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ホワイトアウト・シティ  作者: 芦田直人(あしだ)
第5章 イゼルキュロス
28/46

3 仇討ち

 その一撃は、果たして喝采を上げるべきものだったのかどうか――。

 少年を襲撃した外敵への、それは痛烈な反撃には違いなかった。窮地に陥っていたノイエにしてみれば、まさに今目の前で、状況が大きく転じようとしていた。

 いったんは像を結んだイゼルキュロスだったが、彼女をかたどった水しぶきはそのまま、今度は素直に重力に従って地面に落ちていく。ぬかるみからじわじわと浮かび上がってきた水たまりが、落ちてきた水滴を回収したかと思うと、敵との距離を測るかのようにさっと後方に下がったのだった。……つまり、ノイエの倒れている辺りに近づいてきた、という次第だったが。

 そう、ケースの中に入っていたあの水たまり……あれはイゼルキュロスがいなくなって、雨水が溜まったものではなかったのだ。やはりあの水たまりこそが、イゼルキュロスそのものだったのだ。

 金属パイプも、形を失った彼女の精一杯の一撃だったのだろう。いや、今彼女が喋った言葉通りに仇というからには、ライナに最大限の苦しみを与えるために、敢えて取った手段だったのかも知れない。

「イゼルキュロス? イゼルキュロスなの?」

(ノイエ、無事なの……? いいえ、そうは言い難いわね)

「イゼルキュロス、今言ったメアリーアンって……」

(心配しなくても、あなたの所に置いてきた子ではないわ。私と一緒に外からハイシティにやってきた道連れのほう。……このライナって子は大人しそうな顔をして、私とメアリーアンにBEEを差し向けて、容赦なく串刺しにしてくれた。この一撃は、メアリーアンと私、それぞれからのプレゼントよ)

 勝ち誇ったように告げるイゼルキュロスだった。

 幼い少女に対してそこまでの仕打ちが必要だったかどうかは異論の余地があったかも知れないが、ノイエ自身も痛めつけられあわやと言う所を救われた形になったのだから一方的に咎め立てるわけにも行かない。

 そんな折だった。彼らがいる位置から見上げた斜面の上に、ノイエは人影があることに気づいた。

 言うまでもない、それはアイボリーだった。

「……おのれ、イゼルキュロス!」

 いきなり怒声が飛んだ。優しい母親の顔はそこにはなかった。我が子を傷つけられ憤怒に狂うその姿が、いかにも恐ろしげにみえた。

 だが彼女がとるべき行動は、その怒りをイゼルキュロスに叩きつける事ではなかった。

 一刻も早く、ライナを助けないと。

 アイボリーは怒りに打ち震えながら、斜面を下りて慌ててライナの元に駆け寄る。ノイエの眼前で幼い少女の身体をしっかりと抱きかかえると、身体を貫いた残酷な金属片をすぐさま抜き去ろうとした。

 だが、それは適わなかった。

 不意に気配を感じ振り返ったアイボリーの目に映ったもの……それは反抗に出たイゼルキュロスではなく、ライナが先ほどまで意のままに操っていたはずの、BEE達の姿だった。

「……虫達、やめなさい!」

 虫達は ノイエやイゼルキュロスではなく、ライナとアイボリーをめがけて狂ったように集まってきては、その鋭い針を向けて突進してくるのだった。

 だがアイボリーの言葉を聞くはずもなく、彼女は四方八方から揉みくしゃにされ、いったんははじき飛ばされライナから引き剥がされてしまうのだった。

「何が起きているの……!?」

(このBEE達はライナによって操られている。ライナ自身が、BEE達を自分に向かって引き寄せる思念波を出している。そういう命令を受けて動いているのよ)

 イゼルキュロスの言葉通り、虫達は明らかにライナ自身を攻撃対象としているように見えた。弾き飛ばされて地面に転がったアイボリーや、ノイエには見向きもしていない。

(彼女は精神感応でBEEを操っている。傷の痛みが彼女も意識しないままに思念波になって、それが誤った指示を送っているのかも知れない)

