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ホワイトアウト・シティ  作者: 芦田直人(あしだ)
第5章 イゼルキュロス
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2 待ち伏せ(その2)

 ハンドルに手を伸ばし、横倒しのまま始動レバーをひねる。エルに調整してもらったばかりのジェネレータは、一発で軽快なうなり声をあげた。

 そのままスロットルを解放すると、ホバーサイクルは倒れたままの姿勢で瓦礫の上を滑って進んでいく。ノイエはそれに引きずられるようにしながらも懸命にしがみつくのだった。

 だが、ライナがいつまでもぼんやりとしているわけではなかった。

 そういう意味では、BEEの俊敏さには目を見張るものがあった。ホバーサイクルが水平を取り戻して、ノイエがサドルにまたがるよりも先に、虫たちは我先にと少年に群がっていく。数匹がホバーサイクルの車体の方に体当たりすると、その衝撃でノイエも思わずバランスを崩し、そのまま再度地面に投げ出されるのだった。

 痛む身体を再度叩きつけられて、少年は思わず苦悶の呻きを洩らした。

 だからと言って、救いの手を差し伸べるものは、誰もいなかった。

 今度はBEEもライナも、まるで容赦がなかった。毒々しい群れが一斉にノイエに躍りかかる。その巨大な体躯を勢いに任せて叩きつけるだけでも、傷ついた少年を翻弄するに充分だったし、その毒針は言うまでもなく、禍々しい必殺の凶器足り得た。

 まとわりつく群れから逃れようと、少年は這うようにしてその場を離れようとするが、乗り手を失って横倒しになったままのホバーサイクルからは離れていく形になった。だがそれに乗れなければここから逃れることも、街に戻ることも叶わなかったし、メアリーアンに警告するなど到底出来なかっただろう。

 だからノイエは、そこで歯を食いしばった。

 右手を伸ばし、懸命にその場に踏みとどまり、再びホバーサイクルまでどうにかにじり寄ろうとした。

 その右腕に……虫達が、一斉に群がってきた。

「――!」

 ノイエの口から、言葉にならない悲鳴がほとばしった。

 厚手の防護服は今やずたずたに引き裂かれてしまっていた。地面を掴んだはずのノイエの右手の甲を、虫の毒針が易々と刺し貫いていた。

 その一撃で手のひらを地面に縫いつけた虫は、腹部から針がもげて、そのまま動かなくなって地面にぽとりと落ちた。

 むろん、それを冷静に観察していられるような余裕は、ノイエの側にはなかった。

 手のひらを串刺しにされて地面に固定されてしまった右腕に、虫達が次々と群がってくる。刺し貫かれた以上の激痛が、手首に、二の腕に、そして肩に――次々と襲い掛かってくるのだった。

 目の前が暗転して、記憶が一瞬途切れた。


     *     *     *


 ――どれほどの間、そうしていただろうか。

 名前を呼ばれた気がして、少年は目をあけた。

「立って。先を急ぐのよ」

 手を引かれ、その場から立ち上がる。どうやら瓦礫に躓いて転んでしまったようだった。

 少女は優しく少年を助け起こしてくれたが、それ以上に何故かとても慌てていた。

 急かされるまま、少年は手を引かれるままに彼女についていく。

 誰だろう、と思ってその横顔をのぞき込む。そこには忘れるはずのない、懐かしい顔がそこにあった。

(ニコル)

 どうして彼女の事を忘れたりするものだろうか。でも、なんだか随分と久しぶりのようにも思えた。まるでずっと長い間離れ離れになっていたかのように少年には思えたが、それを懐かしむ余裕はなかった。彼女が慌てている理由は、振り返ればすぐに分かった。

