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ホワイトアウト・シティ  作者: 芦田直人(あしだ)
第6章 サラエサラス
33/46

3 さなぎ

 メアリーアンたちが廃墟の無人区画に立ち入ったことで、駐留部隊は大わらわだった。

 前代未聞の二日連続の〈ブリザード〉への備えを固めている真っ最中だったというのに、区画への立ち入りを示す警報が同時に鳴り響く。例の他殺体の件もあってさすがに対処しないわけにも行かず、エッシャー大尉は随分と悩んだが結論を先送りにするような猶予もない。せめて侵入者の正体が分かっていればと思うが、遠隔カメラの映像は残念ながら鮮明とは言えず詳細は把握できなかった。先日のセンサーの故障に続いての設備の不備に、さすがに温厚な彼も憤りを覚えずにはいられなかった。

 ともあれ、やむなく彼らは急遽部隊を編成し、廃墟へと出動するのだった。

 一方、そんな廃墟の街を目指しているものがここにもう一人――というか、二人いた。

 ホバーサイクルを駆るノイエ少年と、その体内に潜むイゼルキュロスだった。

 〈グラン・ファクトリー〉に立ち寄ってからこっち、すでに〈ブリザード〉の白い結晶が空からひらひらと舞い降りはじめていた。だがイゼルキュロスが少年の身体にどのような変化をもたらしたものか、触れたところで何も感じない。……いや、肌を何かが触れる感覚は確かにあったが、雨に濡れるよりも何でもない事だった。

(心配しないで。私にはそもそも無害な毒素よ)

 この〈ブリザード〉のおかげで右手と大事なニコルを失ったノイエにしてみれば、それでも内心抵抗がないわけではなかった。イゼルキュロスはそんなノイエの不安を感じ取ったのか、しきりに言い聞かせるような言葉をかけながら、彼らは先を急ぐのだった。

 閉鎖区画へ向かえ、というのはイゼルキュロスの指示だった。理由は敢えて聞かなかった。それは多分に本能であるとか第六感であるとか、恐らくは理屈では説明できない摂理が働いていたに違いない。

 ノイエが駆け付ける頃には、丁度駐留部隊も閉鎖区画へと急行しているさなかだった。兵士を満載して走るトラックを、少年のホバーサイクルがゆっくりと追い越していく。

 兵士の誰かが少年に警告を投げかける事もなかった。すでに空からは白い結晶がちらちらと降り注ぎ始めていて、普通の人間なら毒素にやられてのたうち回っているところだ。向かっている先が立入禁止区画だったからと言って、どう警告すればよかったというのか。

 一方のノイエも、必死で先を急いでいた。

 メアリーアンが廃墟の中にいることはイゼルキュロスが告げている。だが万が一、フランチェスカが一人で避難せずに、その場に一緒にいたとしたなら? 〈ブリザード〉の到来は彼女の命の危機を意味していた。だから、何が出来るわけでもないにせよ、はやる気持ちを抑えきれずにいたのだった。

 閉鎖区画のバリケードのゲートを、一気に飛び越える。ハンドルを思い切り引き寄せると、車体の鼻先がふわりと上を向き、つられて後ろも持ち上がって、どうにかゲートをクリアする。

 だがその後がまずかった。一度ふらついた車体を立て直そうと、慌ててしまって余計にハンドルを切ってしまって、少年はついにその場で大きく転倒してしまった。

「――!」

 体内のイゼルキュロスが、こんな時に助けてくれるわけではない――ホバーサイクルの操縦など彼女にはまったく経験もなかったし、一度地面に投げ出されてしまえば、あとは叩き付けられるに任せるしかなかった。屑鉄平原でも滅多にやらないような大転倒で、かなりの距離を転がったかと思うと、ノイエは痛みをこらえながらどうにかその場に立ち上がった。

 はっと顔を上げた瞬間、ノイエはその圧倒的な光景に、しばし見とれてしまった。

 だだっ広い往来、その左右に天まで届くかのようにそびえ立つ、圧倒的な質量を持った金属と石の塊。

 屑鉄平原やハイシティの歴史を知っているわけでは無いノイエが具体的にそう思うことはなかっただろうが、それはある意味、一面の瓦礫と化してしまった巨大都市の、墓碑か何かであったのかも知れない。

