4 旧市街にて
ノイエが屑鉄平原に出かけて行ったあと、留守番を押し付けられた形のフランチェスカは、とにかく居ても立ってもいられなかった。
何をすればよいと分かっていたわけではないが、とにかく一人で工場にいても何が出来るわけでもない。
とはいえ困ったことに――ノイエはおろかジョッシュもエルもその場にいないとなると、工場を無人にしてしまってよいものかどうかも悩ましいし、そもそも〈ブリザード〉の後で外出して安全なのかどうかも彼女一人では判断がつかなかった。
工場の通用口からひょいと首を出して辺りの様子をうかがう。〈ブリザード〉が去ったあと一面を覆っていた白い結晶については、大人たちが総出で除去作業にいそしんでいた。いずれ外気温と紫外線の照射とで自然融解するという話ではあったが、完全に消滅するのを待っていたら何日もかかってしまう事もあって、可能な限りスコップでかき集め、トラックに載せては屑鉄平原へ運び出し捨てるという人海戦術でもって、人々は復旧を急いだのだった。
フランチェスカがみたところでは作業は随分と進んでいるようで、工場の周辺は元の石畳の大部分が露出するまでにはなっているようだった。
そうやって彼女が興味ありげに周囲を見回していると、見知らぬ通りすがりの者たちから小言を投げかけられる。
「おい、こどもが一人で出歩くには、まだ安全じゃないぞ」
「……お店に猫を残してきたのよ。様子を見に行きたいんだけど」
猫のノイエの最期が一瞬脳裏によみがえって心が痛んだが、人間が一人〈ブリザード〉のさなかに飛び出していったと本当のことを言うわけにはいかない。声をかけてきた相手に面識はなかったが、向こうは彼女がジョッシュの店で見かける子供だと気づいたようで、そうか、それなら……とわざわざトラックを出して彼女を店まで送ってくれたのだった。
その道すがらに指南してもらったところによると、とにかく肌の露出を避ける、袖口を絞ってきちんと手袋をして、出来れば顔や目も何かで覆えるに越したことはない、とくに一番気を付けるのは口や鼻から体内に侵入しないようにすること……結晶自体もそうだが分解して揮発した気体を吸い込んでしまうのも本当はあまりよくないとの事で、マスクなどで口元を覆うなどするように、という話だった。子供が一人で外に出歩いて被害にあわないように、という親心からのアドバイスであっただろうが、フランチェスカは自分の家に戻ると、今しがた聞いたアドバイスをどうにか守れそうな服装に着替えるのだった。
何かに使う事もあるからとジョッシュが用意した子供サイズの作業用のつなぎにブーツを履いて、梱包用のテープで隙間をふさぐ。ジョッシュのゴーグルを無断で駆り出し、マスク替わりにマフラーを口元に巻いて、手袋を二重にはめる。お洒落とは言い難かったがこのさい文句も言っていられない。彼女は意気揚々と店を飛び出していくのだった。
子供が一人で歩いているのを怪訝そうにみるものも多かったが、旧市街へ行きたい、と言えばトラックの荷台に載せてくれる親切な人もいたりして、クレーター湖わきの一本道を通って彼女は旧市街の方へと足を踏み入れる。
マーケットエリアの辺りは、常日頃とは違う様相を呈していた。買い物客の姿などどこにもなかった替わりに、商店主や従業員達が総出で結晶の除去作業にいそしんでいた。工場街の方ほど作業が進んでいないせいか、フランチェスカが通りがかると、まだそんな格好では危ない、とあちこちでたしなめる声が上がるのだった。だが知り合いを捜しに来たのだ、と告げればそれ以上彼女を邪険には扱うものもいなかった。〈ブリザード〉の到来はいつも突然の事なので、自宅に居合わせられずに知人や勤め先や、場合によってはまったく見知らぬ家に厄介になったりという事も充分あり得ることで……一時的に連絡が付かなかったり消息が途絶えたりというのは、よくある話だったのだ。
フランチェスカは、メアリーアンの昨日の服装を簡単に説明した。どのみちあのプラチナシルバーの髪は他に見た事がないので、情報を集めるのは難しくないだろう、と踏んではいたのだが……。
彼女が尋ねかけたうちの、何人かが蒼白な表情をみせていた。
「ど、どうしたの?」