 背後の空に重く分厚い雲が、とても低く垂れこめているのが分かった。風も強い。明らかに〈ブリザード〉はすぐ間近にまで迫っていた。

「もう少しだからね」

 ニコルはそう言うが、彼らの行く先には屑鉄平原を埋め尽くす瓦礫の山が延々と続くばかりで、どこへ逃げ込めばいいのかも分からなかった。

 そのうちに風はどんどん強くなっていき、まっすぐに立っていられないほどになる。白いもやのようなものが二人を包み始める。

 右手にさっと、やけどのような痛みが走る。

「ッ!」

 少年が短く声を漏らす。少女は自分の着ていたコートを一度脱ぐと、二人肩を寄せ合うようにして、頭の上から被った。

 だがその体勢ではまっすぐに歩くのも難しい。ノイエがもう一度つまずいて膝を追ってしまうと、ニコルはコートをノイエ一人にかぶせ直して、そのまま少年を抱きかかえるようにして地面にうずくまるのだった。

 ノイエが足を取られたのはたぶん、何かの車両が通った巨大なわだちだった。そのくぼみにはまり込むような恰好で二人はじっと身を潜めるのだった。

 だがその状態で身を隠すような遮蔽物があるわけでもなく、吹き晒しのただ中にあることはどうしようもなかった。コートを被っている少年はともかく、ニコルは一体どうなるのだろう。

 風を切る音が鋭くなっていく。

 その体勢のまま、徐々に重くなっていくニコルの身体。

 コートごしに、彼女が激しく咳き込むのが分かる。咳き込む声に、血の泡が混じる音も。

 ごぼごぼと咳き込んだ後で、コートを何か重い水滴の伝う感触が、ノイエにありありと伝わってくるのだった。

「ニコル? ニコル!?」

 必死で問いかけても返事はない。

 とにかく、ニコルを助けないと。

 いや、今まさに自分が彼女に助けられているわけだが、二人一緒に生き残らなければ、何の意味もないではないか。

 さいはての土地で、生みの親にさえ見放された幼い少年と少女。二人慎ましく姉弟のように、これまで生きてきたというのに。

 ニコルの身体がだんだん固く、冷たくなっていくのが何となく分かる。このままうずくまって難を逃れることが、彼女の意に添うことなのだと、頭のどこかでは分かっていたはずなのに。

 ノイエはそれで納得するわけにはいかなかった。

 いつの間にか、少年は救いを求めるかのように、右手を懸命に伸ばしていた。

 その手が何かを掴むこともなく。

 白い結晶が伸ばした右手に触れれば、火傷のような鋭い痛みが走った。

「!」

 吹きすさぶ白い嵐は、ほとばしった悲鳴をもかき消して……そんなかぼそい少年の腕をも、容赦なく浸食していった。


     *     *     *


 やがて――。

 そんな痛みすらろくに感じなくなっていくのが分かる。

 ノイエはそこで、ふっと意識を取り戻した。

 あちこち傷だらけのはずなのに、全身の感覚がぼんやりとしていた。身体が痛まないわけではなかったが、どこがどう痛いという個々の感覚が、もはや漠然としていた。

 とくに、右手だ。何故か右手の感覚がまったく無い。

 果たして自分の右手はどうなってしまったのだろう。恐る恐る視線を巡らせてみたが、二の腕から先がどこにも見つけ出せなかった。

 年端も行かぬ少年の身の上で、そのような体験をすること自体があまりに酷と言えば酷な話であった。少年の右腕の二の腕の途中、肘から手首にかけてが、明らかに欠損していた。

 痛覚をまったく感じずに済んだのはBEEの毒素による麻痺が働いていたせいだった。意識が朦朧とするのも負傷による消耗に加え、麻痺の作用によるものだ。それもあって、手ひどい深手をどこか夢見心地に受け止めざるを得なかったのはまだ不幸中の幸いと言えたかも知れない。それでも少年がパニックに陥るところまでは、防ぐ手立てはありはしなかっただろう。

 ノイエは慌てて周囲を見回す。千切れ飛んだ腕がどこか近くにありはしないかと、必死で視線を巡らせた。

 何とは言ってもそれだけは失ってはいけない、とても大切なもの――そう、それはニコルが彼に残した唯一のものだったのだから。

 このままほったらかしにしてはおけない。すぐに拾い上げて、またドクターに縫合してもらわないと。この腕を失ったら、彼女はついにこの世界から消えて無くなってしまうではないか。