 メアリーアンを探すためにホバーサイクルを起こそうとしたノイエだったが、その必要はない、とイゼルキュロスが止めるのだった。

「どうして?」

(すぐ近くよ)

 示されるがままに、ノイエはほんの数歩先の路上を見下ろした。

 すでに空から降り積もる結晶で、地面は真っ白な絨毯に覆われつつあった。その白色が、少年の数歩目の前で、かすかに盛り上がっているのが分かった。

 ノイエは恐る恐る近づいてみる。

 往来の真ん中に、白い結晶は人の形にうずたかく積もっていたのである。

 ノイエはおずおずと手を伸ばす。それは本来触れれば指が腐る毒だったが、イゼルキュロスは大丈夫だと促す。どのみち伸ばしたのは彼女自身とも言える、透き通った右手の方だ。

 上に積もった結晶をそっと払いのけてみると、確かにそこにいたのは、メアリーアンだった。

 まるで意識など何もないかのように、ぐったりとしたまま動かない。

「……メアリーアン?」

 そっと問いかけてみるが、返事はなかった。

 触ってみると、身体は異様なまでに冷たかった。元々本来の人肌よりも体温は低いくらいだったと記憶するが、今触れてみて手に伝わってくるのは、まるで死人のような冷たさで、少年はどきりとさせられる。

(まだ、死んではいないはず)

 その内心を読み取ったように、イゼルキュロスが告げる。

 だが、見れば脇腹はぱっくりと大きく裂け、ゆっくりと血とおぼしき透明な体液があふれ出していた。

 それが地面にじっくり吸い込まれていくのを、ノイエは呆然と見ている事しか出来なかった。

「ど、どうしよう……?」

(黙ってみていれば、分かるわ。……ほら、そっちを触ってごらんなさい)

 イゼルキュロスに促され、ノイエはメアリーアンの二の腕に触れてみる。

 まるで石のように硬い感触に、少年はぎょっとさせられた。

 ノイエは慌てて、彼女の全身を覆う白い結晶を、丁寧に払いのけてみる。そうやってあらためて見てみると、彼女の身体の半分以上はそんな調子で水晶のような透明な何かに塗り固められてしまっていたのだ。

 そうやって少年が見ている前で、裂けた傷口がゆっくりとふさがっていく。あらためて触れてみれば、そこもぴったりと固められてしまっていた。

 彼女はうずくまった姿勢のまま、そうやって瓦礫だらけの地面の上で、すっかり固まってしまっていたのだった。

「一体、何が起こったの?」

(〈さなぎ〉になってる。羽化の段階に入ろうとしている。……いくらなんでも早すぎるわね)

 イゼルキュロスの声も、音に出したものでもないのに力の無いものに聞こえた。

 そもそもメアリーアンが生まれた時といい、イゼルキュロスの身に起きた変化やノイエ自身の現状など、信じがたい事は他にも色々起こっているのだから、今更驚くべき事でもなかったにせよ……どう反応すればいいのか、ノイエはとまどうばかりだった。

(それよりも、ノイエ。向こうの建物の中に誰かいる)

「えっ」

 イゼルキュロスの言葉は、意味もそうだがタイミングも唐突だったので、ノイエは思わず聞き返してしまっていた。

「誰か、って……」

 イゼルキュロスに促されるままに、ノイエは恐る恐る、その建物の方に向かう。

 往来の一番端にある、幾分背の低い建物だった。入り口をくぐると、エントランスは吹き抜けの高い天井になっていた。屋根が破れているのか天窓があるのか、屋内の中心部がやけに明るい。