 そうしているうちに、瓦礫の上にあった水たまりはひとりでにするすると動いたかと思うと、地面に横たわるノイエに向かってゆっくりと近づいてくるのが分かった。少年の身体が水たまりに触れたかと思うと、何かにぐいと押される形になって、少年は斜面をごろりと転がっていく。緩やかに滑落していくのに少し慌てたが、アイボリーやライナからは距離を置く形となった。

 見ると、アイボリーは傷ついたままその場にすっくと立ち上がり、虫に群がられるライナの方をじっと見据えた。

 常にライナと共にあり少女をこれまでずっと守っていたはずの虫達が、今は幼い少女を無為に傷つけている。だとすれば、今この場でアイボリーに出来ること……やるべきことは、ただひとつだった。

 幼子を傷つける全ての脅威を、彼女の力ですべて排除する、ただそれだけだ。

 アイボリーが人間らしい姿かたちを保っていたのはそこまでだった。響いた咆哮はもはや人間のそれではなかった。高らかに叫びを上げ、荒れ狂う虫の群れに自ら突っ込んでいく。

 その彼女の全身が、いつしか象牙色に輝いていた。怒りに震える両肩はみるみるうちにその幅を増していき、たおやかだった二の腕は丸太のように太くたくましく、そして肘から先は刃物のように鋭利な形状に変容していく。彼女はその刃物のようなするどい爪で、凶暴な虫達に片っ端から掴みかかっては、ちぎっては捨てていくのだった。

 虫達も、自分たちに下された指令を妨害する敵性の存在とアイボリーを見なしたようで、何匹かはライナではなくアイボリーの方にも向かっていく。そんな虫たちをアイボリーは爪で引き裂き、握り潰し、地面にたたきつけ、踏みにじっていくのだった。向かうところ敵などいないかに思えたが、虫たちも鋭い針で反撃を々、いつしか彼女の象牙色の肌は無惨にも穴だらけになっていく。

 それでもアイボリーは怯まなかった。虫達の群れをあっという間に薙ぎ倒すと……そもそもがどれだけの数そこにいたのは分からないが、アイボリーは隙を見て、虫たちの攻撃の中心にいるライナの腕をつかみ、引き寄せ、おのが腕にしっかりと抱きかかえる。

 イゼルキュロスが突き立てた金属パイプがなおも斜めに細い身体を貫いたままなのを見て、アイボリーは憤怒の咆哮を上げる。

「おのれ、おのれイゼルキュロス! 相容れぬ存在であるお前と、一度は手を結ぼうと思ったのが間違いだった!」

 まるで渦巻く憤怒の感情がおのれの肉体を引き裂かんとでもいうように……ノイエたちが見ている前で、アイボリーの身体はさらなる変容を遂げていく。たくましい両肩からまるでもう一組別の腕がにょきりと生えてきたように見えたかと思うと、いっぱいに広げられたその腕のような突起は次第に真っ白な大きな翼のような形状になっていく。下の半身に至ってはもはや人間らしさをまったくとどめてはおらず、四本の脚が力強く瓦礫の山を踏みしめているのが分かった。アイボリーは足場の不安定な斜面からライナの小さな身体をひょいとつかみ上げると、翼の両端を高々と掲げ、ばさりと振り下ろし風を捉える。

「ライナの受けた苦しみ、痛み……それをそっくりおまえに返してあげるわ。おまえが逃げ隠れしようものなら、地の果てまで追いつめてやる。……絶対に、絶対にお前を許さない」

 アイボリーはそれだけ言うと、瀕死でぐったりしているライナに、懸命に優しい言葉で呼びかける。だが返事もなく、ぴくりとも動かぬまま……そんな少女を抱きかかえ、アイボリーは白い翼を大きく広げ、ふわりと浮かび上がったかと思うと、街の方に向かって飛び去っていった。

 猛り狂った象牙色の怪物がその場から飛び去っていくのを見送ると、その場に残されたのはただノイエ一人だけとなった。

 いや、はっきりとした姿かたちがあったわけではないが、イゼルキュロスもまたそこに残っていたはずだった。その彼女が、どこかしらか音を振るわせて少年に呼びかける。

(……ノイエ、傷は大丈夫?)