 ニコル。ああ、ニコル――。

 だが目を開いた少年の視界に映るのは、在りし日のニコルの姿でもなく、千切れ飛んだ腕の欠片でもなく、今にも少年に踊りかからんと手ぐすね引くかのごとくすぐ側に滞空する、巨大で凶暴な羽虫達の姿だった。

 すぐ近くに、あの幼い少女……ライナの姿もあった。ノイエが目にしているのは、今まさに彼女が羽虫達に最後の指令を下そうとしている、そんな光景だった。

 ニコルの腕を失ったのみならず、そもそもノイエ自身、そこで最後を迎えようとしていたのかも知れなかった。

 そんな折だった。

 ……唐突に、ライナとノイエの目の前で、不思議なことが起こった。

 思わずノイエは目を見張った。少女の足元に転がっていた一本の折れた金属パイプが、唐突にすっくと立ち上がったのだ。

 例えるならば、まるで上から糸をひいて操っているかのような奇妙な動きだった。

 もちろん、金属のパイプは普通はひとりでに直立はしない。だからそれは、実に奇妙な現象と言えた。

 言うまでもなく彼らの頭上にはただ曇天が広がっているばかりで、誰が上から糸を操るわけでもなかった。

 意識が混濁するあまり、ついにありもしない幻を見るようになったか、と少年が思った矢先に、その金属パイプは垂直を保ったまま、とんとんと片足づくように――元より一本足だが――ライナに向かって距離を詰めていくのが分かった。

 その奇妙な動きにさすがのライナも気づかないはずがなく、思わずそちらを振り返る。不可思議な手品めいた現象に、ライナは警戒半分、好奇心半分といった様子で黙ってそれを観察していた。

 そんなライナも、金属パイプの破断した先端が、ずいぶんと鋭く尖っている事には気付いていただろうか。

 次の瞬間、金属パイプはやや斜めに傾いだかと思うと、猛然とした勢いで、まるで吸い寄せられていくようにライナに向かっていく。

 鋭利に破断したその先端が、次の瞬間にはライナの細い身体を刺し貫いていた。

「――――!!!!」

 声にならない悲鳴を、今度は幼い少女がもらす番だった。

 金属パイプは脇腹のやわらかい内蔵の部分から、彼女の小さな身体を斜めに貫いていた。しかもそれは目に見えない何者の手で、力強く無理やりにねじ込まれようというように、ぐい、ぐいと幾度となく押し込まれていくのが見て取れた。

 それは瀕死の重傷を負ったノイエの目から見ても、むごたらしい光景だった。

 幼いいたいけな少女の身体に斜めに刺さったパイプを伝って、真っ赤な鮮血がどぼどぼと地面にしたたり落ちる。そして見えざる手に操られていた金属パイプは、彼女により一層の苦痛を与えようと、なおも傷口に深くねじ込まれようとしているのだ。悲痛な叫びが、ライナの口から幾度も幾度も漏れ聞こえても、まるで容赦の気配がない。

 しかもそれはあくまでも手品で操られているかのように、攻撃者の姿がようとして知れないのだった。

 いや――。

 真にそこに何もいないわけでは、なかった。

 苦悶にもだえるライナの足元が、かすかにぬかるんでいるようにノイエには見えた。ノイエやライナが流した血によるものかとも思えたが……半分は当たっていただろうが、半分は違っていた。その水たまりから、まるでバケツの水をこぼすのを記録映像を逆回しに映し出すかのように、するすると水のしぶきが上に伸びていって、ライナの目線の辺りで形を結んだのだ。

 それを傍目で見ていたノイエが、思わず声をあげていた。

「……イゼルキュロス!?」

 そう……ノイエは半透明に透き通った彼女の姿しか知らなかったから、水のしぶきが形づくった透明な像が一体何なのか、一目見ただけでぱっと理解出来た。

 そこにいるのは確かに、イゼルキュロスだった。

(メアリーアンの仇よ! 思い知りなさい!)

 声とも付かない不思議な音が、空気をびりびりと震わせた。



(次話につづく)

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