 その明るい部分の、その向こう側の物陰に、誰か人の気配がした。

 気をつけて、とイゼルキュロスが警戒を促す。アイボリーやライナたちの仲間かも知れなかったから、その警戒も当然必要だった。

 だがその人影はやけに小柄で……害を為すどころか、あちらの方でノイエに怯えているようだった。

「そこにいるのは、誰なの?」

 その声が引き金になったように……その人影は、急にはじけたように立ち上がって、こちらにやってくる。

「ノイエ? その声はノイエよね!?」

「フランチェスカ!?」

「ああ、ノイエ!」

 暗がりから飛び出してきたフランチェスカだったが、ノイエは思わず後ずさって避けた。意外そうな表情を見せた彼女だったが、ノイエの姿を見てその理由を把握した。

 ノイエの身体に、〈ブリザード〉の結晶があちこちに付着していたのだ。そのまま抱きついていたら大怪我をしているところだった。

 だがそれ以上に……そんな結晶の付着しているノイエ自身の服装が、まるで完全防備にはほど遠いものだったのだ。

「ノイエ、一体どうしたの? 何があったの? ……どうやってここまで来たの?」

 少女の問いに、少年はどう答えていいのか分からなかった。

 屑鉄平原であったことを、全部包み隠さず話したとして、どこまで信じて貰えただろうか。……いや、話す必要はなかったのかも知れない。袖がやぶれてむき出しになった、半透明の右腕を見せれば、それが全てを雄弁に物語っていたはずだった。

 フランチェスカもそれに気付いたのか、小さく息を呑んで、後ずさる。

「ノイエ、その右手……」

 何があったの、とは彼女も訊かなかった。何かあったのは、見れば明白だったから。

 再び暗がりの方に後ずさっていく彼女に、ノイエはたじろぎながらも、告げる。

「いいかい、フランチェスカ。ここを絶対に動くんじゃないよ。……ここは多分、安全だから」

 ノイエはそう言ったが、風が勢いを増すごとに、開け放たれた入り口から白い結晶が盛大に吹き込んでくる。それらに対して何の備えもなくていいかと言えば、いささか心許なかった。

 ふと少年がポケットに手を突っ込むと、屑鉄平原に向かう前からそこに突っ込んであった、予備のマスクがあった。もう少年には必要のないものだ。ノイエはそれをフランチェスカに差し出して……彼女が受け取ろうとしないので、そのまま足元にそっと置いていく。

 少年はまるで言い訳がましい口調で、彼女に告げる。

「表に、メアリーアンが倒れているのを見つけたんだ。彼女もあのままにはしておけない。ちょっと、様子をみてくるから」

「駄目!」

 ノイエを怯えた目で見ているフランチェスカなのに、そこで彼女は突然、錯乱したような声で叫んだ。

「お願い、ここにいて! 私を一人にしないで!」

 わめきながら、いつの間にか彼女の目いっぱいに涙が浮かんでいた。

 ノイエにすがって引き留める事も、逆に拒絶の意志を示す事も出来ないまま、彼女はただ、何か悔しいことでもあるかのような思い詰めた表情のまま、うつむいて泣きはらすことしか出来なかった。

「お願い……私を一人にしないで……お願いだから」

 彼女は明らかに異変の起きたノイエに、怯えていた。その姿を眼前に晒しても彼女を怯えさせるだけ、さりとて、口では去っていくなと懇願される。一体どうすればいいのか、少年は途方に暮れるばかりだった。

(ノイエ)

 イゼルキュロスが、音に出さずにそっと呼びかけてくる。

(出来れば、メアリーアンをどこかに移動させた方がいいわ。何があったのか知らないけど、多分彼女を傷つけた相手は時期にここに戻ってきて、さなぎになった彼女を見つけるはず)

 でも、フランチェスカが……と反論したげな少年に、彼女はさらに告げる。

(一人にしておくのは可哀想だけど、死ぬと決まったわけじゃないわ)

 決して彼女が冷徹というわけでは無いのだと思う。そのように突き放した冷たい物言いでなければ、いつまでもフランチェスカを置いていくという決断が出来ないままであろうノイエのために、敢えてそう言っているのではないかと思えた。

 すぐに戻るから、とフランチェスカに告げて、ノイエはそのまま背を向けてその場を離れていく。そんな彼を引き留めようと何かを叫んでいる彼女だったが、入り口に近づいてみると、思いの外強い風が向こうから吹き込んできていて、風の音にかき消されてフランチェスカの声はよく聞こえなかった。

「戻ってきてよ! ノイエの馬鹿ァッ!」

 そんな声にちらりと振り返ってみたけれど、白い結晶に包まれた屋外から建物の中を見やっても、屋内の暗がりの向こうにフランチェスカの姿はよく見えなかった。

 悲痛な叫び声を耳の奥に残したまま、ノイエはいつしか真っ白に染まり返った廃墟の往来に舞い戻っていた。



(次話につづく)

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