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ホワイトアウト・シティ  作者: 芦田直人(あしだ)
第5章 イゼルキュロス
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1 嵐のあと

 やがて嵐は去って、朝がやってきた。

 〈ブリザード〉によって街に運ばれてきた結晶は、辺り一面に堆積して街並みを真っ白に染め上げていた。

 自由国境地帯を汚染する毒素は、季節風に巻き上げられ一定の高度に達したのち、上空の低温によって結晶化すると気まぐれな風に乗って屑鉄平原に降り注ぐ。一度結晶化したあとは一定の温度と弱い紫外線の照射によって融解し、無害な水に変化するのだという。

 つまり、積もった結晶は結晶の状態でじかに触れたり体内に入ったりしなければ人体には安全だというのが人々の経験からくる知見であり、〈王都〉の研究機関の見解も同じだった。

 いずれにせよ、自然の成り行きに任せすべてが融解するのをじっと待つのが最も安全であるのは確かだが、日々の営みを止めてしまうわけにも行かない。風がやんで安全が確認出来ると、人々は日が高くなるのを待たずして午前中のうちに避難先から表に出てきて、復旧のため結晶の除去作業にとりかかるのだった。

 肌の露出のない防護服に身を固め、マスクやゴーグルで顔や目を保護するのも忘れてはいけない。路上に積もった毒素の結晶を慎重にスコップでかき集め、最終的にはトラックなどに載せて屑鉄平原にまで捨てに行くのだった。

 ここ工場街でも、誰からとなく表に出始めてはそうやって作業に取り掛かり始め、隣近所の様子をうかがいながら人々は思い思いに表に出てくる。エルとジョッシュも、いつまでも工場にじっとしているわけにもいかなかった。

 少年がまだ目を覚まさないうちに、彼らがまず行ったのは、路地裏で命を失ったあの猫の亡骸を回収することだった。ノイエやフランチェスカの目につくままに放置しておくわけにもいかないし、元々はジョッシュが店で預かった猫であるから隣近所に処置を任せるのも忍びない。エルに押し付けるわけにもいかず、ここはジョッシュがどうにか残された骸を回収し、まずは一人で自分の店に持ち帰った。そこから取って返してきて、近隣の人々に混じって作業に取り掛かるのだった。

 メアリーアンがいなくなった事は確かに気がかりだったが、避難が間に合わず身近な家屋に避難させてもらうような場合もなくはない。除去作業に出て来た近隣の住人にそれとなく話を聞いたりなどもしてみたが、これという話は出てこなかった。まさか〈ブリザード〉のさなかに出て行ったのだとも言えず、そのうち行き場もなくふらりと帰ってくるのではと淡い期待を寄せるより他になかった。彼女の事を除けば、大きな事故や被害について目立った話も聞かず、人々は今年はごく平穏に〈ブリザード〉をやり過ごすことが出来たと、胸を撫で下ろすのだった。

 フランチェスカはと言えば、そんなさなかにグラン・ファクトリーで一人、留守番を任されていた。

 ジョッシュとエルは作業に駆り出されていったが、子供の彼女がふらふらと出歩くにはまだまだ安全ではなかったし……それにノイエが依然として目を覚まさないままだった。

 熱は夜の間にすっかり引いてしまったようで、今はうなされる事もなく静かに眠っていた。様子をみているように、とエルに頼まれた時点ではやる気満々の彼女だったが、次第にやることがなくて退屈になってきていた。

 寝室を見回してみれば、ここ数日エルがメアリーアンに着せていた服が何着か、無造作に壁に掛けられたりしていた。昔の服だと彼女は言うが、フリルやレースをあしらったものばかりで、作業着姿で怒鳴り散らしている今のエルからすると、当人がこれを着ていたとはにわかに信じ難かった――が、そのような所見をもらせば何を言われるか分からないので、フランチェスカはその場ではあえてコメントを避けたのだったが。

 ともあれ、今この場でフランチェスカはそのうちの一着をこっそり手にして、鏡の前で自分の胸に当ててみるが、彼女が着るにはやはり少しサイズが大きかったし、可愛らしく着こなす自信がそもそも無かった。

「……何しているの?」

 そんな風に鏡の前に立っていると、不意に背後から声をかけられた。

「うわっ」

 反射的に、エルの服を脇に放り出してしまう。振り返ってみれば、ノイエがベッドの上で上体をおこした姿勢のまま、こちらを眠そうな目でみていた。

「あ、えっと、その! ……ノイエ、具合はどう?」

「一体、何があったの?」

 か細い声でいったんはそのように問かけてみたノイエだったが、次第に記憶が甦ってきたのか、勝手に納得の表情をみせた。

「……メアリーアンは? 戻ってきた?」

 ノイエの問いに、フランチェスカは首を横に振るしかなかった。

「そっか」

 そう言って、深くため息をついて、自棄になったようにベッドに身を乱暴に横たえた。眠るでもなく、天井をぼんやりと見ている。

「はやく、連れ戻さなきゃ。手遅れになる前に」

 何気なく少年の口から漏れた言葉に、フランチェスカはどきりとさせられた。

「手遅れって、何がどう手遅れになるっていうの?」

「それは……分からないけど」

 ノイエは天井を見上げたまま、言う。

「誰かがイゼルキュロスの命を狙って、僕らがそれに巻き込まれたらってエルは心配するけど……一番心配なのはメアリーアンでしょう。その誰かがもしメアリーアンを見かけたら、何をするか分かったものじゃないよ。だからそうなる前に、彼女を僕たちで守らなくちゃ」

