見える光景ではあった。

 ノイエはそのまま着地して、今は先ほどと同じように路地を足で駆けていた。その頭上の壁面を伝うようにして、サラエサラスは迫ってくる。

 だがしかし……よく見ると猿のようになったサラエサラスは、先ほどの野犬と比べてもやけに身体が小さくなってはいないだろうか。

 ノイエが脳裏に思い描いた疑問がイゼルキュロスにも伝わったのかも知れない。はっと見上げると、後方から追いすがる二匹の猿とまったく同じものが一匹、今まさに上空からノイエに踊りかかろうとしていた。

「うわっ!」

 イゼルキュロスはすんでのところで身をよじって、この襲撃をかわす。そのまま地面に叩きつけられた三体目は、その場で不意に無形化し、正体の不明瞭なもやもやとした固まりになって……そして次の瞬間には、今度は鳥のような大きな翼を持つ形状に変化していたのだ。

「……なんてやつだ」

 他の二体の背中にも、みるみるうちに羽根が生えていく。一体は鳥のようなシャープなラインを、もう二体は猿にそのまま翼を生やしたような形状のまま、翼をはためかせてノイエ達に肉薄してくる。

 最初の突撃は、寸でのところで回避した。イゼルキュロスが、地面を蹴って疾走する、その軌跡をわずかに逸らしたのだ。

 気が付くと、ノイエはやけにひらけた場所を走っていた。廃虚を走り抜けてしまったのかと思ったが、そうではなくてそこは往来が交差するだだっ広い十字路だった。

 イゼルキュロスが、とっさに角を曲がって転身する。

 あとから追いかけてきていたアシュレーが、遠目にそれを見やりつつ、叫んだ。

「駄目だ! そっちには行くな!」

 どうして、と聞き返そうにも身体のコントロールはすっかりイゼルキュロスに奪われていた。だが訊かずとも、何故止めたのかはすぐに分かった。

 曲がった先の路地の向こうが、大きく横たわる白い円柱によって、すっかり塞がれてしまっていたのだ。

 それは地面に半ばめり込んでしまっているように、斜めに横たわっていた。ノイエの進行方向と丁度対面するかたちで、こちらに頭を向け、奥が斜めに持ち上がっている。

 倒壊した建物かと思ったが、つるんとした飾り気の無い円筒形は、建造物というよりはただの一本の柱のように見える。だがここは廃虚以前にも往来だったであろうことを考えると、柱が斜めに道を塞いでいる、というのは解せなかった。

 イゼルキュロスも同じように不審に思ったようで、不意にその円柱の前で足を止めた。鳥の形状で空からノイエらを追ってきたサラエサラスはそのまま彼らの頭上を飛び越して、再び今度は三匹の野犬に姿を変えて円柱の丸い表面の上に着地し、そこから取って返してこちらに側に駆け下りて来ようとしていた。

 ふと後ろを見やると、アシュレーがようやくそこに追いついてきていた。……サラエサラスの狙いはメアリーアンで、もはやアシュレーの事など歯牙にもかけていないようだった。

「そいつは不発弾だ。屑鉄平原に元々あった街をまるまる潰して、全部瓦礫に変えたのと同じ爆弾なんだよ」

「――!」

 ノイエは絶句した。

 それは途方もない話のように思えたが……不思議と合点がいった。屑鉄平原が元々一つの街で、それが何かで破壊されたのだとすれば――そのためには、確かに目の前にあるこの巨大な円筒ぐらいのものは必要であるように思われた。

「あのクレーター湖も、狙いを外したミサイルがあけた大穴なんだそうな。……エッシャー大尉がそう言っていた」

「ミサイル」

 ノイエはただ呆然と、その単語を復唱する。

 もちろん、ハイシティと屑鉄平原の歴史に思いを馳せたりなどしている場合ではなかったが、それでもそんな恐ろしい爆弾が今目の前にあって……そればかりか、その爆弾に三匹に分裂したサラエサラスが取り付いているのはさすがに愉快な光景とは言えなかっただろう。

 サラエサラスは、ノイエらに肉薄する足を止めて、高みから二人を見下ろしていた。今のノイエらの会話が聞こえる距離とも思えなかったが、三匹ともがにたりと笑ったかと思うと、一つに混じりあって、やがて形のないかたまりから人間と思しき上半身だけがぬっとこちらに突き出され、ノイエたちに向かって声を張り上げる。

「爆弾か、面白いじゃないか! 何だったら、イゼルキュロスや君らをこの街ごと吹き飛ばすってのも悪くはないな!」

 ハハハハ……と高笑いが風に乗って消えていく。

 空恐ろしさを感じ一人震えるノイエに、アシュレーがそっと告げる。

「心配するな。元々不発弾だったんだし、威力の危ない兵器ほど、安全装置は厳重についているものだ。……ましてやこの爆弾は〈旧世紀〉の遺物だぞ。発掘技術で、見よう見まねでコピーした出来損ないじゃない」

 見よう見まねの出来損ない、という言葉に胸が痛んだような気がしたが、それはノイエの感情だったのか、イゼルキュロスの感情だったのか。

 そのイゼルキュロスが、不意に言葉を発した。

(アシュレー。この爆弾、あなたの銃で撃っても簡単には爆発しないわよね?)

「だと、いいがな」

(合図したらあいつを――サラエサラスを撃って)

「ど、どうするの……?」

 イゼルキュロスの言葉に割り込むのにまだ戸惑いを感じつつ、ノイエが問う。

(あいつはアシュレーには見向きもしないで、私達を追いかけてきている。私がここに――あなたの中にいる事を知っているのか知らないのかはわからないけど、メアリーアンを執拗に狙っているのは確かね。……ノイエ、あなたの身体をもう少し借りるわね。というより、ちょっとこき使わせてもらうから、覚悟するのよ)

 自分の口で喋っている言葉なのに、ノイエは苦笑いするしかなかった。

「さっきの歩速だと俺の足じゃまるでついていけない。やつを撃った後のことは任せたぞ、イゼルキュロス」

(もしもあのアイボリーがあなたのパートナーを倒してこちらに合流してきたら、私とノイエだけではメアリーアンを守り切れないかも知れない。駐留部隊が私たちを助けてくれるというのであれば、そっちはあなたに任せてもいい?)

「了解だ。ミハルと合流してアイボリーを何とか食い止めてみる。駐留部隊と連絡がつけられるようなら、間違えてお前たちを攻撃しないように伝えておく」

(頼んだわよ。……それじゃあアシュレー。お願い)

 そう言った瞬間……またしても身体が急に、弾けるように動き出した。猛然とした勢いで、ノイエはメアリーアンを担いだまま、まっすぐにミサイルの上を駆け上がっていくのだった。



(次話につづく)

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