「さて、どうだろう。感覚がまるでないよ。僕はどことどこを怪我しているのさ」

(右腕がない)

「それは、気付いているよ。他には?」

 ノイエ自身、そう問い返しながら残された左手をよろよろと動かして、どうにかおのれの身体を改めてみる。左の脇腹が、何かで濡れているのがわかった。ふと気付けばその脇腹の辺りがじんわりと熱い。

 ちょっと顔を起こして見てみれば、防護服が大きく裂けているばかりではなく、べっとりと赤く汚れているのが分かった。

(動かないで。そこもかなり大きく食い破られているわね)

 食い破られている、という言葉の表現に暗澹たる思いでノイエは嘆息した。

「イゼルキュロス、ひとつお願いがあるんだけど」

(何?)

「僕の、右腕。その辺に落ちてないかな。探してみてよ。あれを無くしたなんて知れたら、きっとニコルに叱られる……」

 少年に自覚はなかったが、その言葉自体がまるで熱か何かに浮かされたような、まともな物言いには聞こえなかったかも知れない。

(しっかりしなさい、ノイエ……ああ、こういうことになるんだったらもっと早くに目を覚ますのだった)

「今までずっと、一人で眠っていたの?」

(誰かがケースを開けたから、気付いたの。あなただなんて最初は思いもしなかった。……もういいから、口をきかないで)

「どうするつもり?」

(あなたを死なせはしない。……私のせいで死なせるわけにはいかないわ)

 次の瞬間、足元を何かがぞわりと這い伝ってくるのがわかった。

「……イゼルキュロス?」

 答えはなかった。

 かと思うと、何かが足首の傷口に触れるのが分かった。まるで誰かが面白半分に指でさわっているかのようだ。その「何か」がぞわり、ぞわりと動くたびに、傷口に激痛が走るのがわかる。……もはや感覚なんて残っていないかと思ったのに、意外にしぶとい。

 そんな事を呑気に考えていたら、次の瞬間、脇腹にさらに鋭い激痛が走った。

「何か」が、傷口から分け入って、体内に侵入しているかのような。

「うっ……うぐぅ……くッ……」

(いっそ意識を失ってしまった方が楽でしょうね。次に目を覚ました時には、すっかり大丈夫になっているはずだから)

 優しく囁くような言葉が、やけに甘美に聴こえた。

「次って。……僕はこのまま死ぬんじゃないの。次に目をさますことなんてあるの?」

(わからない。でもとにかく、私に任せなさい)

 甘いささやきのようなその言葉で、ノイエは混濁した意識の中、直感的に理解した気になった。

 少年の中に分け入ろうとしているのは、彼女――イゼルキュロスなのだ。


     *     *     *


 どれだけの時間が経過しただだろうか。

 意識がブラックアウトする寸前、これでもう死ぬのだと、半ばぼんやりと覚悟したつもりでいたのに。

 いつの間にか少年はひとり、瓦礫の上に仰向けになって寝転がっていた。

 痛みはどこにもなく、気分も限りなく晴れ渡った思いだった。少年は手を伸ばして、汗で額にべっとりはりついた前髪をかき分ける。

 そこでふと気付いてしまった。

 今前髪をかきわけたのは、そこにあるはずのない、右手だった。

「……!?」

 まさか本当に、ちぎれ飛んだはずのニコルの腕なのだろうか? 

 それともそれを失ってしまった事自体、夢か何かだったのだろうか?

 だが右手は防護服の袖が引き裂かれてぼろぼろに破れてしまっていて、腕自体が素肌のまま露出しているのが分かる。何故袖が失われているのかを考えれば、その事実自体が、起こった出来事が夢ではない事を意味しているように思えた。

 そして露出したその右腕は、半透明に太陽の光を透き通していた。

「……イゼルキュロス?」

(その通り)

 声が聞こえた気がしたが、聴覚からではないような気がする。

(あなたの身体の欠損を、私自身で補ってみたわ。……どう、何ともないでしょう?)