 守る……そう言ったノイエの言葉に、フランチェスカは言い知れない違和感を覚えていた。

 何せ彼女は〈ブリザード〉の中でも平気な顔をして立っていたのではなかったか。

 むしろ庇護が必要なのは、熱を出して倒れてしまった少年の方ではなかっただろうか。

 フランチェスカがそんな事を考えているうちに、ノイエはベッドからはね起きて、シーツをさっと整える。倒れた時のそのままの恰好で寝かされていたのだが、寝汗を吸い込んだシャツが、少しばかり不快であるようだった。

 少年は自室で着替えを済ませると、自身の遅い朝食とフランチェスカの少し早い昼食を一緒に用意してくれた。少年が無言のまま食事を採るのを、彼女は言葉少なげに横目で見ていた。

 やがて少年は食事を終えると、食器を片付け、もう一度自室に引き下がる。そこはプライベートであるからフランチェスカも見咎めはしなかったが、再び戻ってきた少年の姿をみて、フランチェスカは呆気にとられてしまった。

 厚手の上着をしっかりと羽織り、ちゃんと袖口などにもテーピングを施した完全防備で少年は現れたのだった。

「ちょっと、出かけて来ようと思って」

「出かけるって……どこに」

「屑鉄平原に」

 少年はぶっきらぼうに……それでいて開き直るように淡々と言ってのけた。

 フランチェスカは、驚くでもなく、うろたえるでもなく……いや、内心は大いに狼狽していたのだが、あまりの事にまさに声も出てこなかった。

 ノイエは一体何を考えているのだろう。〈ブリザード〉が去っていったばかりなのだ。往来こそ工場街の住人達が総出で協力しあって、結晶の除去作業にいそしんでいたものの、だからと言ってまだ安全とは言えない。街の中でさえこんな調子なのに、屑鉄平原が安全なはずなどないではないか。

 ようやく我に返って大声をあげそうになったフランチェスカを、ノイエは慌てて制止した。

「分かっている、分かってるってば。……ほら、見ての通りちゃんと防備は固めてあるし。それにこれは、どうしても必要な事なんだよ」

「屑鉄平原なんかに、一体何しに行くっていうのよ?」

「イゼルキュロスを連れ戻しにいくんだ」

 少年の口からそんな言葉を突きつけられて、フランチェスカは唖然としてしまった。

 何か言い返さねば、と思ったが、ノイエの表情に浮かぶ悲痛な決意に、何をどのように言って慰留すべきなのか、皆目見当もつかなかった。

 彼女が泡を食っている間に、ノイエはまるで自分自身に言い聞かせるように、おのれの考えを述べた。

「イゼルキュロスは僕たちを信じて彼女を託したのに、その彼女は僕らの元を出て行った。僕らがあてにならないのなら、彼女にとって必要と言えるのは、イゼルキュロス以外にはありえないじゃないか」

「そこまでしなくても、私達でメアリーアンを探して、ここに連れて帰ってくればそれでいいじゃないの、ね?」

「それで、僕らがメアリーアンに何が出来るっていうの?」

 思い詰めた表情の少年に、何か気の利いたはぐらかしの言葉でも言えればよかったのかも知れない。だがフランチェスカは何も言えなかった。

「昨日イゼルキュロスを置いてきた事は、間違いだったんだ。彼女は文句を言うかもしれないけど……大丈夫、ちゃんと連れ帰ってくるから」

「そんな……」

「それに、もしかしたらメアリーアンだって、イゼルキュロスを探しに屑鉄平原に向かったかも知れない。イゼルキュロスのところへ行けば、メアリーアンも見つけられるんじゃないかと僕は思うんだよ」

 そう言って、ノイエは笑顔を見せた。不安顔で見返すフランチェスカを安心させたかったのかも知れなかったけど、むしろその笑顔が、たまらなくフランチェスカを不安にさせるのだった。

 エルもジョッシュもいないタイミングを見計らうかのように、少年はホバーサイクルに乗って一路屑鉄平原を目指していく。

 その後ろ姿を見送りながら、今すぐにでもエルをここに連れ戻してきて、ノイエを引き留めさせた方がいいのでは、と気が気ではないフランチェスカだった。

 いやな予感がする。ここで彼を引き留めておかないと、取り返しのつかない事になりそうな気がするのだ。

 だが、それをどう少年に伝えれば、彼は思いとどまってくれただろう。

 彼女がもじもじと言い淀んでいる間に、ノイエの姿は段々と小さくなっていく。それにつれてフランチェスカの不安は逆にだんだんと大きくなっていくのだったが……結局その場で少年を見送る以外に、どうにもしようはなかったのだった。



(次話につづく)

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