「その女の子なら、俺も見かけたよ。……まだ除去作業が終わってなくて危ない、って言ってるのに、その子は何と裸足でそこいらをうろついていた」
「おれも見かけたよ。危ないぞ、って注意しているのに、こっちの言うことが全然分かっていない様子だった」
どうもそれが、メアリーアンに間違いないようだった。
フランチェスカは彼らの目撃情報を頼りに、旧市街の路地裏を進んでいく。廃虚の立ち入り禁止区域もほど近いその場所から見上げれば、象徴的な高層建築の廃墟の姿を目の当たりにする事が出来た。
うら寂しい一本道をそのまま進んでいけば、駐留軍が設置したバリケードが見えてくるはずだった。そこから先いよいよ住人が立ち入ってはいけない禁止区域に差し掛かろうというところで、フランチェスカは見覚えのある人影を発見した。
「……メアリーアン!」
ぼんやりと空を見上げて立ち尽くしていたのは、まさしくメアリーアンだった。工場を出て行った時と同じように、今も裸足のままだった。
慌てて駆け寄ったフランチェスカを不思議そうに見つめ返す。そうか、と一人納得してフランチェスカはゴーグルとマスクを外した。
「フランチェスカ」
「そう、わたし!」
そういってフランチェスカはぱっと笑顔になった。案外すぐにメアリーアンを見つけ出せたこと、彼女が自分を見て、ちゃんと知っている人間だと認識したこと……何より、彼女がその名を呼んだのは初めてではなかったか。
「黙って出ていったりしたら駄目じゃない。ノイエもエルも心配しているから、一緒に工場に帰りましょう?」
そう呼び掛けてみるが、メアリーアンは浮かない顔を見せるばかりだった。
「ノイエやエルのことが、嫌いにでもなったの?」
その問いかけには無言で首を横に振るメアリーアンだった。だったら、と二の句を継ごうとしたフランチェスカを遮って、彼女はたどたどしい口調で言う。
「わたしは、みんなとはちがう。わたしがいると、いろいろと、迷惑がかかる」
「それは……」
思いつめたような表情のメアリーアンに、とっさにうまい返しが出来ずにフランチェスカは口ごもってしまった。
皆と何が違うと言って、少なくとも〈ブリザード〉の中でまったく平気でいられるのは普通の人間ではない。ここでこうしているフランチェスカにしても、彼女が自分たちとは決定的な隔たりのある異質な存在であることは認めざるを得なかった。
だからメアリーアンの言葉には、何も言えなかった。
何も言えなかったので、その点については敢えて追及しない事にした。
「……違ってても、違ってなくても、どっちでもいい。そういうむずかしいことは工場に戻ってから考えましょ」
とにかく彼女を連れて帰らないことには、ノイエはいつまでもしかめっ面のままだったろう。少年もそのうち工場に戻ってくるだろうが、黙って出ていったのだからエルに小言の一つでも言われるかもしれない。そんなところに彼女がメアリーアンを連れて帰る事が出来れば、大手柄ではないか。
とにかく話は帰ってからだ、とフランチェスカは強引にメアリーアンの手を引いた。
急に腕を掴まれて、驚いたのかメアリーアンは一歩後ずさる。素直ではないその反応に、フランチェスカはむっとして思わずまくしたてる。
「ノイエはあなたのために、イゼルキュロスを探しに行くって言って、そのまま屑鉄平原に飛び出していっちゃったのよ? まだ〈ブリザード〉のせいで危険なままっていうのに。……あんたもイゼルキュロスも、ノイエやエルが拾って面倒見てくれなかったらどこにも行くところなんてなかったんだから。だからあんたは、工場に戻らなくちゃ駄目なの。ノイエが帰ってきたときに、ちゃんとそこでノイエを待っていなくちゃ駄目なのよ……分かってるの?」
「……」
立て続けに言葉を並び立てたフランチェスカに面食らったのだろうか。フランチェスカが手をひくと、メアリーアンは今度は素直にいうことを聞いて、一緒に歩き出す。そのまま彼女を伴って、フランチェスカは元来た道を引き返そうとしたのだった。
けれど……二人はすぐに足を止めることになった。見れば前方に、彼女たちの行く手を遮るように立ち尽くす一団があった。
「……誰?」
フランチェスカはやむなく足を止めた。
顔ぶれは総勢三名。近隣の住民かといえば、少なくともフランチェスカにはそうは見えなかった。