 よくよく全身をみやれば、腕以外にも身体のあちこちに傷が塞がったあとと思しき痕跡がいくつも見出せた。傷を受けたのは確かだったが、痛みも苦しみも身体に残されてはいなかった。

「僕の……ニコルの腕は?」

(……あそこに転がっているわ)

 右手が突然、ぐいと意に添わぬ動きを見せた。動かしているのはイゼルキュロスなのだろう。そう言えば七年前も、意に添わぬ腕に馴染むまでに、随分と日数を有したものだった。あの腕はその後少年の身体にすっかり馴染んでくれたが、それももう今は、離れ離れになってしまっていた。

 新しい右手が指し示したその先に、確かに、血まみれでぼろぼろの腕の欠片が、無造作に転がっていた。

 それは普通なら、十四歳の少年の正視に耐える光景ではなかったかも知れない。

 だがノイエは顔をしかめもしなかったし、視線を逸らしもしなかった。

 あれだけ痛みにあえいでいた身体は、今は随分楽になっていた。その場から立ち上がってみる。思った以上に身が軽く感じられた。

 恐る恐る近づいて、おずおずと手を伸ばし、その腕の欠片を拾い上げた。

「ニコル……」

 懐かしい名前を、呟いてみた。

 うわごとなどではなく、意識的にはっきりその名前を紡いでみたのが、とても久しぶりの事に思えた。

 遠くの空で、雷鳴が鳴り響いた。彼方をじっと見やれば、その雲の動きには見覚えがあった。

「〈ブリザード〉だ……まさか」

 少年がそうつぶやくのとほとんど同時に、街の方角からかすかにサイレンの音が響いてきた。はっきりと断言は出来ないが、〈ブリザード〉の到来を告げる旧市街の第一報の音色に聞こえた。

「ね、イゼルキュロス」

(何?)

「さっき襲い掛かってきたあの虫、あれって最初にあなたと出会ったときに、あなたを追いかけまわしていたのと同じ虫なんだよね? それにあのもう一人の女の人。……あの人も、イゼルキュロスと同じ攻性生物なの?」

(そうね)

「僕が標的じゃない、って言ってた。君のスーツケースがここにあるのを知って、僕じゃなくて、誰かを待ち伏せていた。……つまり、メアリーアンを?」

(おそらく、そうでしょうね)

「あの人たちとの間に、一体何があったのさ?」

(ひとつ確かに言えることは、彼らや私たちは、あなた達人間とはまったく似て非なる、別の生き物だ、っていう事かしら。……異形の怪物は怪物同士、本当は仲良く出来れば良かったのでしょうけどね。仲間になるように誘われたけど、私の方から飛び出してきたの)

「……メアリーアンを、助けにいかないと」

(無理にそうする必要はないのよ?)

 イゼルキュロスが試すように問いかける。

(私は遠くこの土地まで逃げてくるために、幾多のコピーを使い捨てにしてきた。あの子が人に紛れて暮らしていくのであれば誰かの手助けが必要だと思ったから、あなたたちに事後をお願いしたけど、ここに至ってあなたが見捨てて見殺しにしたとしても、あの子は文句は言わないと思うわ)

「そういうわけにいかないよ。やっぱりメアリーアンには手助けが必要だよ。……それに僕の腕がこんなになってしまっているのに、今更あなただけがメアリーアンの所に駆けつけるわけにもいかないでしょう」

 その言葉に、イゼルキュロスが、ふっと笑いをもらしたような気がした。

(そうね、その通りだわ……いいでしょう。あなたがメアリーアンのところに連れて行ってくれるなら、ぜひともお願いしたいわ)

 イゼルキュロスがそう言えば、話は決まりだった。

 ノイエは拾い上げた腕の欠片を抱えたまま、いったん斜面を歩いて登って、あのスーツケースの元へと向かう。中を開けてみれば、液状化していたイゼルキュロスは当然そこにはもうおらず、湿ったタオルだけが残されていた。少年はそのタオルに自分の右腕――ニコルの右腕だった欠片を丁寧に包んで、そっとケースを閉じた。

 少年の脳裏に何が去来していたのかまでは、今は少年の中にいるイゼルキュロスにも預かり知らぬ事だった。

 ノイエは意を決したように斜面を駆け下りていく。大急ぎで起こしたホバーサイクルにまたがり、街を目指して駆けていくのだった。



(次話につづく)

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