一人は見たところジョッシュぐらいの年齢の、背の高い男。その側に付き従うのはこれも若い女性で、残る一人はノイエと同じくらいの年頃の少年だった。
その少年の姿を見て、何故かメアリーアンが固い表情を見せて半歩後ろに下がる。
相対するなり真っ先に口を開いたのは、一番年長の背の高い男ではなく、その少年だった。
「残念だけど、君の思うようにはいかないと思うよ。……彼女は帰らない。僕たちに、用事があるからね」
「何なの、あなたたち……?」
「悪いけどね。君らをこのまま行かせるわけにはいかないんだ」
唐突な物言いに、フランチェスカは何が何だか分からずにただただ困惑するばかりだった。現れた三人連れが一体どういう関係の集団なのかもよく分からないし、一番年少の少年が大人を差し置いてそんな風に口上を述べるのもよく分からない。
その少年がフランチェスカ達を――正確にはメアリーアンを見やって、薄く笑みをこぼしたその表情に、フランチェスカもまた思わず身じろいで後ずさってしまうのだった。
彼女が怯えているのを察したのだろうか、今さっきまでフランチェスカに手を引かれていたはずのメアリーアンが、明らかに警戒の姿勢をとりつつ、さり気なく一歩踏み出してフランチェスカの前に回り込むのだった。
「ね、メアリーアン、この人たちって一体……」
それは丁度、怯えるフランチェスカをかばうような所作だった。
そして……メアリーアンにしてみても、その少年はまったく見覚えのない顔ではなかったのだった。
昨晩、グラン・ファクトリーを飛び出して旧市街のこちらの方にやってくるさいに、クレーター湖のわきで遭遇したあの少年。
「やあ、またあったね。……どう、アシュレーさん。彼女、イゼルキュロスにそっくりでしょう?」
「……ああ」
アシュレーはアシュレーで、やや呆然としながらどうにかそのように相槌を打つのだった。
メアリーアンやフランチェスカも困惑していただろうが、相対するアシュレーもこの対面には内心穏やかではいられなかった。
彼の知るメアリーアンと同じかと言えば、そうではなかった。スレイトン医師の元で例の遺体と対面している以上、そのメアリーアンとは別人なのは分かってはいる事だったが……その遺体の彼女もそうだったが、彼の知るメアリーアンは暗い栗色の髪に茶色い瞳、目鼻立ちこそ整ってはいたがことさらに人目を引くような容姿ではなかった。だが目の前の彼女は淡いプラチナシルバーの髪にやはり淡い空色の瞳……まるで人間の佇まいのままにイゼルキュロス自身を引き写したような外見をしていたのだ。アシュレーにしてみれば、そんな彼女をメアリーアンと呼んでいいのかどうか、少しためらいを覚えるところではあったが……いずれにせよ、彼女がイゼルキュロスに関わる何者かであるのは確かだと思えた。
「メアリーアン。……君がメアリーアンなら、俺の事は分かるか?」
問われて、彼女は首を横に振った。
「知らないか。それは仕方がない。だが俺は君の事を知っている。イゼルキュロスの事も、な」
彼女に向かってその名を口にすることで、いつもは何に動じることもないアシュレーの内心にも、何かしら去来するものがあった。だが見知らぬ男がイゼルキュロスの名を口にすれば、今目の前にいるメアリーアンはただ困惑し、警戒するばかりだった。
アシュレーも警戒の色を察知し、声色を落としてあらためてメアリーアンに静かに語りかける。
「俺の事はいい。イゼルキュロスのことは分かるか?」
「イゼルキュロス」
「そうだ。イゼルキュロスを、君はちゃんと覚えているな?」
「……」
「イゼルキュロスを知っているなら君は間違いなくメアリーアンだ。出来れば君とは、こういう形ではなくて、もっと平和な形で会いたかったものだが」
「イゼルキュロスは、わかる。けど、あなたのことは、わからない」
メアリーアンはそう言って、フランチェスカを背にしたまま一歩、二歩と後ずさる。怯えてよろめいたのではなく、足取りはとてもしっかりしていた。そんな彼女が警戒の眼差しでじっと見やるのはあくまでも目の前で語りかけてくる男ではなく、その傍らに控える例の少年の方だった。
「やっぱり、僕のをことを警戒しているみたいだね」
少年――サラエラサスはアシュレーにそう告げたつもりだったが、メアリーアンが彼をにらみつけ、詰問する。
「あなたは、どうしてまたここにいるの」
「僕の事は覚えていてくれたんだ。あいにく、僕は壊れにくく出来ているんでね。……僕らは別に善良な市民を巻き込みたいわけでもないけど、お互いの問題にはなるべくはっきりと決着をつけるべきだと、僕は思うね」
後ろのその女の子には悪いけど――そういって、サラエサラスはメアリーアンをしかと見据えたまま、一歩、また一歩と彼女に歩み寄ろうとしていたのだった。
その歩調に合わせるように、メアリーアンはフランチェスカをかばうようにやはり一歩ずつ引き下がっていったかと思うと……次の一瞬、踵を返しまるで飛びかかろうとでもいうかのように、大きく一歩を踏み出し少年との距離を一気に詰めようとした。
目の前の少年は一歩も動かなかった。代わりに、長身の男――アシュレーが苦い表情のまま、両者の間にさっと割り込む。
抜き放った銃をまっすぐに突き付け、警句を口にするのだった。
「そこで止まるんだ」
メアリーアンは慌てて足を止めた。男の手にあるものが殺傷能力のある武器であると彼女が明確に知っていたわけではないが、アシュレーの切迫した態度を見れば、友好の贈り物などではないのは明白だった。
「すまないが、君の身柄を拘束する。抵抗しなければ手荒な真似はしない。……一緒に〈王都〉に帰るんだ」
アシュレーの任務はあくまでも試作被験体の身柄の確保である。だから警告の口上を述べるが、あくまでもお決まりの手続きのようなものだった。抵抗するな? 誰だってするに決まっている。
無論、目の前にいるメアリーアンを当該の逃亡被験体である〈イゼルキュロス〉そのものと見なしてよいのかという疑問も付きまとう。そう見なさずに彼女をあくまでメアリーアンとして扱うのであれば、本来は銃など突き付けるべきではなかったし、アシュレーも出来ることならそうしたくはなかった。
そしてメアリーアン自身、アシュレーが内心抱えている疑問……彼女自身が何者であるのか、という問いに明確な答えを持ち合わせているわけではなかった。自分に何が出来るのかすら、正確に知り得ていたわけではないのだろう。だがアシュレーの制止にひとたびは足を止めたものの、そのまま一気に距離を詰めると、自身に突き付けられていた銃をあっさりとはたき落とし、さらにはアシュレーと少年を勢いよく突き飛ばし、両者の間を駆け抜けていく。
一連の所作の間にも、先ほどまで後ろにかばっていたフランチェスカの手を、もう一方の手でしっかりと握りしめたままだった。
「わわっ」
腕が抜けるのでは、という勢いで引っ張られたフランチェスカも、勢いに任せて取り敢えずアシュレーたちの側を一緒にすり抜けていく。そこはフランチェスカも子供らしい元気いっぱいなところを発揮して、懸命に全力疾走してメアリーアンの速度に合わせようとするのだった。間に合わせの防護服は決して走りやすいわけではなかったが、ぜいたくを言っていられる場合ではなかった。
そんなフランチェスカの手を引いたまま、メアリーアンは路地から飛び出していく。
「くそ……」
よろめきながら立ち上がったアシュレーに、片膝をついたサラエサラスが毒づいた。
「お役目だから仕方がないんだろうけど、やっぱり今更説得なんか無駄だったんじゃないのかな。問答無用で射殺すればよかったのに」
「お前がそうして欲しそうなのは分かっていたが、これが仕事だからな。聞き入れられないと分かってても、まず言わなきゃいけないんだよ」
「……まあ、いいでしょ」
でもそんなに面白い展開じゃなかったね……アシュレーに聞かせるつもりだったのか否か、少年はそんな呟きを残して、一人メアリーアンを追って小走りに駆け出していく。その歩速にアシュレーが追従するかどうか、まるで気に掛ける風でもなかった。
それを横目に、やれやれと呟いてアシュレーが重い腰を上げる。彼を助け起こそうと手を伸ばしたミハルに、アシュレーは告げた。
「俺達も追いかけるぞ。……あのサラエサラスを、どうにか止めないと」
思わず洩らしたその言葉……それこそが彼の真意なのだろうと、ミハルは機械ながらに納得して頷くのだった。
(次話につづく)




